ルート1 熾火の恋人 火膳ふよう①

キス 原作版・皆に攻略される百合さんのお話

愛とは、連綿と親から子に伝えられるべき概念である。温かさ、優しさなどがそこから生まれるものであるとするならば、それは最早生きるに要るものとすら言えた。
けれども、人というものが不定の生き物であるのであれば、外的要因などで失伝という悲しいことが起きるのもまた、然り。
欲しいのに、それを親は教えてくれなかった。愛したいのに、でも怖くってしかたない。それは、触れたことのない愛というものの存在を信じきれないから。

『でも、だからって。諦めるのは、違う』

火膳ふようは愛を知らず、しかしそのままうずくまることばかりはしなかった。
だってだって、この世に私が触れることのできる愛がないなんて、そんな悲しいことは信じたくもない。そして、もしこの世に愛がないとしたら、せめて自分だけは愛したくって。
だから、怖くとも足掻く。身を切るような寒さで、誰の顔だって見たくもないけれど、見上げて。
やがて、文字の群れから彼女は確かなものを拾い上げようとした。がりがりと心削れる音を聞きながら、それでもふようは学んで学んで、そしてそれでも足りない自分の器に嘆いて。

『ふようさんって、優しい人だね』

そして、いつの間にか隣に座っていた自分よりも足りない少女に、そんなことを言われるのだった。
優しくなんて、ない。だって自分はどこまでだって利己的だ。
悲しいから。愛したいから。そんなのばかりで、相手なんてどこにもなく。

『ああ』

だから、ダメなんだ。花の少女は彼女に気づかせた。
自分を見つめてばかりの孤独の花は、開かない。何しろ愛してと、誰かに伝えるために、蕾は溢れるものだから。
信じられなくて、怖い。この世はどこもかしこも棘だらけで、痛そうで辛そうで、悲しかった。
でも、それでも一歩を踏み出すのが勇気で、そこまでして求める心が、愛。

『私でも、分かった』

少女は、学びに学んで、痛みの奥に愛を知る。
それは、果実のように甘くて酸っぱい、想い。柔らかなそれは、掴みにくいけれども、決して離したくはなかったというのに。

「でも――――あたしはそのうち死んじゃうんだよ?」

けれどもその時には、もう既に愛すべき相手の命は、風前の灯火だった。

 

「嘘だ」

その日、百合の告白を聞いた後の時間を自分はどう過ごしたのか、ふようには分からなかった。
彼女はずっと何かおかしな心地で、どうしようもなく浮ついた心にてふわふわと、ただ現実から逃避していたのだ。
膝を抱えたベッドの上の闇の中。ふようの気持ちは更に内に向く。そして、心追い付かないまま泣くことも出来ず、ただその事実を口に出す。

「百合が、死んじゃうなんて」

死ぬ。そんな言葉ばかりが理解できずに、呑み込めない。
ああ、勿論分かってはいた。百合という女の子は誰より痛苦の中にあり、生きるのが大変難しいのであるとは。
でも、そんなこと、とっても認め難い現実でもあったのだ。
だって、あんなにふわふわした可愛らしいものが、手のつけようのない、どうしようもない病ですらない欠陥によって苦しんでいるなんて。
そして、それがとうとう百合という存在にヒビを入れている。そんなことは。

「いやだ」

先にとうとうふようは愛を、理解した。そして、真っ先に愛すべき人を規定したのだ。
幸せな日の象徴たる無垢の子、日田百合。自分なんかですら大切に想って、そして妄想地味た考察すら受け止めてくれた、少女。
そんなの、愛おしいに決まっているというのに。けれども、彼女はなくなってしまう。消えてしまうと言うのである。
ああ、愛は、大切なものほどやはり掴めないのかもしれない。諦めたまま、このまま生き続けなければ、ダメというのだろうか。

「絶対に、嫌だ!」

ふようは右手を強く枕に叩きつけ、そう叫ぶ。激情に、涙が溢れる。
もはや、特異で得意な思索すら、とてもではないが出来やしない。現実に対する否定の心が今ここに極まり、そして弾けんばかりに愛を抱く。
どきりどきりと痛む胸元は、果たして生きている。けれども、百合はその生命の痛みに死にかけているのだ。

「こんな世界は間違ってる……!」

想う。スクロール。即ちこの世は流れるだけが常態。そして、主人公。それは視点の偏り、物語の担保。
それが敗れて破れて、残っている今は確かに誰もが理想していた世界とは完全に異なってしまっている。

こんな世界は終わるだろう、間違いなく。そして、百合は、世界へ愛を持つために否定をされ続けた彼女はまして手ひどく否定されるに決まっていた。

ああそんなのは、嫌だ。

「あの子だけは、間違いないから」

悩んでも、想いばかりは留まることを知らない。
冷たかった少女の芯を温くさせるのは、少女の言葉だけではない。それは近いほどの友達という位置。
彼女は何時だって怖がりの彼女の手をつかんでくれた。何より雄弁な、それこそ分かりやすい愛だったのだ。

「もう、悩まない」

涙を拭い、再び少女は前を向く。夜を迎えて暗い世界の中、しかし思考ばかりが明るい。
ああ、こんな世界は間違っていて終わっていいが、決して彼女は死なせるものか。どうしたって尋常ではなく諦めの悪いふように諦観なんて持てるものではなかった。
別に、愛が永遠でなくたって、構わない。構わないが、それでも相手が生きていて欲しいというのはわがままか。
いや、違うだろう。そんなの誰だって想うべきものである。そして、そんな普通になりたくって、今になって至れたふようは。

「だから、心から私は百合を愛すよ」

起き上がったふようは真っ先にカーテンを退かせ、がらりと、窓を開けた。そして、得たのは、冴え冴えとした月の光。
満月のただの美しいばかりの反射光に、しかしはじめて今日感じ入ったふようは。

