第五話 蛍の妖怪に優しくしてみた

優しい幽香さん 幽香さん、優しくしてみる

リグル・ナイトバグは蟲の妖怪であり、更に言えば、蛍の妖怪である。
幽香と同じ緑髪で、幻想郷の少女には珍しいパンツルックであるという特徴も目を引くところであるが、その存在の大本が虫というところが、実は一等珍しい部分だった。
虫の妖怪、というのは昔にあってはありふれたものであったのだが、今や人間にとって恐怖の対象ではなくなった虫が、妖怪に至ることなど殆ど無いこと。
採取されて暴かれ理解されただけでなく、殺虫剤の登場によって駆逐されるばかりになったために、最早人は五分の魂を意識することすらない。

リグルの場合、昔々にあっては大した力を持っていたが、ある時より失われて。そうして、ただの蛍の妖怪になってからは更に力弱まっていき。
最早幻想郷では雑魚扱い。更にオツムのほども良くないとあれば、近頃誰かに認められるようなこともなかった。
リグルが持っているのは、蟲を操る能力に、総じてどこぞのちょっと秀でた妖精と同程度の力量だけ。元より虫の妖怪は数少ないため、友達は居らず。だから、せっかくの弾幕ごっこに優れた才能も腐らせていて。
今日も今日とて、リグルは従えた蟲と共に空を往くのだ。

「ふんふーん。今日は天気がいいわねー。いいことが起きそうだわ」

リグルは、ぶんぶんと、周囲を巡る羽虫達の音に合わせた鼻歌交じりに春うらら、風光り地の果てまでを覆う青さが美しい天にて、独りごちる。
夜にて光目立たせる蛍の身であるが、少女としての意識も強い。空が美しく気持ちよければ、心が軽くなりもする。
リグルは、行き先も決めずに飛び回って、心に従い自由に飛んだ。高く、低く、羽音と共に。

「ふふーん……あ、ヤバい」

しかし、そんな放浪中であっても、危険区域に入ったことは、肌で分かるもの。リグルは、燕尾を大きくしたようなマントを翻し、止まった。
眼下に広がるは、それはだだっ広い草原。しかし、ここに何もないのは春秋冬のみ。夏の盛りに辺りの全ては向日葵の花で埋め尽くされる。その端にログハウスらしき建物が鎮座するこの地は、太陽の畑といった。

「ここ、アイツのテリトリーだ。……逃げないと」

そう、リグルは迂闊にもかの有名な妖怪、風見幽香の住処に近寄ってしまっている。虫の脳を基本としているために物事を忘れがちな彼女にしては珍しく、幽香の悪名は記憶の底に残っていた。
リグルは害虫でも草食でもないが、花を食い物にする虫を操ることの出来る存在。害虫に青虫は友達だ。だから、花の妖怪が自分だけ虐めない、もしくは殺虫するのを容赦するということは、ありえなく思えた。
ならばと、疾く逃げるために、踵を返した、その時。

「あれ、貴女は幽香さんのお友達ですか?」
「へ?」

リグルは、振り返ったその方に居た、東風谷早苗と顔を合わせることとなった。

所時変わって、ここは件のログハウス、幽香の別荘。来客用の椅子に座るリグルは、形容しがたい違和感、を覚えていた。
身を固くし、会話を流し聞きながら、これは違うと強く思う。リグル・ナイトバグは風見幽香のことなんて、知らない筈であるのに。

「だから、文さんったら酷いんですよー。幽香さんを史上最悪の妖怪、とか言うんですもの。思わず、そんな低い取材力で私達の神社を記事にしないでくださいね、って言っちゃいました!」
「口さがない烏天狗も居るものね」
「そうですよ。確かにちょっと怖いところがありますけど、幽香さんほど紳士……いや淑女的な妖怪って中々いないと思います。リグルちゃんもそう思うよね?」
「あ、はい。そうですね……」

