第九話 プリティサイズだから

マイナス百合 マイナスから目指すトップアイドル

吉野友実という少女は、アイドルになるために生まれてきたような存在である。
見目は当然のように麗しく、運動神経も抜群で体躯はどこまでも柔らかく、目的のためには媚びることすら容易い精神まで持ち合わせていた。
笑顔なんて、意識するまでもなく人生の楽しさからしてしまっているもの。
生まれからこの先まであまりに明るい彼女は、故に年頃になった今既に一人のアイドルとして活動する傍ら、レッスンを行い己を輝かせることに余念がなかった。

そして、最近はその隣にとある一人を置いてみることを友実は楽しんでいる。
偶に好んで手を引っ張り一緒するレッスン相手は、町田百合。無才極まりない全身を蠕動させ続け、ようやくサナギに至った蝶未満である。

「はい。ワン、ツー」
「わんつー、ですぅ」
「百合ちゃん、ちょっとテンポ速い! もう少し溜めて!」
「むむ。分かったですぅ。わん、つーですぅ」
「そうそう、良い感じ!」

シングルテールを所作に遊ばせながら友実は良い感じ、と一個下の少女のダンスを褒めた。それは、意外なことに本心から来たものである。
何せ、友実は百合がエムワイトレーニングセンターでダンスに歌を中心として訓練し出してからしばしば彼女の下手を目撃し続けていたのだ。
下手どころか悪しとすら取れるあの音頭から思えば、今はとても良いと言えるだろう。
むしろ、口の悪い仲間達が、何時辞めるんだろうねと早々に諦めていたその地を這うレベルの才能を持って、一年後の現在はなんとか見られる状態までダンスを上達させているのだから、友実は百合が凄い存在だと思えていた。
今はまだまだだが、これはきっと伸びる。予感した友実は、後のライバルと考えながらも今は仲良くしたい仲間としてなるべく百合の近くに居たがるのだった。

足手まといを伴った楽しいばかりのレッスンは終わり、肩で息をする友実とへばって地面に垂れるいつも通りの様子の百合が静寂に残る。
全身を重力に任せて脱力しながら、百合はぽつりと言った。

「ふぇー……これが友実の曲ですかぁ。全く、とんでもねぇテンポですぅ」
「まあね! 歌うのだって結構キツかったりするし、百合ちゃんには大変だったかな?」
「へでもねぇです……と言いたいとこですが、正直追いつくのでやっとでしたよぉ」
「そう。でも大体は呑み込めたみたいで良かった」
「ですぅ……」

疲れに溶けたまま、頷く百合。くたくたの際は何時もより正直であり、だからこそ友実はスタジオを借りて彼女をダンスレッスンに誘ったところもある。
趣味のよくないためか何となく、百合は愛らしい生き物だと友実は感じている。それが捻くれていなければ、尚。
正直、今の垂れ具合といい、その汗臭いだろう全身を撫でて楽しみたいところであるが、流石に衆目もある今は我慢をしているのだった。

「お疲れ、友実。流石は上手。可愛い、素敵」
「ありがとう、咲希」

そして、友実が百合のへたばりっぷりを目で楽しんでいると、ボブカットが特徴的な少女が一人待ちきれなかったようで外からやって来て友実を褒め称え始める。
そう、ここエムワイトレーニングセンターでは、既に育ってアイドル界で羽ばたいている彼女は尊敬の的。特に、この遠野咲希はよく友実を仰いでいるのだった。
だが、ライバルにべったりなその様を嫌い、百合は喧嘩を売るために文句をつける。顔だけ持ち上げ、彼女はへたれた声をあげるのだった。

「なんですぅ、咲希。百合へのねぎらいや、褒め言葉はないんですかぁ?」
「相変わらず、百合のダンスは、ゴミ。クズ」
「へっ。咲希は罵倒ばかり得意な奴ですぅ。何時かそのクズに抜かれて絶望する日が楽しみですねぇ?」
「そんな日は永遠に来ない。百合は頭が湧いている」
「はっ、咲希の進歩のないカチカチ頭よりよほど上等ですよぉ」

ああ言えば、こう言う。中々に口の悪い二人の仲は水と油だ。
元々百合は喧嘩っ早いところがある。そして咲希は鈍い人間が嫌いだし、そいつが自分の尊敬する人の心と時間を奪っているとするなら尚更だ。
当然二人は会うなり口げんかをはじめるのが常だった。

「そういえば、百合は勉強だけは得意と聞いた。ロボットダンスを披露して笑いを取るより、そっちを頑張れば良いのに」
「むぅ。そもそも百合のダンスはお笑いじゃないですぅ。そのうちキレッキレになるその前の練習段階なんですよぉ」
「驚いた。あのお先真っ暗のヘボダンスに先を見ているなんて。百合は自分に夢見がち」
「なんですとぉ! そもそも、自分に夢を見ない訳がねぇですよぉ!」
「まあ、それはそう」
「って、そこで頷くんですかぁ? なんですぅ、コイツ……」

途中で唐突にうんうん同意をはじめる咲希に、百合ははしごを奪われたように、所在なさげにする。
元々、嫌われやすい百合であるが、それにしても咲希に対してはどうも勝手が違うようであった。嫌われても、変に真面目な彼女相手だと素直に嫌いになりにくい。
何時ものように強がると、それをはじき返してくるような悪口が返る。だが、それでお終いそれっきり。
陰口やら何やらは決してせず、はっきり一時の嫌いだけの感情を表に向けるばかりの少女は、どうにも悪意の園を瞳の奥に蔵している百合にはよく分からなかった。

「私は私。スペシャルなアイドルの卵」
「はん。そんなの何時かお湯につけてやるですよぉ」
「茹でちゃダメ。生まれない。余計な熱量は百合にプレゼントフォーユー」
「はん暑苦しい奴ってことですかぁ? ホント、地獄力が溜まる奴ですねぇ……」

というか、嫌いと言っている割によく自分を見てくる咲希は、変だと百合は思っている。
嫌なら、見なければ良いのにと。一々文句までつけてくるなんて実は人が良いのかも知れない、なんてことまで考える。まこと珍しい奴、だと。
そう。百合は、あまり鏡で自らを見ていないのだった。

「地獄乙女とか格好良いけど、百合はダメ。似合わないというか、とりあえずダメダメ」
「もう、後半だめ出ししているばかりで意味分かんねぇですよぉ!」
「そう。なら、私もダメダメだった」
「えぇ……認めちゃうですかぁ」

そして初めて見る自分と同じタイプに不思議がっているのは、実は咲希も同じ。
打てば響き、そして幾ら打っても立ち上がってくる百合は咲希は言いはしないが尊敬に値すると思っている。そして、その下手を指摘され続けても諦めない有様は、どこか可愛らしいとも感じていた。

だが努力家同士、仲良くなるにはしかし二人とも素直ではなさすぎる。しかし喧々囂々と仲良く擦れ合いを続けるふたりをくすりと笑って、友実は真っ直ぐ言うのだった。

「相変わらず、君らは仲が良いね」
「そんなことはない」
「んなことねぇですよぉ。どこ見て言ってるんですかぁ、友実」
「ほら、そういうとこ」
「む」
「むぅ、ですