番外話三 龍夫の死闘

私は彼女の魔嬢(まじかるすてっき)

番外話三 龍夫の死闘

大須龍夫は、人として外れている大須家の中で、唯一人として優れた人間だった。

往々にして理解できないものに通じている家族。そのなかで龍夫だけは、人に通じていたのである。

しかし、龍夫は抜群で、度が過ぎた。人知れずよく分からない不明と戦い続けている、普通一般から見れば奇人の集まりでしかない一族から出た、輝石。それは、世間に大いに取り上げられて、持ち上げられたものだった。

曰く、神童。全ての記録を過去にする存在。幼き頃から龍夫の知恵はまずまずであったが、その他は凄まじいものだった。子供の力を大人と計るなんて、序の口。ただの駆けっこで獣に並んだ。

最高値の人間。龍夫がそうなることを、誰もが想像した。

当の本人はそんな当たり前の成長なんて、どうでもいいことと考えていたが。

 

放任主義の大須家から世論が龍夫を取り上げ、その強靱な肉体には物足りない賢さを重点的に鍛えられていた頃。大須の家に、子供が産まれた。

それは、産まれたことにあまりに激しく泣いた、曰く元気な女の子。自分不在の中で滴と名付けられた妹に、家族――真っ当な子に触れかね世に龍夫の世話を託した異人たち――というものに何の期待もしていなかった龍夫は何の情も抱かない。そんなことより理解不足の外国語の習得に勤しまなければ、と考えてすらいた。

だから、カメラの前に現れ、久しぶりに会った両親にすら笑みを向けず、彼らの手の中でひたすらに泣き続ける赤ん坊に仏頂面を向けさえする。

しかし、それは世間体として拙いと知っていた龍夫は表情を素早く変え、内心おっかなびっくり差し出された弱い子に触れ、そうして彼は呟いた。

「柔らかい……」

そう、それは柔和。差し出された指を小さな手のひらでぎゅっと握った赤ん坊は龍夫に触れられることで安心して、きゃ、と笑う。あまりに似合ったその笑顔が産まれて初めて作られたものことであるということに、少年は狼狽した。

そして、子供はようやく愛の存在に気づく。胸元を強く握って、何の目的もなくただ成長していた彼は、言うのだ。

「こいつを、守れるようになりたいな……」

そう、少年は夢を持った。

 

夢のために、頑張る。そんな当たり前を遅まきながら知った龍夫は努力を重ねた。度を超した負荷をすら持ち上げて、彼は己を鍛え続ける。やがて、彼の能力を比するに自然界の数多では物足りなくなった日。少年は唐突にも世界に裏切られた。

曰く、一般人ではない。これは病。ただの歪んだ病巣だと。そう、勝手に症例として扱われ、常人から除外されて。龍夫が打ち立てた数々の世界最高の記録は無かったことになった。

そして、手のひらを返した数多の手にでっち上げられた嘘の罪で龍夫の経歴は汚れていく。

龍夫の手に残ったのは、病気とされた能力に金銭と社会の侮蔑のみ。その全ての変貌ぶりに悔しい、とは思った。けれども、折れず腐らなかったのは、夢が彼に残っていたがため。

誰も石を投じることのない、恩を知る故郷の地に再び足を踏み入れたその時に、龍夫はそれを思い出す。

「守ろう」

妹、家族を守る。そのためだけに、成年となっていた元少年は、奔走した。数多の敵と戦い、平和を守って。

 

表舞台の元最高。それを狙う者は、殊の外多い。ブーン財閥が独占している龍夫の生きたデータ取りのために行われる誘惑の手なんていうのは甘いもの。嫉妬の炎によって怪物と化した人間、計るために数多のモルモットを送り出してくる狂人、龍夫の偽物等など。

それら敵対者達は滴のための平穏の邪魔となる。そのため、住処を二つにして小さなアパートを主たる住居とし、危険と共に妹と距離を別った。普段は会う時間も漫ろで、愛してはいても、その手を取ることも少なく。

だから、今回、滴を混乱から救えて、文字通りこうして身を挺して妹を守れているのは、良かったと龍夫は思うのだ。

 

