貴女には私が

それでも私は走る

最も速い。それは、多くの競走者が望む称号。心より一番を望むなら、決して避けてはいけない夢。
しかし距離の適性に調子や年齢、そしてウマソウルの加護の度合い等、一律に速さというものを決めるのは中々に難しいことである。
だが、クラシックには最も速い馬が勝つとされるレースが存在した。先の通りに要素複雑に絡まるレースにおいてその評はきっと正確ではない。けれども、謂れは意味としてずっしりとした意味を持つ。

春に少女よ咲き誇れ。時にも負けずに、速さを競って。クラシック戦線の命運をすら端に決めかねない程、大切なそのGIレースは皐月賞という可憐な花と同じ名前をしていた。
殊更輝きを持つ三つの冠の内の、最初の花冠。それを被るウマ娘は本日、決まる。

青い空に、満員の観客。芝も思わず口に入れてしまいたくなるくらいに瑞々しく綺麗なもの。心地よい風が、かっかと燃える身体を優しく撫でる。
4月19日の第58回皐月賞は、考えられる限り殆ど最高の状況下で、もうすぐ始まらんとしていた。

「――ちゃん! 頑張って……いいえ、勝って下さいっ!」
「ん。私は、勝つよ」
「よし、気持ちも充分そうだな……その意気を、君の速さを皆に見せつけて来てくれ」
「勿論」

芝生の上、既に響いている歓声の中二人の応援者の声を聞き、少女はかけられる期待の全てに対して、是と返す。
やる気は満ちていて、心はち切れてしまいそうなくらい。それを、興奮として勝ちの材料にするため飼いならそうと必死になっているのが、今の――――の有り様。
鬼気迫るということはこのことか。パドックにても彼女の好調は一際観客たちの目を惹いていた。これはもしかしたら、いやしかし。
それでも綺羅星達の輝きに呑まれたことと、先日の敗北が影となって人気は11位。もしかしたら、を望まれるような順位であり、それですらむしろ――――の前世からしたら過分な評価ですらある。

「後は結果、だけ……」

とはいえ、今の――――に評価なんかが目に入ることなんてない。そんな邪魔を容れる余裕なんて痩身の彼女にはあり得なかった。
走る前の集中のため、トレーナーにエルコンドルパサーから離れ出して一人、思う。
求めるのは、勝利ばかり。最も速いウマ娘の一人として――――という名が語られる、そのための炎になろう。少女は燃えていた、それこそ今のために全てを燃焼してしまいそうなくらいに、バチバチと。

だが、意気ですら余計に思えるくらいに、周囲の少女たちは逸している。熱はほどほど、後はそれに真剣になれば勝ちを信じられるという、優駿たちは――――のその熱さを心配すらした。
こと、自分が本気になれるか今まで不安を持っている優しいスペシャルウィークが、火の玉のような少女に声をかける。
近寄ってきたライバルに応じるは、栗色の視線。春風が柔らかに、二人を撫でた。

「――ちゃん……大丈夫?」
「ん……スペちゃん。私は勿論大丈夫だよ。むしろスペちゃんこそ大丈夫?」
「え? えっと、私は……うん。今日は気持ちよく走れそうかな」

大丈夫か。それを聞いてむしろ聞き返された。専心に過ぎているように思える状態の少女に、真っ直ぐ見つめ返され、少し気恥ずかしく思いながらスペシャルウィークはうんと返す。
それに――――は至極満足そうに(ああこんなにこの子って愛らしかったのかとスペシャルウィークは見惚れた)微笑む。
今日に生命の全てを燃やすことすらためらわないだろう少女は、言った。

「ん。それは、良かった。私は、調子が悪いスペちゃんに勝ちたいわけじゃないから」
「っ……本気、なんだね」
「うん。絶対に、私は負けてあげない。だから、改めて本気でかかってきてね?」
「う……」

呑まれる。そういう深い気色が今の――――には、存在していた。あり得ないばってん、まっくろくろすけは故にコールタールのような心を持つ。
これは、果たしてこれまでの優しい彼女と地続きのものなのか。綺麗に綺麗に笑み続ける上機嫌の――――のことを、スペシャルウィークは恐ろしくすら見えた。

「あー……――。スペちゃんを怖がらせるのはそれくらいにしなよー。盤外戦術はセイちゃんも嫌いじゃないけどさ。ほら、走る前にはじき出しちゃってもつまんないでしょ?」
「スカイ……そうだね」

