第十四話 孤独な太陽に優しくしてみた

優しい幽香さん 幽香さん、優しくしてみる

東風谷早苗は、考える。異変。数多の神霊のようなものに溢れた空を見て、しかし彼女は眼鏡をくいと上げ、焦ることなく少し足止まった。

「これは、神霊……?」

早苗が人里にて布教の一部という名目で行い始めた寺子屋での歴史講義の最中、厩戸皇子のお話を子どもたちに考えさせていた最中に、人の尽きぬ欲望は霊と化す。
あらゆるものから顕れて淡い光と成った力は集い宙に溢れて綺麗と変わり、そして他を害することなく外へと出ていった。
騒ぎ、慌てる皆。異変だと騒ぎ立てるのは、子供どころか通りの大人達であっても同じことだった。看破した早苗は一先ずその正体と安全を説いてまわり、同じく寺子屋で教員をしていた上白沢慧音――人寄りの半獣――に場の平定の続きを頼む。
そして、弾幕ごっこでもなしに、霊(たま)溢れる空となった天を望み、早苗はそれを異変と理解して空を飛ぶために風を繰ろうとして、ためらった。

「……私は覚悟、出来ているの?」

一時、袖がセパレートなために春風に少し冷える肩を抱きながら、早苗は省みる。
異変、すなわち幻想郷全体に関わるほどの大事を行える何かしらの人妖によって既に今は平時ではない。
それに関わりたい、という好奇心はある。風は自由で、早苗の心はそれに準ずる柔軟さを持ち合わせていた。しかし、それでも彼女は飛ばないのだ。

今や早苗は常識を忘れた少女ではない。地に足を付け、天を仰ぐ風祝の女性であった。
幻想郷の二人目の巫女は、冷静に神霊溢れる異変を推し量る。

「異常なのは、その量。神霊の赤ちゃん……人の欲の卵をここまで促進させてしまうなんて。それは、これだけの願いを容れる大きな器が顕れたから、とも考えられる、かな」

鋭く絞られた、現人神の視線は奇跡的にも正鵠を射た。それもその筈、これまで早苗は確かな成長を重ねている。
再び学びに立ち返った天才は、多くを識り直した。今や、早苗は毎週の如くに幻想郷唯一の図書館に通う姿は広く知られている。そう、思わず未熟な幼子の手を引いてあげたくなるくらいに、彼女の知は実っていたのだ。
著しい視力の低下と引き換えに、概念をすり合わせて物事の輪郭を捉えられるようになった早苗の知力は、いつの間にか博麗の巫女の直感に近いものとなっていた。
そんな少女の智慧が、警報を鳴らしている。

「願望器、聖人の器。つまり、それは私に近いもの…………私は、私に勝てるの?」

望まれて、叶える力を持ったその体。それは悪魔か神か、どちらかになるだろう。そして、早苗は現人神である。
だから、早苗は知っているのだ。自分がどれだけ度を越した奇跡的な存在か。人をして、崇められるものですらある彼女を超越出来る者は、そうはいない。
故に、それに対せるほどのモノがどれだけ恐ろしげになるのか、巫女と花の妖怪の形以外に知らない早苗には想像がつかなかった。

「聖か邪か……両方、という可能性もあるのかなあ……」

空を煌々とする程の神霊を見て、不安は募る。
二柱に支えられた一柱たる早苗は、数多の欲を叶えて来た。だがしかし、これだけ縋られたことはない。そもそも、これだけの人の欲求を少女は認めて来なかった。
故に、最早八方美人ですらあるこの度量の持ち主は、きっと偏っているのだろう。全てを聞き入れては、呑み込んでしまう、聖か邪。
そんなものに、遊び心で戦いを挑むなんて、今や早苗にはとても出来はしなかった。