人間にちゃん付けされて居る事実に苦笑いしながらも、リグルは曖昧に頷く。彼女は、隣と前に座している東風谷早苗と風見幽香に、自分なんて比べ物にならない程の力を感じ取っている。
だから、勘違いした早苗に言われるがまま連れて行かれ、対面した幽香の前で固くなるのも当然の成り行きで。
そして、その子とはお友達ではないわね、という幽香の言を、それならこれからお友達になってもいいですよね、ほら私達髪色似てますし、と受け止めた早苗の言葉を否定できず未だ逃げ出せずにいるのも、はたまた自然のことだったろうか。

「でも、知り合いの妖怪だけでなく、神奈子様も諏訪子様も、幽香さんに会うのは止めなさい、って言うんですよ。危ないって」
「親代わりの言うことは聞いた方がいいと思うけれど?」
「ですけど……出会いに本当の意味での危険なんて何もなくて、むしろ私は優しさすら覚えました。なら、実感と情報、どっちが正しいのか今回は確かめに来たんです」
「あら、妖怪の恐ろしさ、もう忘れてしまったの?」
「……それは重々承知です。幽香さんどころかリグルちゃんだって、人を殺めるに足る能力を持っている。それが怖くないかといえば、嘘になります。でも、それに任せて退治するされないという関係を作るよりも、共に切磋琢磨しあう関係の方が、きっと楽しいと思いまして」
「へぇ……」

リグルは、何となく聞いていた早苗の言葉に深く感じ入った。それは、一部以外、人に気味悪がれた挙句殺されるばかりの蟲の側であるからこそ。
争ってばかりではなく、共生することの方こそ望ましい。そこには覚えていない過去にも理由があるが、それにリグルは人を襲う妖怪でありながら蔑ろにされてばかりいた経験から、むしろ同じ妖怪とよりも人間と共に生きる可能性を見出していたのだ。
人家に潜むのも蟲の特徴といえばその通り。こんな人間もいるのだ、仲良くなっておきたいな、とまでリグルは思う。

「なるほど。それで、約束もしていなかった今日に貴女が来たのは、どういう理由?」
「はい。ですから、私としては共に磨き合う関係。つまり幽香さんには、私を鍛えて欲しいと思って来たのです。あいにく私には幽香さんを更に強くする方法が思いつかないので、外の世界の話とか、こちらに持ち込んできた物くらいしか提示できる対価はありませんが……」
「嫌よ」
「やっぱり、駄目ですか……」
「むっ」

そんな、気になる早苗の提案が、幽香に素気無く却下されたことに、リグルは僅かに苛立ちを感じる。そして、近くで認めた意地悪気な表情が、どうにもこうにも憎たらしい。
だから、ついついリグルは二人の会話に口を挟んでしまった。普段ならそんな無謀、ありえないというのに。

「あの、幽香、さん。もうちょっと考えてあげてもいいんじゃないですか?」
「……ふぅん。貴女が私に反発するのは分からないでもないけれど。でも、私も意地悪で断った訳ではないわ。まだまだ自力で修められる、その間の上達の楽しみを取り上げてしまうのは優しくないと思ってね」
「優しく? 風見幽香が?」
「リグルちゃん?」

リグルは、自分の耳がおかしくなってしまったのではないかと、真剣に思った。それくらいに、幽香から出てきた優しく、という言葉の響きが理解できなくて。
そんなものは、無かった筈だ。何しろ、優しくする必要というものが、幽香にはないのだから。
風見幽香は、圧倒的な強者である。それこそ誰にどう思われていようとも、個人で生きていけるくらいには。
きっと、世界から切り離されても、そこで異世界を創りだして暮らすのだろう。そんな夢想を信じられるくらいに、幽香の最強は、果てしなく恐ろしい。

そんな恐怖を、忘れたいから記憶に蓋をしていただけで、リグルは知っていた。
そして、思い出してしまえば、次から次へと連鎖的にその日の全てが心に蘇ってくるもの。自然、リグルの視線は強くなり、幽香を睨んだ。