「後は、こいつを片付けるだけか……」

「どうしようもない……何、この人……』

魔者、襲田茉莉の諦めの籠もった言葉も当然か。緑色の血の海、尖る臓器に液の山にて、数多の突端を破壊しすり抜け、龍夫は生存を守る。野生をとうに超えた俊敏と柔軟。そして、測定を拒絶する破壊力。それらは、鋭さばかりが褒められるくらいの檻に収まる程度のものではない。

眼鏡のつるを弄りながら涼しい顔をして、龍夫は悪意の海を目に持つ茉莉の前に平然と立つ。そして、問う。

 

「さて、俺は妹のために、お前を生かしたい。だが、どうしようもなくてそれが無理なら全てのために遠慮なく、叩き潰してやろう。さあ――お前は未だ人間か?」

 

言を聞いて、茉莉の顔は歪む。

今や人外の自分の声は届かないだろう。しかし、見えているならば、ジェスチャーは行える。ただ頷くだけで永らえられるに違いない。龍夫はそんな、意志の強い断固とした瞳をしている。けれども、それはどうにも認め難かった。

人の間なんて、もう嫌だったから。

「人間なんて、嫌い』

貪られるのはもう、ごめんだ。無視も拒絶も、要らない。唯一、彼女の愛だけが欲しい。

滴を食べたかったなんて、嘘。ただ、変わった眼でもう一度彼女を見たかっただけ。そして、違う瞳を持ってしても愛おしさが何も変わらなかったことで、茉莉は思ったのだ。

ああ、今なら滴の目に映るものを自分だけに出来ると。

己がどうにもホラーでスプラッタな様態であるのは仕方ない。けれども、呑まれて潰されぐちゃぐちゃに組み込まれたあの時の苦しみも、あの冷たい宝玉のような少女を抱くためにあったのだと思えば、許せるのだった。

故に、茉莉は龍夫の前であざ笑った。彼曰く白々しい代物を、更に歪めて台無しにして。

途端、睨むようにしていた龍夫の顔の色は全て消え、拳が再びぎちりと握られた。

「そうか」

途端、再沸騰する一帯。溢れる触腕は全てが必殺。数えきれないそれが、龍夫を刺し貫かんと動く。だが、彼はそれを無視して濡れた少女に一歩近づく。そして、人間の最高に位置するその手を向けた。

思わず、茉莉はぎゅっと目を閉じる。

「……お前は、人間なんだな」

「え?』

困惑。主に近付き過ぎた敵手に、触手がうねる。そして、何より胸中の少女が疑問符に脳裏を埋めていた。

そう、残酷なまでに久しぶりに、茉莉は抱きすくめられたのだから。

「魔者。俺にはお前の名前を思い出すことは出来ない。きっと、殆どこの世のものじゃないんだろうな。それでも、喜怒哀楽を持ち合わせたお前は間違いなく大切な人の子だよ」

じゅうと、少女に這い回る体液によってその身の表皮一枚が溶けることを苦にせず、龍夫は断言した。彼には判るのだ。その瞳に宿った憎しみには、理由がある。

少女の悲劇を想って、愛伝えるために、彼は敢えて危険を犯した。

「子は大人に守られるべきだ。なら、お前も守ってやる。……俺は、人間を守りたいんだ」

夢は成長と共に広がる。愛するものも、多くなった。嫌いも増えて、しかしそれでも諦められない。手が最高に長いというのも困りものである。届くから、助けてあげたくなってしまうじゃないか。そう思い、少女の前に助けの手を伸ばす。

「あ……』

最高の青年から底辺の少女に蜘蛛の糸は降ろされた。

「なっ」

「あは。気持ち悪い。死んじゃえ!』

しかし、優しきその手は魔者に食い千切られる。怒り狂った茉莉ごと、数多の触手は龍夫を貫く。

「がはっ!」

「あはははは!」

予感に、身動ぎで急所は避けた。しかし、それでも茉莉と繋がり、動くことすらままならない。共に内部の傷から血を吐く二人。しかし、狂った魔者はあまりの嫌悪に大いに嘲笑った。

