夢幻。それは、創造に至らぬ想像。とりとめもない、不確か。
夢は消えるもので、幻だってそれと同じ。だがしかし、強度が違うばかりで、ひょっとしたら現実もそれらと変わらないものではないか。
胡蝶の夢。邯鄲の夢。主体は果たしてゆらゆらと、思考を待っている。
風見幽香は花の具現である。それだけであったら、神や妖精と分類されても良かっただろう。
だが、実際彼女は最強の、それこそ悍ましいまでの力を持っていたため、妖怪とされた。 常に輝く美しさを揺らがす幽香。闇より光が力強く美しいのは自然であると、幻想の花冠はときに語る。
「へぇ。人間を守る妖怪ね……中々面白いわ」
「そうなの? まあ、おかーさんは優しいから!」
「でも幾ら相手が優しかろうと、貴女は人の子。貴女は母が妖怪でどうして笑えるの?」
「うん? だって、おかーさん、温かいから。あ、でも身体はちょっと冷たいかな? 手を触ると何時もひんやりしてて……どうしてだろ?」
「ふぅん……子だけあって、温もりで安堵しているのね」
また幽香は他者の反応を好むところがある。
力持ちでありすぎるために触れ合いのその具合は虐めと殆ど同じものになりがちではあるが、しかしこのようにただのおしゃべりだって少女は嫌いではなかった。
脅かすようになってしまえばこの子供は泣いて話にならなくなってしまうかもしれないから、柔らかく。そのように珍しくも気を遣って幽香は魔理沙と話していた。
「お母さん、とやらは意地悪はしないの?」
「えー……そういうのは、あんまりないけど……私じゃなくて霊夢とかレミリアちゃんに構ったりしちゃうところは、なんだかなって思うなー」
「ふぅん……貴女という一人を定めた守護者でもないのね、その妖怪は」
「誰にも優しいの! でも、それって多分大変だよねー」
「ええ。八方美人を貫くには、背中の痘痕を隠し通す覚悟が必要。ましてやそれが妖怪なら尚更ね。やっぱり、面白いわ」
「はっぽ? よく分かんないけど、おかーさんは綺麗だよー」
「そう……ふふ。美しさも、愛が故であってもいいのかしらね……まあ、私は違うのだけれど」
また、その題目があまりよく知らない親という生き物のことであるからには、中々飽くことはない。
にこりにこりと目を細め、幽香は小さ過ぎる星屑の少女を見つめながら話を聞く。
幽香は天辺の上澄みより生まれ、妖精と混じりながら太古を生き、そして自然の歪みとなってもなお力長じさせ続け、結果どうしようもなくなりどうされることもなくなったために、異界を作ってこうしてうつらうつらと生きているのだった。
そんな彼女に親とすべき存在なんて生じた偶然を生んだのだろう創造神くらい。しかし、神から親の温もりを一度たりとて味わったことのない幽香にとって、神の存在すらとても信じられるものではなかった。
だから、自分に生まれた意味も、そこに愛すらもなかったのだと風見幽香は思っている。
「愛?」
「そうね、貴女の母が貴女に与えているのは愛なのだと思うわ。よく、知らないけれど」
「おかーさんが愛してくれてるなら嬉しいけど……幽香はそれ、知らなくていいの?」
「うーん……正直なところ、気にはなるわね」
故に、彼女は一度くらい親の愛を見知りたい気持ちもあった。
風が種を運ぶのが偶然だとしても、生じたことに意味が欲しい。それは人型を採っているが故の独特の願望かも知れないが、しかし今の幽香はこうも思うのだ。
「私は私。けれど、それだけではつまらないこともあるわね。一人で足りてしまっては、眠くなるばかり」
「眠いの?」
「大体ずっと、眠いわね。だから、気付けに誰かをひっかいてみたりもするけど、それだけじゃあ足りなくて。ふぁあ」
弱きものたちの悲鳴の目覚まし。世界をひっかじいてそれを続けることすら怠くて堪らない。だから、館の中でこのところ幽香はずっと寝ていたのだ。夢幻世界は実のところ彼女の夢の産物が発端である。
現実すら犯す少女の夢想は、双子の悪魔すら孕んだ。だがしかし、そんなことすらどうでも良いと、最強は欠伸をしながら呟くのだった。
「夢の中はいいわよね。何も考えなくて済むから」
「えー、つまんないよ!」
「そして、魔理沙。確かに貴女の言うとおり、主体ぼやければつまらなくもある。でも、現実だって面白くなくって……貴女ならどうする?」
