第九話 †

美鈴おかーさん 美鈴おかーさん

「むにゃむにゃ……」

パイプ椅子に背を寄りかからせて、ぐっすり。その赤い髪おさげを垂らしながら、赤き彼女は眠っていた。
つるりつるりが継ぎ目なく。そして少女の周りで時折キラキラ星空のように瞬く原色が、出来損ないのサイエンスフィクションのような内部の装いを浮かび上がらせる。
そう、まるで嘘のような、どこかの最先端が集まった場所に少女は居た。真なる虚実のごとき、伝承の粋である幻想郷とは真逆を行く、科学に因したその空間。

それが、世界を渡ってきた船の内部であると知っているのは、未だ件の赤き少女ともうひとりばかりだった。

「ふぁ……あ、一時間も経ってる? はぁ……たっぷり眠ってしまったわね」

そしておもむろに目を覚ました少女は何も目にせずただ時を観て、そう零す。そんな超常すら、彼女が修めた比較物理学の前では初歩の一端。
時を粒と波見るのは当たり前。粒子を操ることなんて、もはや彼女の世界の者とっては出来て当然のありきたりなのだから。
十八歳の若者らしい健康を発揮して疾く、しかし研究職らしく凝りからくるぼきりという異音を立てつつ彼女は、立ち上がる。そして、ひらりとそのフリルで飾られた端々をなびかせながら、少女はその手を広げた。

「ちゆりは居ないか……現地調査でも続けているのかしら? なら丁度いいから復習しておこうかしらね。うーん……こんなところかしら、この世界で想定される魔法の形は」

その白き無垢な指先を一振り。そして、抜きん出た少女であるところの岡崎夢美は科学を持って魔法を叶える。
魔法式を計算式で再現。そして、現象を発揮させるという迂遠でしかたないやり方で高難度の科学魔法を叶えて、夢美は。

宙に大きな紅い十字を描いた。

「うん。これくらいなら……魔法世界の住人にも対抗できる程度の強度はあるでしょう」

夢美は近寄り、紅く白くも輝くその十字をノック。カンカンと硬質を響かせたその感触に満足を覚える。
そうしてから彼女は指先を踊らせ、白い軌跡を空に描いた。途端に、まるでなかったかのように消える十字。夢美は完全に科学魔法を自在に使えているようだった。

「さて、後は向こうからのアクションを待つばかり、か……」

頷き、再び夢美はパイプ椅子に座る。ぎしり、というこのアンティーク椅子の良さを認めてくれたのは、友であり助手でもある北白河ちゆりばかり。
夢美も知らぬ世界にひょいと出ていってしまった彼女のことを、なんとはなしに、心配になってくる。
偶には助手らしくフィールドワークってのをやってみるぜ、とどうにも旧臭いこの世界と交信をはじめようと動いたちゆり。自分たちの世界と違ってどうにも魔法の素がたっぷりあるこの世界で独り歩きというのは危険ではあるだろう。
とはいえ、返るための足であるこの船を守る人間が残らないということはありえない。危険があれば何時でも端末で通信できるのだから、と行かせたが時間が経って夢美も不安が増してきた。

「まあ、あの子は腐っても助教授。機器なしに科学魔法を使えるだけの頭はあるし、大丈夫だろうけれど……」

夢美はそう、独り言つ。そそっかしい子ではあるが、ちゆりだって大学院卒の十五歳。充分に大人と言ってもいい年ごろだ。いたずらに心配をすることもないのかもしれない。

「いや……むしろ、この世界で魔力が存在するといっても使える人が少なくて、その中でちゆりがいたずらに科学魔法を使ったら……その方が面倒事になりかねない、か」

つぶやきそして、夢美は自らを安心させるように、周囲に対する危機意識の水準を一旦下げてみる。原始的な生活に、魔法が馴染むものだとしても、この周囲はあまりに旧びていた。
まるで電気すらろくろく知らないような、清浄さ。その中で魔法を社会のために使っている様子だって遠目からでは存在しなかった。
そんな中でちゆりが魔法じみたものを使ったら大変なことになるかもしれないし、そもそもこの船を動かしただけで大きな騒ぎになるかもしれなかった。

「はぁ」

少し、嫌な予感がしてきたが、どちらにせよ未だ何も起きていないこの状況で心乱すのはただの取り越し苦労。
ひとまず、居心地のよくない硬い椅子の上にて落ち着くことにした。

