第十話 〇〇〇〇の幻想入り

美鈴おかーさん 美鈴おかーさん

彼女、〇〇は己が稀なる血の先祖返りであるということは知っていた。
それもそうであるだろう、こんなシルバーブロンドの自毛を生やした日本人なんて、他にはいない。祖父が厳しく話すのを聞くまでもなく、自分が他と違うことくらい分かっていた。

「でも、まあ。……だからこそ私は菫子に見つかることが出来たのだろうけれど」
「ん? ちっちゃな声でなあに、〇〇? ぼうっとしちゃって、もしかしてUFOでも見つけてた?」
「あなたじゃあるまいし、そんな夢は見ないわ。ただ私は、自分のルーツに思いを馳せていただけ」
「ふぅん。きっと〇〇の家系図は、横文字ばっかりなんでしょうねー。面白そー」

隣を歩む友達、宇佐見菫子の興味に爛々と輝く瞳を尻目に、高い空に一筋の飛行機の名残を望む。
ご先祖様は、ルーマニアにて銀細工にてひと財産を成した後、日本へと渡ってきた変わり者。《《何か》》を追って遥々東方まで来たのだと伝わっているが、祖父の祖父が追い求めていたものの正体はもう失伝している。
ただ、彼の残滓としてここにあるのは、幼くも白く透明なこの見目ばかり。そんな、西洋人形のようなシルクの少女は、しかし酷く人間らしく顔をしかめて、言った。

「菫子は面白いのが好きね。……つまんなくても別にいいのに」
「ええっ、つまんないとかサイアクじゃない! 最低でもそこらの人とは違わないと価値ないわよ」

笑顔で、〇〇の前であることを楽みながら、菫子はそんなことを断言する。
人気のない公園の端。ベンチとも取れないパンダの置物の上にぎゅうぎゅうに座しながら、二人は遊ばず語り合っていた。遠くに聞こえる子らの声の甲高さを白く見つめることは、〇〇はともかく、菫子にとっては自然なことだから。

「ホント、私に並べるのは〇〇くらいよね!」

上を見ずに、下に見る。するとそれが睨むようになるのは当然だろうか。何せ、宇佐見菫子は神童である。賢ければ、異能とすら断言できる力を持ち、見目も美しくあった。
だがそのため早く発達しきってしまった人生観はどうにも同級に並ばずに、等しく子供を下にしてしまう。
だから、親愛を持つことが出来ずに独り文字の海を彷徨い、認めたありえないばかりを求めて足掻く。そんな彼女が、〇〇というとびきりに出会えたのは幸運だったのだろう。

「私としては、菫子ほど悪目立ちしたくはないのだけれど……」

それこそ毎日、まるで引っ付き虫のように仲良くしてくる菫子に嘆息しながら、〇〇は零した。
菫子は知らないが、〇〇は知っている。孤独より痛い、仲間はずれを。過ぎた者すら超える、断崖絶壁。菫子が自分の容姿に疑問を持ってしまうくらいに美しい銀の乙女はなおも果肉の唇を動かす。

「これでも私、人の上に立つのは好きじゃないの」

世界を支配し得る能力を持った〇〇はそれを自覚しながら、うそぶく。
けれども、そんな言葉は天狗になっている少女の理解の外。携帯電話での検索のし過ぎで最近メガネを付けるようにすらなった弱視を凝らし、目の前の人物が偽物ではないことを確かめてから、菫子は返す。

「信じらんない。なら〇〇。私の下に立ってみる?」
「ふふ……それもいいかもね」

ただの冗句。しかし、それはあまりにたやすく飲み込まれた。風にスカートが揺れ、銀がなびく。
はしたなくも口をポカン。言葉に嫌でも、考えてしまう。自分の下にてかしずく、〇〇。そんなとても嫌なものを想像した菫子は、吐き出すように叫んだ。

「ダメよ!」

そう、それはダメだ。他人なんてどうでもいい。けれども、〇〇が自分を下から見上げてくるなんて、考えられなかった。
そして、こんな友情に不慣れな自分のお節介すら友としてくれた大切な人が自分から僅かにも離れていくなんてあり得ない。
菫子は、柔らかでか細いその指先のぬくとさを抱いて、縋る。

「〇〇は、私の隣にいてくれなきゃ……ヤダ」

その瞳は、澄んではいない。乞いに焦がれて、どこか歪んでいた。
まっくろくろすけ、●は闇。

それでも、少女の思いが尊いものであるに違いはなかったから。

「……分かってるわ」

苦く、月時計の少女は頷く。

 

チクタクチクタク。しかし時計の針は無情。機械は愛など容れずにただ進んで、その数字を指し示す。

 

妖怪は、もうこの世に滅多に存在しない。それを、〇〇はよく知っていた。
だから、殺せと言われても、もう出来やしないのに。それでも、血はざわめいてそれを求めるのだった。