ふと、早苗は笑う。

「ふふ。諏訪子様には、天真爛漫を内省することなんてない、って言われたっけ」

それは、少女のような神様の、身内のための優しい言葉。
空の巫女に折られて、最強の華に萎縮させられ、そして宵闇の大妖の影響にて専心するようになった早苗の心。それを慮った、親心。
祀られる存在であった早苗の子供心を受け止められる程の広さを持つ幻想世界で、縮こまっていく様子を残念がる。そんな思いを受け取って、しかし彼女は微笑むのだった。

「でも、何時までも、子供のままでは居られません! ふふ、それじゃあ、行きましょうか」

だから、敢えて、東風谷早苗は浮かぶ。
大人になろうとする少女は、誰かのために。早苗は周囲に集った子らの縋るような瞳を解して、不敵に笑って手を広げる。そう、親愛なる隣人達のために、恐るべき相手に挑むのだ。
皮相浅薄にも、いたずらに飛び回るのではなく、勇気を持って、一歩踏み出す。それが、正しいと信じて。

「誰に聞くまでもなく、神霊の向かう先はあっち。命蓮寺の方角かあ。昨日、用事があるって幽香さんが言っていたけれど……ああ、きっとそう」

そして、独りごちてから、早苗は察する。きっとこの異変は、優しく終わってしまうことを。
優しくしてみている最強の前では、どんな聖なる器であろうとも、悪しきを叶えられない。それが分かれば、安心である。
囚われるもの少なく、早苗は飛ぶ。

「でも……ううん。きっと、大丈夫」

眼下の立派なお寺に手向けのように大いに咲く弾幕の花。それを望み、高みから降りながら、珍しく働く直感を無視して、早苗は疑いを呑み込む。
友達。それを信じることは、きっと間違ってはいないだろうと思い。

『所詮……いいや、どうしようもなく、相手は妖怪だというのにね』

仰ぐ神のそんな言葉を胸にしこりとして残して。

 

「それでは次にいきましょう。大魔法「魔神復誦」!」
「くっ、また厄介な弾幕を……先を急いでいるのに!」

封印解け、数多の光る神霊が洞穴の先、地下へと吸い込まれていく中、その姿を背にしながら白蓮は、猛る。一度流れる流星の如き魔女を逃してしまってからこの方、責任感の強い彼女は本気になって、強きものの復活に対する防波堤となっていた。
鏃にすら思える揺らぐ鱗弾の青さに目を見張りながら、対せざるを得ない霊夢はその邪魔な強さに苛立ちを覚える。そんな意気に反して冷静な心の隣を、赤く巨大な弾が通り過ぎていった。

「幽香さんが対面を済ませるまで、もう何人たりとてここを通すことはありません!」
「全く、あの花妖怪のシンパは、話が通じなくて困るわねっ」

蓮の図柄を背負って、空を弾の絵にて区切る。揺らぎと落下と直線まで容れたその弾幕は、かの魔の極みのものすら彷彿とさせた。
青と赤は、入り交じることで目を飽きさせず、そして様態の変容は回避の変化を次々に要求する。巻き込まれれば藻屑と化す、計算されきった流れに霊夢は逆巻くように動いていく。
その普段からの穏やかさから矛を交えることのなかった僧侶の、ここ一番の苛烈さに、霊夢は内心舌を巻いていた。

「……尽きぬ対話の意思はあります。けれども、私はこれほどの相手とは思わなかった! 故に、最大限の警戒をさせて頂きます。幻想の要たる博麗の巫女、貴女を守護るためにも、私が迷うことはないと知りなさい!」
「守るって、余計なお世話を……それに、これほどの相手って、それは異変の元凶のこと?」
「そうです……一切は平等。これほどの孤高、私は認めがたい……」

尋ねた霊夢が意外に思うくらいに、白蓮の言は、悲痛である。それでも、対話や感情に弾幕美を歪ませない辺り、流石の達者ではあった。
空色の弾は、涙の粒のようにも、流れていく。