しかし、横から憧れの少女に声をかけられたことで、鬼気のような嬉々は霧散した。
そして、2番人気のスペシャルウィークから、――――は3番人気のセイウンスカイへとついと視線を向ける。
相変わらずに読めない道化じみた笑み。どんな懊悩すらひた隠しにして、彼女は対するものとして――――という少女に本気で向かう。
上に下に、その可憐を見定め、少女は少女をいたずらには褒めずにこうとだけ言った。

「ん。スカイも調子良さそう」
「うんうん。分かるー? 今日のセイちゃんの絶好調ぶりが! きっと最初から最後まで、誰も私を抜かせないよー」
「ふふ、そんなことはないよ」
「おー?」

おふざけ地味た本音を、優しさが特徴だった彼女は一蹴。ただ、やはりとてもとても上等な笑顔を浮かべて(セイウンスカイはこの笑みが嫌いだ)断言する。
芝生立ち上がる程の一瞬の風に、彼女の目は細まる。しかし、間違いなく――――は啖呵を切ったのだった。

「今度は私が、貴女に背中を見せ続ける」
「ああ……それこそ、私が憧れた――――だよ」

ぞくりぞくりと、快感がセイウンスカイの背筋を這い回る。炎に燃えて、きっとこの閃光は今ばかり。でも、それでだって眩く輝いていて、まるで何時ぞやの彼女のようで。
自分を他所に、駆け抜け向けた手をすり抜けていく、星の少女。もしかしたら、それを今日獲ることが出来るのかもしれない。
そのためには。

「勝つ、甲斐がある」

これに勝てる程の本気に成ればいいのだと、仮面を外して晴天の元の雲は牙を剥くのだった。

もう始まりまで、少しばかり。そもそも準備にあてられた合間に語り合うことなんて殆ど出来やしない。
位置についてよーいどん。それが始まる気配が盛り上がりとともに感じられる。
だからこそ、誰もが嫌がるゲートの前にすら楽しみを持って――――は進めた。これから始まり、そして終わる。
それが理解できているから2000メートルの旅すら楽しみであり、そして不安は何ひとつもない。その中に強いて残念を挙げるならば。

「キング……」

これまでにどう見ても、集中していない我が王の姿が伺えていたことである。
不安というよりも、何かを恐れて明らかに萎れていたキングヘイローは、今日の――――の笑みを見て(キングヘイローにそれは威嚇にすら思えた)更に凍りついた。
それでも、人気は4位と推されるだけはあり、決して侮れる敵ではない。だが、本当に彼女は。

「敵、じゃあないのかな?」

そう、優しい王は、――――という少女に感情移入をし過ぎていて、身を預け過ぎていた。
だから、きっと本気には成れても、死ぬ気で対峙はしてこない。それが、――――という少女には嬉しくも辛い。
だって、このままだと。

「私が、勝っちゃうよ?」
「ふふ、そうはさせません」

そして、交じり合う筈のない彼女がゲート越しに隣り合った。少女のために運命をすら超えて、怪我一つなく万全に怪物は皐月の冠に挑む。
にこりにこりと笑む――――を(今のグラスワンダーには表情一つなんて気にもならない)グラスワンダーは同じようににこりにこりと笑み返す。
ばちり、と二人のウマ娘の熱量が混じり合って、弾けた。

「そうだね、まだグラスが居た」
「ええ、貴女には私が居ます」

美しいばかりの華二輪。それが、こうも好きという気持ちをぶつけ合って、その結果があまりに強烈な対峙となる。
燃え盛る心根は、それぞれが相手を望むから。勿論、――――という少女は自分の名前をあげることだって大切だし、グラスワンダーという乙女には彼女に見つめてもらうことだって必須だ。
でも、そんな全てをすら余計であるかのように、ターフを踏みつけ立つ二人には勝利という名の人参しか見えていなかった。

だって、コレこそが待ち望んだ二人の時間。本気の本気で勝って負ければ、ようやく白黒は付く。

「さて」

あえて陸上で学んだクラウチングスタートの構えを取り出したウマ娘にぎょっとするその他16に、何一つ気にすることなく真っ直ぐ前を向いたグラスワンダーは。

「それじゃ」
「ええ」

――――と短く言葉を交わし、そして。

「っ!」

一斉に炎燃え上がる。

こうして終わりの始まりが、始まった。


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