第九話 魔法使いの尼さんに優しくしてみた

優しい幽香さん 幽香さん、優しくしてみる

高く、そして常の青から色変わった空の上。濃い赤色にその身を踊らせ、その身の二色の内白色をよく浮かび上がらせているのは、博麗霊夢。
移動中の聖輦船に乗り込んだことで知らず知らずの内に魔界まで連れて来られてしまった霊夢は、やっとこの事態がただの宝探しではなく異変に相当するのではと気づき、その瞳に真剣さを湛えた。
そして、様々に魔的な要素を含んだ異界の空気を嫌いながらも、全くそれに染まることなく霊夢は宙にて幽香と相対する。色濃い琥珀のように澄んだ色の目は、幽香の紅に広がらんとするその膨大な魔力を綺麗に映していた。
相変わらず力では逆立ちしても敵わないわね、と思いながらも現在行なっている弾幕ごっこでは自ずと発揮される力は限られているがために、どこか霊夢には余裕すらある。
そう、幽香の弾幕を花弁の一枚一枚すらも瞳の茶色に容れながら、しかし霊夢は惹かれることなく空を往く。宙に白点で模様を付ける、そんな美麗の隙間を通えるのは、幽香が全てを光で埋めないがため。
もっとも、幾ら出来るとしても、全てを力で埋めてしまうような無聊な弾幕なぞ、幽香が好くはずもない。光線も、避けられるよう一方向へと発するのが、彼女から始めた慣わしとなっている。

「あいつらも、よくやるもんだな」

真っ先に幽香と戦って、健闘はしたがこの場の誰より早くに墜ちた魔理沙は、甲板にその身を預けながら、そうぼやく。
そう、共にスペルカードを見せ付けることもなく、ただ弾幕を美しく広げる事を競い合い。そして、展開された自由な心象が描く気ままな色を受け取りながらも、掠りもせずに、両者はただ空にある。
どちらが、より飛べるか。それを比べあっているかのように、力の充満する空間にて、花も紅白も墜ちはしない。
少女が空にあるという不自然。それが、こうまで変わらなければむしろ今まで空に少女がなかったことこそ不自然であったかのような気すらしてしまう。

「もっと激しい動きがあってもいいと思うが……あいつらがやると、綺麗ではあるが、そういった面白みには欠けることになるんだよなあ」

玄人好みっていうのかねえ、と続けて魔理沙は晴れ渡る赤空を物珍しげに見回す。前回来たときは、忙しすぎてこうしてゆっくりと所変われば色変わる、そんな奇妙な天を見上げることすらなかったと、そう思い出して。
そしてその時にも、異変解決へと向かった霊夢に先んじて、責任者たる魔界神、神綺を幽香が倒してしまい、一悶着起きていたこともついでに想起する。
その際勃発した弾幕ごっこでの忘れられない結果もまた記憶から掘り起こし、今の空にそれを映して、魔理沙は笑った。

「はっ、こうやって比べあうのもあの時と同じ、か。どうなるか分からないが、今回は私の憂さを晴らしてもらうためにも霊夢には頑張ってもらいたいもんだ」

そう言って、今回魔理沙は親友の力を信じる。最強でなくても、ただ空を飛ぶためのものでしかなくても。それが比類ないものであると、彼女は知っているから。
だから、最強と無敵の力比べを、きっとこの場で誰よりも楽しみに、魔理沙は口の端歪めて笑窪を深くした。

「面倒ね。早く当たって墜ちなさいよ。勘だけど、どうせあんたで最後じゃないんでしょ?」
「私の仲間は先に倒された星で終わりね。この船が向かう先には一人、私達が封印を解くのを待っているのが居るけれども」
「封印ねえ。あんたが弾幕ごっこ勝者の報酬にコレを求め始めた辺りからおかしいと思っていたのよ。私が集めたこの鍵……UFOの形なのはよく分かんないけれど、これってひょっとしなくてもそっちの開放に使うものなの?」
「ご名答。ちなみに、この船の宝物庫の錠前には骨董品の南都錠が使われていたわよ?」
「なんで宝船の鍵を妖精が持っているのか、向こうからその入手方法を教えて来たのはどうしてか、なんて考えてはいたけれど……全く、とんだ骨折り損のくたびれ儲けねっ!」
「ふふ」