「ああ、そうだ、そうだったんだ」
「……本当に、どうしたの?」
「ふふ。やっと思い出したかしら?」

幽香は、そこに込められた強い意志を笑って歓迎する。怯えてばかりだった弱者が、自分の位置すら忘れて眼光鋭くさせるという、そんな理由を彼女はよく知っていた。
青い瞳の奥に光る深い瞋恚を覚えて、幽香は口の端が緩むのを抑えきれないままに、語りかける。

「早苗が友達じゃないか、って言ってきたからびっくりしたわ。余程のことがない限り、貴女が、それと認める筈なんてないのにね」
「そう、お前が友達だなんて、あり得るはずがないんだ。私の半身を殺し尽くした風見幽香と友誼を結ぶなんて、あってはならないんだから!」
「わっ!」
「そうね。リグル・ナイトバグ……いいえ、今の貴女は差し詰め火垂るる疑星の姫、といったところかしら?」

そして、思い出したからこそ、永い時をかけて自身に溜め込まれていた力の在り処を探りだすことも出来たのだろう。
力の元は光であり熱量。蛍にはさしてない筈のそれらは、しかし今ここで溢れに溢れて止まらない。
そう、夜天の下にだって云百年も発揮されずにいた妖しい力に、リグルは躊躇わず怒りに任せて手を付けたのだった。

「私なんて、何でもいいわ。でも、私達の恨みは、忘れてはならない大事なもの。眼前に仇が居るというのに、呆けていたのは情けないわっ」
「仇? リグルちゃん、幽香さんと何か……」
「昔、私が沢山であった彼女を一人にした。歯向かう蟲として、その力の殆ど全てを手折ったのよ」
「沢山? 一人?」
「早苗。こいつはね、私の大切な仲間を皆殺しにしたのよ。出会わせてくれた貴女にとっては残念なことだろうけれど、そんな相手と友達になんてなれないわ!」

今でこそ、ただの虫の妖怪。しかし、かつてリグルはもっと夥しく沢山あってよく分からないもの――それこそ蟲の字のごとく――だった。
個よりも群の方が強いのは当たり前。そして、リグルは数多で無数であり群を抜いていた。毒虫に、甲虫、果ては寄生虫まで。それらが共生して一妖怪となっていたのは、奇跡に近かったのだろう。
そう、妖怪の中でも蟲が権勢を振るっていた時代において、リグルは最強の一角とされるくらいに強力な存在だった。

山覆う百足ですらリグルの一。昔々には大いに語られた存在であったが、だからこそ他の最強はその自負を強くしていた彼女の気に障った。
特に、物語られる事もなく孤独で、更には餌に成るばかりの花の妖怪が鬼にも勝ると言われているのに、鼻白む。あまりに、自身と違う、しかし比肩すると言われる存在。
そんなものを認められるわけもなく、自然どちらが上かと争うことになったのだ。

「皆殺し……幽香さんが?」
「正確には九割九部殺し、かな。今ここに居る私以外の全ての私は殺されたのよ」

果たして、最強の群れは、最強の個には敵わなかった。プチリプチリと潰され、残ったのは一匹の蛍。その光が美しかったからこそ見逃されたのだった。
しかし、そんな全てを忘却の彼方にするまでに単純化した残滓は、思い出すことで怒り、以前ほどとまではいかなくても妖怪としての格を一時的に引き上げるまでになっている。
急に降って湧いた大妖怪の気配に早苗は口を開けて呆けるが、幽香は変わらず笑んで過ごす。

「羽虫は払い、徹底的に殺虫するのが当たり前。そんな時代だったわね。今なら、対処を変えていたのだろうけれど」
「丸くなった? いいや違う……変えているだけか」
「そうね。優しくしてみているだけよ」
「優しく? ははっ……ああ、そうよ。どうして、どうして昔から優しくなかったの! それならあいつらは居なくならずに済んだのに。私は、お前が変わってしまったからこそ、許しがたい!」