「はぁ……それで独り、銀のナイフを忍ばせて夜な夜な街なかを歩くとか、子供じゃなければただの変質者よね」

なるべく暗がりを求め、少女はせっかくの銀を闇に沈ませながら、静かに吐露する。
退魔。そんな信じられない職業が過去にはあった、と〇〇は聞いている。そして、先祖代々、自分の家系がそれを生業にしていたとも。

「そんなこと、聞くまでもなく私の身体が知ってたわ」

〇〇は、苛立たしく言葉を落とした。今は、銀に特化したジュエリーを売りさばくばかりの〇〇家。その銀はもはや妖かしの血に濡れることなどない。
けれども、己の中のルナティック、狂気の心はそれを求める。満月の光のもと、それは静かに滾っていた。こうして、興奮を夜歩きで消費しなければならないくらいには。

「妖怪なんて、いなくてよかった」

だからこそ、〇〇はそう思う。逸した美ではなくただの少女として、穢れることは望まない。なにせ理性は、誰の死も望んでいないのだから。

少女は独り夜を歩く。

そして、今の世の中、ただ闇は闇。悪意にまみれた嘘はどこにもなく、あるのはただのつまらない現実。そんなつまらなさにこそ、〇〇は安堵する。
血は騒ぐ。力を持て余す。でも。

「それでも、私はあの子の愛する幻想を否定したくない」

〇〇〇〇は、少し間の抜けた唯独りの友達を頭に浮かべる。
宇佐見菫子。幻想を求めて、それをあばきたがる性を持った、ただの夢見がちな少女。
そんな彼女の夢を殺すなんて、そんなことはとてもとても。

「――――えっ」

雲間が割れて、光差す。街灯のもと歩いているのは、ひとりの少女。黒いキャプリーヌが上下に揺れる。その下に輝く子供のような笑みを見て。

「殺さないと」

〇〇は、知らず零していた。そう、アレを殺さなければいけない。だって、アレは犯すものだ。壊すものだ。暴くものだ。相容れないものだ。

アレが誰かの大切だとしても、限りある希少だとしても、親友の望みであったとしても、そんなことは関係ない。
だって、私はアレを殺すモノ。一振りの銀のナイフだから。

「ふふ」

だから笑顔になるのは当たり前。今日は素敵な満月の日でもあることだし、それは然り。

「あはは」

反して朔のような笑顔を浮かべる〇〇は、そのまま歩む。
いつの間にか、少女の時は止まっていた。親友にすら隠していた力を披露するのだって構わない。それもそうだろう、コレを殺すために時がかかることすらうざったいから。
もうコイツには一息も猶予をあげないのだ。

「さようなら」

何も知らないまま、逝け。
少女は停まった対象の前で銀のナイフを振りかぶり。

「――――まだ会ったばかりなのに?」
「っ」

その妖怪が停止の中の《《無意識》》にて動いたことに驚いて、それを取り落とすのだった。

「うーん。ここはどこだったっけ。まあ、そんなのいいや」
「っ!」
「あなた、だあれ?」

そして、しばらく停まっていた世界は動き出す。脱兎のごとく逃げ出す〇〇は額に汗をかきながら足を動かした。

「はぁ、はぁ……」

過ぎていくは、二つ角に、まばゆい大道。その向こうに置いていったはずのものを彼女が思い返して振り返ると。

 

「――私はこいし。あなたは?」

当然のように、後ろに誰かが立っていた。禍々しくも、可憐な笑顔の華がそこに咲いている。

「くっ」

とっさに、薙ぐようにナイフを振る〇〇。しかし、それは無為。なんの成果もないまま空振って。

「え?」

そうして、己の先がないことに気づく。気づけば〇〇の白磁の四肢はまるで無かったかのように、闇に溶けていた。

「あれ? あなたも……|世界《これ》から嫌われちゃった?」

そしてはじめて妖怪の笑顔が曇る。〇〇の顔は、言葉の意味に驚愕に凝った。

〇〇は消えゆく全体の中、思う。確かに先に、自分は世界を止めた。忌み嫌うこの身体に秘められた力を使って、これまでにないくらいに長い時間。

ああ。それが良くないことだと、全てから嫌われてしまうことだとなんて誰も教えてくれなかった。
世界は修正されていく。その騒ぎ立てる血ごと何もなくなっていく、そんな感覚に怯えながら〇〇は妖怪、古明地こいしの声を聞いた。

「最後にもう一度聞こうかな? あなたのお名前は?」
「私、私の名前は……」

やがて、時計の針はてっぺんに。そして全てが一つとなって。

時間切れ。

「……何だっけ?」

そしてためらいなく押されるは、リセットボタン。

ぜろぜろぜろせろ。〇〇〇〇。終わりの零。

その時計が蓄えてきた、記録は消える。

「――――あ」

最後に言葉を残すことすらなく、やがて銀の時計は幻想に消えて。

「さようなら。また会いましょう?」

変わらぬ笑顔も闇夜に消えて、そうして、彼女は最初から無かったことになるのだった。

 

 

「――――どうして、どうしてよっ!」

何時か彼女が彼女を見つける、それまでずっと。


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