何かが生きるのに何かの犠牲が必要なのは、もうどうしようもないことね。
お腹が空いていたら食べちゃうのは、自然なこと。いっとき我慢は出来ても永遠は無理。生きるのには他に手を伸ばすのが必定なのよ。
だから、いただきます、ごちそうさまをするのは大事だと私なんかは思うし、だからこそ私は頑張らなくちゃいけないって思えるわ。
生きるのは正直恐縮だけれど、でも力いっぱい進むのが大事だと、私は勝手に考えてた。
「あー……本当にごめんなさい、先生」
そして今私が【涼宮ハルヒ】をするために、犠牲になっているのは間違いなく私の良心ね。
ついつい発した言葉の通りに酷く申し訳なく思いながら、私は施錠する前に陸上部管理の倉庫に忍び込んで、こっそりリアカーにたっぷりと石灰の袋を持って出ていくの。
それこそ、本来の私がするだろう行為をただなぞるために。
「これで、校庭に落書きして、もし本当に織姫と彦星に見つけてもらって……それが何なのかしらね」
ちょっとナーバスになってきた私はついつい【あたし】の思惑を全否定。
まあ、親愛なる他人が増えるのっていいことかもしれないけれど、私は別に世界の中心になりたかった訳でもないから、どうしても【涼宮ハルヒ】のやり方には中々慣れない。
とはいえ、だからって悪い子になりきれない構ってちゃんを嫌うには至らずに、だからこうして何時でも本来のあの子が戻ってきてもいいように、重い腰を上げて動き出したのよ。
流石に雨でも降っていたら止めてたかもしれないけれど、私のお口のマイクは、本日は晴天なりって正常に空を見て事実を諳んじられたわ。
七夕の日は曇りか雨が多いって聞くけれど。まあ、誰かさんの作為や物語上の都合なんてあろうが関係ないわ。こうなったら仕方ないからちょっと悪いことだってやってやろうってなっちゃった。
「倉庫裏に学校の備品を誰にも見つからず隠すとか……無理かと思ったけれど」
意外と動かすのに力の要ったリアカーの一輪も、でもいざ動き出したらそう困ることはないのね。数十キロの重みを感じさせない軽さでころころ進んだわ。
そして、毎日それを使って地面に直線を引いている歴戦の陸上部員達だって、複数台ある一輪運搬車一台と積み上がるほどある石灰が多少減ろうとも、気付かないものみたい。
真っ赤なラインマーカーも団体さんでまとまっていたからか、足りなくても誰も首を傾げることすらなかった。
「これ……【私】でも出来ちゃいそうね」
そして、陸上部のミーティングに合わせて諸々くすねて隠した私は、固唾を飲みながら彼らが用具倉庫に鍵をかけるのまでを盗品を足元にその裏手で確認したわ。
そう、準備は万端、これなら完遂できてしまうのでしょうね。
たとえ、少し心が遅れていようとも私の動悸だって殆どあの子と変わらないものであるならば、きっと間違えずに。
さあ涼宮ハルヒの物語の中でも重要らしい七夕のこの日。
その夜分に未来人の手により今日に時間はズレにズレて逆巻いて呼び込むように、キョン君という高校生が未来からやって来るらしいのよね。
しかも、よりによって本来の【あたし】が、東中に夜な夜な忍び込んでオイタをしようと企んでいる段に、ふらっとその前に現れるようだわ。
初対面だってのに、彼は何だか女の子を背負いながら声かけてくるみたいだし、不審極まりない。普通なら通報ものよね、そんなの。
「とはいえそれを受け入れるのも将来的に必要なのが困るわ……どんだけ警戒心ないのよ【あたし】ったら」
私はしかしこれからそんな明らかにおかしい、モア未来人を連れた未来の一般人たるキョン君を奇矯な態度で歓迎しなければならないのだ。
この予定には、私服に着替えて夜を東中学近くのコンビニで待っている私も、頭を抱えざるを得ない。