「まあ、一人二人、近くに魔法使い――サンプル――が居てくれたらそれで良いわ」

石器時代の人間に、戦闘機に乗り込んだパイロットがやられることを想像するなんて、ただの臆病だ。
故に、ただ果報を待つだけが正しい。夢美はそう信じることにした。

「後は……そうね、これだけ旧いのだから、神話生物とかいてくれたら嬉しいわねー」

そして暇にあかせ、意外とオカルティックなロマンが好きな夢美はそんな信じてもいないことを口にする。
そう、世界を渡ってやってきたここ幻想郷が魔力妖力神力なんでもありな、酷く神秘的な世界であることを、岡崎夢美は知らなかった。

「御主人様ー、世界を渡るってのはあっという間だっていってたけどさ。意外と時間がかかってるぜ?」
「全く……ちゆりはせっかちね。慌てないの」

少女二人突貫で創った船の中。古を意匠に取り込みすぎて、まるで遺跡のような外観となったそれにて彼女たちは世界を渡航していた。
可能性空間移動船。並行世界への移動という偉業を、二人はのんびり会話をしながら成すのだった。
しかし、それ淹れている間には着くわ、という夢美の言葉を信じて旧いもの好きの彼女の趣味であるサイフォンから仕上げた珈琲を全部飲み込んでからしばし。
一向に到着の報が来ない状況に、ちゆりは焦りを覚える。ついでに、緊張からか喉の乾きも覚えたので、彼女は二杯目を飲み込むことにした。

「熱、苦! って、おお、揺れた!」
「ふふ……」

そして、その熱々と砂糖の存在を忘れて煽った一杯に驚きを覚えたちゆりは、更に足元の揺れを感じて更にびくりとする。
対照的に、落ち着き払った夢美は満面の笑み。音声機器の不調を感じてから、まあそれもいいかと周囲のデータを観測。
そして重力・電磁気力・原子間力の統一原理で説明されている範囲外の力を見つけたことに、頷くのだった。

「用意していた電子音声は出なかったけど、これは間違いないわね。魔力がある世界に着いたわ」
「おお、ハロー、ワールドと機械に言わせる御主人様のセンスは私としてはどうかと思っていたんだが、御主人様の説にやっぱり間違いはなかったんだな!」
「ええ。ここでなら存分に魔力の検証が出来るでしょうね」
「いやっほう! ……っと」

大げさに喜ぶ、ちゆり。すると行った古から続くガッツポーズのために水兵服からへそが顕になって、慌てて彼女は可愛らしいそれを隠すのだった。
そんな愛らしい仕草を見せてから、こほんと咳払いして気を取り直すちゆり。一転彼女は悪どい笑みを見せて、言うのだった。

「で、御主人。……ここでなら、科学魔法を使っても良いんだよな?」
「まあ、そうね。自衛のため、調査のためならきっと許されるでしょう」
「よっしゃあ! ……っと」

そして、念願の向こうの世界では規制されていた魔法もどきの技術の解禁に喜び、ちゆりは再びちらりちらり。
照れた彼女は再び服を下ろすのだった。呆れて、夢美は言う。

「……そんな丈の短い服着てるからよ」
「夢美様みたいに古式ゆかしいひらひらな服も向こうの世界だとそうとう浮いてたけどなー……ま、いいか。それじゃあ行ってくるぜ!」
「世界が違うとはいえ空気の組成は誤差の範囲内で行動には問題ないけれど……大丈夫?」
「おうっ、偶には助手らしくフィールドワークってのをやってみるぜ!」

そう言い、手を振りなんでもない壁面に向かうちゆり。すると、当然のように壁は彼女が通れる程度の穴を開かせる。
壁のどこでも出入り口になるという、まるで魔法のような科学技術。しかし、彼女らにとっては児戯でしかないありきたりを気にする者などだれもいない。
しかし、ぽっかりと開いた空間から外の世界の太古の光景を見た夢美は、どうしてか身震いをして不吉を感じ、元気なちゆりに声をかけるのだった。

「……気をつけなさいよ?」
「心配性だなー、御主人様は。行ってきまーす!」

帰ってきたのはどこまでも朗らかな返答。二つ結ばれた金の髪は左右にきらきら外の光で輝いていて。
それも、再び閉じた壁面によってそれも見えなくなるのだった。

 

「ん? あ」

そして、ふと果報を待つために寝入ってしまった不覚の時。機能ではなくナニカの超常により歪に裂けた天井を感じた夢美はその場から立ち退く。
赤が避けた後に、その場に落ち込むは白。一瞬瞳に映った隙間のアンノウンを睨んでから、夢美は台無しになったパイプ椅子を気にもとめずに、ちゆり――服をぼろぼろにさせている――の元へ飛びついた。

「ちゆり!」
「あはは……ごめん、御主人様。やられちゃった」
「やられたって……大丈夫なの?」
「はは……夢美様なら分かるだろー? すっげえ手加減されちゃったぜ」
「そんな……」

ちゆりの言の通りに夢美は比較が得手で逸しているがために、確かに分かる。彼女がかすり傷しか負っていないことを。
そのことに安心は出来るが、しかしそれは驚嘆すべき事態の証左でもあった。
もどき、とはいえそこそこに科学魔法を使って力を纏っていたちゆりはそれなり以上に頑丈だ。鉄板よりも強度のある彼女を、掠めるだけで傷つかせる程の力とは、果たしてどれくらいのものか。

「御主人様なら、なんとか出来ると思うんだけどな」
「それはそうだけれど……」

恐るべき、敵がこの世界にはいた。これには、夢美も驚くが、ただそれだけである。
なるほど想定される相手の出力は高い。けれども、それだけならば悠々に上回らせられる程に、夢美は科学魔法の演算が可能だ。
伊達に、大学が十一歳で卒業可能な程の学の圧縮がある世界で大学の教授として齢十八歳にて教鞭を執っている訳ではない。
確かに、夢美ならば仮想敵と対することだって、不可能ではないだろう。

「でも……そうなると船の守りが手薄になるわ」
「あの女の口ぶりからすると、手勢が少なからずあるみたいだったし……御主人様がぼっちじゃなけりゃ良かったんだがなぁ」
「それは言わない約束よ」

しかし、守るべき生命線があり、その上で一人で、というのは流石に難易度が高かった。
思わず、夢美も歯噛みする。いくら自分が学会で非統一魔法世界論を唱えた鼻つまみものとはいえ、せめて両親くらいには自分を認めて欲しかったのに、と思いながら。
そして、そんな中唯一自分を信じてくれたちゆりをこれ以上危険に晒す訳には行かず、彼女は決断する。

「……一旦出直すわ」
「だな。それじゃあ私は核融合エンジンに一働きしてもらうようにしておくぜ」
「お願い」

二人に、異見はない。座標を覚えた彼女らには幻想郷にまた来ることもそう難しくなければ、他の並行世界へ向かうことだって不可能ではないのだ。
別段戦う者ではない二人に、踵を返すことは簡単だ。疾く、元の世界へと戻る段を取り付けようとしたその時。

「エンジンが」
「――存在しない?」

誰も気づかない合間での核融合エンジンの消失――或いは簒奪――という事態を二人は発見し。
そして。

「あはは……核融合って、物騒なものを持ち込んだのね、貴女たち」

背後からの声。不可思議な隙間から現れた妖怪、紅美鈴に驚かされるのだった。

「……おいおい、私達の大切なモノをアンタ、どこへやったんだ?」
「うーん……ごめんね。私がやったんじゃないけれど……ここ幻想郷は、技術の停滞を良しとする世界なの。その観点からすると、核融合エンジンなんて代物はオーバーテクノロジーもいいところだから……きっと、没収されちゃったのね」
「……動き出してる最中のエンジンだぞ? 気軽に没収できるような熱量じゃないんだがな……」

現れた謎の人物。美鈴はどこかちゆりから向けられた険に悲しそうにしながら、会話を返す。
ちゆりが対話で空けてくれた時間に相手の観察を続ける夢美。彼女はしばらくしてから、結論を口にした。

「貴女は……魔力の塊?」
「正確には妖力、かな? ただの実体なし。私なんて、吹けば飛ぶような存在よ」
「はん! つまりあんたは自分が妖怪だとでも言いたいのか? 随分可愛らしい妖怪もあったもんだぜ」
「あはは……期待に添えなくてごめんね」

