頑張るね

モブウマ娘 それでも私は走る

年を越えたばかりの冬の候。吐息の軌跡が白となり、凍える指先が赤くかじかむそんな日。
痛いくらいの冬を駆け回るのは、子供だけではなかった。

学生であるからには年末年始を遊びに費やす者も多くて正しい。
だが、年始めの休暇をかけっこの練習に当てる少女も少なからず存在した。
冬枯れも殆ど分からないほどに手入れされたターフの上を、ちらほらと、ウマ娘達が駆け抜けている。
目指す先を、夢を見据えて真っ直ぐに。彼女たちは進み続ける。

その多くがデビューしてからクラシックのレースに挑む、これから世代を作るだろう黄金の卵達。
当然駆け足は見事で、一歩に羽根が生えているかのように軽やかなもの。

「はぁ、はぁ……」

だが、そんな中、地べたを這うように駆ける、明らかに特別ではない存在の姿もあった。
走り方は整っていていても、彼女は劣っている。狭い器は震えて今にも溢れんばかり。
それでも、今は僅かに本格的でない他より速かった。それだけが、幽かな自信。

「負け、ない……」

ああ、これから私は、多くに抜かれるだろう。だが、それがどうした。それを知っていて進むのだ。間違って、勝つために。
負けて、それでも――――という名前を掲げて走りきるのだ。
目指すはクラシックの険しき道。一握りのウマ娘たちが三つの冠をかぶったことのある、その道程を足りないその身で走り切ることを、彼女は目標としている。
まずは、皐月のレースで頂を。
その思いばかりが燃えに燃え、同部屋のキングヘイローにも気持ちは分かるけれど浮足立っているわね、と――――は指摘されている。

――――からすれば、キングヘイローも普段と比べて気持ちがブレているようにも伺えたが、まあそれも仕方のないことか。
血統優れたある種勝利を約束されたような彼女であっても不安になるくらいには、生涯一度きりしか挑戦機会のないクラシックレースは重い。
こと、日本ダービーに至ってはダービーに始まりダービーで終わるの格言通りに目標とするウマ娘は後を絶たない。

当然のように、――――は日本ダービーにて名を上げようと思った。私をウマ娘にしてくれたこの子に、最大級の愛をあげるために、と。
だが、そのためにはたとえ友であるだろうが、負けても背負ってくれると断言してくれた王だろうが蹴落とさねばならないだろう。
勝つということは、負かすこと。屍にまで至る敗北を知っている少女にはそんなこと本意ではないけれども、でも勝ちたかった。

「ん」

少女はいつの間にか止まり、空を見る。
青空に畝のように広がる層積雲は、まるで轍。手を伸ばして、脚に力を入れればそこを駆け抜けられそうな気持ちになる。
だが、幾ら勝ち気に逸ったところで空は行けない。まして才能という翼のないウマ娘であるところの――――なら、最早夢見ることすら難しくて。
冷静に成った彼女は、オーバーワーク気味の熱を持った体に気づいて苦笑いしてから、呟くのだった。

「まずは、白梅賞、か……」

そう、先へ先へとこころが行っていたが、実のところまだ今は一月の二日。
とはいえ、再び京都で行われる次の目標まではもう一週間を切っているという頃合い。
ここでは勝たないと、そしてここで勝てれば、という焦りと不安の気持ちが混ざり合って、結果――――は浮足立つこととなったのだろう。
素直に、彼女は反省する。首をブンブン振ってから、タオルで顔をごしごし。そして。

「行こ」

あっけなく、自主トレーニングとしてしばらく蹴っていた芝から背を向けて去るのだった。
もう、不安だった短い距離を全速で駆ける訓練は済んだ。
同年代のウマ娘が呆れかえる回数の短距離トレーニングを終え、手応えはバッチリあとは結果を御覧じろ、といった心持ち。
以前からは考えられなかったくらいの自信は小柄な――――の姿をすら少しばかり大きく見せるようだった。

