何を愛したら

モブウマ娘 それでも私は走る

皐月賞のその日、サイレンススズカはトレーナー、そしてチームの皆に連れられて応援に来ていた。あまりの歓声に一時耳を畳みながら、彼女は彼女を思う。
その応援相手は当然我らがチームスピカにおける新星、スペシャルウィーク。奇しくも同室の、輝かんばかりの素質を持った日本一という夢を掲げる少女。
出会うその前、合間に歪んだばってんが入り込んでしまったからか多少ぎこちなくはあれども、サイレンススズカにしては驚くほどスペシャルウィークは仲良くなれた存在だった。
差しを得意とする彼女の才能溢れる走りには目を離すこと難しく、また時折面白おかしくも優しく心に触れてくる田舎少女の無垢さには、微笑み浮かばずにはいられない。

正直に、サイレンススズカはスペシャルウィークが好きである。好ましい、相手だ。きっと相性という面で言えばそれこそ抜群であるだろう。
癒し系の年下に自分が弱いとは知らなかったが、それでも意固地な心が徐々に絆されていくことは悪くなく、あと一歩で大好きに相当するだろうところまで来ているのだって彼女は分かっていた。

だが、そこで自分達が互いに遠慮にて足踏みしていることだって、判じている。
好きな相手には、もっと好きな子が居た。それは鏡写しで同じであり、共に一番は彼女ばかり。だからこそ、二人は胸襟を開けきれなかった。

――――。その少女は優しくって何事にも本気になってしまうからこそ、他人にだって本気で当たって心に強い印象を残す。
もし――というウマ娘が居てくれなかったら、きっと自分の思うままに走れないことに膿んでいただろう。そして、スペシャルウィークに会うまで心が一人ぼっちになっていたに違いなかった。
最初はサイレンススズカもよく分からなかったのだけれども、あの間違いだらけの女の子は故に理想に対するバツ。無視なんてとても出来ない。背中合わせで繋がった、――の心臓の高鳴りが痛い。

あの子は、無才から逃げ出した。私は、天才から逃げたくなった。そして、共に走るは一人の野原。
間違っていて、それなのに私の正解とクロスする。ああ、ばってんに記された、彼女にのみある宝の在り処はきっと。
サイレンススズカが焦がれた先頭の景色。窮まったその答えの一つが眼前に広がっていた。

「ウソ、でしょ……」

極めて速く。飛び出したノイズはそのまま多くの一流の音色を引き連れ続いていく。
そこには、サイレンススズカが得意とするような途中で隠れてペースを落とすなどといったテクニックなんて一つもない。
休符記号をも許さない、真面目で臆病極まりないその間断のない悲鳴のような高音。どう考えたところで続くはずもない、限界を超えた最高速のベタ踏み。
それが、終わらない、止まらない、休まない、垂れず消えてくれず、悪夢のように後続を疲れさせていく。

――――――――――――――――

皐月賞。それは一番速いウマ娘を決めるレース。だが、今回に至ってはそれどころではないぞ。
それを、――――という少女の一歩一歩にて理解する観客たち。ざわめきは、死んだ。あんまりなまでの疾走ぶりに広がり始めた沈黙に、少女の歌声のみが響く。

――――――――――――――――――――――――――――――――

「――ちゃん!」

生命を燃す速度。それで止まらず、壊れずにどうして。少女の瞳に宿る炎は真紅であり、そこには何か巨大な獣のような迫力さえ抱かせた。
それこそ、遅れる全てがどうでもよく思えてしまうくらいに、何とかして大切な何かを今日この日に刻み付けようとする少女の凄絶さは、群を抜いていたのだ。
思わず、大切な後輩よりも気になってしまう大間違いの名前を叫んでしまう、サイレンススズカ。
真新しいターフを先頭にて散らし続ける――――は、しかしそんな悲鳴を知らずに更に強い一歩を続けるのだった。

「そんな……」
「スペ先輩が、届かない?」

そんなどうしようもないものに追いすがる天才たち。
最高品質の少女の一角であるところのスペシャルウィークが青い炎とともにギアを上げて上げきって、それで苦悶の表情に至ろうとも距離が狭めきれていないことに、ダイワスカーレットとウオッカは気づく。
むしろ、此度一番人気のウマ娘、グラスワンダーなら或いはといったところで、最後の直線前にて脱落していく先輩。
最後まで気持ちを持って差すことに関しては、きっとスピカの誰より得意ではないかとすら思えていたのに、まさか。応援の声すら届かないくらいに、彼女は疲弊しているようだった。

「いや、いやいやいやっ!」

驚きに口を開き呆然とする二人に、トウカイテイオーの驚愕ぶりはそれどころではなかった。
速いっていうのは格好いいものでしょ、という自論が崩れることによって。憧れたくなるものではなく、今直ぐに忘れたくなるような強烈な走りなんて、理解の外で。
これは、競るのではなく一人を極めたその一筆。そんな代物だということを直感で解した少女は、ストップウォッチを見つめ慌てて言い出す。

「お、おかしいよ、あの子! どうしてあんなにトップスピードを維持したまま走れるのさ! 1000メートルで57秒台、それでずっと落ちないなんて……このままだと……」
「世界レコードってか? おい、どうなってんだよトレーナー。今日のスペなら誰にも負けないって言ってたけどよ、あんなのこの世のウマ娘の誰だって勝てねーぞ?」
「いや……ヤバいかもな。これは……」

