第六話 七色の人形遣いと九尾の式に優しくしてみた

優しい幽香さん 幽香さん、優しくしてみる

「幽香。魔理沙が貴女に虐められたって、騒いでいたわよ。一時は自然のこととして聞き流そうとしたけれど、出来なかったわ。貴女、どうにも随分と趣向を変えて嫌がらせしたみたいね」
「嫌がらせ、とは少し違うのだけれど」

あいにくの花曇り。しかし、日当たり悪い魔法の森の中であってはそれもあまり関係なく。常のジメジメとした空気の中で、しかしその館の周囲に限っては清浄だった。
ここは、アリス・マーガトロイドの西洋住宅。一流の魔法使いで幽香と同じく究極の魔法を修めている彼女にとって、生活空間の向上をさせるばかりの魔法なんて簡単なもの。
お客と主人の世話にと飛び回る、妖精の如きアリスの人形達を動かし続ける魔法であっても、それは同じ。それと察されないくらいにさりげなく洗練された魔法に依って、都会であった故郷と大差ない生活を彼女は続けられていた。
だから、幽香も不快にならずに寛げる。実はもう在庫が心もとない量になっている貴重な魔界産の紅茶を頂きながら、彼女は笑んで、言葉を繋げた。

「単に、私も変わったのよ」
「変わった、ねぇ……」

アリスは、疑問の視線を素知らぬ顔で受け流す幽香を気にする。今回の会合の間に、その疑いを解決したいという気持ちは明らかだった。
しかし、陶磁器の人形のように精緻な美を持つアリスが、生気溢れる満開の花のように可憐な幽香を今日この場に呼んだのに、実は大した理由はない。
二人はそれこそアリスが小さい頃からの知己であり、明確にしてはいないが友達のようなもの。友誼を結んだ人物が数少ない彼女たちは、昔から結構な頻度で互いを呼び合いお茶会を開いていた。
アリスは何時も意地悪な事ばかり口にする幽香と付き合っている己は酔狂者であると自覚しているが、それでも長い間共にあったが故に、変わったのならばまずは付き合いの長い自分相手に優しくしてみるのが普通ではないかと思う。
それこそ、唐突な心変わりでもない限りは。

「ちょっと心配ね」
「茶葉の残量を気にしているのなら、大丈夫。それほど長居をする気はないわ」
「違うわよ。私は幻想郷の心配をしているの」

スコーンを齧り、アリスは考える。外側から幽香を眺めてみる限り、何時も通りで違いは何処にも見られない。
幽香が魔理沙に優しくしたというのは、やはり、言うとおりに内面に変化があったためなのだろう。悪魔なんかよりもよっぽど質の悪い性格に、突如として情が湧いた。
それが、おかしいと思うのは、きっとアリスばかりではないだろう。

まず、前提として妖怪には物語られる定型というものが存在していなければならない。幽かで妖しいばかりのものは、魑魅魍魎として何時か消え去ってしまう。
人に恐れられる、そのための個性。それは大概の妖怪は変えることは出来ないもの。一つ目小僧が二つ目を開けば、それは最早別の妖怪だ。
そして、それどころかその者の持つ特徴ともいえる精神性が変わってしまったら。人の恐れを手に入れられなくなった妖怪と同じ。きっと、個を保つことが出来なくなって弱体化または最悪消滅の危機すら訪れてしまうことだろう。
しかし、最強のままに幽香はゆったりと眼前に座している。なら、彼女は本質が変わらないまま変わったということになるだろう。
嗜虐的な幽香のまま、人に優しく。そんな意味の分からない変化。それが本当に起きているのだとすれば、動機は、故は。

「本当に、幽香が優しくなったというのなら、貴女を変えた何かがあるはず。その不明な何かが、幻想郷を犯しはしないか不安なのよ」

最強の精神を捻じ曲げる何か。それを予想するアリスは、完全に幽香が単に優しくすることを思いついただけ、という可能性など彼方にかなぐり捨てていた。
何しろ、ふと考え自省することこそ、幽香に遠いもの程ないのだから。だから、アリスは勘違いする。