鳴く蝉よりも鳴かぬ蛍が身を焦がす、とはいうが、果たしてリグルの怒りは凄まじいものであった。
忘れていたトラウマ。それが心を引っかきささくれさせて、際限なく激情を刺激する。思わずかざした手。それは、幽香の元へと向く。
その先に集まるのは、光。蛍どころか太陽のそれに迫らんといった眩い力は、弾幕ごっこに使われる程度など軽々と超えて大いに輝く。
そして、それが放たれんとしたその時。大発光は巻き起こった風によって掻き消された。

「わ、っぷ」

前ばかり見ていては、横入りを防ぐ事など難しい。思わずよろけたリグルは、首に刀剣がピタリと付けられたような感触を覚える。
そして見てみれば、力の篭った大幣が、喉元に突き出されていた。暴走を防ぐ為にと武器を差し出した早苗は、これ以上ないくらいに苦い顔をリグルに向けている。

「危ない、じゃないですか。過去はどうあれ、今は直接的な殺し合いはご法度です。それに……そのくらいじゃあ幽香さんには傷一つつけられませんよ。少しは風で頭、冷えましたか?」
「……そうね。早苗がここに居たことを忘れていたわ。ごめんなさい」
「まあ、確かにちょっと今のが放たれていたら人間の私はちょっと危なかったです。でも、妖怪の格すら変えてしまうほどの怒りを発散しないで置くほうがもっと危ないことなのかもしれません」
「でも、持て余すこの激情、どう解き放てばいいのか、私には分からないの……」
「弾幕ごっこですよ。それで白黒つけましょう」

ね、幽香さん、と早苗は人差し指を立てながら、そう言った。

澄んだ青空の元、曇り曇った心を持って、一時的に大妖怪の上澄みに至るまで力を上げたリグルは幽香と相対す。
妖怪は精神の存在であるためそこが弱点であり、逆に言えば精神が強化されれば多少は力も上がる。しかし、内に溜め込んでいた力を怒りに任せて引き出したとはいえこれ程まで感情で力量の変化をもたらす妖怪もまた、珍しい。
それは、今や一部とはいえ元々リグルが鬼すら下に置くほどの妖怪であって、その身の器の限界が広かったから、ということもある。そして勿論、怒りの強さの程が大したものであったというのも間違いない。
忘れていたのは、ぶつけられる相手が居なければ、その身が耐え切れないから。基となる脳が小さく忘却しやすい虫の妖怪の身であったのが幸いといえばそうだろう。

「でも、思い出したからには、もう止められない。私……いや、私達の怒り、受け止めてもらうよ!」
「ええ。優しく受け止めてあげるわ」
「優しさなんて、そんなもの、もう要らない!」
「貴女の心なんて知ったことではない。何と思われようとも、私は優しくしてみるわ」
「ふざけないでっ!」

ここに至って、リグルは仲間を危険に晒すばかりの虫を操る能力なんて使わない。その身に溢れる妖力ばかりで彼女は周囲に弾幕を展開する。
だが、奇しくもリグルの弾幕ごっこの表現は、光弾だった。まるで、巨大な蛍が彼女の周囲に従っているかのように、群れを成して踊る。その形が丸いものばかりでなく、菱型まであるというのは僅かに残った彼女の遊び心か。
黄色に淡青。可憐な色彩はまるで暴力的ではない。しかし、怒りに任せて放った弾幕は、隙間を残しながらも左右から群れて交錯しながら激しく襲い来る。
それは、リグルが常日頃から妖精相手に放っていたものとは大違い。放った本人が驚くほどの密度と威力、そしてそこからくる美しさを持ってして、光の列は幽香を覆う。

「光を浮かばせるのは、蛍の常道。やはり、貴女は弾幕ごっこが得意だったのね」
「くっ、当たらな……痛っ!」
「そして、照らされ美しくその身を誇るのも、花の嗜み。蛍光如きで枯れる花などない」

