第四十四話

霧雨魔梨沙の幻想郷表紙絵 霧雨魔梨沙の幻想郷

さて、春夏秋冬の花々が一斉に咲いた、此度の異変は魔梨沙の活躍により終焉した。
ただの体当たり。痛み一つない抱擁、優しき愛なんかで墜ちてしまった幽香は照れてしまったのか随分と少女の隣に居辛そうにしていたが、開き直ってからはむしろべったり。

「幽香ー」
「何、魔梨沙?」
「なんだか近くないかしら?」
「あら。今回の異変の首謀者の私から貴女は目を離して平気ということかしら?」
「別にあたしは安心しているから平気よ? それに……この手のひらの握り方は何かしら?」
「外から来たらしき本では確か、恋人繋ぎとか呼ばれていたわね」
「へー。幽香ったら物知りね」

それどころか、幽香は肘までぴたりとくっつけ合い、恋人繋ぎまでもを敢行する始末。
なるほど強いとはこういうことかと感心する一部に、しかし年若い少女らは反発を選ぶ。特に、妹分としか認識されていないと自認している二人は嫉妬が顕著である。
負けっぱなしの巫女は、それでも最強次点の花妖怪に対して、激昂しながら言い張った。

「何が物知りよっ。魔梨沙もこの発情を操る妖怪から離れなさい! このままだと何されるか分かったもんじゃないわ!」
「ふふ……巫女は潔癖ね。何、私だって花の大事くらいは知っているわ。とはいえ、花の盛りも短いもの。この子が枯れる前には愛でてあげたいわね」
「はぁ……こんな幽香って初めてね。魔界に来たときから傍若無人とは思っていたけれど……魔梨沙、純真な貴女に幽香は合わないわよ?」
「うーん、そうかしら? あたしはそんな綺麗な子じゃないし、こんな面白い幽香も好きよー」
「なっ!」
「はぁ……また呑気なことを……」
「ふふ……今日は美味しく酒が飲めそうね」

能力による無理から離れたため、夜明けには落ちるだろう花卉の盛りを愛でるという名目で魔梨沙が開いた慰労の宴会にて、中心は過剰な程に盛り上がる。
ボロボロを通り越したために着替えてきたばかりの魔女は、美しき幻想の花々に囲まれ、正しくフラワーブーケの中心。
彼女らの呆れと愛を一心に浴びながら、酒類一滴も口にしないまま優しげな雰囲気に酔って、頬を緩めるのだった。
知らぬ間にやって来ていたらしいたった一人の妹が玄関先に置いてくれていたきのこの佃煮に舌鼓を打ってから、魔梨沙は微笑んでこう続ける。

「それにしても、随分と宴会のメンバーも増えたものねー」
「……そろそろ神社の定員超えそうよ? 何人か追い出してやった方が良いんじゃないの? 特にその花妖怪とか」
「霊夢、仲間外れはだめよ? それに皆綺麗で、鋭いものを持った子たちばかり。この殆どに勝ったっていうのだから、幽香ったら凄いわー」

くっついたまま中々離れない姉貴分に、険を隠さぬ霊夢の文句を柳のごとくに受け流してから、魔梨沙は改めて驚きを噛みしめる。
彼女も風見幽香の強さというものは知っていた。だからとはいえ、強いというだけでこんな反則たちをルールの中にて仕留め得るとは、魔梨沙も最強という自称は伊達ではなかったのだと頷いてしまう。
しかし、花は緩んだ口元の弧線を更に柔和なものに変えてから、こう呟くのだった。

「ふふ……そんな私を墜としたのは、三千世界に貴女一人ばかり」
「うーん……途中であたしったら飛びつくなんて変なことしちゃったから……もっと普通にやっていたら、多分強い幽香が勝っていたわー」
「でも、私は無防備な貴女を攻撃できなかったし、きっとこれからだって無理でしょう。いくら強かろうが私が貴女には勝てないわ」
「そうかしら?」

最強からの褒め言葉に首を傾げる、最愛。幻想の天辺に咲く一輪は、どこまでも優しげにとぼけた様子のそんな魔梨沙を真っ直ぐ見つめていた。
赤いリボンを左右に忙しなく、現実に首を振った霊夢は負け犬が何をと思いながらも苛立たしく口を開く。

「はんっ。惚気っていうかあんたったら、とんだ弱虫ね。戦いもしないなんてそんなのただ嫌われるのが怖いってだけじゃない」
「そうね。私は何より霧雨魔梨沙から愛想つかされてしまうことばかりが恐ろしい」
「……だからって、不戦勝?」
「いいえ、私は知らずにとうの昔に負けていたわね」
「はぁ……鈍感というか頓馬なところだけコイツも魔梨沙に似ているのよね……」

霊夢が砂糖を吐くような心地になるのは当然か。
結局、今回の異変は魔梨沙に惚れていた幽香が彼女の前で格好つけようとして失敗したばかりのこと。
力に恋する少女に最強を魅せるというのは良いアイディアに思えなくもないが、しかし当の魔女が最強をただの力の権化と見ていなかったのは、彼女の唯一の誤算だっただろうか。