「考え過ぎだと思うけれど」
「鼻で笑うこともないなんて……やはり、普段の返しと違う。私にも優しくしているのかしら。幽香、貴女が今一番にやりたいことは何?」
「そうね。多分これは私にも貴女にとっても嬉しいことだと思うけれど……」
「何?」

優しくなったと、伝聞と印象で感じ取ったが、やはり少し早まっただろうか。幽香の勿体振った言い方に、思わずアリスは身構える。
両得。二人の趣味で合っているものなど、弾幕ごっこかそれとも。幽香は空っぽのカップを持ち上げ、続けるために再び口を開く。

「アリス。貴女には、お茶っ葉の補給をしに行ってもらおうと思うの」

そして、カップの真白い底を見せながら幽香が口にしたその突飛な内容に、アリスの目は大きく開いた。

「それで、どうやって魔界に向かうのかしら? 紫に何かされたのか分からないけれど、私には行き方すら定かではないわ。まあ、幻想郷に定住するための契約の際に軽々と行き来出来ないようにされたのだろうけれど」
「私は覚えているわ。こっちの方からツアーを組んで幻想郷にやって来た魔界人達を、持て成してあげたことだって、よくよく」
「こっちって、博麗神社の裏……何かしら、よく観てみるとちょっと不明ね」
「流石はアリス、といったところかしら」

幻想郷の端の方。博麗神社の上空にて、幽香とアリスは会話する。二人は、博麗神社の鳥居の先、住民曰く裏、つまりは幻想郷の外側を向いていた。
それは、外の世界を求めての行動では勿論ない。それ以外の異界、魔界に向かうための行動だった。
実は、魔法のメッカ、魔界生まれのアリスであるが、幻想郷に住むようになってこの方、帰ったことは一度もない。当たり前であるが、自身の故郷であるからには、思わない筈もなく。帰郷しようと考えたことも一度や二度ではなかった。
しかし、手続き――紫への難なアポイントメントの取り付けにその際の審査――の面倒さを思うと、中々重い腰を上げられず。それが今日まで続いたのであった。しかし、幽香が簡単な行き方を教えてくれるのであれば、帰ってみたくもある。
ちなみに、この場に居れば何事か気になり注意するか最低でも会話に参入してくるだろう巫女は買い物か何か用達があったようで、不在だった。

「この先には山があるのよ。そこに魔界やその他異界への入り口があるわ」
「博麗神社の裏山……それって、博麗大結界の範囲外、つまり幻想郷の外じゃないの?」
「正確にはその境界ね。そこに厄介な場所への出入り口を集めて掌握しているのが、あのスキマ妖怪の嫌らしさ」
「なるほど、だから、何かされている私には不明瞭に映る、と」
「そうね。しかし、こうすればどうかしら?」
「なっ」

全てを明るくするのは、やはり光。そして、最短にあちらとこちらを繋げるは、直線。それは分かろうとも、やり方が尋常でなければ、驚きはある。
幽香が軽く、その力を日傘の先に集め、向けたはアリスの見えないその先。煌々と光量を増すその純粋な力は、原点らしく荒削りでありながらも、派生するだけの魅力を持っていた。
そう、幽香が放つはマスタースパークの大元である、真似られた最強の光線。幅広のそれは、違うことなく何もないはずであった場所を、それこそ間違いなく何もなくさせて。
光は真っ直ぐに大いに昼間を眩しくさせてから、複雑であっただろう入り口までの道をこの上なく単純化させて露わにさせた。
そう、今まで不明だった宙は穿たれ、円く歪んだ複雑な式の欠片舞う空間の先、山肌にある洞窟までの直線が明らかになっている。

「ほら、少しは明るくなったでしょう」
「……この先を通れ、と?」
「後は自分の足で大丈夫でしょう。私も、これ以上優しくするつもりはないわ」
「はぁ。丁寧に見えて、この力に任せた強引さ。変わってもやはり幽香は幽香ね。後のことを考えると頭が痛いけれど……当座の邪魔くらいは退けてくれるわよね?」
「そのくらいは、ケアしてあげるわ」
「ならいいわ。ありがとう、幽香。久しぶりにお母さんに会えると思うと、何だかんだ嬉しいわ。それに、色々と思い出してきたわ……門番のサラは元気にしているかしら?」