食べちゃうぞ、な感じが妖怪じゃないのかよとぼやくちゆりに、ますます恐縮する様子の美鈴。
こんなの豊満な美女が、いい人を見せているばかり。これはどう考えてもそれらしくない。どうなのか、と夢美へと振り返るちゆり。
夢美は、零した。

「妖怪、か……なるほど。私の願いはまた一つ叶ったようね」
「御主人様?」

ちゆりが見たのは、知恵深き者の笑みではない。それよりもっと、柔らかで幼い笑顔だった。
オカルト好きな夢美は、それこそ心の底から望んでいたのだ。理屈はその後付でしかない。
そう、私の分からないものが、この世にあって。実は夢美は痛くなるくらい明るい世界で一人足掻いていたのだった。

何となく、感じた美鈴は微笑んで言う。

「それなら良かった……実は、私の御主人様も貴女たちに世界の可能性を見せて貰えたと言って笑っていたのよね。そういう意味では、本来貴女たちは招かれざる客ではないのかもしれない」
「なら」
「でも、それは賢者の意見ではないみたいなの。本来ならば、危険物は排除するのが当たり前らしいけれど―――ただ除くのは咎めるっていう私情から、判断を私に委ねてくれたみたい」

美鈴がそれとなく、空に引いたは虹の端の紫。そして更にその深き色に赤を重ねてから、彼女は宣言をする。

「さて――――貴女達が、悪いものだと私は思えない。けれども、悪人だけが悪を成す訳でもなければ、病を運ぶのは無知が故のこと。この地にいたずらに分け入りたければ……幻想郷の門番、紅美鈴を倒してからにしなさい!」

そして、先程就いたほやほやだけれどね、と片目を不器用に瞑るのだった。

 

「っ!」
「破っ!」

所移して幻想郷の青い空のもとに、紅が縦横無尽に踊る。
紅十字断ずる空間の中に、赫々と拳を振るう美鈴の格闘は閉じ込められない。
夢美が指揮する威力の檻を破れずとも受け流し、向かう赤き光の渦を避けきれずとも踊りきった。
そして、金剛石よりも頑なな結びの全体となった夢美ですら、美鈴の蹴撃に当たることは出来ない。
虹色はどうしようもなく綺麗であり、であるからには止められないのだ。七色の可憐の怒涛。それをしかし赤一色にて留める夢美は流石だった。

「うひゃあー……二人共、とんでもないぜ」
「おかーさん、凄い!」

そんなこんなを見上げて、ちゆりは零す。いつの間にか一蹴され地に落ちた自分の隣にて目を輝かせている幼子を目に入れながら、しかし彼女はそんなことすら気にすることもなかった。
何しろ、美しい。綺麗は工夫によって出来た図案。そんなことが嘘っぱちに思えてならないような、そんな偶発の美麗が空には広がっている。

「……戦いって、こんなに空に映えるんだなー」

そんな言葉が自然に転がる。勿論隣できゃっきゃしている金髪碧眼の幼子が、それを拾うことはなく。故に返答などありえない筈だった。

「そうなのよねぇ……後は見る方も演る方も、もっと力を抜いてもらえたら、万々歳かしら」
「――あんたは!」
「ぅん? きゃっ」

しかし、子供がいる反対隣にぞっとするような美人がそこに浮かんで応えていた。
呑気している子供を抱えて、ちゆりはその場から飛び退く。
すると。

「――そんなに怯えないで? ひょっとして……あまり痛くしてあげなかったのが悪かったかしら?」
「お前……」

当たり前のように、退いたその後ろから声が聞こえた。振り向けば、あまりに美しい白磁の顔。
これには、先程出会い頭に攻撃を受けたばかりのちゆりでなくても、ぞっとして当然だった。

「誰?」

しかし、妖怪と酷く親しい子供――魔理沙――はそうは思わない。ただ、怪異を当たり前として、妖怪八雲紫を受け入れる。
紫はそっと、少女の首筋の包帯を優しく眺めてから、それに返答するのだった。

「貴女のお母さんと親しい者よ」
「おかーさんのお友達?」
「そうでもあるわね。そして――――」

手を振り子供をあやしながら、そして八雲紫は隙間――なんでもない――の上に座しながら、冷たくちゆりを見つめる。
妖怪は、言った。

「ここ幻想郷を見守るものでもあるわ。――さて、この世界をプレパラートに載せようとした貴女達の行為がどれだけ愚かなものだったのか……少しは知ってもらわないとね」
「な――っ」

