ルート3 砂金の真心 金沢真弓③

原作版・皆に攻略される百合さんのお話

「でも――――あたしはそのうち死んじゃうんだよ?」

はじめての、再会の日。酷く白く薄い少女はそう言った。拙い、と真弓は思う。こんな自棄っぱちな言葉を口にさせてこの子、百合が辛くないわけがないのに。
だが、終わりの空の下少女はどこまで希薄で、生命すら容易くなく必死であっても亡くなるのが運命。
バッドエンドは、こうしてヒロインから告知された。

「っ」

くるりと、反対を向いた百合の背中。その矮躯のあまりの痛々しさに親友たるふようですら声をかけることが出来ない。ましてや、先に友だちになって告白したばかりの真弓では尚更に。
でも、どうしようもないからといって、止まれるか。何も残せないからといってどうして足掻かずにいられるというのだろう。そんなこと、経験不足な真弓には分からない。だから。

「それでも、私は百合ちゃんに恋してる」
「……ありがとう」

勇気を振り絞って放った言葉は先程の繰り返し。ありったけの想いを込めて伝えた恋も、しかし少女を喜ばすには足りない。
とはいえ、受け取ったのは情に特別な思い入れを持つ百合だった。だから、メインヒロインは、はにかんで。

「あとちょっと、よろしくね!」

二人へと振り向いてそう、言った。

少女のこの世全てに対する愛の深さは知っていた筈だ。だが、それを聞き齧って知識に容れていただけの、真弓が何を理解していたというのだろう。
真弓は軽々と百合に世界の終わりを教えてしまい、結果少女は一時更に自棄を拗らせた。
そのために百合は死にかけ、また殺しかけた椿は、愛しの人が手に入れていた謎の終末論を、伝手を用いて辿る。
すると、当日門前で日田百合と金沢真弓とが不可思議な会話をしていたというのが耳に入ってきた。
メイド部隊の諜報力の高さに対する感心と報酬の多少の修正を考えながら、椿は目立つ容姿をした転校生の元へとツインドリルを揺らしながら向かう。
都合のいいことに、校内を散策中だった真弓にそこそこ駆け足の得意な彼女は余裕を持って追いつく。
足音に気づいたのか向けられた、水野葵と同じ色したオッドアイを認めてから少しぷんとし、胸の前で腕を組みあわせながら椿は単刀直入に言った。

「貴女ね。百合ちゃんに変なことを吹き込んだのは……」
「貴女は……月野椿?」

その眼を細めて、少女は問う。識っている。だが、この目でしかとこの特異なヒロインの一人を認めたことはなかった。故に、この明らかにおかしなお嬢様ドリルテールを身につけた美人さんが光の姉とは断定できない。
だが、そんな様子に何を感じたのか目を細める椿は、続けて言った。

「ええ。私の妹がお世話になっているみたいね、金沢真弓さん」
「光ちゃんには、私がお世話になっているだけ」
「それでも、あの子は惚れ込んでいた葵が亡くなってしまってから随分と塞ぎ込んでいたみたいだから、貴女という手を差し伸べたくなるような相手が出来て、良かった」
「……知ってたの?」

良かった。結論のそればかりにはほっとするものを覚えたが、しかし光が葵に惚れ込んでいたということを椿が知っていたのは驚きだった。
本来のお話ならば、人でなしというべきプライドを持つ、他人を顧みない多才であっただろう月野椿。彼女はそんな、攻略の隙を多分に持った乙女であるべきだったのだ。
しかしそれは葵があえて干渉しなかったがために百合の愛の介入を許した。その結果、ここまでこの子は変化したのか。
変わったくらいには聞いている。だが前提情報との乖離はあまりに大きい。
恋に愛は人を変えると知っているが、それにしても。だらしなくも口をぽかんと開いた少女を前に、やはりこの子は葵とは違うと微笑みながら、椿は続けた。

「それは、妹のことだもの。同じ世界に、一緒のお家に暮らしているのだから、多少は察せるわ」
「そっか」
「ただ……それはそれとして、貴女のやったことは残酷だわ――――真実を突きつけるばかりが、正しい訳じゃない。あの子の愛は溢れんばかりでも、百合ちゃんの心は一つで限界があるのよ?」

今度こそ、がんとした驚愕。世界の終わりを告げた、そのことを世迷言と切り捨てずに、受け入れた上で、葵曰く《《満月》》の誇りだった、月野椿は否定する。
賢しい者は、どう変わろうとも、いやこうも柔らかに成り果ててしまったからこそ優しく事態を受け入れていた。
この世に対する悲哀を隠しながら誰に伝えることもなく生きていた、たまらずに暴露をしてしまった己よりよっぽど出来た人間である少女に引け目を感じながら、真弓は呟く。