互いが遠慮なく発することで、空を行き交う弾は、不可避の終幕と成す。本来ならば遊びの時間切れと、弾に紛れてどちらかが墜ちる姿が望めるはずであるが、しかし宙の二人は決してそれを認めることはない。
量が増しに増して、狂気すら思わせるほど執拗く空に描き込まれた赤青白で出来た模様は、リズムよく爆散の音色を響かせながらも、途絶えることなく一帯を賑わし続ける。
霊夢が怒り意気込んでみても既にその気持ちすら呑み込まれる程に場は白熱していて、途方も無い力の総量を受け止めきれない赤天はその色をマーブル模様に歪めて全体を更に魅せていた。

霊夢は、博麗の巫女としての力だけでなく、空を飛ぶ能力を持っている。一見単純に思えるその力はしかし、誰もが持てるようなものではない。
空を飛ぶということの本質は、全てから距離を取ることが出来るということ。それが得意な霊夢はどんなに激しい弾幕の最中であっても、空間さえあればそこにて飛ぶことが可能だった。
勿論、余程の集中が成されていなければ、力に振り回されるのがオチではあるが、今の霊夢は口を動かそうともその実専心している。だから、彼女が先に墜ちることなど、考えられないことだった。
翻って幽香が回避に特別なものを持っているかと言えば、それはない。確かに力に関しては誰よりも優れている。回避力も、その延長として幻想郷でも最高のものを持っているだろう。
だがそれが能力と口に出せるほど昇華されているかといえば、疑問だった。あくまで、幽香は常識の範囲内で弾幕を掻い潜っている。今も幽雅に舞って見せながらも、身体に霊弾を掠らせ服に傷を作り続けていた。
しかし、笑ってそんな不利を受け入れ続ける幽香が容易に墜ちることはない。最低でも、霊夢にはそんな無様が想像できなかった。だから、つい焦れた彼女はスペルカードを先に切ってしまう。

「しぶといわね……次のために取っておきたかったんだけれど、仕方がないか。行くわよ。夢符「退魔符乱舞」!」

霊夢が弾幕を止ませないままに作り出したのは、相手にとっての悪夢だろうか。それは宙に舞う、御札の乱れ打ち。幻想的に高められた霊力は、弾たる御札に纏わりつきその全体を大きく見せて。
そして、空中を直線で縫い込むかのように並べられたその列は青く、正しく怒涛のごとくに花を蹴散らし僅かな間断を作りながら襲い来る。その速さ、銃弾の如く。瞬く間に視界は青い力に染まった。

「術が無ければ抜けられない速度と密度の弾幕ね。しかし、私には対応する方法があるからそれも許される。隙間がないなら、創って見せましょう。幻想「花鳥風月、嘯風弄月」」

直線に応じるは、花の曲線。赤黄の二色を交じらせながら周囲に広く放って、幽香はまず退魔符の前弾を相殺した。
そして出来た横の隙間に入り、動いて射線を誘導しながら幽香は空に花を咲かせる。それは、弾幕で出来たものであるが、広げた結果が花の形状となる、それこそ花火に似通う黄色い針状弾。
広がる花弁の切っ先は、霊夢に届くことすらなくその魔力を御札によって絶たれた。そして、返す刀で向かってくる青の津波を大きく周ることで回避しながら、次に幽香は中玉弾を大量に発する。
それは、花の広がり、生命の展開を美しく表したものか。幽香は円を六方向に広げて周る。その大量に、霊夢は多少驚くが、冷静にそれ以上の退魔符を向かわせることで対処に成功した。