何らかのつっかえがとれたのだろう、思い出すごとに、アリスの陶磁の頬が赤らみ歪んで微笑んでいった。
普段のお人形らしさはどこへやら。口の端綻ばすアリスは年頃の少女らしくある。思わず急ぎ飛んで行くその背中に、お辞儀して去る人形にも、幽香は手を振った。
持って来てくれるだろうお土産に、観測できたその変化。中々いい風に行いが転んだものだと、思わずにいられない。

「さて、こっちの結果も受け入れないといけないわね」
「無理に他の異世界に侵入しようとする輩を撃退する任、承っていたが……まさか、初めてそれを行った相手が風見幽香とはね」

そして、どこか満足気な表情をした幽香が振り返ったその先には、スキマが一筋。開いたその先から現れたのは、天に届かんばかりの力を持った妖獣。
知性溢れる金色の瞳を持ち、白い中華風の衣服に青い前掛けが目立つ、九つの尾を携えたその少女は、八雲藍といった。藍は、幻想郷の管理者である妖怪の賢者の一人、八雲紫の式神である九尾の狐、最強の妖獣である。
藍は頭巾に覆われた耳を動かし、この場に他の者が居ないことを確認しながら、もし戦った時に被害が間近の大結界へと及ばないように、それとなく小さな結界を周囲に広げた。

「あら、藍じゃない。ご主人様相手なら優しくしてあげようかと思っていたのだけれど。貴女相手にはどうしようかしらね」
「はは、出来れば私に対しても優しくしてくれるとありがたいが……なるほど、昨日の夕時に紫様が厄介な異変の種が成長していると、語っていたのはこの事か」
「皆、私が優しくしてみていることを知ると、身構えるのよね。まあ、それがまた面白いのだけれど」
「五行の変化……憑依はあり得ないか。まあ、何にせよ優しい風見幽香なんていうものは、誰もが認め難いものだ。多くのものが変化の原因を恐れ、困惑するだろう。しかし、それを解決する方法は単純だが、きっと何より難しいのだろうな……」

物事には何事にも因が存在する。動機を大事にする者も数多い。何故、どうして、といった不明が一番怖いものでもある。
やくざ者が優しくするなんて、裏に何か隠しているのではないか、そう思うのは当たり前のこと。不信は、幽香のネームバリューから高まり、全体浮足立って、下手をすれば幻想郷を揺るがしかねない程の影響を及ぼす可能性すらあった。
勿論、他にも形態の異なる異変が生じる率はある。しかし、大きな異変が発生する確率の方を先に計算得意な藍は弾き出して、溜息を吐く。
ただ、異界に目が眩んだ馬鹿者にお仕置きをするだけの任務がこの上なく困難である上に、目の前に異変の可能性を見てしまった。これでは手を抜くことなんて、とても出来やしないと藍は思う。

「さて、変わった私に対して、藍、貴女はどうするというの?」
「振りしてばかりの歪んだままの性根を、誰かが真っ直ぐに叩き直してやれば一番いいのだろう。変わったのはあの時負けたからだと、原因がはっきりするからな。それが私に出来るか分からないが、ついでだ。本気で風見幽香に挑んでみよう!」

だから、藍は妖気を溢れさせながら十二枚のスペルカードを見せつつ、大いに弾幕を展開させる。
藍が宙に放り出したるは、数多の苦無弾。桃と紫のそれが描く円に模様は美しく、また僅かに振れるために与えられた隙など殆どない。だが、これはスペルカードによる必殺技でも何でもなく。
案の定軽々と避ける幽香を見つめながら、大分互いの距離を稼いだ藍は、悠々と一枚のスペルカードを展開させた。

「まずは小手調べだ。これを避けられない最強などあるまい。式神「仙狐思念」!」

そして、未だ多くの苦無に囲まれた幽香に向けて、藍は大玉弾を空にて転がす。速度の高いそれを辛うじて避ける幽香であったが、その先にて大玉は爆発し、鱗弾を広げた。
緑を基調とした二色は、青空に幾何学的文様を創り上げる。至近にて、そのオリエンタルラグの柄に似た色合いに巻き込まれた幽香は大変だ。至近のものにばかり注意し、避けるために大いに舞って。

