大星淡は、星星が好きだ。
太陽はおっきくてあったかいし、月は満ち欠けが綺麗。地球だって、とても大切な私達の世界だってことも分かっている。
しかし、夜空というカンバスに思うがままに光を散らしたかのように細々とした星星一粒一粒こそが、淡にとっては空を見上げる一番の理由だった。
キラキラ、星星は届かない。光り輝く全てはただひたすらにキレイなだけ。けれども、だからこそ愛おしかったのだ。
「だって、手を伸ばし続けたくなるじゃん。好きなの。須賀だって好きな人の名前くらい覚えてるでしょー?」
須賀京太郎の、どうしてそんなに星のことばかり諳んじれるんだ、という質問に対して淡はそう答えた。
天の川より大いに光を孕んだ彼女の瞳は希望にきらきらと零れんばかりに輝く。
思わず見とれた京太郎だったが、しかしこの《《中学からの馴染の少女》》が、ポンコツであれども魅力的であるのは何時もの通り。
今日も今日とで淡は我が道を往く。授業中に騒ぎ出した彼女にまたかとため息をついた教師の表情にも気付かずに。
「たとえばねー、このはくちょう座にある星なんてとんでもないんだよっ。太陽なんて千六百個並べたってダメでさあ……」
「あー、そうか……」
何やら図鑑を取り出して、ベテルギウスだのUY星だのの魅力を語り出した、その新たな一面に京太郎は藪をつついてしまったかと反省。
「一等星くらいは須賀も知ってるよね? たとえば星座から一等星がなくなっちゃうと寂しいものだけど……まあ、光り輝くばかりが偉いってわけじゃないの。それでね……」
「あ。そっか」
「え?」
愛しのアイドルを語るかのように頬を染めながらよく分からないどうでも良さそうな星星の詳細を流暢に語る淡に、しかしふと彼は思う。
そして、思いついたことはそのまま口にしてしまうのが、よくも悪くも京太郎らしさ。
まるで名案を口にするかのように、彼は身を乗り出してきた話し相手に目をパチクリさせる彼女に、言った。
「そんなに好きならさ、部活創っちまおうぜ」
「創る?」
「おう。この学校って天文部、確かなかったよな。でも、創部が禁止ってことはないだろうし、淡だってそろそろ勧誘され続けんのも嫌だろ?」
「創部かぁ……しかも天文部。なにそれ、面白そー!」
感激に淡は、何やらわさわさとそのふわふわ長髪を興奮させる。
現段階で、彼女は届け出やら必要な部員数などの面倒は考えていない。星を見上げる時間が増えるかもしれない、そのことにばかり目を引かれて枝葉末節はもはや脳裏になかった。
気分屋なところがあり好きなもの以外に目もくれないために部活動とは疎遠な一年生である淡と同じく部に入っていない京太郎は、続ける。
「ああ、そうだどうせなら俺も部員にしてくれよ?」
「えー……別にいいけどさぁ……須賀って星のことそんなに興味なさそうじゃん」
「とはいえ、他に興味があるものだってないし……それに、俺も一々運動部に勧誘される度にケガのこと話さなくていいっていうのは楽だしな」
「あ……」
淡は、素直に目を伏せる。
京太郎には現在興味あるものがない。それはそうだろう。何しろ、今彼は中学の三年間をかけて努力した大好きなハンドボールが怪我によって出来なくなっているのだから。その右手がもう肩より上がらないことを、彼女は知っている。
淡は思う。もし、自分から星が取り上げられてしまったら、そんなの泣きたくなるくらいに悲しいことだと。
優しい彼女は少し涙ぐんでしまったが、そんなのを無視して努めて明るく、京太郎は言うのである。
「それに何より、淡と一緒に居たら退屈しないだろうからな」
「……ふふんっ! それはそうだっての。淡ちゃんは凄いからね。面白さだって高校100年生分くらいはあるんだから!」
「高校100年ってどんだけ留年して老成した面白さだよそれ……っと」
「もー、揚げ足取らないの! あのねっ」
雑にツッコミを入れる京太郎に、それでも淡は元気全開のなまま。
そしてブレーキ知らずの状態で、授業中だということすら忘れて叫ぶのだった。
だって、ふわふわ空の上ばかり見ていたばかりの淡は、右も左も分からない。だからこそ、これからも彼に頼るためにと大胆なことを口にする。
「とにかく須賀は私と一緒にいればいいのっ!」
周囲に完全にカップル認定された京太郎が頭を抱えることになった、そんな原因の一言を発した淡は、まるで恒星のように光り輝いていた。
「ふぅん。それで、天文部を創部できなかったからって文芸部に入ってきたんだ……君たち面白いね」