「お兄さん。私は、人間なんかじゃないんだよ?』

そう、人と魔者では温もりの感じ方が違う。あまりにその熱さが、気持ち悪かったのだった。低体温は、灼かれて苦悶の声の代わりに唾棄をする。

「ああ、どうしようも、なかったのか……」

「遅い遅いよ、周回遅れ! 理解もその愛も、紙一重で遅かった! ありがとう、ごめんなさい。あはは。襲田茉莉はきっと、バケモノに喰まれるのが望ましかったんだよ!』

それは愛を否定し痛めつけるため。多く、貫通した触腕が揺れて龍夫の傷を抉る。彼は沸き起こる獣のごとき悲鳴を、呑み込んだ。

慌て、龍夫はその高き望ましきその身に力を込めて、全身を隆起させる。そうして、千切った。哄笑から離れて、そのまま疾く逃れた身の遅さを、思い知りながら。

「はぁ……はぁ……」

「はは、辛そうだね。楽にしてあげようか?』

ダメージは、最高を既知へと貶した。その全ては、動物園で知れる程度。ファインダーに収められるくらいの、目に留まらず。

茉莉にも判る。ならば、ここで最高だって殺せるのだ。でも、ただでやられはしないだろう。もっと、命奪うためのマイナスが必要だ。そのために、空まで続く不可視の内臓を、思い切り引っ張った。

「……皆、死んでしまえば良い』

そして、少女は心の底から本音を示す。襲田茉莉の動く遺骸は彼女を継いで、この世の死滅を願った。

そして、それはきっと少しくらいなら叶うのだろう。人類最高よりも遙か上空から、それらは堕ちてくる。

「ああ、ヤバイな」

魔物、魔物、魔物。無数の地を映した空の似姿。どうしようもない、存在を食む大いなる生き物達。そいつ等は、茉莉が振った指先に合わせて解けていく。歌詞に応じ、バラバラになって、大量質量の槍と化し、全ての遺骸は降ってくる。

それは、臓腑で出来た、夜空に掛ける、首飾り。その誕生を寿ぐならば、それは。

「(絶望の歌)』

何より美しい、奇々怪々な音色が、誰知らずに、響いた。

 

「ははっ……」

空が堕ちてくる。質量は無限大。だって、それは、人を潰すための重みなのだから。どうしようもなく、耐えきれるものではないのだ。

きっと、これは天を支えることに足る。この地の命を守るには、神の偉業の再現が、必要となるだろう。

「なんだ、それだけか」

それがどうした。超越者たる親父は今も立派に世界を支えている。それに一時とはいえ、こんなもの神話の半神如きでも支えられたものだ。人間様が出来ない筈がない。

龍夫はそう、願う。だから、生まれて初めて死を覚悟し、生存の為に闘うのだ。

「守るよ」

このままでは、魔物の死体に圧されて皆が、死ぬ。知らずに潰れて、きっと瀞谷町の二万四千人は不明な骸と化してしまうだろう。だから、誰彼の生存のために、大須龍夫は命を掛けた。

「っ」

そのために、地を踏み、跳ぶ。砕けた足元を遙か下にして、空へ急いだ。そして、何より醜い全てが蠢き堕ちていくその様に、龍夫は誰より近づく。跳躍よりも、落下の方が自然。凄まじい速度と力量を彼は目にする。

それに怖じを覚えながらも呑み込み、龍夫は言った。

「俺が、俺が最高なら、未知へと届かせろ!」

宙。ここに来て、とうとう耐えきれずに偽の王冠、手甲は割れた。何も持たずに龍夫の空手は、空を掻く。ただの、超越者モドキでは、これ以上なにも出来ようもない。意味なく空に踊るばかり。けれども足掻く。青年は、自分の最高を信じる。

守りたい。何より妹を。そのために、向かい来るものに届かず自由落下を始めた自分の手のその切っ先を伸ばす。しかし、指は空を切る。それは、無様。弱々しい、ただの馬鹿げた行動。

思えばこれまでも、無駄を続けた人生だったのかも知れない。家族の異常さに自分を添わせるために、龍夫は自身も異常と弾かれた。でも、辞められなかった。夢のために。そして結局は、何より自分も家族――同じ――で居たかったから。悔しかったのだ、自分だけ違う世界で生きているのが。

ああ、空飛ぶ鳥を見て、跳ねるばかりの魚が幾ら見苦しくても、それは。

哀れ、青年は空から降り堕ちた魔の弾丸に吸い込まれる。全ては暗黒に染まったかのように思われた。

「……奇跡、貰うぞ!」

しかし今際の際にて、彼は星を掴んだ。

 

全ての星に意味がない訳がなく、変わり続ける空の皆だって無意味ではない。

 

絶望よ、唄われるな。その願いはきっと届く。

夜空に、巨いに孤星は輝いた。

 

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