変わり者の年上男子とか、生まれたての私じゃ荷が重くしか感じられなくて。乾いてきた喉を潤すための炭酸水のフレーバー選びをしながら、どうしようかなとなってしまうのだった。
「【あたし】は彼を好きになれるみたいだけれど……」
最近あまり見えなくなった未来予定図を思い出す限り、キョン君という男の子は本来の【涼宮ハルヒ】の運命の人みたいだから、まあ未来からわざわざやってくるのは私的にもアリかとは思うの。この世界ちょっとSF過ぎない、とは感じるけど。
でもだからって、私には一目惚れした彼が居るし、そもそも私は偽物。バレたらどうされちゃうか分かったものではないわ。
「ううん……ひょっとしたら、未来ではとっくにバレてて今日来ない可能性だってあるかも……」
そして、何時の間にか会計をすまして外に出ていた私は、偽物に運命もなにもないことに今更ながら気づいたの。
何をするにもまだまだこれから。それなのに余計なことばかり考えて。どうせなら怖気づいた分の倍、前に足を進めなければ建設的じゃないわ。
購入して手元にそのままあったのは、メロンソーダー味の定番炭酸飲料。
冷たく濡れたペットボトルをしばらく遊ばせながら、杏仁ジュースとかそういったものには一切惹かれない私の普通な性根を情けなくすら思ったわ。
「……むぐっ」
だから、私は空けた泡立つそれを気付け代わりに一気飲み。舌に感じるシュワシュワどころか、炭酸が胸にちょっと痛いけれど、でもこれはこれで得難い経験ね。
胸が苦しくなっても、私が痛いだけ。それにこのくらい耐えられるって分かった。だから失敗は、したっていいんだ。
「ぷは。そう、生きることも、一種の冒険でしょ……でしょ?」
言い切れずに問ってしまう私は相変わらず格好付きやしない。
でも、何時かは上手に【涼宮ハルヒ】になれるように、小さな痛みに私は微笑んだ。
「ふふ。それじゃ、よーい……どん!」
バチバチ成る頭上を見ずに隣を見てみれば、そこには熱い電灯にタックルした結果に散らばる数々の虫の死骸。
それらを見ないようにしてゴミ捨て場にペットボトルを勢いよく入れてから、私は東中へと駆け出すのだった。
校門が、閉じている。
そんなの当たり前よね。夜なんだから。
夜の中学校にわざわざやって来るのは不良に変質者ぐらいで、私はかなり後者に近い類。
何しろ私はこれから盗み出したライン引きなどを用いて、宇宙言語を認めようと企んだ【涼宮ハルヒ】のマネっ子。
うん。そんなの締め出されて当然ね。鉄の門はガチャガチャ揺すってもびくともしないわ。当直の先生かわからないけれど、戸締まりはばっちりで良いことね。
「さて、どうしようかしら……」
だからとはいえ、大分忘れかけている台本に従うためには、なんとしてもこの中に入らないといけないの。
そして、織姫と彦星……いいや【涼宮ハルヒ】を観測するありとあらゆるものに対して存在を示すための独自言語をでっかく書くのよ。
「よいしょっと……」
あの子の気持ちはちょっと、分かるかも。ただやりすぎよねと思いながらも私はキョン君たら何時来るのかしらと曖昧に考えながら扉をよじよじ。
足がかかって天辺に丁度身体を乗っけられたその時かしら。なんだか低めの声が私にかけられたのは。
「よう」
「わわっ!」
「っと……大丈夫か?」
つい叫んじゃったけれどいや、本気で驚いたわ。夜に隠れるようにして、長身のその人影は立ってた。
その顔は……私って鳥目だったのかしらちょっと暗くて見難いわね。でも整っているようにも見えるわ。
でもあれ。確か未来の予定表だとこの人女の子背負って現れる筈じゃなかったかしら。こんなハンズフリーで格好良さげに登場するなんて、ひょっとしたらキョン君じゃなかったりして。
ひょっとすると何か女の人の方に問題があった可能性もあるわ。気になって知らないはずの私はつい、問ってしまったの。
「あれ? 女の子は?」
「っ……ああ。《《もう》》、分かってるのか?」