「それでも負けるのが私かもしれないけれど……負けたくないな」

不安だらけの心に一筋の希望。
だから、或いはこの世のノイズ程度の私であっても。

水無月の空に高らかに歌えるのではないかと、――――は、錯誤するのである。

 

「さて、寮に戻ってはきたけど……どうしようかな」

シャワーを浴びホカホカになった身体を、一人ぼっちの部屋で持て余す――――。
何時も世話したりされたりな関係の同部屋であるキングヘイローは、苦虫を噛み潰したような顔をしながら冬休みに実家へと帰っていったために、姿がない。
また、NHKマイルカップを当座の目標としているエルコンドルパサーは冬のはじめ頃に軽々とデビューでの勝利を収め、今はお土産を楽しみにして下さーいとグラスワンダーと共にアメリカの実家に帰省中。
ハルウララに至っては、出発に遅刻しそうなところをあれやこれやと世話してあげたくらいである。そして彼女が無事高知の地元に着いたことは、届いたメールで知っている。

「スズカさんも実家でゆっくりしているみたいだし、スカイは……あ、なにこれ魚の写真? どっかで釣りしてるのね」

携帯電話をつらつらと弄りながら、――――は届いていた山ほどの写真をスクロールしてセイウンスカイからのメッセージを見つける。
どうやら祖父と船釣りをしているようだった。写真の中には、気の良さそうなお爺さんが映っていて、また彼女も実に楽しそうだった。
お爺さん子というところが伺え、また元気そうでもありまことに良いことだ。大漁とはいっていないそうだが、まあそれだって仕方のないことだろう。

ただ、セイウンスカイすらここらに居ないとなると、気軽に声をかけられる友達はぐっと限られた。
まさか、少ない休暇を堪能しているだろう担当トレーナーを暇つぶしのために呼びつけるわけにもいかず、ならば選択肢は一つだ。

「となると……久しぶりに、一人歩きでもしましょうか」

そう。先に駆け抜けた寒空の元へと、とんぼ返り。
音楽でも聞いてゆっくりすればいいと思わなくもないが、それでも何となく気持ちは外へと向いてしまう。
――――はお気に入りの羊毛のぬくぬくアウターを着込んで温度差に風邪引かぬように気をつけながら、再び外に出た。

「寒い……」

途端に、思うは冬の寒さ。
都会っ子の彼女はビル風でもないのに吹きさらす、トレセン学園が広大なところからくる風の自由さが少し苦手だ。
ましてやそれと対決する覚悟を持って練習していたさっきとは違う。
白い息を短く吐き出してから、ポケットに手を入れて今度は意気込んで――――は散策を始めた。

「静か、ね」

途端に、まず感じられたのは、辺りの静寂。
いや、木々のざわめきや、何かしらの生き物の鳴き声などは遠く感じられる。
ないのは、休みと共に各々の生家へと消えたウマ娘たちの若き声。当たり前のように感じていたそれが失われた寮の周辺は、どこか寂しい。

「ん」

寒いこんな中を長居するのはあまり面白いものではないと感じた――――は、予定を変えて、学園前までの短い距離の散策にすることに決めた。
ただ、ゆっくりと一歩一歩を噛みしめるように、踏みしめる。
空はいつの間にか晴れ渡っていて、コロコロ転がっていく枯れ葉の様は、風情があると彼女も思わなくもない。
そのまま、久方ぶりののんびりを楽しんでいた、その時。

「……どうしよう、誰もいない……帰り道はどっちだべー!」
「ん。ええと……」

一瞬、強い光が見えた。
いや、それは間違えで、視界の先には惑っている様子の私服のウマ娘が一人ある。
見た覚えのない、色々と大きくてなんだか才能が伺える、しかしどこか実直でもありそうな彼女を気にした――――は駆け出し、声をかけた。