「あら、確かにこれは簡単ね」

しかし、その際に周囲を眺めた幽香は笑む。そして、次に迫った大玉弾を視認しながら、幽香は見た目ばかり大げさなその弾幕に慌てることは、もうなかった。
一目では複雑で避け難そうな弾幕。しかしその殆どは隙間を補填し埋め合うことない、ただの弾の広がり。一つを横に避けてしまえば、後に続くものなどない。
花を創り、それを流して見事に命中させ、そして先ず一枚目を幽香は攻略する。

「いとも容易くふるいを抜けるものだ。まあ、いいさ。まだまだ沢山次はある。式神「十二神将の宴」!」
「今度は随分と沢山の使い魔を操るのね。器用なものだわ」

再び牽制として放たれた大量の苦無を避けたその後に、藍が周囲に広げるは十二を数える魔法陣。ついでとばかりに広げられた赤い鱗弾を幽香が避けた後に、十二の使い魔達は周囲に、桃、薄緑、青の三色の鱗弾を空で交わらせた。
一帯に広がるは、無数の鱗弾の共演。制限型弾幕とすら思えてしまうほどに、幽香の動き回れるスペースは狭い。そこに、手隙になった藍が彼女の名と同色の蝶々を広げていく。
それは、それは、先ほど避けていた弾幕とは比べ物にならない程の高難易度。幽香の四方を見る目は激しく動く。
だが、難しさを気にするばかりでなく、一面全てが色鮮やかで美しいというのは、自身を誇るに丁度いいものであるとも言える。
気合を入れて動いてみれば、存外隙間は見つかるものであり、蝶の羽根にこそ惑わされたが、笑み崩れることもなく幽香は弾幕を避けきった。

「大分余裕を失わせられたと思うのだが、掠りもしない結果に終わってしまった、というのは残念だ。……ところで幽香、お前はスペルカードを使う気がないのか?」
「まだまだね。本当に、追い詰められることさえなければ私は基本的に通常弾幕を張るだけで終わらせるわ」
「なるほど、もっと難易度高める必要があったか。しかし、これからは辛いぞ。あと十もあるスペルカードの中、その集中続くかな? 式輝「狐狸妖怪レーザー」!」

大玉を先頭とした大小様々な青色の粒が幽香を襲う。そして、道中広がるレーザーの中にて幽香は不気味に青く照らされながら、笑みを崩さずこう零した。

「さて、私が時間稼ぎをしている中でアリスはどれだけ楽しめたのか。それが私にも分かる程度かどうかが楽しみね」

所変わって、魔界。それも魔界の神、神綺の神殿の中にアリスは居た。壮麗で硬質な空間の中にて彼女は、とある女性に抱きついて色々と喋っている。
赤いローブを羽織っていて、長い銀色のサイドテールが特徴的なその女性こそ、神殿の真の主神綺。ここ魔界を創り出した存在であり、崇め奉られるべき彼女であるが、しかし実は我が子と言える魔界の住人に対して非常にフレンドリーであり。
それだけでなく、隣に控えるメイド、夢子が二人の触れ合いを微笑んで認めるくらいには、アリスは神綺に近い位置にあった。

「それでね、お母さん! 魔理沙ったら、貸した魔道書を返してくれないのよ。まるで泥棒よね。だから、読みたいって言っていた私のグリモワール、あいつに触れられないように細工しちゃったの!」
「そうなの。だから、私が創った時と変わって、許可無く触れた手が燃えちゃうような物騒な術式が付けられているのね」
「そう、だから手出しできないって悔しがっていたけれど、でも諦めていないのよ。先日は、レミリア……吸血鬼なんだけれど、彼女をそそのかして私から奪おうとしていたわ」
「うふふ。魔理沙ちゃんったらお転婆で、あの時から変わっていないわねー」

感情が融け合うくらいに近い二人は、笑って会話を続ける。
アリスが幻想郷に行ってからの時間は、それなりに長いもの。距離を埋めるための会話は、沢山湧いて止まらない。
主に、アリスから神綺へと一方に向けられている多弁ではあるが、神綺には少しもそれを苦にする様子がなかった。母らしく、彼女はアリスを真に優しく受け止めている。

