永劫の幽霊、不滅の一枚レイヤ。木ノ下紫陽花は、実のところそのように定義された存在である。
何より静物に似た映像。しかし彼女は幽かにも終わった形であったとしても世界に触れた。だからこその、幽霊。そんな稀など、当然この世に一つきりだった。
だが、そもそも紫陽花は発端が開発者の発想でしかなく、指先の走りにて形となったそんな程度の朧。
ただ哀しみを主人公に与えるための通りすがり。もっとも、葵の持つ奇跡によって永遠を終えられる可能性だって存在したが、そんな運命を味わうことすらなく彼女はこれまで死んでいると思い込みながら生きていた。
今回ルートの外彼女はずっと独りぼっちで、だから温もり見つけたらそれを愛するために殺そうとばかりしていた。そんな誤ってばかりの、人でなし。
だがひとたび創られてしまったのなら、存在を全うしなければならないのだった。
そう、たとえ全てが滅びようとも、少女は幽かに永遠を生きなければならない。
『ねえ、百合ちゃん。ひょっとして、この世界は……終わっちゃうの?』
「紫陽花ちゃん。うん……そう、なのかも」
『否定、しないんだね……』
ひとつ愛おしい者を失った哀しみに夜を歩んで明ける前。おどろおどろしさが、朝日に消えゆくそんな頃。
そろりと、宿主の部屋へと戻ったところ、起床している気配を察した紫陽花は布団に向けて問う。
すると、恒常的な痛みと辛さによる寝起きの不順によって先に起き出していた百合から肯定の言葉が返ってきたのだった。
おおよそ暗い部屋の中、カーテンの端を走る光輝が眩しい。
何時も何時も、優しく受け容れてくれる、彼女。しかし今回ばかりは違うよと首を振って欲しかったと紫陽花は思う。
つい先のことを思い出して泣きそうになりながら、彼女は紫に近い色をした花色の唇を動かした。
『私のお友達……ううん。きっともっと大切だった人、口裂け女の艶子さんが、バラバラになって……朱に飲まれちゃった。あれって、きっと先がけだよね?』
愛すべき口裂け女は、時間は少ないと言った。きっと、あの真面目過ぎた彼女のことだからそれは嘘ではない。でも、そんな時計じかけの世界なんて、おかしい。
しかし、そのおかしさに艶子を殺されてしまっている紫陽花は、決して笑えない。
そして、お化けの妄言に近いそんな台詞を、百合だって笑って棄てなかった。少女は、ベッドからのそりと起き上がってから、真っ直ぐに哀しみを見つめてから、真剣に返す。
「そう、かも……そんな哀しいことが、きっとこれからも続くんだよね」
『どうして、百合ちゃんはそんなこと、知ってたの?』
「友達から、聞いたんだ。あたしには、空に引かれた朱が見えて……それって世界の死線……痛々しい、終わりの始まりなんだって」
『その友達がどうしてそんなことを知っているのか不思議だけれど……嫌だなぁ、そんなこと』
「紫陽花ちゃん?」
紫陽花は、似合わずに下を向く。当然のように、彼女を覆う露が滴り一時だけカーペットを濡らす。まるで、それは少女の涙のようだった。
どうやら百合は諦めていて、そのことは悲しい。でも、そんな大切な者の天変地異に対する一般的な諦観よりも尚、紫陽花にとって嫌なことがあった。
幽霊は、幽かではなく思う。死んで尚続く一生に、これまでつまらなくも寄り添ってくれていた、大切をすら孕んでいたあったかな世界と並び歩くことが出来ないことに。
お化けなんてないさ。そんな文句を聞いたところで紫陽花はあまりに確とある。それこそ、揺らぐ世界よりもなお、終わることなく終わっていて。
だから、落涙をかじかむ指先の力を強めることで堪えながら、彼女は続けるのだった。
『ボクはきっと、終われない。でも、世界だって終わるんだ』
「紫陽花ちゃん……」
『ボクの中に皆は、百合ちゃんは、何時まで残ってくれるんだろう……』
思わず零れる本音。そう、それが幽霊にとって怖い。
花子は言った。死の先には何もないと。確かに、それは奇跡一つない世の無常における真実なのだろう。
ああ、最愛にしてしまった少女、百合。この子となら永遠を共にしたいと思ったのに、連れていけないなんて。
友も花も大切だが、何より大事にしたいのは艶一つすら得ることなく、もう少しで亡くなる少女への愛。
それを失い、自分はどこまで活きれるか。果たして世界の光すら失った後、夢幻の孤独を記憶のみで狂わずに存在し続けられるものだろうか。
分からない。それこそ、不安の種であり恐れの始まり。幽霊は、恐怖に震えた。
『ううっ……』
カチカチと歯を鳴らし、無残にぶれる挿入されたまま保存された一枚レイヤ。そんな哀れなもの、普通一般は愛することだって難しいのだけれども。
「大丈夫」
『百合ちゃん?』
それでも、純粋無垢なまま壊れている乙女は、嘘のような言葉を愛おしき薄弱のために告げる。好きで、だから傷まないで、と手を伸ばすのだ。
そう、たとえ薄命であっても、限度があっても、それが無いことにはならない。
点が線をどれだけ活かすことが出来るかは分からないけれども、それでも大丈夫だよと百合は紫陽花を慰めるのだった。
寄り、幽霊の端に触れ、百合は冷える。だが、紫陽花は今確かな温かみを感じていた。
「あたしはね、永遠なんて知らない。紫陽花ちゃんの孤独を慰めることも、想像することだって出来ない。……けどね」
『けど?』
目を瞑って、そうしたらもう真っ黒のまま。だからまた開いて、前を向く。朧な彼女の泣きそうな表情が改めて映り、でもそれだけだった。
そう、百合は多くものを知らずに、そして想像力だって決して豊かではない。だけれどそれだって想い、生きる者だった。また心に快さを遺すことなんて容易い程、極端に少女は柔らかくってそればかりが自信。
だから、終わりに近い彼女は、終わらない少女に笑顔でこうとだけ言えるのだった。
「幸せだった思い出は、ふやせるかも!」
『えっ?』
少女は空いた片手を大きく開き、キラキラしたその美しいルビーより尊い赤い瞳は星ではなくお化けを望む。
だがそも、星も霊も過去の情報。なら、より活きたものを愛するのが百合にとっての当たり前だったかもしれない。
そっと合わさった手と手は温度こそ違えながらもしっかり組み付き、二人の離れたくないという思いのために力が入る。だが、それでも何時かの別離という未来のために尚恐怖に震えるお化けに、百合は告げるのだった。
「これから一緒に夜を遊ぼう? あたしなんてちょっとくらい、悪い子になったっていいよ。それが、貴女の心を温めることに繋がるなら……いいんだ」
そう、夜中良い子は寝る時間。でも、これからずっとそれに耽って太陽の光を忘れてしまってもいいのだ。それくらいに、この子は大切な家族であり、お友達であり、そして似て非なる鏡。
自分は幸せになれない。でも、鏡の向こうのあなたの幸せを望むのはいいよね。
もう、あたしは無理だから、だから残りを貴女にあげる。
「ふふ」
『百合、ちゃん……』
そんな諦観を隠して、にこりとした百合。それにますます怖じる紫陽花。それは、自分なんかに全てを差し出してくれる、この子があまりに愛おし過ぎるから。
走り出した心は、たとえ身体が死んでいたって止まらない。
これ以上に好きになったらどうなってしまうのか。それが分からなくって遠い未来なんかよりよっぽど怖かった。
『ん、くぅ』
紫陽花は思わず、縋るように益々手を強く握り返し、口の端の肉を噛む。哀を基にした愛は理解不能の高温で、焼け付くくらいに胸に痛い。
最早相手に触れるだけでも狂おしい、こんな想いの名前を知らずにどうして今まで死んでいた。
だが、ああ。今こうして想えたならば、果たして私は生きているに違いない。
『ふぅ』
末期に固定された頬は紅潮しないが瞳は濡れる。燃えに燃えた慕情は、滴る乙女を限界まで沸騰させた。
だから、弾ける。
やがて思いの飛沫は、二人の距離をすら亡くしていくのだった。
『ゆ、り……』
「あ……ふふ」
愛は言葉と成らない。だから、冷たい身を寄せ示すだけ。どうしようもなくって近寄った震える唇は百合の頬を撫で、しかしそれにくすぐったがる様子もないまま、百合は受け容れる。
濡れそぼった髪を撫で、引き寄せる幽霊の力の強さに思いを感じながら、それでも恋ならぬ愛のために、哀悼ではなく少女の永遠の幸せを願って抱かれるままになる。
「それに、紫陽花ちゃんが思い出をずっと忘れないでくれてたら……」
でも、温度の違う二つの唇が一つに重なる前に。
「あたしが冷たくなっちゃっても、それで終わりじゃない」
百合は、あたしを永遠の友達にしてくれたら、嬉しいな。そんな本音を落とすのだった。
返答は、零。ただ、衣の擦れる音が響く。
この日、お化けとお化けは一つになって、そして少女は本物の温もりを知った。
「ふム……」
夜はもう終わる、あと少し立てば世界は明けるだろう。そんな頃合いの闇の欠片にて、思考する怪人が一人。彼の名は、赤マントと言った。赤マントは、数多の怪人たちの中でも古株であり、比較的に力の強い存在だった。
常に言の葉の端っこすらその身に帯びる鮮血と同じく滴り落とす。彼はそんな、怪人の中でも奇々怪々な、理解不能。人に対して赤に青に、黄色。それらのどれが良いかと問い、どちらが選ばれたにせよ傷つけ殺すばかりのそんな定義。
ただ、生きとし生けるものを暗闇で害するばかりの有様は、何もかもに悍ましく感じられ、嫌われたものだったのだが。
「なるほど、コレが終わりカ」
そんな彼は今、自分の足に走り出した終わりの罅をゆるりと覗いていた。みしりみしりと、男の足は次第に無力に呑まれていくのだろう。
さて今の世、妖怪変化は旧すぎる。また、文明の光に照らされた闇は、次第に人の中を求めていた。
その結果、人が想像する恐怖の形はよく分からぬ妖怪ではなく、見知った人に似通うことになる。
他人に対する、不審に恐怖。それが結実したものが、怪人。彼らは時代に乗っかり一時は大いに恐れられたものだったが、それですら今やお化けの一種とされている。
そう、最早彼らはこの世に要らないもの。知らない間にゴミ捨て場に置かれて忘れられてしまってもおかしくない、そんな二軍。当然、そういうものこそ死を前に弱り細っている世界は振り落としていく。
落とされたら、がちゃん。そういう風に多くの怪人たちはひび割れ朱に呑まれるように抗えずに消えていった。そしてその順番は今、赤マントという怪人まで周ってきているようである。
「しかし……この世界は最期に赤を選んだのカ」
路地の奥、汚物の溜の上にてみしりみしりと音が響く。ゴミの直上、赤く仕立て上げたマントは、それどころではないくらいに鮮烈に赫々とした朱色の罅に覆われていった。
心は判らないが、最早身体はガラス。身じろぎどころか生きることすら痛苦にしか成らない、そんなとある誰かの持つ症状に似通り、その先の死すら早々に見えてきた、今。
多くの老若男女に恐怖と死を味わわせてきた怪人は、口の端からごぽりと血を溢れさせながら。
「あはははははッ! なんと都合のいいことなんだろうネ!」
喜色に歪んだのだった。
みしりみしりと音が続く、朱は赤をどんどんと呑み込み、更に朱く朱く、そしてそれは際限なく終わりに近寄って。
「かはハ」
それでも、死なない怪人。暮れに暮れきった朱のマントは朝風にはためいて。
「さあて、終わりを続けようじゃないカ」
全身朱色にひび割れ、三角四角の細かい図形の集合体のモザイクのように成り果てた赤マントは。
「そのためには、この世にグランギニョールを思い出させなければネ」
ぐちゃぐちゃな全身から血の赤を滴らせつつそのまま痛苦を楽しみながら歩み、光の中へと消えていくのだった。
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