「分かって、るんだ……」
「ええ。全身に赤い罅が入った後に消失する世界からの落伍者、通称フォラー。彼らのような犠牲者が世界中、こと日本以外で多く発生していることくらい、TUKINOグループの一員である私の耳には否応でも入っているわ。それが世界の終わりとよく結び付けられていることも、知ってる」

月野の家は並ではないどころか、世界に独自の道を持つ企業としてはこの世に浸透しきったほとんど完全体。そんなものに国家の検閲なんてろくに効かないのは自明。とはいえ、常識ではあり得ないと棄ててもおかしくない情報をすら精査し考えられるとは。
柔らかな面の中に懊悩を隠し続ける、大家の長女。こんなお姉さん相手では、あの光ですら中々敵わない筈である。
納得を覚えながら、真弓は問う。

「貴女の見解は?」
「世界は終わって欲しくない。でも、そうなるだろうな、とは思っていたわ……百合ちゃんの死より早そうなのが、また困ったこと」
「そうだね。きっと、終末は百合ちゃんだって呑み込むよ」
「そう……」

そして、目敏く椿の瞳は真弓の諦観を覗く。どうしようもないから諦めて、その間を楽天で過ごすと決め込んでいる子供の、その浅はかさを弱さではなく痛みの結果と採って、やがて彼女は目を閉ざす。
僅か、どうしようか悩み、しかし愛を受けて愛を知って、愛することを覚えている先達は、一つ告げることにする。
赤い少女の唇は、柔らかにも真弓に対して注意をするのだった。

「どうしてそこまで貴女が情報を持っているかなんて、聞かないわ。ただ、その諦めきっている瞳ばかりはいただけない」

それは、でも、だから。反論なんて幾らだって真弓には返せた。そもそも、他人の言葉なんて本来早々に響くこともない筈で、無視だって簡単だったのに。
しかし、そこに向けられた愛を覚えてしまえば、もう駄目だ。これは優しさだとぐうの音も出なくなった乙女に終にいたずらっぽく笑って、椿は言った。

「そんな目をしてたら、百合ちゃんに何時か嫌われちゃうわよ?」

ああ、そればっかりは嫌だなと思う真弓は、でも中々世界の悲劇を受け止められないのであった。

 

しばらく、少女たちは壊れかけの世界の中で安堵する。やがてやって来た冬の頃。
少し学校からは遠めの喫茶檸檬にて、ここのミルク光ちゃんに美味しいって言われたんだと空元気を見せる百合と共に、時間とともにすっかり仲良くなった真弓はゆっくりしていた。
少女らしくとっちらかる会話は、今日の授業のことから流行りのアイドルのこと、そして空の罅の広がり様の不安から、やがて互いの思いの話に行き着く。

「あたしね、最近結ちゃんってお友達が出来たんだ、とっても可愛くって……ねえ、まゆみちゃんは、転校してからそんな人できた?」
「あんまり。私はやっぱり百合ちゃんが一番に好きだから、あんまり気にならなくって」
「あはは……」

未だ、毎日のように好きだと告げてくる真弓に対して、少しくすぐったそうにしてから、思わずといったように問う。

「ねえ……そういえば、まゆみちゃんは、私のどういうところが一番気に入ったの?」

傾げた首。その細さを見つめながら、真弓は全てと返したく成ってから、しかし一考してみた。
初恋に故などない。けれど、そこに運命的な意味を欲した場合、こじつけられるとしたら、それは。

「百合ちゃんは、私のお兄ちゃんにちょっとだけ似てるのかも」

そう、それは最愛だった存在に対する相似。似通っていて、でもその実殆ど全てが違うからこそ、愛おしいのかもしれなかった。

幸せなら、生きていなくてもいい。真弓にはそんな風にひねくれていた幼少期があった。
自分さえよければ他人なんて関係ないという、そんな持論。この世の物語に背を向けて、自分の気持ちにばかり目を向けていた子供はどうにも痛々しかった。
私を愛して他人も愛するという発展にまで足りていない、頭でっかちなだけの娘には、しかしずっと近くに優しい兄が居た。
金沢|菖蒲《しょうぶ》。気づいたら失っていた、大切な人。寝入っていたために灰すら見ること叶わず、毎日煙くゆる先にある遺影を見つめるばかりのあの人。
それに、見た目ではなく、その柔らかさが百合と似ていたのでは、と真弓は思うのだった。
はじめて聞いた話に大粒の瞳をさらに開く百合は、身を乗り出して問った。