白蓮は、知っている。万欲受け容れる、そのあまりの実態のなさ。それは、機構そのもののような空虚。聖なるものに、己は要らない。故に、その我欲は演じられたものでしかなかったのだと。
昔々、当たり前の悪辣さ。誰もが望む不老不死を彼女は探求したのだそうだ。それを望んだ遙か先に、何があるというのか。かの人に解らない筈がないのに、それはただ望ましき自分を延長させるために、場当たり的に欲して動いた。
それはまるで、愚かを行うことで、高きものが自らを貶して必死に人の振りをしているよう。しかし、彼女はそれでも人であるのだから、そんなのは、あまりに悲しい。
そんな全てを枕元に現れた亡霊から知って、涙した白蓮は、この異変の元凶となる人物と、対することを望まれる。対になることで、己を省みることもあるだろう、と。

しかし、白蓮はそれを拒んだのだった。

「でも、私は同情してしまった!」

そう、貴き相手の裏を知ってしまった、いい人である白蓮はきっともうぶつかり合うことなど出来ない。
良き友と、なれたらいいだろう。ただ、敵とは最早思えない。白蓮は、そう考えてしまう。
それは、白蓮のその平等過ぎる視線を知らなかった、愛しき人のために動き回る蘇我屠自古の誤算であった。

時間切れのために、提示したスペルカードを仕舞い、弾幕を変じさせながら白蓮は続ける。

「……悔しいですが彼の人と対面するのは、幽香さんに任せます。それでは次に行きましょう……超人「聖白蓮」!」

そう、自分の代わりに優しく対してもらう。それを、白蓮は幽香に望んで、承って貰ったのだった。
得意の身体強化によって、所作が弾幕化する程に力をたぎらせて向かう白蓮の姿を、霊夢は強く睨んだ。

「私にはよく分からない。でも……それでも、私はあんたを倒していく。全く、皆アイツのこと、信頼しすぎよっ!」

何となく、自分が賢しい人らが考えた流れに逆らう真似をしていることを霊夢は理解する。
しかし、やはり霊夢は引かないのだった。それは、役目だから、ではない。
ただ単に、ここで引いたら後悔すると、直感しているからだった。

博麗霊夢は、ただ優しくしているだけの妖怪なんて、信じない。

 

彼の貴人、此度の異変の元凶こと豊聡耳神子は、目覚めに大凡周囲の事態全てを知る。
縋るように集まってきた神霊、全ての欲と共に雑音のように周囲の様子が聞こえてくるのだ。幻想郷、スペルカード、命蓮寺、風見幽香。様々な事柄を受け容れ、整理することすらなく神子はまるごと理解した。
星空の下のような、地下空間にて沿わせるように瞬時に装いを変えて、まるでヘッドフォンのような耳あてに手を当て確認してから、神子は頷く。

「なるほど。妖怪寺の妖怪が、私を測りにやってくるか。それにしても……妖怪とはいえ最強の存在。ふ、どれだけ私に通じるものを持っているのだろうね」

神子は、不老不死を求めて尸解仙となった存在である。行った尸解仙の法によって、聖人らしく今は死後の復活を遂げた形になる。
そして、生前から持っていた十人の言葉を理解する能力。永きに渡る彼女に対する信仰の力にて、それは長じた。
聞き、他者の欲求のために振る舞う。それが、生き返って高まっただけと、神子は理解している。だが、それはあまりに過小な評価である。
欲するところ全てを知れば、その者の今の思いどころか、過去も僅かな未来すら見通すことが出来てしまう。それが可能な度量。欲の塊たる神霊がこぞって身を寄せようとする訳である。

勿論、そんな凄まじい能力すら大したものと思えないのは、その持つ本来の力量にあった。生まれながらの超人は、隣り合う者など持たない、持てない。
その持つ何もかもが他を下にする。溢れる黄金に、価値を見出だせないように、神子にとって抜きん出ることなど当たり前のことだった。だから、少し、最強というのには興味を持つ。

