「そういう、こと」
涙の代わりに微かな頬を伝って落ちる、それはまるで紅玉の軌跡。
そんな綺麗の滑りが、悪意の洞から溢れ出たものだなんて、とても思えない。それくらい、彼女の血は純だった。
いや、おどろおどろしさ、というものが五臓六腑にまで行き渡っているものこそがホラーであるならば、その口裂け女の少女はいささか恐ろしさに欠けていたのかもしれない。
人との間で愛を知り、踊ればたちまち花となる。
誰にだって通じる言葉でさえずれば、無関係な物事に表情を変えたりもした。
「でも関係ないよね」
果ての寸前、少女はくるり。
まるでその紅いジャンパースカートは終幕のカーテンレール。ブラウスは意味を失った漂白の色だった。反してその小さな顔を覆っていたマスクは、役目を失い血に塗れている。それはそれは、らしくない。
彼女は怖気のための舞台装置ではなく、もはやまるでひとつのキャラクター。関係を期待される一個。
怪人としては、そろそろ失格であったのかもしれない。
「……生きていれば、死ぬ。ただそれだけ」
口裂け女は、裂き尽くされた全身を痛みに捩った。
生きて死に、だから退場する。そんなことは自然の流れ。
そう、たとえその命が愛によるものでなくても、愛することが許されなくても、愛を残せなくても、生じたものが消えるのは定めだった。
「嫌だなぁ」
『そっか』
でも、だからこそ、抗ったのに。
口裂け女の少女はまるで笑ったように、裂かれ切った口を歪めて、切り裂きジャックの前でそれは無様な末期を晒す。
やがて、最後のあがきで彼女は健やかでさえあれば空さえ駆けられるだろう引き裂かれた足を動かし、昏い水たまりを踏んだ。
そうして少女、ハナコは終に至る。
「ああ……」
切り裂くものが振りかざす鋭い凶器を、切り裂かれたものはどうしたところで避けられない。切り裂きジャックの前で、口裂け女の少女は、あまりに容易い切り取り線。
故に、その命はジャックの心ひとつでどうとでもなり、そしてたった今その気持ちは動いていた。
嗜虐に歪んだその瞳のどこにも愛はなく、またもハナコの期待は裏切られる。
『さようなら』
光る銀閃。赫々と、ハナコのその身は刃を受け入れた。
「ぐぅっ……」
霞みきった目の前に見えるは、その歪んだ命のピリオド。空白に至る闇がすべてを覆う。
ハナコは他人に何度も味わわせたものである、どうしようもない死という諦観を前にして、想うことがある。
張り裂けそうになるほど、叫びたいことがあった。
ああこんな間違いが、もし伝えていいならば。
「でもそれは口が裂けても――」
いえないことば。
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