「あの。貴女、どうかした?」
「っ、わ! 私以外のウマ娘……じゃなかった、私、スペシャルウィークと言います! 私、トレセン学園に転入する予定で、今日はお母ちゃんに北海道から東京まで見学に行かして貰ったんですけど……」
「誰も居なくて、迷っちゃったってところ?」
「そ、そうです! 当たってます! 凄いです、ウマ娘さん!」
「気づいたのは偶々。それに私は確かにウマ娘だけど――――っていうの、覚えといて」
「はい! ――――さん!」
「ん」

先の狼狽えぶりはどこへ行ってしまったのだろう。元気満面に、彼女は彼女の名前を口にする。
明らかに未来輝かしいような素敵な少女(スペシャルウィークというらしい)に名前を呼ばれ、どこか――――も満足そうだ。
だが、転入生として来たらしいが恵まれた身体つきといい一際目を引くその瞳の輝きといい、なんとなくこの子は強敵になるかもしれないな、と――――は思わなくもない。
とはいえ、勝ちを得て自らに多少の値打ちを覚えた彼女には、将来の敵に塩を送る程度構わないというくらいの余裕があり、そもそも良心から迷子を見過ごせず。

だから。

「はい」
「えっと?」
「ぷ。そうじゃないよ」

スペシャルウィークに、――――は迷いなく手を差し出す。
だが何故かおずおずと田舎者ウマ娘はその小さな手のひらにお手をした。
――――は、思わずコミュニケーションの失敗に苦笑をしてから、スペシャルウィークの手のひらをためらわずに握りこむ。

ああこれはとても、温かい。まるでこの子はお日様のようだな、と彼女は思うのだった。

「ほら、手をつないで行こうか。帰り道、教えたげる」
「あ……はい! よろしくお願いします!」

良いと言われている笑顔に、更に上等な笑顔が返される。――――は、何となくスペシャルウィークという子を気に入った。
そして、手のひらに感じるマメのような硬さに、普段何をしているのか気になって、それを口に出してみる。

「歩きながらでいいけど、普段何してる? 私は走ってばかりだけど」
「えっと、私は農作業とか……あ、勿論走ってもいますよ!」
「なるほど……お家、ひょっとして大きい?」
「えっと……北海道だから農地は、ひょっとしたら広いかもしれませんけど、家は普通だと思いますよ?」
「ふふ。そうなんだ。後、敬語はいいよ、スペちゃん」
「あ……うん。分かったよ、――ちゃん!」

そうして、ちょっと突っ込んで話をしてみたら、笑みと共に応答が続く。
ためしに気安く呼んでみたら、更に笑顔が花咲いて。
だから、駅までの道中のほとんどで、はじめてのウマ娘の友達が出来たスペシャルウィークは満開のままだった。

「着いたね」
「あ、もう着いちゃったんだ……なんだかあっという間」
「そう感じてくれたなら、良かった」
「あ……」

そして、案内終われば迷子でもない。もうこれで特別扱いは終わりと――――は繋いだ手を離す。
それに、どうしてだか驚くスペシャルウィーク。彼女は、空いた手をぐーぱーしてから、別れ際に彼女に向けて静かに話しかける。

「……ねえ、――ちゃん。――ちゃんにはどんな夢があるの?」
「私は……そうだね、――――という名前を有名にさせたい、かな」
「そうなんだ……いいね……私はね、日本一のウマ娘になりたいんだ!」
「そっか、いい夢だね」

――――のその言葉は、本心。誰もがそれを諦めるけれど、それだったら、どれだけ良かったか。
一番。負けることのない、ただ一人。
そんなものには決してなれないけれど、夢想の中であろうとそんな素晴らしいものを手放しに褒めるのは敗者の役割でもあって。
故にこそ、――――は。

「頑張って」
「……うんっ!」

少女の夢を認めてしまった。応援すると、決めたのだ。それが現実になると思わずに、ただぼうとスペシャルウィークという乙女の笑顔を良しとして。

でも、だからこそ壊れない絆はここで結ばれる。それをなんと呼ぶかは、人によるだろうけれども。

「私……頑張るね!」

期待に高鳴る胸元。はじめての激励は希望にすら近くなって。

彼女にとってその想いは、初恋にすら似ていた。


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