その言の後に、炸裂する空。あまりの轟音に、ちゆりの悲鳴は声にならない。大きな赤い花が、青に咲く。

「――紅砲っ」
「――っ!」

赤には紅を。無数には、渾身の一筆で当たれ。
多数の十字にて自らを守った筈の身体。それをまるごと撃たれて、少女は墜ちる。
散りゆく、紅十字。空の墓標は果たして、誰のためか。
夢美は落ち行く中で。

「夢美様!」

悲痛なちゆり――最後に残った大切なもの――の声を聞いた。

†††

岡崎夢美は天才である。そして、人並みと外れてしまった寂しい子供でもあった。
彼女は知っている。説明され尽くしてしまった世界のつまらなさを。そして、その中で安穏としている人々の不明さをもまた。
あまりに輝かしい智慧の中で、周囲の輝きは映らない。
そんな夢美が一人ぼっちになってしまうのも、仕方のないことだったのかもしれなかった。

『夢美先輩は、オカルトが好きなんだな! 遅れていると言うか、信心深いと言うか、むしろ変だぜ!』

しかし、一人ぼっちというのは、存外ありふれているもの。変わった存在には、変わったものが寄ってきた。
割れ鍋に綴じ蓋、という訳では決してない。むしろ、向こうはどうにも下手に出ることで収まろうとしているのだから、困ったところ。
とにかく、それでも北白河ちゆりは岡崎夢美にとってかけがえのない存在だった。

『流石は、教授だな』
『もう、お前には私達は必要ないな』
『大人だものね』

それこそ、認めるふりして見下ろす先達達や、自分を勝手に巣立ったものと決めつけてしまい離れていった両親なんかよりも、よほど。

††††††

『非統一魔法世界論? 空想も程々にしなさい』

そして、何時しか夢すら否定される。
涙は、流れなかった。

心は、死なない。けれども、愛は死ぬ。
そんな風にして、遠のいていく大切なものに彼女は十字を切った。

††††††††††††

そして、重ねた十字の山。血の如き紅に染まった全てを、しかし夢美は捨てられない。

もしかしたら。ひょっとして。ありえないけれど。

愛が何時かよみがえってくれるなんて、希望がまだ彼女にはあったから。

柔らかさに、夢美は目覚める。

「あ、起きた?」
「貴女は……」

感じて見て、遅れて気づく。自分は彼女に膝枕をされていると。
こんなの、ダメだ。自分はもう大人なのだから。疾く退こうとする夢美。
しかし、とんと額を突かれて、それは枕――紅美鈴――に止められる。

「大丈夫」
「え?」
「頑張らなくても、大丈夫。彼女だって、私だって、もう貴女を認めてる」

そうして、優しく撫でられて。視界の端に、苦笑しながら見守っているちゆりも見えた。

胸元に蘇る温かさ。頑なだった頬もまた緩んで。

今度こそ、夢美は涙をこぼせたのだった。

 

「おかーさん」
「なに?」
「夢美ちゃんとちゆりちゃん、また来るって言ってたよね。何時来るのかな?」
「そうね、何時になるかな……学会も社会も全てをひっくり返してから、って言ってたから具体的には分からないかな」

神社近くに遺跡が現れたという騒ぎも、神社上空の花火の後にその遺跡が唐突に消え去ったことから終わる。
もう、誰もそんなことがあったことすら忘れだした頃合いに、当事者の家族たる紅美鈴と霧雨魔理沙は語り合う。
そこそこ狭い、紅い家の中。そんな会話は同居人の耳の中にだって容易く入る。
吸血鬼の少女、レミリア・スカーレットはごそごそと寝床から顔を出して、首を傾げた。

「マリサもお母さんも、誰かと別れたの?」
「あー……そういうことじゃなくてね」

昼の吸血鬼はどこか心配げに、聞く。実際は、彼女が憂慮している程に大層な今生の別れというものでもない。
少し悩む美鈴。その横に、ひまわりの花が咲いて、言った。

「また会う約束をしたの!」
「ふふ。そういうこと」
「なーんだ」

幼子の喜色に微笑むレミリア。何だか幸せに終わったのだろう大事に。

「次も、こうなるといいわね」

運命を手繰る吸血鬼は、そう言うのだった。


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