予想を超えすぎたあまりの事態に身を乗り出すスピカの面々は、時計を見ながら次々に考えられない現実からこの時期のウマ娘達が出すにはあり得ないはずの記録に対する恐れすら湧く。
これは、どうしたって必死。壊れて死にゆくための愛の走りだ。あんなもの、ロジカルな競争でもなく、むしろリリックな奇跡。何時最悪によって終わってしまうのか、分かったものではない。

「俺も、覚悟を決めるか」

そんなものを理解できる自分は大人になったものだと自嘲しながら、思いっきり甘いキャンディを奥歯で砕いたスピカのトレーナー。
これは最悪が、あり得る。このまま彼女が止まらなかったら壊れ、その結末が骨折すら可愛いもの。止まれずにもし柵にぶつかるなどしたら、最早目も当てられないだろう。

だが、スペシャルウィークには勿論、頑張れと敵の――――にすら手を振って別れていた今日この場に至っては最早結末までを見つめることしか出来ない。
もしくは、祈ること、願うことくらいなら許されるだろうか。だが、彼はそれを逃避と切り捨て、目をかっぴらいてひたすらに少女たちの走りを見守る。
目に焼き付けろ、彼女らの望んだ一瞬一瞬を。そして、僅かに迷い、だが確かにトレーナーはこうライバルでしかないはずのウマ娘にエールを送るのだった。

「頑張れ」

そう、頑張って俺の不安なんてどうでもいいとその強い走りで駆け抜けて欲しい。その後にまたスペシャルウィークと切磋琢磨して、共に輝いてくれ。
そんな切なる願いに。

―――――――――――――――――――――――――――――――

バツ印。どうしようもなく、ウマ娘で出せる力の域を超えて燃し尽くした――――はその身をぐらりと揺らす。

「っ」

これは、足元か。おそらく左の足首がやられたのだと理解してしかし歯を食いしばり次の事態に備えるためにも直視しながら堪えることばかりしか出来ないスピカのトレーナー。

「止めて……!」

だが、彼女は涙とともに悲鳴を上げる。
それは、サイレンススズカというウマソウルを持ちその名を掲げる少女だからこそ、記録とだぶって見れた事態。
きっとほとんど同じ、あの怪我で私だったあの子は生命を失う結果になった。それだから、もう止めて。これ以上続けたらきっと貴女も。

「停まって、やめて――――!」

そしてその必死の懇願の結果は。

――――♪……

歌一つ。しかし駆け抜けられず、終止線の手前いちメートルも無いところにて競走中止となった、――――。
彼女は一度ぺこりと皆に謝罪をしてしばらく経ってからその場にて崩れ落ちて。

「……うぅ」
「スズカ!」

前世の自分の終わりを思い出してしまったサイレンススズカも膝から崩れ落ち、トレーナーに助けられるのだった。

 

ウマ娘は、強いが脆い。そう語っていたのはどこの偉い誰だったか。
それは間違いとは思わなかったが、しかし強くなり続ければ脆さも何時か消えていってくれるものだとサイレンススズカは誤認していた。

「――ちゃん……」

だが、私は何時まで経っても脆いまま。前世途中で終えてしまって、その軌跡をなぞっていたばかりの何時か壊れるために居る存在。
それが、ベッドにて安堵され未だ起きないこの子のために分かった。――――という無茶苦茶な誤答によって示されたのだ。

「私は、間違っていたのかしら」

だから、悲しい。走ることが楽しくって、それを輝かせるために競走するばかりでは何時か崩壊するのが私なんて。
そんな生き物、走ろうとするのがそもそも誤っている。サイレンススズカという少女は冷静にそう思えた。

「ねえ――ちゃん。答えてくれない?」

だが、目を閉じた沈黙の少女の前に座して、スピカのトレーナーが席を外している今も彼女は壊れたように、いいやむしろ一時壊れて問い続ける。

貴女は間違いで、私も間違いだった。なら、私達はどうしようか。
少女が目覚めない限り、その答えは未だ出ない。

「けほ。喉、疲れちゃったなぁ……ふふ」

咳込み、そうして微笑んで彼女は彼女をゆっくり見下ろす。
鬼気迫るものはどこへやら。眠っている少女はただ可愛らしいばかりの顔をしている。ああ、彼女だって恋しいもの愛するものだってあるウマ娘。この子が未来を鎖さなくって、それは良かったと先輩は思うのだ。

「そう、いえば……」

そこで、機械のように問い続けたサイレンススズカはようやく独り言を止めた。
それは、もう一つ彼女が疑問を思い出したため。

トレセン学園のかかりつけの中でも賢明な医師は全ての処置を施した後に、こう零していた。

――この子は診るに頑丈な身体をしているが、それを超えて……いや、ウマ娘の限界をすら超えて彼女は力んでいた。それが何のためかはきっと私達には分からないけれど……それが一番悲しいなあ。

そして、がんとサイレンススズカは衝撃を覚えた。
ああ、彼女はきっと何かのためにあれだけ本気で駆けていて、そしてそれが何なのか実のところサイレンススズカは知らない。
何かを察しているようだった同級の子たちが口を噤んでしまえば、後はその必死の故を、少女の愛していたものを知りたがる乙女がここに残るばかり。

サイレンススズカ、という名と運命を本当の意味で負ってしまった少女は瞳潤ませながら。

「私はどうすれば、何を愛したら壊れると理解っているのに、――ちゃんみたいに走れるの?」

そう、不安な未来に対することすら出来ず、弱音をこぼす。

「ん……」

そして、涙一滴頬に落ち、しかしその日眠り姫が目を覚ますことはなかった。


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