「果たして、風見幽香とは、私に何を求めるのか。……やれ、いけないね。人の側に立つと決めているのに、どうにもこの身は欲を叶えたがる」

ただ、期待しているのは最強の欲とは何か、である。ただ真っ直ぐに、神子は風見幽香を下に見た。
上から下に全てを眺める者にとって、自分以外の全ては低い。それは普遍的なこと。故に、生きるには神子から合わせなければいけない。あくまで人であるからには、窮屈に身を縮めて。
そして、理想的な上に立つ者の振りをする。その哀れさを、神子は知らない。

「それにしても……不老不死の探求には猶予ができたな。次には何を成そうか……」

ふとした呟きに、続きなどはない。人間らしく、命永らえることを望みはした。しかし、その続きの望みを神子は持たない。
故に、これからも彼女は上に立つものとして人の望みを叶えることを続けるのだろう。それが、人間のふりをした超人の限界ではあった。

そんなことを察して、更に上から、彼女は笑う。

「ふふ、こんにちは」
「こんにちは。ふうん、君が……くっ!」

今、神子が居るのは命蓮寺地下の廟。神霊廟と呼ばれるこの場へと向かうには、自然上から降りてくることになる。
真上から、見下げる視線。紅いそれ受け止め、十欲を耳にし、神子は幽香を受け容れ損ねた。
対して、変わらぬ笑顔の幽香。花咲くように、場違いな日傘が、ばっと開かれた。

「なんて、欲望なんだ……」
「欲、ね」

理解不能が眼前にまで降りてくる。それを嫌って、視線がさまよう。だが、それでも能力はどうしようもない存在を受容していく。
結果、ああこれはまるで棘そのものだと、神子は介した。

それはまるで、孤独を強いる、針千本。全ての欲が、総じて他への危へと繋がっている。加虐を越えた、災厄的。そんな性を乗りこなしてしまえるなんて、どんな心というのか。
明らかな異常。しかし、そのための痛痒を涼しげに呑み込み、とても優しげに幽香は笑っている。

「深く、何より悍ましく。妖怪の欲なんて、たとえ神ですら受け止められるものではないわ。私達の本質は、誰にも理解されないこと。ふふ――ぞっと、したでしょう?」

それは、通じるどころか、突き抜けて越えている。孤高を超越した絶対。心根すら、理解しようもない。
そんな人に対する有害が、何故か笑って優しくしようとしている。それを、目を見開いて、神子は悪と理解した。
不明。そして聖人は、妖怪の恐ろしさを生まれて初めて識る。
震え、そしてあっという間に克己してから神子は幽香に笏を向けた。

「ここまで擬人化されておきながら、君はあくまで妖怪なのだな。……いや、私にはやはり妖怪というものが理解できない。故に、悪しと取ろう」
「正解ね」
「だが決めつける前に一つ、訪ねようか。君は……かもしたら永遠の孤独を良しとするのか?」
「明暗はっきり分かつこと。それこそ優しいことだと思わない?」

どうしようもない、全てに対する敵対。それが、風見幽香の本性。それを納めて、優しくしているのはただの趣味。
根本的に、同調するものなどない。それでも、何より強く生きている。
哀れと、眼前の鏡を見た神子は思った。それが、風見幽香の狙いと、知りながら。

「ならば、心優しき悪しき妖怪よ。私はこの世の和のために、貴女を倒してみせる。さあ、私の天道の下に、掻き消えるがいい!」

そして、太陽の如き、全てを照らす力を神子は滾らす。
始まるのは弾幕ごっこ。しかし、相手を否定し心折るために、それは熾烈なものになるのは当然至極のことだろう。二つの孤独は、同じく空に浮かぶ。
やがて、歴史に誤りとされる程の聖人は最初、力の粒で出来た数多の鏃を周囲に向け始めた。それは、まるで幽香の心の再現。

「さて、魅せてあげましょうか」

しかし、そんな超人の本気を前にして、しかし最強たる風見幽香は微笑んで、覗き魔の視線すら受け容れる。
弾幕の海に入るために僅かに進み、そして、幽香は神子と、対になった。


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