五話 デカい安心毛布はカップリング成立の夢を見る

少女は星にならない挿絵 少女は星にならない

その雛は、羽ばたく。空へと向かって。
しかし、何度だって地に落ちるだろう、飛ぶのにその羽根は小さ過ぎるから。
けれども止めはしない。だって、既にインプリンティングされていたのだから。

私の大好きなあの人は飛ぶんだ。だから、私も飛べるはず。

それが、彼女の当たり前。

そして、大鷲に育てられたペンギンの雛は、飛べると信じて崖から飛び降りたのだった。

 

高久田誠にとって、宮永咲はとても手のかかる友人である。
別に彼女は悪性、でない。だが悪気なく考えられないドジをするのが困るのだ。例えば、なにもないところで転ぶのは当たり前。通い慣れていなければ家の近くでも迷うし、放っておけば本に耽って一時間も木陰から動かないこともあった。
そもそも、性質が純粋なのかぼけぼけとしていて人の裏を考えない危うさが見受けられる。これでは、誰かに任せでもしなければ、とても目を離すことなんて出来やしない。
高久田は中学に転入してきてよろしくお願いします、と挨拶がてら下げた頭を教壇に打ち付けた咲を見て直感したものだった、こいつは面倒な奴だ、と。

しかし、その面倒な奴はなんと、自分の席――この時点で百九十センチ近い長身である故に間違っても前の方に座られては困ると席替えくじから外された一番うしろの定位置――の隣――同じく長身の金髪の東京へ転校した親友が座っていた空席――に配置される。
入れ替わりで転校してきた、先に座していた友の京太郎とは似ても似つかぬ小柄な少女は、誠を見上げて一度びくりとして――誠は人相がよろしくない。そのせいででよく喧嘩を売られる。苦手なのに――から、涙目に怖じたまま意を決して声をかけてきた。
まるで小動物だな、全っ然っタイプじゃねえ、と誠は思う。

「よろしく……ね、えっと」
「……高久田だ」
「あ、うん。高久田くん、私は……」
「宮永って言ってたな」
「そう。宮永、咲。あは……さっきは格好悪いところ見せちゃったね」
「まあ、なぁ……」

会話は、そこで途切れる。すると、困ったように咲は視線をきょろきょろとした。きっと話が得意ではないのだろう、しかしここで終わらして相手に悪印象を残したくないから、どうしよう。そんな健気さが透けて見えるようだった。
そんな人間を、別段誠は嫌わない。だが、転校生の緊張をほぐす手助けをする義理はないというのは、事実。
このままだんまりを続けて、額を赤くした咲は女子連中に集られるまでガチガチのまま。それを気にしないのもアリだろう。
だが、まあそんなこと《《アイツ》》はしないよな、と誠は思ってしまう。女子に好かれた社交的な金髪友人を忘れられず、こういうのはガラじゃないんだがな、と背をもたれかからせて椅子にぎいと悲鳴をあげさせてから、なんでもないかのように言った。

「クック、ま、でもいいんじゃねえの?」
「え?」
「最初にボケとくのもありだろ。受けたら万々歳。まあ、宮永のは外してたがな」
「うう……私別にボケたんじゃないんだけど……」
「わざとじゃないなら、もっと上等だろ。天然ってのは強えーからな。お前なら直ぐに人気になるよ」
「そう、かな?」

素直に言葉を受け取り、首をかしげる咲。華美な見目ではないが、確かに少女は花として愛らしい。
とはいえ、大人のお姉さんがタイプ――友と同じく大きなおもち持ちが好み――の誠にしてみれば、京太郎ならこういうガキも範囲内かもな、と思うだけでそんな可憐もどうでもいい要素でしかなかった。
だからただ、少女の疑問に答えることばかりを、重要とする。厳しい見た目をした少年――十四の当時、休日歩いていたところ職務質問を受けたことがある――は力強くうなずいた。

「ああ、大丈夫だ」

間違いないと、彼は彼女の背中を押す。
何しろ、クラスメートは、長野の全学年ひとクラスしかない中学の仲良し二年生たちだ。気のよく格好いい上に運動神経抜群だった男子がいなくなって、火が消えた雰囲気だったが、しかしこれからはこの花一輪できっと変わる。
だから緊張なんて要らないことすんなよと、微笑んだ――悪相すれすれだったがそれで彼の精一杯――誠。それでやっと安心した咲は、それこそ満面にて綻ぶのだった。

「そっか……ありがとう、高久田くん!」

硬さが取れて、少女の緊張は開花の如くに柔らかに蕩ける。笑顔は何より優しげで、魅力たっぷり可愛らしいものだった。
だがこれを受けて、誠はなんかこいつヒロインみたいだな、とただ思うばかり。千金の笑みも、感覚がちょっとずれている彼にとってはそれくらいのものだったのだ。