しかし、本気の弾幕であってさえ、幽香に届くものは一つたりとて存在しない。反対に、弾幕を放つことは得意でも避ける経験の薄いリグルには面白いように幽香の花弾が命中する。
明らかに不利。これでは、二枚提示したスペルカードの一枚も使うことなく墜ちてしまうことだろう。それは、嫌である。せめて、少しでも幽香の心に某かの爪痕を残しておかないと、気が済まない。
だが、無情にも隙の見いだせないまま時は過ぎる。しかし、ある時二人の間を横切り、光弾を放って、花を食む影が現れた。その複雑怪奇な姿を認めて、リグルは初めて笑顔になる。

「皆!」
「相変わらず、貴女は独りぼっちではないのね」

そう、それらは操られるまでもなくリグルの助けになるためにと現れた蟲達。主に暗い色をしたそれらは、力を増した主の影響を受けて、強力な使い魔と成す。
幽香は邪魔なそれに目をつけ墜とそうと試みるが、それはさせまいとリグルの弾幕は力を増させる。幽香の周囲を回る、二者は光を横断させながら太陽光よりも詳らかに全てを眩しく照らす。
リグルと使い魔とのコンビネーションは抜群であり、二方向から間断なく来る弾幕に、さしもの幽香であっても、僅かに隙を見せざるを得なかった。
それを喜び、リグルはスペルカードを提示する。

「いくわよ、蠢符「ナイトバグトルネード」!」

宣言とともにリグルが広げた二色の光弾の粒は、彼女を守るように広がったかと思えば、中途から菱型に成長し、その無数の量を活かして宙に広がる。
勿論、使い魔達もそれに追随し、珠の如き光弾を追わせる。幽香の周りは見た目にも騒々しく、実際にそろそろグレイズの音が煩く聞こえてきていた。
劣勢に、思わず幽香の眦が、細まる。夜の虫は、見事にも昼空にて目映さの竜巻を作り上げていた。

「流石に、光の美麗を隅々まで理解している。私の足もついつい鈍ってしまうわ。でも、止められないのが貴女の限界ね」

だが、竜巻程度で地に根を下ろした花は飛ばされ朽ちない。僅かに危なっかしさを見せつつも、幽香は避けきる。
未だ辛うじて余裕を見せる幽香。しかし、そこに綻びを見つけ、高密度の弾幕を展開し続けられなくなっても、また再びと自分に活を入れて、リグルは最後の一枚を見せつけた。

「これで、止めっ、「季節外れのバタフライストーム」!」

そして、再び光の卵がリグルの周囲で渦巻いた、と思えばそれは青黄緑の蝶に変化し爆発する。そして、続けざまにリグルが広げるは、赤と青の同型の光弾。
それらの量が、最早多いを超えて夥しい。美しいはずの四色の蝶は、恐ろしいまでの数で目を奪ってしまう。遠くで観ていた早苗にすらも、その弾幕の回避路は不明だった。
おまけに、交差し、周囲に羽を広げる蝶々は、羽ばたき違えるだけで宙に見通し不明な揺らぎをもたらす。
空の何処にも安全地帯が無い中。そこで幽香の余裕は失われた。どうしようもなく、疾く動き続けなければ墜ちるだけ。きっと、普通に避けるのが成功する可能性など、万に一もない。

「ああ、だから弾幕ごっこは楽しい」

しかし、その可能性に賭け、掴んでみせよう。敗色濃厚な中、決して慌てること等ない。己の周囲で蝶を遊ばせる。それを続けるだけで、いいのだから。
幽香は、自分の分が悪くなることすら嫌がらなく、むしろそれを望んでいる節がある。だから、平気に人に嫌われるようなことを続けていた。
変えた今も、そこに変化はない。墜ちるか墜ちないか、その限界にて、幽香は踊った。花の周りには蝶が舞う。そんな当たり前の光景。しかしそれは誰の目にも眩しく、不変のものに思えた。