花という明確なテーマは、乱雑さまでも受け入れた霊夢の、スペルカードで提示された弾幕によって踏み散らかされる。
ぶつけ合わせて消失させることでしか回避の方法がない、速さと量が備わった弾幕に対して、幽香の必殺技は驚くほどに無力だ。自然の表現は、盾の役割にしかならない。
舞い散り、逃げ続ける幽香に向けて御札を投じながら、霊夢は笑みを溢した。

「耐久型のスペルカードを切ってきた意味がよく分からないけど、今回は、勝てそうね。三つ目の星は、私が頂くわ」
「ふふ……真っ黒焦げのものがいいなら、たっぷりとどうぞ」
「ふん。その余裕な態度、何時まで続くものかしらね!」

初めての白星を欲する霊夢は、黒星を送ってあげるという幽香の余裕ある態度に怒りを見せる。
苦戦はしたが、もはやあの時の経験薄い自分ではない。ならば、この強敵ぶった相手であっても今や敵ではないのだ。霊夢はそう自分に言い聞かせながら、しかし攻め手は決して緩めずにそのまま前進して、詰めたその距離を多量の弾幕で埋める。
花は散り散りに乱されて。辺りには花弁が舞うばかり。その力の残り香すらも容れて動く霊夢には、なるほど全く隙というものがなかった。

「……全てから距離を取れるということは、翻してみるとそれは全てに通じているということ。意識なくして無視することはあり得ない。既知の脅威全てを認めて避けた結果、無敵と浮いているだけ。貴女が持っているのはその程度の能力よ」

しかし、幽香は語る。こと弾幕ごっこにおいては無敵であるはずのその能力を、その程度でしかないものと断じて。そして、彼女は霊夢の脇で札に霊力を送る玉の陰陽の形を意識する。
白黒合わせた陰陽玉、それは森羅万象変転を認めた図式。それを平然と受け入れ使う博麗霊夢もまた、自然と同じ。
美醜全てを受け入れるからこそ敵はない。自然の美の体現で敵を作ってばかりだった頃の幽香と比べてみるとその異形さがよく分かるだろう。常ならば、美しさに顔を逸し、醜さに目を瞑るものだ。
俗人では届かない境地に少女は浮かんでいた。それは、博麗の巫女として妖怪退治に人妖監視等の方針こそあろうとも、その実内心では全てを認めている彼女の性根に根ざしている。
死闘を繰り広げた敵対者ですら異変が終わればどうでもいいと認めてしまうような、そんな心などそうあるものではない。
誰にも寄らず離れず。そんな有り体は弾幕ごっこという心象を打ち上げ魅せつける遊びにおいても発揮され、どんなものにも霊夢は惹かれず当たることはない。

だがしかし。そんな霊夢も人の子である。であるからには、弱点がない筈もなかった。たとえば、面制圧でもされてしまえば、流石の回避も無駄になるだろう。迷路のように創られた弾幕も、苦手に違いない。
そして、それだけでなく。こんな虚もまた、霊夢は不得意としていた。

「つまり、識っていなければ距離を離せない。計算外――そこが能力の穴」
「なっ!」

薔薇には棘がある。だから、花弁ごと散らかしてしまえば、その中に鋭いものが紛れてしまうのだ。そんな未知に触れることなど、想像の外だ。
そう、散華した筈の花の破片の力に身を掠めて変化し、更には御札のあるかないかの隙間を弾かれながら進み、突如として目前へと向かって来た恐るべき白い花弾。そんな予想も出来ないものまで、霊夢が避けることは出来なかった。
勿論、そんな跳弾は偶然ではあり得ない。しかし、大妖怪の計算なんて、人の身に判るものではなかった。だから、紅白の身は直撃に傾いで、墜ちる。

「試しにナズーリンと少し遊んでいたのが功を奏した形になったわね。隙間を縫う方法、予習しておいて良かったわ」
「くっ、幽香……」

しかし、霊夢のその身体はそのままよく分からない様子の魔界の大地に接することはない。何しろ、命中を確認してから速度を上げて飛翔した幽香が受け止め助け上げたのだから。
悔しげに歪んだ霊夢の眉根をにこやかに認めてから、幽香はそっとその小さな身体を聖輦船のデッキへと降ろす。
ぎし、と板床を踏みしめ足元が確かになったことを感じてから、霊夢は思い出したようにおかしなことに気付いた。