だからやったのは、ちょっとしたお節介。それに、別に相手を特別好いてもいない。

しかし、見事に咲は誠に懐いた。何かあってもなくても、下心もないこの人なら大丈夫だと思って彼女は彼に付いていく。
インプリンティングされた雛は、ちょこちょこと、時々こてりと転ぶ。

「高久田くん! ……あいたっ!」
「無理にオレの後を付いてくんなって……歩幅が違うだろ、そりゃこける」
「む、それって私の足が短いってこと?」
「クックッ、オレの足が長すぎるってだけだ。気にすることじゃない」
「むぅー……頭に手を置かないでよー」

仲の良い年頃男女。しかし二人の様は彼氏彼女のような微笑ましいものには、残念ながら周りには映らなかった。
愛らしい平凡少女とくっつけるには、誠の見目が凶相過ぎて。実情を知っている友からも、誑かされてんなあれ、と言われるくらいに二人は似合いではなかった。
それにそもそも、二人の間に異性として相手を見ようとする向きが無かった。片方は安心を求めて、もう片方は友の代わり。そんなだから、会話の中で彼の話題も出たりする。

「それにしても……高久田くんって大きいよね。今何センチあるの?」
「ん? そういや、最近百九十まで行ったなァ」
「それだけあれば、ダンクシュートとかも出来そうだよね! 後は、棒高跳びとかすごい記録が出そうかな?」
「あー……オレジャンプ力無いんだわ。つーかそういう運動的なんは京太郎の役割だったしな」
「きょうたろ……って誰?」
「あー、入れ違いだったもんな、アイツはそうだな……うん。スゲェ奴だったな」

誠は、つられて京太郎のことを思い出す。よく考えたらアイツ、スペックとんでもないなと。
見た目は優しげな長身のイケメン。そして運動神経抜群で、なんならハンドボールに至っては県代表だった。それでいて向いている勉強にばかり注力している誠と同程度の学力まで保持していた文武両道ぶり。何より、性格の良さとコミュ力は抜群で。
これまで長野の田舎に封じ込められていたが、しかし東京デビューした今果たして彼はどれだけモテているのか。

「クック……」
「?」

少し空恐ろしさすら感じて、ごまかすようにクックと笑う誠。
そんな何時もの怖く怪しげな感じの誠に、咲はまた何時ものように首をひねるのだった。

誠が普通に歩いている後ろを追いかけ、結果咲が転けてクックと笑われ、時折誠がリスペクトしている友の話をして、それに咲が感化されたりする。
そんな関係は思いの外長く続いた。

「あー。また咲。お前と一緒か」
「え、ホント? 私受かってる?」
「クック……そうだな、お前ほどチビじゃあ人混みで見えないかもしれないが、オレからしたら、受験番号全部丸見えだ。咲は97、だったよな?」
「そう、それ! よかった……」
「……まあ、またよろしくな」
「うん!」

そう、それこそ二人の縁は清澄高校に受かってからもずっと。

「あの子が……」
「決勝で全員トバして嗤ったっていう……」

周りが少女に対する目を一部畏れに変えたところでも変わらなかったのだった。

「クック」
「あはは」

魔王、とすら称された強さを持つインターミドル麻雀チャンピオン、宮永咲はだからこそ、中々巣立てなかったのかもしれない。

 

だがその日、運命は少し変わる。
慣れない混雑した車内、ドア側の咲をその長駆で人混みから庇いながら誠は零す。

「にしても、急に東京、とはナァ……それも親父さんに黙ってとは、ロックだ」
「だって……」
「分かってるさ。こっそり姉ちゃんの姿を見たいってんだろ? ……どうしてその程度がお前ん家のタブーっていう理由までは、聞かねえよ」
「ありがとう」
「だからって、オレの休日が咲のお守りに消費されるってのは遺憾だがな! ったく、お前がおもちのデカいネエちゃんだったらナァ……こんなぺったんこじゃ、臼と変わんねえよ」
「……もう! 高久田くんがモテないの、そういうとこだと思う!」
「ククッ、残念だな、大人しくしててもモテねぇのはモテねえんだよ!」
「……ごめん……」
「……謝んなよ」

休日、遥々東京へと男女二人で向かう電車内。そこでこんな会話で沈痛な雰囲気になってしまうくらいには、二人にその気はない。
そう誠にとっては、これはデートでもなんでもなく、ただ少女の願いを叶えるための、お守りでしかなかったのだから。
アイツならやるだろうな、と思ってしまっては負けてられずに優しくしてしまう。そんな優しい癖が付いた彼は、最早ただのいい人だった。