「うーん……」
最強最悪の前で、幼い少女は腕を組んで考える。
その答えを、風見幽香は大人しく待った。
さて、そろそろ結論の時間だ。この暇つぶしは価値があったのか、そうでないか今この蕾のような唇から答えが出る。もしそれがつまらないものであったならば、一重に潰してなかったことにして再び眠ってしまおう。
そんな恐ろしげなことを、幽香は考えていた。
だがしかし、たった一人の星の少女がつまらないわけなどなく、そもそも退屈は常に刺激を求めている。だから、彼女の言葉に彼女が目を瞠ったのは、当然のことだったのかもしれない。
「なら、私が幽香の友達になってあげる!」
「――――へぇ」
それは無知の真心、屍の花に向けた友情という名の本気。
勿論、そんな小さなプレゼント、いらないといって台無しにしてしまってもいいだろう。
だが、果たしてキラキラ瞳輝かせる少女の隣に価値がないなんてことはあるだろうか。
これは弱くて、私は強い。気が向いたら容易く消せる落書きみたいな相手と肩を並べるなんて、遊びにすらならない退屈かも知れないが、だがしかし。
「面白い。それ、いいわね」
「でしょっ!」
最強という孤独な現実に目を瞑って、夢に逃げるよりもよほど良い。
夢幻にてうつらうつらとしていた幽香は目を覚まし、ようやく少女は彼女の視界で像を持って。
心もって、その愛らしさを痛いくらいに感じるのだった。
「わーい!」
「さて、霧雨魔理沙。貴女は私に何をもたらす?」
独りごちる幽香。
そう、彼女は友情の成就にきゃっきゃと周囲を駆け回る少女を一人の友としてじっくり見つめるのだった。
博麗霊夢という少女は人間の中で大凡最高の出来をした巫女だ。
力を込めずとも思うだけで空を飛べ、祈祷せずとも挑むだけで悪霊は四散する。
彼女の親代わりである先代の巫女も大概優れた女性であったが、その視線から見ても霊夢は抜群。死の床でも未来に安心を覚えるくらいに、霊夢という器は強力過ぎた。
だが、如何せん、霊夢は未だ子供。感情に振り回されずとも、覚えたその気持ちに耐えられないことだってあった。
そして今回、それははじめて味わったものであるから、尚更。
「はぁ、はぁ……」
言葉一つ出てこないくらいに息は荒れ、顔も意気すらまともに持ち上がらない。
反して笑顔の最悪、幻月は無傷でその強さを誇っている。
少女が天使のような悪魔に覚えるのは無力。何を足掻こうがどうしようもない相手に、生まれてはじめて霊夢は出会った。
「ふふふ」
今は、意気消沈した霊夢を観察することに時間を使っているが、本来弾幕を張るというそんなレベルではない高密度を天から地まで一重に幻月は広げる。当然、眼前を疾く埋める力の輝き達を回避するのは不可能に近い。
それこそ、霊夢とて巫術に博麗の秘儀を用いてようやく逃げて回れただけなのだから、これはきっと無理に近い難度なのだ。
皮膚に一度掠っただけで肉ごと持って行かれかねない熱量を煌々と放つ少女の力は月より太陽が近い。
血だらけの健闘すら許されない、恐るべき悪魔。我が神にすら足を向けて寝こける霊夢ですら、幻月に対しては一時たりとて目を離すことすら許されなかった。
「はぁ……あんた、何よ」
「私は悪魔。そして、とある妖怪の夢幻でもあるわね。お嬢ちゃんは、ちょっと私に出会うのが早すぎたみたいね」
「そんなこと……」
否定しようとして思わず口ごもる、霊夢。
相手とは生来の負けん気を持ってすら敵わないほどの力の差がある。だが幻月の言うとおり確かに、後一回り自分が強くなっていたらそれでも戦いにもなるだろう。
しかし、現状どうやったところで力が足りない。頼り続けた陰陽玉はもう輝きの殆どを失っており、また能力に頼ってありとあらゆるものから浮くことすら、怖気によって維持出来そうもなかった。
ひょっとすると、次に相手が弾幕を広げたその瞬間に、霊夢という存在は光に呑まれて消えてしまうのかもしれない。
誰も知らない場所で負けて、何に看取られることなく終わるなんて認められるはずもないが、だがしかし。
「母さん……」
ああ、死が唐突であるなんて、霊夢は既に知っていた。昨日微笑み合っていたあの人が調子を崩したのはあっという間。そして、先代の巫女は闇に飲まれて帰ってこなかった。