「霊夢も変わらないわ。魅魔は、何処か行っちゃったけれど、そう変わっていないでしょうね。後、幽香は……」
「幽香ちゃんか。あの子は一番強かったから、きっと一番変わらないのでしょうね」
「お母さん。それが違うの」

しかし、間近の幽香の話題になって、真に対話する気になったのか、アリスはそっと離れて神綺の蒼い瞳を覗きながらぽつりぽつりと話し始める。
幽香の最近の異変振りに、今日この場に来られたのも、彼女の尽力あってこそである、ということ。その急激な変化が、何かあったのか分からなくて怖い、ともアリスは語った。
ふうん、と一つ神綺は考えてから、そうして迷い垣間見えるアリスを見つめて、笑いかけた。

「うふふ。確かに、幽香ちゃんみたいな大妖怪が変わっちゃったら、色々と勘ぐるわよね。でもね。アリスちゃん。貴女はお友達の彼女にどうしたいの? 変化を喜ぶのか、それとも……」
「ああ……そうね。今日の恩があれども、良い方向であろうとも、私は幽香に変わらないでいて欲しい。友達が変わって欲しくないって思うの、勝手なことだけれど、自然よね」
「それなら、アリスちゃんはどうするの?」
「変化の原因を究明する……っていうのは迂遠ね。直接、幽香に尋ねてみるわ。その上で、見定める」

そうと決めたら、何時までも甘えていては駄目ね、とアリスは神綺から本格的に離れて控えさせていた一体の人形を引き寄せ、胸元にて抱きしめ可愛がる。
懐から温もりを逃した神綺は、寂しさを覚えつつも、我が子の成長を喜び安心させるための微笑みを、心から深めた。そして、独りごちる。

「でも、これで幽香ちゃんが変わってみたくなったから変わっただけで、結果に満足しているから続けているだけだとしたら……少し拍子抜けね」

魔界神は、事態の真相を想像し、それが真に迫っていることを知ってか知らでか、彼女はただうふふと笑った。

「自慢の尻尾の毛艶、大分落ちてきた気がするわね」
「はぁ、はぁ……もうクタクタだよ。しかし、一度もスペルカードを使わせることが出来ないというのは不味い。紫様に怒られてしまう。……それではこれが最後だ。いくぞ、超人「飛翔役小角」!」

対峙を続ける幽香と藍。互いに、洋服の端々を破かせた満身創痍の様体であるが、力の漲り振りは、むしろ最初よりも充実しているように見えた。
だからこそ、スペルカード最後の一枚においても、むしろそれこそが今日一番のものとなるのは想像に難くなく。そして、実際問題幽香の予想すら超えるくらいにその難易度は高いものだった。

「速い……その上多量。本当に疲れているのかしら」

速さに密度、それは先程の全てと比べても段違いである。
何しろ、それは最強の妖獣本人が弾幕を零しながら突貫し、そして戻ることを繰り返し一体に青緑黄色の蝶を並べていくものなのだから。
必殺技として高められたそのスピードに、高密度。幽香の動体視力でなければ捉えられないほどのものである。花よ散れ、といった意を感じざるを得ない刈り取るための弾幕を避けるのは、それこそ人間業では不可能だ。
しかし、相対している幽香は、勿論人間なんかではなく、遥かにそれを超えている存在だ。それでも、決して高速で動くことのない彼女は、速い相手に対して常に劣勢にならざるをえない。
逃げる、ではなく避ける、を続ける。それのなんと大変なことか。至近を通る力の塊光る弾は、美しく幽香を楽しませるが、九尾の爪はただ恐ろしく鋭いばかり。だがその脅威を受けるのも弾幕ごっこの面白さの一つではあった。
次第に、幽香は苦手な弾幕に追い詰められていく。色とりどりの蝶々に囲まれる花は、幸せそうに思えるが、実際は食まれる苦しみだってあるだろう。