「えっと、こっち?」
「そっちは逆だ……ったく笑えない方向音痴だな」
「えっと……なら、こっち?」
「はぁ……地下に行ってどうすんだって……」
「うう……ごめんね?」

間違い続けて、下からごめんねと涙目で何時ものように見上げてくる小動物。その気持ちに寄り添う余裕も、今はない。
駅から発ち、勝手にどこぞに向かおうとする咲を抑えながら、携帯アプリを駆使する誠は結構疲れていた。
そして、アプリで調べたところ情報量が多すぎて、田舎人の彼に東京の地理はぶっちゃけ分かり辛い。
もう格好つけることもないか、と面倒になった案内してもらうために電話をかけはじめる。咲は、驚いた。

「え? 高久田くん、誰に電話してるの?」
「京太郎だ。しかし、アイツと咲の姉ちゃんとガッコウが一緒とは、ラッキーだったな」
「え? 噂の須賀君? わわ、どうしよう、私化粧もしてないのに……」
「素顔で平気だって……テレビカメラ前にしたおばちゃんか。お前の中の京太郎はどんなスーパースターなんだよ……もしもし?」
『……もしもし? 誠?』
「ああ。ちょっとすまんが――」

メッセージアプリに出ないが故の、通話。誠が薄々察していた相手の忙しなさを裏付けるように、電話に出た京太郎は誰かと買い物中で忙しいのだと語った。
しかし、聞くに近くにはいるとのこと。ならば、と用事を曲げてこちらに来てくれないかと誠は頼んだ。
しばらくして――相手に大丈夫か訊いたのだろう――平気だとの返答があった。スピーカーでそれを聞いていた咲も笑顔になる。
後の、展開も知らずに。

「マジか」
「――え?」

そして、待つこと――やたらと咲はそわそわしていた――しばし。
やって来た京太郎を見た二人は、次に引き連れて来た相手を認めて、目を点にする。

「おう、久しぶりだな。誠! で、案内して欲しいっていうのがその隣の子か?」
「……咲?」
「おねえ、ちゃん……」
「あー……まさか京太郎と噂の姉ちゃんが知り合いってまで想像してなかったわ」
「え?」

そう、京太郎は宮永咲の目的の相手である、宮永照と一緒だった。
紙袋を大事そうに持っていた、以前より短く髪を揃えている様子の姉の元気な姿を見た咲は目を潤ませて寄っていき。
反して、恐れていた妹の姿を《《観て》》しまった照は、弾けるように背を向け駆け出した。

「っ!」
「お姉ちゃん、待って!」

そして咲も続こうとして。

「っ!」
「お前が、待てっての」
「だって、だって!」

襟首ひっ捕まえられ、誠に止められる。彼は、慌てる咲をみつめながら、言った。

「だってもクソもねえだろ。姉ちゃんも大概速くなかったがもっと運痴の咲じゃあ追いつけねえよ。それとまずアレだ……説明しろ。オレもそうだが何より京太郎が困ってるぞ?」
「まあ、そうだな……ちょっと、話してくれると、嬉しいな」

なんだか不明だが、何か皆が慌てるような大変なことが起きている。そして、それは部長と、この眼の前の少女に因しているようだ。ならば、真剣になろう。
途端にきりりとした表情になった京太郎は、優しく咲を見つめる。ぽうっと、少女は彼を見上げた。

「……えっと、あなたが、須賀京太郎、君?」
「そう、だけど……ああ、誠の友達なら、俺のことを知ってて当然か。君の名前は?」
「宮永、咲……」
「宮永……咲ちゃん、か……なるほど部長の妹、か」

真っ直ぐに京太郎は咲を見つめて、照の面影をみつける。
つまり、それはそれは真っ直ぐに、柳眉に通りの良い鼻筋も近く、少女は整いを見せつけられたのだった。
あ、これいつも見てるのと違う。思わず、咲が頬を染めるのは仕方ないことだった。

「うぅ……どうしよう、本当に格好いい……」

小さく呟く、咲。胸のときめきを抑えきれずに、顕になるは乙女の表情。
聞いて知ってはいた相手に、一目惚れ。そんな漫画みたいなことが自分に起きるなんてと咲は思い、何か考え込んでいる京太郎を前に身を縮こまらせる。

でも、紅は一向に引かず、熱はむしろ高まるばかりだった。

そんな向かい合う二人を見て、多くがカップルかなと思って通り過ぎる。凸凹こそがぴたりなら、なるほど二人は似合いなのだろう。

 

「ククッ。なるほど、な……」

そして蚊帳の外から誠は、京咲はありだな、と確信するのだった。


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咲‐Saki‐1巻
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