「墜ちる相手なんて何時もみたいに放っておけば良かったじゃない。あんた、どうして私を拾ったの?」
「貴女はどうだか知らないけれど、あれだけ弾幕を交じらせたら、相手に尊敬の念が湧くもの。貴女が地べたに頭を擦らす姿なんて、見たくないと思ったのよ」
「嘘ね」

さらりと伝えた幽香の優しめな言葉を、霊夢はあっさりと否定する。そうして、極めて不快だと、彼女は表情を険しくした。

「私の位置からなら、ひと目で分かる。あんた、本気じゃないわね?」
「……なるほど。何も欲していない冷静な視点から見ると、分かってしまうものなのね。確かに、私は貴女に優しくしてみようとしていた。興味のためにね」

擬態という訳でもないが、優しくし始めてから度々被っている笑顔の仮面を看破されたのは初めてのことで、幽香はとても面白げに表情を歪める。
それが、先までの気持ち悪いくらいに整ったものと違い、悪どく似合ったものであるものであったことを受け、霊夢はようやく少しばかり眉根を降ろした。

「早苗にもこうして接したのね……あんたがやっているのは、たちの悪い誑かしじゃない。無闇にそれをやられたら面倒だわ」
「これは最近の楽しみだから、止めるというのは難しいわね」
「はぁ……」

霊夢は幽香の貫き通す意志の強さを認めてから、溜息を吐く。言うように、これは敗者の言で止まるようなものではないだろう。
元より人の話を聞かない相手。それが少し変わろうと、大きく違えるようなこともなく。柳に風と受け流す相手を、苦々しく思う他にない。

「ことが大きくなったら。異変として、次は本気であんたを倒すわよ?」
「ふふ。楽しみにしているわ」

だから次はと、負け惜しみなどではなく、確かな勝利の方策を持って霊夢はそう口にした。ふよふよと周囲に浮いている陰陽玉が、応じるように彼女の真横に整列する。
そんな考えを理解した上で、幽香は楽しみに笑う。その様子に、自身の負けなど全く予知していないことが透けて見えて、霊夢は口を尖らす。

「で、これが欲しいのなら仕方ない、あげるわ。でも、封印から出てきた奴が邪悪な存在だったら私が問答無用に退治するからね」
「ふふ。ありがとう。聞くからに、彼女は優しい人物らしいから、その用心の必要はないと思うわよ?」

微笑み、幽香は霊夢が背負い結わえていた紅い風呂敷包みから取り出された、知らなければ色とりどりのUFOとも見える木片を頂戴し、そして彼女から背を向ける。
弾幕の嵐の中、それだけは何掠ることもなく傷一つなかった日傘を動かし折りたたみながら歩む、幽香の姿が隠れるまで、霊夢は半目でじいっと睨んでいた。

「はぁ、とんだ骨折り損のくたびれ儲けだったわね……」

しかし、二人の対峙はこれにてお終い。愚痴を口にしてから直ぐにまあ良いかと切り替えて、霊夢は暇つぶしのために魔理沙の姿を探し始める。見通しの悪い暗中にて。
そう、何時の間にか不思議な魔界の空は暗くなり、夜明けを待つばかりとなっていた。

少女が一人、テーブルに着いて緑茶を頂いている。歓声が遠くから響くが、そこに気を惹かれるようなこともなく、彼女は渋みを味わい嚥下していた。
そう、船外が聖白蓮の復活に湧く中で邪魔をしないように、幽香は船内にて待っている。博麗の巫女を撃退したという聖輦船メンバーの中でも今回一番の功労者である彼女であったが、星の引き連れんとするその手を優しく離して辞していた。
物見遊山な気持ちで妖怪達の後を付いていった霊夢と魔理沙と違い、感動の現場に無関係な者が居ても場を覚まさせる結果となるだけであると、幽香は弁えているのだ。