「えっと?」
しかし、返答はよく分からなくて、問いを更に返されてしまったみたい。初対面の不審者さんと会話のキャッチボールが上手く行かず、私も困るわ。
でも、推定キョン君は、一つため息を吐いてからこうぼんやり説明してくれたの。
「はぁ……やれやれ。あの人は、信頼できる大人の人に預けてある……だから、心配しなくていいぞ」
「心配……なんてしていないわよ」
「……変わってないな」
「にゃ?」
よく分からない。でも随分と好意的な声色を高いところから聞いた私は首を傾げたわ。
まあ、取り敢えず身軽な状態でこの場に来てくれたのはありがたいわね。
鍵盗むとかちょっと私じゃ怒られるの怖くて出来なかったし、閂と南京錠で閉ざされた鉄扉からの侵入方法はどうしたって登って越える他にないから。
私は、努めてぶっきらぼうに彼に言ったわ。
「よく分からないけど……手伝ってくれるなら、歓迎するわよ?」
「ああ。乗りかかった船って、奴だな」
「そう」
多分諾でいいのよね。ちょっと含みのある言葉を呟く彼を置いて、私はひらりと飛び降りる。
そしてそのまま待ってたら、私の先までは何だってくらい簡単に彼はいとも簡単に不法侵入を果たすの。
上背があるからだろうけれど、何だか運動神経ありそうね。一般人とは《《書かれていた》》けれど、これならライン引きに手間取るようなことはなさそう。
「こっち」
「おう」
そう考え少し気分をよくしながら、私はキョン君らしい人を連れて校庭を真っ直ぐ横切るわ。
そして隅っこに鎮座した倉庫。そしてその裏手にまで彼を導いた。私が出しておいた筆記用具代わりの白線引きの道具達を見て、それまで大人しかった彼は首を傾げたの。
「これ……ハ……お前が用意したのか?」
「ええ。使いたいから夕方に倉庫から出しておいたのだけれど……」
「やれやれ……まあ俺は気にしないが。……無理は、するなよ?」
そして、ラインマーカーをコロコロさせながらなにか違ったかしらと申し訳ない気持ちになる私に、キョン君は随分と優しかった。
まるでこれは、普段静かな子がやんちゃした時に先生がするような腫れ物扱いみたいね。ただ、よく分からないけれど無理はしなきゃいけない私は、これだけは返したの。
「……約束は、出来ないわ」
「そうか」
暗闇に頷く彼の声に籠もった色は、まだ私にはよく分からなかった。
さて、【涼宮ハルヒ】が行う予定だった幾何学的線引きは、私の頭の中に焼き付いた予定図のその形をトレースする形で行われたわ。
そう、現在参照不可な記憶ばかりを基にしたそれは、どうにも難航したの。ああでもないこうでもない、って随分とキョン君をこき使ってしまったわね。
なんでか優しく言うことを聞いてくれたから助かったわ。しかし、彼の気の利くところとか、私がちょろかったりしたら好かれてるんだって勘違いしちゃうレベル。
凄い人を運命に持っていたのね【あたし】ったら、と他人事のように思いながら私は最後に一部を修正。
そして完成したものが大体OKだと理解できた私は、大きな黒い影に振り向いて頭を下げるの。
「はぁ……やっと出来た。あなたも、ありがとね」
「ああ。お疲れさん」
そして、挙げる直前のコロッケみたいに石灰で白くなった私を前に、多分キョン君は労ってくれた。
未来知識的なものからしたら彼ったらツンデレ的存在かと思っていたけれど、どうも何かが違うわね。
やっぱり別人だったりしないかしらと疑念を持った私は、聞いてみるの。
「ねえ、あなたは宇宙人っていると思う?」
そう、それは未来の彼が仲良くしてくれているだろうスーパーナチュラルさんについてのこと。
ああ本当に、未来は正しいのかしら。私は知らず、シャツの裾を両手で握っていたわ。
「いるんじゃないか?」
すると、あっさりと彼はその存在を肯定してくれた。