レミリア、幽々子、萃香、永琳。力ある少女たちの視線を存分に集めながら、幻想の花に告白をした魔梨沙はそれを知らず今度は先と反対に首を傾げる。

「んー。あたしが幽香のこと嫌いになるなんてないと思うけれどー……」
「……そういうことじゃないわよ、魔梨沙。幽香は……」
「アリス?」
「はぁ……そんなに他人に語られたくないなら、自分で語りなさいよ、最強さん?」

可能な限り単純化したならば、騒動の全ては花と恋の二文字で語れた。
とはいえ、そんな無骨な説明を愛する少女の耳には入れたくなくて、幽香は威圧。
三界の主ですら単純な出力では負けると言わしめた者の威に背筋をぶるりとさせながらも、アリスは揶揄を止められなかった。
憧憬を覚えてすらいた最強のこんな情けない姿、中々見たくないものであるから。

しかし、性格の悪い花妖怪は、こんなことを魔梨沙へと問う。

「魔梨沙。貴女は花が好きでしょう?」
「ええ、そうねー。特に、綺麗な一輪を誰より先に見つけられた時とか、嬉しいわー」
「そう。ならいいわ」
「? どういうこと?」

花は少女で少女は私。そんな傲慢な自認を持って、慰めとする。
風見幽香は強かであるが、それでもあまりに一方的なこれはあまりに寂しくはないか。
満足を恐れる一輪にその保有する強さを忘れて、結局何も分かっていない魔梨沙を含め、霊夢は頭を抱えざるを得なかった。

「はぁ……私、こんなのに負けたのよね……修行とか考えたくもなかったけれど、流石に鍛え直したくなってきたわ」
「そうね……私も幽香相手にただ力をぶつけ合うだけでは無理でも、弾幕ごっこならやり方次第ではもっと戦えるとは思うし、何か考えないと……」
「あ、それならあたしも手伝うわ! 一緒に幽香に勝つ方法考えましょう?」

何やら妹分たちが悪巧みしている。それを面白そうと思う稚気が霧雨魔梨沙には多分にあった。
先までの執拗なまでに繋がっていた指先すら忘れ、幽香から離れて彼女は遊びに本気な彼女らのもとへと向かう。
ぬくもりの喪失に矢印の変更。これに寂しく思うのは、恋する少女の当然。
幽香が思わず口から出したのは、その他一般が発しそうなとても面倒くさい質の質問だった。

「あら。魔梨沙は誰の味方なの?」

誰の味方。そんなの、私以外に決まっていると守られる必要のない最強は思ってしまうけれども、しかし。

「大切な人達の! 勿論、幽香もその一人よー」

あっけらかんと、一等星を目指す少女はそう返す。
そのあんまりにも光り輝く玉虫色に、さしもの幽香も。

「もうっ……」

笑顔で、そう口を尖らせる他になかった。

愉快。そんな物語の一説は中心部で綴られるといえども、端の呟きが無意味という訳でもない。
知恵者の結論は、一つに撚られて呟きとなる。八意永琳は、桜の木の下で一人こう溢した。

「最強、といえども花は花のようね」
「ええ。最強なんて綺羅びやかな冠ばかりが大きい、彼女は正しく花の権化ですわ」
「そう……」

すると隣に響く、独りぼっちを許さない、そんな境界の一言に永琳は納得する。
予想では、悪鬼羅刹を敷く凶器そのもの。
だが今に至れば一見して最強最悪なんて誇大広告甚だしければ、ただの恋する乙女でしかない。

「だから、魔梨沙も通用したのね……」
「ええ。だからこその泰平ですわ」

結局この力ある妖怪だって根本が少女だった。
故に、霧雨魔梨沙という鬼札が通用し、そのため無事最悪になりかねなかった異変もこうして無事に終わる。

「ん」

ゆっくり一献を味わいながら、今度は隣でなく後ろから八意永琳はこんな問いを聞いた。

「しかし、どうにも旧ぼったいね。こんなの野暮にも程がありはしないかい?」

耳慣れない、声色。しかし、振り返ることもなく彼女は怜悧にこう返す。

「それでも、足りているわ」
「だからって、変わらぬ理由もない」
「なら、試しなさい」
「そうしようか」

賢しき者共の言葉は読むに足りず、端的にも及ばない。
だが、それに満足した彼女らは、境界の妖怪の細い視線を受けながらも、その場に別れた。
八雲紫は、訊ねる。

「貴女は……霧雨魔梨沙の心配をしていたのではないの?」
「ええ。今回は……でも」

その時、空の盃の底に花弁がひらり。雅なそれを良しとした彼女はそれ以上酒を進ませることもなく。

「もう、あの子は大丈夫よ」

どこかいじけながらも、八意永琳は確かに彼女のために微笑んだ。


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