「こうなったら……いや、まだ方法はあるわね」

幽香の手はスペルカードに伸びる。そして掴む前に、何を思ったか彼女は掌に黄色い花を一輪創りあげた。それを向けるは、直線的に迫って来る素早い狐。
互いに一撃掠めた、その一瞬に藍の動きが鈍ったことを幽香は見逃さずに、弾幕で追撃する。そして、幾度も黄花の直撃を受けた藍は、墜落していった。
それを認めてから地に降り、敗者の顔を見に向かったついでに幽香は藍に手を貸した。

「ありがとう。しかし、今の花はひょっとして……」
「狐の牡丹。毒花ね。貴女に隙を作るには丁度いい花だったでしょう?」
「なるほどよく見た花だと思った。毒は大して効かなかったが、思わず手を止めて見惚れてしまったよ」

持ち上げられながら、藍は本当に幽香が変わったものだと感じ取る。今までの彼女であるならば、地べたに這いつくばる姿をこそ喜んだことだろう。
互いに衣服にダメージが見て取れるが、しかし幽香は勿論藍にだって傷は一つもなく。よほど調節し優しくしてくれたのだと、藍は思う。
そして、尻尾に付いたゴミを振るったり手櫛で取っていたりしていると、神社の裏側の方から声が聞こえる。少し待った後に、大量の荷物を手に空を飛んで現れたのは、アリス・マーガトロイドだった。

「ああ、どうして通り方を知っている風見幽香が、ああも強引に異界への道を作ったのだろうかと思っていたが、友人アリスのためだったか。納得だ」
「幽香……大丈夫だった?」
「この通り、肌に傷一つなく、平気だったわ」

ドサドサと手荷物を降ろしながら寄ってくるアリスに、幽香は回って全身を見せることで応える。元々は心配少なかったが、衣服にダメージが見えたことで、気になってしまったのだろう。
歪んでしまったアリスの眉は、しかし無事を確認すると共に直ぐに元に戻った。
それをおかしく思って藍は笑い、そうして指先を宙に一筋、紫のものと比べると酷く不格好なスキマを創ってからアリスに話しかける。

「挨拶は、まあいいか。それじゃあ、私は戻ろう。完敗してしまったと紫様に報告しなければならなくてね」
「藍……ごめんなさい」
「アリスが気にすることではないよ。下手人は、そこの花妖怪だ。久しぶりの帰郷は楽しめたかい?」
「ええ」
「なら、いいさ」

そして、忠実な使い魔は、主の元へと帰っていった。彼女が宙にて消え、何もなくなった後をしばらく二人は眺める。
その時春風が吹き、それに流されるように、アリスは幽香へと首を向けた。

「……ありがとう。貴女のおかげでとても楽しい一時を味わえたわ。お土産も沢山貰えたし、茶葉もほら、こんなに」
「良かったわ」

続いて貴女の淹れる紅茶は好きだから、と素直に述べる幽香に、アリスは再び眉根を寄せる。
これは、何時もの幽香ではない。自分が、今まで付き合ってきた、何だかんだ嫌いではなかったあの彼女が取り上げられたような気がして、アリスは口をへの字に形作りまでした。

「……幽香。貴女を変えたのは何? そして、変わってからも今までそれを続けている理由は何なの?」
「信じてもらえないかもしれないけれど、私の変化に理由などない。そして、二つ目の疑問の答えは単純。変わってからこの方ずっと、楽しいからよ」
「そう。なら、仕方がないわね」

しかし、そんな不機嫌は長く続かない。友人が性格を変え続けているのが、そちらでいる方が楽しいのだから、であると聞けば少し寂しかろうと歓迎すべきこと。変わった理由なんて、それと比べれば些細なことだ。
笑んで、そして友達としてアリスは幽香に言葉を送った。

「でも、無理になったら元に戻すことね。私は元の貴女だって、嫌いじゃないから」

乱暴者ではなく、余計に立ち入ることもなく、皮肉や嫌がることを平気で口にするが、しかしお茶会の際には黙って共に居てくれる。
そんな幽香を、それなりにアリスは好いていた。彼女の思いを知らなかった幽香は、一時目を丸くして。しかし、直ぐに目を細めて笑顔を作った。

「ふふ。ありがとう」

その恐ろしい程に綺麗な笑みを見て。

覗いていた彼女は思わず息を呑んだ。


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