つい先程登り始めた日が差し込み、幽香の目を細ませる。いや、口の端も一緒に歪んだことから、それは歓喜によって起こったものか。
それを証明するように、小さめな足音が響いて、幽香の待ちに待った相手が姿を見せる。
それは、全体の金を食むように頭頂から紫が伸びた色の長髪が特徴的で、白黒ゴシックロリータ風のドレスを身に纏い、何故だかマントを羽織ってやって来た少女。
幽香が想像していたお坊さんらしき姿と服の色以外違ってどちらかと言うと魔法使いらしい様相をした彼女は、千年以上も封印されていたという割にはどこか新しかった。

「貴女が風見幽香さんで間違いないですか? 既に分かっていらっしゃるかと思いますが、私は聖白蓮。寅丸星らに求められ、つい先程復活を果たした僧侶です」
「ええ。私が風見幽香。皆が言っていた優しい僧侶とやらは貴女のことなのね。白蓮、と呼んでもいいかしら?」
「構いません。この席、よろしいでしょうか?」
「どうぞ」

しずしずと、白蓮は幽香の対面に座す。真向かいに見えるその表情は朗らかで、また視線は真っ直ぐ向いていて、どうにもただ自由になれた喜びが溢れているだけではないようだ。
幽香は、その理由を明らかにするために、口を開く。

「その陽気の理由、聞いてもいいかしら?」
「はい。無償で私の開放を果たしてくれた彼女たちの手伝いをしてくれたという幽香さんに、お目にかかれたことが嬉しくて」
「そう。でも、私は別に無償奉仕をしたつもりはないのだけれど」
「そうですか……なら、貴女は何を欲して?」

ふと、その時間もなく、ナズーリンから幽香の狙いを聞くこともなかった白蓮が、止める一輪らの言を振り切りただ一人向かう際に霊夢からかけられた、気をつけたほうがいいという言葉を彼女は思い出す。
そして、更にその前に知識のない白蓮が少しどんな人物か聞いたところ、星の口以外から揃って幽香は恐ろしい大妖であると発言されたこともまた。
しかし、出会いに見て取れた幽香の笑みは、とても優しい代物であったがために質問に不安はなく。そもそも白蓮は星が警戒を解く程に幽香は信用できる存在であると認めてもいた。

「千年以上もその優しさが記憶される、聖白蓮という人物がどういう者なのか、気になって」
「ええと……私は、そんなに大層な者ではないのですが……」
「いいえ。発端はどうあろうと、妖怪にも優しくしようとした貴女は明らかに、珍しい存在よ」
「確かに特殊、ではあるかもしれませんね……」

白蓮は溜息を呑み込む。自業に全く後悔などしていないが、それによって人間に悪魔と目され魔界へ封印された過去の傷は、未だに痛む。
それだけでなく、封印を気にした魔界神が度々様子を見に来てくれたことが慰めであったが、そうでもなければ永い封印の期間に気が触れていてもおかしくなかったくらいの辛さがあった。
まだ、痛痒を過去にするには早かったのだろう。思わず笑みを曇らせる白蓮に、変わらぬ笑みで幽香は対する。

「辛い過去を思い出させてしまったかしら。ごめんなさいね」
「構いません。自業自得。迷わず過去を是とするためにも、まずは痛みごと受け入れなければなりません。そして、付いて来てくれるあの子達のためにも、より良い未来を目指さないと……」
「なるほど。やはり貴女は星らの手を取って、共に生きようとしているのね」
「勿論です」

迷いなく、白蓮は言い切った。その深みある紫色の瞳は大きく開かれ、真面目に前を向いている。つまり、彼女は未来を見つめていた。
純粋な存在である妖怪。人の恐れの形でしかない彼女達が、個として救われる遥か先までを望み、白蓮は今を生きている。それは即ち、先々の思いつく限りの苦労までを覚悟しているという事だ。
その眼差しを一目見て、白蓮が確かに優しく真っ直ぐな存在であると幽香は知った。果たしてそれが揺れることはあるのかと思い、幽香は口を開く。