「駄目……もう、続けられない」
「やっぱり、蠢くもの、貴女と戦うのは楽しいわ」

その笑顔は、果たして優しく形作られていただろうか。それは、リグルにしか分からない。
蒼穹の元、微かな光は途絶え。そして、一輪の花が虫を呑み込んだ。

「良かった。起きたのね」
「げっ」

一時気を失わせていたリグルは、起きた丁度その時仰向けに倒れていた自身を覗き込み様子を診る幽香の顔をみて、喉からこの上なく嫌な声を出した。
気遣わしげな、その様子が憎らしく。また、それが本当の気持ちに拠るものでないだろうことがまた、恐ろしくもあり。
やはり、こいつは大嫌いだとリグルは思う。だが、それだけ。散々に暴れて、気持ちは大分晴れていた。

「私は、貴女の仲間を殺したことは、絶対に謝らない」
「そんなこと、私も望んでいないわよ」
「そう」

起き上がってみると一つ風が吹くのを感じ、その源へとリグルが向いてみると、そこには慌ててやって来る早苗の姿が見て取れる。
私達の弾幕、きっと人間が当たったらそれこそ大事故になるわよ、と幽香が脅かしたためか、過分なまでに早苗は遠く離れたところにあって、もう少しくらいはこちらに来るまで時間があるだろう。
それを知ってか知らでか、幽香は再び口を開き、小さく言葉を継ぐ。その内容に、リグルは驚かされることとなる。

「本音を語りましょう……私は当時まだまだ途上だった。あの時はそれこそ、貴女達を殺さなければいけないくらいに、恐怖し、追い詰められていたとも言える」

嘘か誠か、幽香はそう口にした。最強の、妖怪の彼女が。

「貴女達は、強かった。私はそれを忘れない」

死者への手向けなど何もない。リグル自体、今まで忘れていたくらいの薄情だったともいえる。墓の一つも彼女は用意していなかった。
だが、幽香の言葉は、意味は予想していたどんな言い訳なんかよりも、リグルの心に響く。ああ、これを聞いたらきっと、あいつらは大喜びするだろうなと、そう思った。

「任せたわよ、早苗」
「えっ?」
「う、うっ……」

幽香は、文字通り飛んできた早苗にリグルを任せて、自宅へと踵を返す。その際に、スカートの端が破けていることに気づいて、ふと笑った。
残された二人は、混乱と、溢れんばかりの感情の渦に囚われる。そう、早苗は困り、リグルは瞳を潤わせていた。
リグルの喉元からは、先とは違う気持ちが溢れて止まらない。幾度か無理をし、そして、少女は決壊する。

「うう、うわぁああん!」
「うわ、幽香さん泣かせちゃった。ああ、どうしましょう……とりあえず、よしよし。やっぱり幽香さんってちょっと意地悪な人ですねー」

怒り発散し、ここでようやくリグルは喪失を受け止められた。泣くのが、悲しむのが、何より虚しい。
大切だったあいつらは、もう居ない。それが嘆くほどに確かになっていき。そして感情がこの上なく高まった時に、自身に被さる温かい熱を感じる。
わけも分からないまま、しかし早苗はリグルを抱きしめ、背中を撫でていた。離さないように、隣にいることを示すかのように、彼女の手つきは優しい。

「うう、早苗、あり、がとう……」
「うふふ、どういたしまして」

今度は、それが嬉しくて、泣いた。早苗はリグルが泣き虫な子なのだと勘違いし、抱きしめる力を強くする。
思い違えようとも、共にあるのに間違いなどなく。ただ、身を寄せ合う二人の身体は容易く冷えない温度を持つ。

「あの子は、群れるのが似合っていて、羨ましいわね」

そして、友情を深める二つの緑髪が風で流れる姿を、幽香は優しく見つめていた。


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