ルート3 砂金の真心 金沢真弓①

原作版・皆に攻略される百合さんのお話

長く寝たきりになっていた少女がある日、起き上がった。
それは、とても奇跡的なことである。
それだけで誰もかもが幸せになる、それはそんなに素敵なことだったのだ。
だがしかし、当の本人である寝たきりであった今は健康そのものである少女、金沢真弓はこうも考える。

本当は、自分は最期まで寝ていた方が幸せではなかったのか、と。

まどろみは、安寧である。胎児の心地は忘れても、誰もかもが毎に寝ることの大切さは知っていた。
私はただ、それが病によって固定されていただけ。更に、そこに奇跡までが挿入されて。故に、私は寝入っていたこれまでずっと幸せであったのだと真弓は胸を張って言える。

「むしろ、幸せに過ぎていたんだよね」

一人。そう奇跡の少女を容れ過ぎてとうとう一人に癒着してしまった真弓は夏の歩みの中、痛む節々を無視してそうつぶやく。
慣れた独り言に返答は勿論ない。頭の中で、彼女と私はもうひとり。それが、今の当たり前で、寂しい事実。
そして、眠りの中で彼女と一体になって、そしてまた起き上がって。起きたら歩まなければならない、そんな当たり前が真弓の心をわずかに重くさせる。

「だから、これから最期まででまた幸せになれるかどうかは、不安だな」

不安。そんな心のフィルターを通してみれば、蒼穹すらもどこか暗ったい。眩いばかりの陽光は、正しく棘だらけの代物で。
空には愛が見当たらず、そしてそんなお空も何時かは裂けて終わってしまうのだと、真弓の中の葵は知識として知っていた。故に、少女は不安げに地を見るのである。
しかし対象物もろくにない、暗色の中にだって救いはなく、むしろ無駄に籠もった熱がうざったい。けれども、どっちが好きかといえばやっぱりこっちで。

「私にはもう、天才だってろくに残ってないってのに、世界ってややこしいね」

ぺろりと舌を出し、小石におどける乙女。天才を持て余してばかりいた少女は冬眠を経て普通一般と同等になっている。
そう、つまり幼少の頃より、真弓は神童として扱われていたこともあったのだ。
天狗になる暇すら許されない程の、高効率。あっという間にもう高校受験してもいいだろうという程に学力を修めたところ、しかし真弓はばたんきゅーである。
たとえば三年寝太郎。学年三つであっても大事であるが、しかしそれに更に二つ年重ねてしまえば、見下ろす景色も様変わりする。

「世界がこんなに広いって思わなかったな」

等身だけでなく、高さ的にも低いところにあった頭を上げていた過去より、地を見下ろしている今のほうが世界を多く感じられる。
そのことが、電撃的な理解ではなく、染み入るような感想で思えることがまた、変わったなと真弓は考えるところだった。
小学では高等だった頭も、いつの間にやら追い抜かれすぎて、また老いぼれて。今や一般普通の女子高生レベル。
それは、眠り姫がいつ起きても大丈夫という、つじつま合わせ。金沢真弓がゲームの隠しヒロインというこの世のふざけたレールに拠っているのだとしても。
ただ、少女一人分の人生を記憶野に収められたことが、頭でっかちであった意味だっただろうか。

「ま、その分呑み込んでしまったというのは、葵にとっての不憫かな……別に私なんて、乗っ取っちゃっても構わなかったのに」

言いながら、真夏を少女は更に歩む。まるで自罰的に、細くて白い身体を元気に染めようと、足掻くのだった。
あの子と比べたら私なんて、とこれ以上思いたくなくて、少女は頑張るのだ。

そう、奇跡の力を全て馬鹿みたいに一度に使って、過去に戻って来てしまった水野葵という主人公は、しかし意識だけしか戻せずに、時によって消える前に『空』を持つ身体に忍び込んだのだ。
そして、彼女はそこにしばらく収まり、やがてつい先日に消えた。それは、身体の主である真弓が永遠と思われた眠りから起き上がる、その一時間ほど前のことである。
また、それは過去に戻るために奇跡を使い果たして死んだ水野葵の死体が荼毘に付されたその、翌日のことであった。

真弓は自由に歩けるようになったつい先日に水野家に訪問して、昔なじみとして線香を一本あげてきた記憶を思い出す。
真っ直ぐ、紫煙は立ち上る。ああ、そういえばあの日、癒着した彼女は痛むこともなかったかもしれない。勿論、真弓だって辛くなかった。
なら、すすり泣く老婆を、痛みに膝を抱える父親に、涙を溢したこの心は果たして誰のものだったのか。

「はぁ……ダメ。走ろ」

考えすぎたことを察し、真弓は歩みを走りに帰る。やはり、一つの体に二人というのは欲張りすぎた。少女はそう常々思う。
ましてや、一緒になった葵という少女は、とんでもない秘密を抱えていたのだ。ただの女子高生未満がそのことに潰れかけてしまっても、仕方ないと言えるだろう。

「はぁ、はぁ」

起きてからこの方、歩くより好きになった走るという行為。それは、歩きはじめた際の痛苦ばかりの思い出が作用しているのだろうか。
いや、そうでもないと少女は考える。だって、何しろ。この呼気と熱の浪費行為は明らかに。