また、それだけではなく、これまで彼女は里に降りるまでに何度死骸の供養を行ったことかも分からない。
楽園の中でも死は本来身近であって、幸せな人生なんていうものは飛沫の夢のようでしかないのかもしれなかった。
「ふふ」
それは天使のように、しかし悪どく白鳥の羽根を揺らがす。
悪魔は次に撃ち込むつもりの弾幕を残酷なまでに美しく、フラクタルに空に並べた。挫けた少女を前にして、何感じることなくとどめを刺すために。
後片付けは妹任せで構わないだろうと、嗜虐的に笑みながら、幻月は続ける。
「ま、これでも、私は妹と二人で幽香一人前なのよね。貴女はそんな私の半人前にも届かない」
「……あんたの更に、上が居るっての?」
「ええ。私を差し置いてこの夢幻世界の主である大妖怪。最強とは風見幽香のことよ」
「……困ったわね」
霊夢も言の通り、参ってしまう。最悪の上に最強がまだ存在したとは。化け化け退治の延長線上に最強が待ち構えていたなんて、勇んだところでとんだやぶ蛇。
この悪魔に勝たないと生きて帰ることすら出来ず、そんな無理難題を越えたとしても、まだ上の敵は居て。思わず笑ってしまうくらいに、事態は絶望的で。
「ふふ、いいわ。やってやろうじゃないの……」
「あら?」
だからこそ、博麗霊夢は折れた心を基に、再び前を向いた。
鄙びた様子一切ない綺麗の装飾に埋もれんばかりの美しい世界を否定するため、天使の羽根持つ悪魔を睨んで。
「だって、私は負けられないんだ」
震える身体を強く抱きしめながら巫女としてそう、言い張るのだった。
神の供物、人柱。博麗の巫女をそう呼ぶ者だっている。だがそんなこと知ったことか。
いくら侮蔑されようが、哀れまれようがそんな奴らだって守ってやろう。
何しろ私は死ぬまでそれをやりきった、何より尊敬する先代の巫女の娘。
「好きで、私は私をやってるんだから」
そう、私は私。ただの捨て子だったけれども自ら選んで成った、今代の博麗の巫女。
幸せになりなさいと、母は終わる前に言った。涙一つ流さず、彼女はそうして真摯に私の未来を願って逝ったのだ。
そんなの貴女が願わなくてもなるつもりだったけれど、でも今私は決めた。こんな悪魔に最強になんて負けず、私は幸せになってみせよう。
それこそ、貴女の娘だったからこそ幸せだったと言い切れるように、末永く。
「かかってきなさい!」
霊夢はまるで、神に身を差し出すかのように手を広げて構えた。
「ふふっ、貴女面白いわね」
面白い。言は同じくともそれは、幽香が魔理沙に感じたものとは真逆。興味と正対した感情を覚えた幻月は、裂けるほど口を開いて笑んだ。
ああ、これはなんて面白い形をした、たんこぶなのだろう。恐怖に打ち克つ愛なんて、気持ち悪くてしかたない。
なら、この上なく無情に跡形も残さず消し去るのは当然。力で圧すだけでは物足りない。もっと定めて集めて極めて。
「これを見てもそう言えるの?」
そうして出来上がるは力の塊。閃光を窮めたこれは、最早弾幕ですらない直線を発するだろう。だが、それを伸ばして揮えば果たしてこの場に残るものなど欠片もあるだろうか。
「ええ」
力渦巻く溜め込んだそれを少女に向ける。だが霊夢の瞳には焦りが見えない。
そして帰ってきたのは云。なるほど、この子供は真に勝利を夢見ているのだろう。最凶の前で、愚かしくも。
ああ、なんてそれは、愉快で、面白すぎて笑えない。苛々する心を抑え、ただ幻月はこれだけ言った。
「さあ――――消えちゃいなさい」
言葉に応じるは、力の万華。スペクトルの花束を無理で重ねて爆発させたその威力は、幻想をすら焼き尽くす。
空気が湧く。影は焼き付き、幻月以外の周囲全てが燃え尽きる。赤青黄色、それどころではない多色は爆発的に霊夢に向けて真っ直ぐ広がっていく。
それは希望をすら粉々にする閃光。悪夢じみたその圧倒的な白光は。
「夢想天生」
「は?」
たった一人の少女の夢想に掻き消えるのだった。
空隙。沈黙の中、崩れ落ちる少女を紅が抱き止める。
「お疲れ様、霊夢」
「母さん……」
幸せになろう。愛を知っても私は私。博麗霊夢はそんな、夢を見た。
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