「えー? 私がまゆみちゃんのお兄ちゃん? ねえ、まゆみちゃんのお兄ちゃんってどんな人なの?」
「あの人は、とても間抜けで、だからこそ優しくって……私を守ろうとして亡くなっちゃった、そんな人」
「あ……ごめんね」

そう、それこそ百合とそっくりな、このお話を元に創られた世界にて、優しさばかりを求められた設定の一つ。とても優しい兄が自分を助けるために亡くなって、脳震盪から来る閉塞ばかりでなく、その辛さからも少女は眠るしかなかった。
そんなバックグラウンドストーリも、しかし当人からしたら辛いばかり。でも、亡くなったという言葉に応じて頭をぺこりとする百合の行動が真弓には分からない。
シングルテールを揺らし、少女は問った。

「どうして、謝るの?」
「えっと、ひょっとしたらまゆみちゃん、お兄ちゃんを亡くしちゃった悲しいこと思い出して辛くなっちゃったかと思って……」
「ううん。そんなことはなかったよ。むしろ、思い出せてあったかかった」

少し大人びた少女はそう、嘘をつく。
実際、喧嘩に車道へ飛び出した自分を助けてくれたあの人の最後の笑みばかりが鮮明で、他に関しては遠い過去のもの。悲しみばかりがそこにあって、でも僅かにあの人の心の暖かさも想起は出来ている。
だからこその、柔和な笑みに知らない百合は喜んで大きく言った。

「まゆみちゃん、お兄ちゃんのこと、大好きだったんだね!」
「そう、好きだったね。とても大切だった。でも、それで終わりじゃないから」
「……まゆみちゃん?」

しかし、当人たる真弓はどうにもそぞろ。何時ものどこかふわふわしたような感じを捨てさり、真剣そのものでその両目は百合を見つめる。
あ、この瞳あたしは好きだなと思う少女を他所に、真弓は続ける。

「私はあの人に助けられた。だから語れる。その影だけでも百合ちゃんに教えることは可能で……でもね」
「でも?」

熱いコーヒーは既に温くなって久しく、そのために喉を通すのすらあまりに簡単。だが、それは本当に潤いなのか。
詰まった胸元はどうしたって、キツいばかりで滞ったまま。ああ、こんなことは言いたくないのに。
でも、本心はここに。だから、怖くて格好つけなくなってしまう。ああ、私には終わりだってロマンだとうそぶいていたけれども、それでもやっぱり失くしたくなんてない。
瞳を落とし、少女は吐露する。

「これから来るだろう全てのおしまいでは、きっと私達は全てを亡くしてしまう。そして、最後の前に私達だって無くなっちゃうだろうから……」
「それが、まゆみちゃんには辛いの?」
「うん。私は変わらず、終わっちゃう世界より百合ちゃんの方が大事。でもね、世界が終わってしまって私が貴女を愛したことすら残らないなんて、そんなの嫌だと思っちゃう」

そう、確かな証が欲しかった。恋や愛。こんなに素敵なものが、何にも伝染せずにただ途切れて無意味。そんな、無情な無常許し難くって泣きたいけれども、涙は出ない。
それは、どうしてだろうかと何時だって思うけれども、湿潤欠品している真弓の瞳は乾いた世界を映してばかり。それが、辛くてたまらない。

「ねえ、まゆみちゃん」
「なあに、百合ちゃん」

勿論、言わなくてそんな苦しさ伝わるわけがない。でも、少しでも辛さを受け取って和らげてあげたい百合の手のひらは真弓の手を優しく包んだ。
その細さは病的で、小さいところにはもう頼りなさしかないのだけれども、それでも温いその生命の全てには意志という炎がぼうぼうと燃えている。
ああ、こんなのきっと葵ですら知らなかっただろう、そう感じる真弓は次の言葉をゆっくり待った。
薄い、少女の唇は再びこう続ける。

「あたしは、葵に言ったよ。奇跡なんて望まないって」
「そうだったね。あはは……あれ、結構葵的には辛い言葉だったみたいだよ?」
「そうだね、でも」

でも。それは接続助詞として使われた。赤い、紅い少女の瞳はどこか終わりの空に似通っていて、次の言葉はきっと決定的な意味を持つ。

それを覚えた真弓はごくりとつばを飲み込み、そして何時しか胸の重みを忘れていた。

「あたしは、葵に居なくなって欲しくなかったから、一片でもあの子を繋げてくれたまゆみちゃんの事が好きだよ。だから、今の私は……奇跡的な世界の続きを望んでる」

そして、彼女は彼女にやっと、そんな告白を続けるのだった。


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