「貴女は過去、妖怪も救われるべきだとして手を伸ばしていた。今もその方針変わらず、先に霊夢達と悶着を起こしていないことから、迫害した人を恨むことすらしていないのね。本当に、優しいこと」
「そうでしょうか……」
「妖怪たちが、救われた恩を忘れず、封印された貴女を助けて。このままだと何れは皆で寺でも開くでしょうね。そして、貴女から法を教わった彼女達は上手くいけば、何れ妖怪から仏か神の類へと変ずることすらあるかもしれない。実に、いいお話ね」

そう、それはとてもいいことであるだろう。忌まわしいものが、崇められるものに変わるなど、あまりに理想的だ。
それは更に、個として新たな未来が見えるようになる、というだけではなく、行き詰まり消えていくばかりの妖怪という存在に可能性を示す結果となるかもしれない。
総じて、全体をみれば歓迎すべきことである。幽香自身には、その邪魔をする理由はほぼない。

だがしかし、一つだけ妖怪として思い知らしておくべき事があった。

「ただ、貴女が、妖怪の恐ろしさを忘れてしまっていることを除けば、ね」

そう、妖怪の存在意義。それが否定され忘れ去られているのではないかという思い。そればかりは認められないと、幽香は視線を鋭くした。
もっとも、怖さに慣れていなければ、人は外に出ることすら出来ない。だから、多少の麻痺は仕方ないだろう。しかし、これは幽香が見逃しておくような程度を超えていた。

妖怪は、親愛なるモンスターでは決してない。よき隣人には成れない事を思い出させなければ、と幽香は思った。

「……決して、忘れている訳ではありません。おどろおどろしい部分も彼女達には確かにありますし、私にも認められないものだって沢山あるでしょう。けれども、共に在るためには信じる他にないのです」
「信のみで、身の凍る恐怖を隣に置くことなんて本当に、出来るのかしら。ねえ、白蓮――貴女はこれを受け止められる?」
「っ……」

そして、幽香は隠していた棘を露にする。彼女が発したのは、ただの妖気。しかし純粋極まった夥しい量の妖かしでもあった。
思わず脳裏に蘇るのは後ろの恐怖に隙間の不安等など。それは、在るだけで人を不安にさせ、心胆寒からしめるもの。溢れて瞳から内まで犯してくるのは、精神的負荷。目を逸らして然るべきものを直視してしまった白蓮の気持ちは如何なるものか。
当たり前のことながら、平安とはいられない。しかし、眼窩を穿ってしまいたくなるくらいの恐怖に心臓を傷めながらも、それでも白蓮は幽香を直視していた。
逃避も、攻撃もしない。ただ向かうだけ。だがその姿勢こそが、幽香を満足させた。ふと、表情と共に、彼女は妖気を弱める。

「ふふ。あれを耐えるなんて、お見事。ここまで来ると、最早狂信の域ね。面白いものを見せてもらったわ」
「狂、信。ああ、そう……もう、死なんて怖くはない。私は私を求める彼女達を裏切ってしまうことが、何より怖いのです」
「なるほど、それが貴女の歪な優しさの源なのね」

僅かな時で過負荷によって汗を額に大量に浮かべながらも、白蓮は息をつくことすらない。幽香の笑顔を受け取りながら、彼女は薄く笑う。
そう、白蓮とて、自らの優しさがおかしいことには気づいていた。自身が人も妖怪も神も仏も全て同じ、という考えを元に動いているのは、器に限界がある人間の一員として正しくはないと、分かってはいたのだ。
最初は己の死を恐れたがために彼女は魔術に手を出し、その魔力の維持のために妖怪を助けた。しかし、迫害を受ける妖怪達を見る内に、芯から妖怪を助けたいと思うようになり。そのため妖怪と共存しようと動いた事から人から悪魔とされて、魔界に封印された。
それで、普通は自分の考えが間違っていたと反省するか、陥れた人を恨んだりするだろう。だが、白蓮はその優しき性根と仏法を基に、自業自得を認めて一切を平等に見るようになった。
他から見れば、いい人だろう。それに、過ぎているようなところもあるのだが。真っ直ぐに歪んだ白蓮を見て、幽香は微笑んだ。
そんな幽香を眼前に置いた白蓮は、その笑顔の美しさに、とうとう溜息を吐く。