「月がきれい」

そう思わせてくれた、愛に感謝をするのだった。

 

柔らかな絹の髪、大きな瞳に溢れんばかりの瞳はまるで紅玉のようで。
そんな、額に飾るべき美しさをまといながら、しかしよく見ればそんなものすら届かない尊さを持った内面が輝いている。それが、ふようが見る、日田百合という少女。

「ああ」

放課後の図書館の時に起きるしじま。隣で矮躯を揺らせる百合に、愛を昂ぶらせたふようは、その桃の口を動かして、想いのままに告白をした。

「百合、私はあなたのことが好き」
「うん? やった! あたしもふようさんのこと、大好きだよー!」
「むぅ」

しかし、当然のように目に映る全てを愛すべきものと規定してしまっている百合は、好きを単なる好感度の高さ程度に捉えてしまう。
憮然とするふようの前でにっこり笑んで、好き好きとぴょんぴょん。
小さい絹細工がそんなことをすれば、可愛くって当たり前だろう。思わず、意図と外れながらも、しかし大喜びな少女にふようも微笑む。

「ねえ、百合」
「なに、ふようさん? わ」

だがしかし、これが終わりかけの花火の閃光だとしたらどうだろうか。こんな儚いものを離したくないと、彼女を抱きしめたふようの感情も、きっと愚かとは言い切れないのだろう。

ああ、喜色に富んだ表情とはいえ、ここまで近くに来ていれば、分かる。目の下に広がる薄い化粧の下の死の気配の黒に、唇の乾き。どれもこれもが、終わりを物語っていた。

百合は辛い、なんてひと言も言わない。それは、相手を心配させてしまうというその優しさが前提にあるのだが、それ以上に彼女は活きている時間の全てが辛いと言えばそうだから。
吸気が、痛みを誘う。喜びの鼓動が外れて、死を誘発する。それをお医者様という名の役立たずに時おり調整してもらいながら、生き長らえているのが、百合なのだ。
病極まっていて、そしてこれまでそれらは生命に甘く触るばかりだったが、もうそろそろ少女の方が保たないのだろう。

ならば、とふようは考える。頭ではなく、心で。この柔らかなものを、自分はどうしたいか。そればかりを。
そして、ふようは、何を感じたか抱擁の中で身を固くしだした百合に、優しく語りかけはじめた。

「私はね、本当に百合のことが、好きなんだ。きっと大好きよりも、もっと」
「それって……わわ」
「暴れないで……私から離れ、たいの?」
「そんなこと……ないんだけど」

この懐きは愛でない、恋の意味を持っている。それをようやく察した百合は、思わずその身を捩る。
けれども、その程度の揺れなんて本気のふようには無意味だった。ただ、彼女は淡々と百合の本音を聞く。

「あのね。真弓ちゃんにも言ったけど、あたしって、もう少しで死んじゃいそうなんだ。お医者様にも、もう無理だって言われちゃってて……」
「だから?」
「えっと、その……」

百合は、恐る恐るふようを見上げる。彼女の表情は、笑みすら消えた無。けれども、何時もと異なり、濡れ落ちかねない程の情愛が瞳に溢れていた。
それを知った百合は、想う。そして、恐れる。でも、逃げるのは無理だとも考えて。
リップクリームの味がするカサカサの唇を、少女は舐める。そして、彼女は言った。

「ごめんね、ふようさん。あたしなんかと仲良くするなんて、ふようさんの時間を奪うだけで……んむぅ!」
「ん」

返答はなく、しかし強烈に愛を持って示される。
そんな、つれないことを言う唇なんて、食んでやろうか。そう言わんばかりの勢いで、ふようは百合の口を舐る。
そして、それは次第に欲を持って熱を持つように成った。

ああ、好きだ好きだ愛している。こんなに近くで、しかし一つになれない、なにも育めないなんて、それは悔しいことだけれど。
でもそれでもこんなに近くに置けるのは、あなただけ。私はあなたが大好きだ。

擦れ合う、足と足。ぶつかる髪に、交わされる熱を持った瞳同士。そんな全ては。

「ぷぁ……」
「……もう、そんな時間」

良い子の帰りを促すための音楽によって、中断された。
ぼうとする百合。二人の繋がりを示すのは、伸し掛かっていた彼女との間を少しだけ渡った涎の橋ばかりで。
帰り時間をを気にする少女の様子と同じく、まるで嘘みたい。だから珍しくも微笑まず、背を向けた彼女に百合は言うのだった。

「……怖がりの、ふようさんらしく、なかったね」
「うん」
「あたし、怖かったよ?」
「うん」
「でも、そう、したかったんだね……」
「うん」

果たして、照れてでもいるのだろうか、背中ばかりを見せてくるふようが返してくるのは云ばかり。
先までなにかの間違いのように求めて来たのに、一転してこれである。情けないやら、愛らしいやら、百合は感じて。

「うん。あたし、そんなふようさんのこと、愛してるよ」
「え?」

そう、愛らしくてたまらないのだと理解した彼女は、彼女のことを愛しているのだとようやく理解した。
そして、振り返るふように、すっかりしっとりした唇でもって、こんな言の葉を紡ぐのである。

「ねえ、あなたはあたしを恋しく、させてくれる?」

未だに喪失感を抱える少女は縋るようにそう相手を見上げて。

「当然」

複雑な想いを受けたふようは、どうしてだか胸を張って、そう返すのだった。

「あはは」
「ふふふ」

そう。こんなぎこちない擦れ合いの一幕こそが、彼女らの始まり。そして。

 

終わりへ向けたスタートでもあった。


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