嬉しくなった私は上機嫌にも続けざまにキョン君に違いない彼に問っていくの。
「じゃあ、未来人は?」
「たまに見るな」
「超能力者ならどう?」
「うんざりするほど身近にいるかもな」
「なら……」
そして、確認は尽きたわ。だって【涼宮ハルヒ】が将来的に宇宙人と未来人と超能力者と彼と一緒に活動をするというのは分かっていたことだから。
なら、これで問うのはお終いでいいはず。でも私の口は勝手に動き、もう一つ疑問を吐き出したの。
「異世界人は?」
そう、それはきっと空振るだろう質問。そんなのと出会うなんて【あたし】の予定にはなければ、ならいないのだろとは思うわ。
でも、出来ればいてくれたら楽しいだろうなと思う私。そんな幽かな希望に。
「よく知ってるな」
「え?」
そんな、確かな返事が返ってきたから私はびっくり。
異世界人。そんなものも私の未来には存在するのね。
驚きを通り越した先に、何だか楽しみな気持ちを見つけた私は微笑みながら、改めて彼の名前を問うわ。私のことなんて私よりきっと分かっているだろう彼にはあえて自己紹介なんてせずに。
「そういえば北高の制服……あなたの名前は?」
「ジョン・スミス」
そして、返ってきたのは予定調和の名称。
身元不明の代名詞。誰でもあって、つまり誰でもないそんな名称。それを仮称とは言え纏う彼の本心はきっと。
「ここに、いないのね」
「……まあ、そういうことだ」
頷きに、何となく彼の心を私は察した。
ジョン・スミスことキョン君は、今度は代わりに私に向けて問う。彼の指先は暗がりに広がる、白を差してた。
「で、この図形は何だったんだ?」
「メッセージ、かしら?」
「どうしてかはっきりしないが……ひょっとして、織姫と彦星宛のメッセージとかじゃないよな?」
「その通り……の、筈よ」
先に校庭いっぱいに広げた白の線。それが伝達のためであるのは間違いない。
私は【あたし】の代わりにキョン君と共謀してこのメッセージを認めた。その内容は恐らく宇宙人の言語で「私は、ここにいる」というもの。
なるほど確かにこれを【涼宮ハルヒ】が書いた意味は深い。でも、私はまだまだそれを上手にやれていなくて、なら。
しばらく考えた私はふと、思いつく。考えついて、しまったのだった。
「あ、そうよっ!」
「お……なんだ?」
インスピレーションは唐突。私の変調に驚くキョン君を他所に、少し疲れていたはずの私も元気いっぱい。
それこそ整いきらない髪の流れを更に散らして元気に発奮しながら、安堵させたはずのライン引きへと駆け出したの。
私は、私のやるべきことを見つけた気がして改めてキョン君に向きなおって、言ったわ。
「ジョン! ちょっと、手伝って頂戴! 修正するわ!」
振り回すように動かす機械の端から白が漏れて余計な線すら描いていくが、それだってどうでもいいの。
メッセージ。それは私信であっていい。ならば、これでよく、これがいいんだ。
私は、彼女が書きたいことを、あえて書かないことを選んだ。
「あー……やれやれ。やっとらしくなってきたな」
キョン君は、そんな【涼宮ハルヒ】を、やれやれと認めてくれたの。
どうせ三年後に出会えるならば、惜別と言うほどでもなければ未来に進まんとする私の足はろくに後ろを向かずに前へ前へと進んだ。
だから、手を振り別れた彼の表情すら、私は気にすることなく帰路についたのだけれど。
「べんとらー……なんちゃって、ね」
スキップに、楽しい以外の意味はない。一筋の流れ星に手を伸ばしてそう巫山戯た私にもう、後悔はなかった。
「それで長門。あの日ハルヒは校庭になんて書いてたんだ? 途中から嬉々として修正していたが……」
「――私が、ここにいる」
「そう、書いてくれた」


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