「気持ちいい」

そう思えるものだから。もう駆け足で、ずっとそれでいい。振り返る必要も、もうないのだ。
だって、この世はもう。

「バッド・エンド」

主人公はもういない。だから、真弓はこの世でただ一人だけ、この世がゲームのような道理を強制されていた世界であると知っている。
そして、主人公だった葵から、世界は次第に死の線を重ねて紅く終わってしまうのだと、そう聞いてもいた。

ああ、線。もう一つは薄く、空にある。ゴールテープはもうそこだ。ならば、真っ逆さまにも駆け抜けなければ損だろう。
そう思って、間違って。

「うあ」

ブラックアウト。金沢真弓は、そのまま暑さに走りそこねてぱったりと。やがて猛烈な寒さの実感の中、少女はうだるような真夏の真昼に郊外で一人、熱中症に陥るのだった。

「ううん……」

己の力量見定め損ねて、それで死ぬのはバカである。そして、自分は寝て起きて、そこまで落ちていて。

「あはは……」

真弓は再びの眠気の中、もうどうでもいいな、と思おうとする。思おうとして。

「ダメだ」

一つだけ、悔いを思い出した。
それは、今はいないあの子の想い。ただ一人の少女の幸せのための、愛。それを、届けずして、こんな間抜けで死ぬなんてことは、幾ら色々と落ちてしまっている自分としても、許せやしない。
そう考えて、膝に力を入れようとした、その時。

「おほほ。どうやら半死人が生き返った様子。ならば、彼女たちが生きるのを手伝うのが、生者のならいでしょうか」

冬より冷たい手のひらと輝きのような声を聞いた覚えと共に、真弓の意識はとうとう途切れるのだった。

 

「はぁ」

母に父に、お前はもっと賢い子だったと思ったんだがな、と真弓は言われた。天才ぶった、バカ。それをようやく自認してしばらく。
あの日痛いくらいに焼けた肌を、更に遊びで焼き重ね、そしてベロンと向けた日焼け肌に大層驚いたそんな頃。
ようやく、真弓は夏の終わりに我に返るのだった。一息に、グラスに注がれたコーヒーを呑み込んでから、彼女はついつい残った氷の塊を憎々しげに睨んでしまう。

「……私は、百合ちゃんとやらに会いにも行かず、どうして逃避を重ねてるんだろう」

一人呟いた、そんな言の葉はどうにも頼りない。それはそうだろう、何しろ終わりを知りながら真っ先にやるべきことから逃げ続けている子供が真弓なのだから。
それを理解して、己を張ってまっすぐに発声できる訳もなかった。弱々しい声色は、自然孤独に消える。

「うーん……どんな出会いが正しいのかな」

そして、一度消沈してしまえば、再び発奮しようとするのも当たり前。そして、どうせするなら劇的な方が良いと思ってしまうのは、健気な乙女の常だろうか。

「はーあ」

だが果たして、そんな幼気ですらある女子高生を、年下が見る目は冷たかった。
一度助けてあげてから、すっかり面白い子だと真弓のことを気に入ってしまった月野光は、しかし呆れた顔で呟く。

「全く。あのちんちくりんな百合さんを、こうも恐れる存在がいらっしゃったとは。おほほ。真弓さんったら、雑魚にも程がありましてよ?」
「うう……仕方がない、じゃない。だって……」
「貴女の中の女の子はもう居ない。その実感が恐ろしいのですね?」
「……まあ、ね」

辛辣な、少女。だがすっかり真っ黒な真弓の隣で美しく目を細める真っ白なこの子供は、ヒロインその5、新月の誇り月野椿の妹である、光のはずである。
それだけの、欠片。だがしかし、今も生きて意味深を呟いている。そのおかしさがこの世の理を知ってる筈の真弓には面白くも不気味ではあった。そして、刺激的なものほど、美味しかったりする。
嫌味なこの子、でも結構好きだなと思いつつ、真弓は溜息を吐いて言った。

「好き、なはずなんだ。そして、聞くに至って、その子は私も好きだと思う。けど……」
「実際に胸がときめくか、不安だと」
「うん……」
「乙女ですか! ……って言いたいところですけど、貴女実際に乙女の二乗でしたわね……仕方ない」

安い喫茶店で向かい合わせ。そんなシチュエーションにおいて、身を乗り出して携帯電話を差し出すくらいのはしたなさ、大したものではない。
そう考えながら、まずは二人分のアイスコーヒーだった氷入りグラスを退かせ、光は真弓にそれを見せつける。

「はい」
「え? これって……」
「お姉様から送られてきた一枚。あの小娘の写真ですわ。折角ですので、携帯端末にドアップでどうぞ」
「わ、すごく鮮明……って……」

見せられまず、真弓は自分が寝入っていた間にアップでも耐えられるように成った画素数の進歩を感じる。
そして、その後、ようやく被写体の詳細に、目が行った。

それは、白く紛れもない純。また愛らしさが紅によって形になっていて、柔らかな全体が円かでそれでいて、笑顔がどこまでも。

「可愛い……」

思わず、にへらとなる顔を両手で覆おうとして、その手がドキドキに震えていることに気づく。
ああ、これはまるで、自分はどうして。そう混乱する真弓の真ん前で。

「あら」

月野光は、カランというまるで氷が溶けたかのような少女が恋に落ちる音を聞いたのだった。


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