「ほら、須賀ー。先輩にも面白いって言われたよ! これは私の高校100年生分の凄さが出ちゃったかな?」
「いや、淡は喜んでるけどこれ多分褒められてないぞ?」
「ううん。褒めてるよ」
古い本の山の側にてパイプ椅子に座りながら訳されていない本を読む、大人しい女子生徒。
いかにもな文芸部らしさがある光景を前に、しかし京太郎と淡は何時もの通り。話を大人しく最後まで聞いてくれた文芸部の三年生――宮永照といった。文芸部唯一の部員らしい――は、そんな二人を《《鏡》》と実の目で認めてにこりと微笑む。
「それじゃ、淡ちゃんに京……ちゃん。よろしくね」
「こっちこそよろしく、テルー!」
「いや、どうして俺まで先輩に最初からちゃん付けなのか分かりませんし、淡は相変わらず軽いな……」
「ごめんね。京太郎って意外と呼びづらくて……噛みそうになったから、京ちゃんにしたんだ」
「可愛い理由ですね……淡と一緒で須賀呼びでいいですよ?」
「それはフレンドリーさに欠けると思う。京ちゃんも照ちゃんって読んでいいんだよ?」
「分かりました、部長」
「がーん……」
「あー、須賀がテルーをいじめた!」
素直にぷんぷんぎゃーぎゃー言う淡の隣で、京太郎は宮永照のおかしさを見つめる。
普通ならこんなに拙速に距離を縮めようとしてくる下級生なんてうざったがられるのが然り。
それをこうも《《当たり前のように受け容れる》》なんてよほど器が広いのか、或いは何か裏があるのか。
「いい子たちだね」
まるで大切な一つ星を庇うかのように隠れて真剣にしている京太郎を認めた照は《《改めて》》そう思うのだった。
その後。
照が独り持て余していた部費を使って購入した望遠鏡で揃って星を見上げたり、天球模型を持ってきた淡が京太郎に毎日それを用いたクイズを出すのを趣味としたり、大人しく三人で本を読み耽ったり。
そんなこんな日々を送ってから、最近ハマったのだと言って麻雀牌を持ってきた京太郎が三麻をやってボロボロに負かされたことがあった。
明らかに手加減をしていた照に、教本を持ってあーだこーだ言っていた淡にまで完封された京太郎は、絞り出すように言う。
「はぁ……麻雀強いのな、二人共」
「それはもう私は……」
「高校100年生だから、か? まあ淡は適当にやって和了ったって感じだけど、部長は凄いですね。無駄がないっていうか何というか……上手でした」
「うん。でもこれは昔とった杵柄」
「はぁ……麻雀部に入っても活躍できそうな感じでしたけど……」
「私は麻雀それほど好きじゃないから」
「なるほど」
京太郎は、その言葉に納得を覚える。好きと得意が違うなんていうことは当然のようにあり得ること。
それに何しろ、宮永照という少女は淡々と――ときにダイナミックに――打牌をする先の姿よりも、静かに本と親しむ姿の方が似合っていた。
また、正直に言えば照が麻雀部に行ってしまうと、とても寂しい。このぽんこつ2(1?)号な先輩のことをすっかり好きになってしまったことを、京太郎は感じるのだった。
「んー……でも、私はちょっと麻雀に興味あるかも。いっそのこと、麻雀部に殴り込みをかけてみて……」
「止めたほうがいいかな」
「部長?」
反して、麻雀というものに興味を持ち始めた淡は、実力を確かめたいとそんなことを言ったが、照に止められる。
頬を膨らまして、淡は反発した。
「えー、多分だけど、私きっと負けないと思うよ?」
「うん。私も負けないと思う」
「なら……」
「だからこそ、止めたほうがいい。勝ち続けて……でもそこには京ちゃんを連れていけないよ?」
「須賀を? ……ふーん」
訳知り顔で、不明なことを述べる照。どういうことだと考える京太郎に、しかし淡は特に悩むこともなく答えを出す。
あっけらかんと、笑って。少し瞳の輝きを曇らしながら、淡は言った。
「なら麻雀なんて止めよっと」
そうして遠く旅立たずに。だから、彼女は今日も星を見上げる。
「ねえ、京太郎」
「どうした、淡」
「もしもさ、私が遠くに行っちゃったらどうする?」
「そりゃあ当然、付いて行くに決まってるだろ」
「それが出来ないなら、どうするの?」
「出来なくても、どうにかするさ」
「ふーん。頑張るんだ。私のために必死になるんだね――――私には、それが嫌だったんだ。京太郎にはね、ずっと笑っていてほしくって」
「あは。そのためなら、私に翼なんて要らないんだ」
そう。彼女は今日も、彼のために背中の痛みを我慢し、笑うのだった。
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