「はぁ。しかし……幽香さんは、優しいですね」
「どうして、そう思うの?」
「貴女ほどの大妖怪ならば、人間なんて歯牙にもかけることもないでしょう。蟻に目をかける人など僅か。その色の違いなんて、普通は気づきもしないものなのに」
「そう。確かに、私は観察を愉しみにしている。変わっていると、笑うといいわ」
「いいえ、何もおかしなことはありません。他に興味を持つというのは、歩み寄りの第一歩です。個として完結していないならば、他人の手を取ることが出来ますから。その素晴らしさを、きっと幽香さんは知っているはずです」
「そうね……優しく手を取ってあげた時の表情とかが、私は好きだわ」
「やっぱり、そうですか」

そして、白蓮は幽香の言葉を勘違いする。そのまま、珍しくも優しい大妖であると、受け取った。
しかし、実際は優しさから手を取るのではなく、楽しむために手を掴んでいる。相手の笑みを喜ぶのと、困惑を楽しむことは大いに違う。だが、足らない言葉の上では差異が分からず、白蓮は幽香の本音を良く取りすぎた。

「ふふ」

窓から日が差して、明瞭に認められる幽香の笑顔。それが向日葵のように見えてしまった白蓮は、既にこの時より大きく間違っていたのだろう。
その錯誤に気づくものはこの場になく、故に誤謬は続いていく。

聖輦船内で白蓮と幽香の会話が行われていた時、所変わって幻想郷。太陽の畑、それも幽香の住処であるログハウスの中に、二匹の妖精と一柱の現人神が居た。
彼女たちは勿論命知らずの泥棒ではなく、家主の許可を得て留守中にてハウスキーピングをしながら帰りを待っていたのである。陽光を浴びて煌めく室内にて、留守を任された内の一匹の妖精、チルノの内心は光景のように穏やかではなく、むしろ憤慨していた。

「幽香ったら、最強の私を置いていくなんて、薄情ね!」

最強二人一緒が一番最強なのに、とチルノは続ける。その幼い言葉に、残りの一匹と一柱、大妖精と早苗は苦笑いし、しかし彼女が怒りを発散するそのままにしていた。
それは、大妖精も早苗も一部同じ思いを持っているから。気持ちが判る。要は、友達の力になれないことを彼女達も悔しがっているのだった。

「それにしても、幽香さんがきっと戦うことになる相手は霊夢さんと魔理沙さんなんですよね……二人共弾幕ごっこがとっても上手ですけれど、大丈夫なんでしょうか?」
「うーん。私には幽香さんが負ける姿が思い浮かばないです。きっと、大妖精さんの心配なんて、笑い飛ばすように平気で帰ってくると思いますよ」

あの人は意地悪ですからね、と早苗は言う。笑って、そうですねと大妖精も頷く。最強の力に対する絶対的な信頼が、そこにはあった。

「全く、昔みたいに泣いてたって、慰めてあげないんだからねっ」
「うふふ。もう、何言っているのかも分からなくなって来た」
「もう、チルノちゃんったら落ち着いてよ……」

しかし、自称最強の怒りは中々収まらない。もはや筋道立った内容を発しているのかも分からないほどいきり立つ、小さな暴君は、しかし優しく見つめられている。
何とか治めようと、早苗はおかんむりな様子のチルノを優しく撫で、大妖精はその手を握りしめた。

「ふぁ……」

そうする内に、次第に落ち着いてきたチルノは、次に椅子に座りながらこくりこくりと船を漕ぎだす。今度は、眠り姫の世話をするために、早苗らは忙しくなる。

だから、チルノが無意識に発した大切な一言を、誰一人記憶に残したものはなかった。


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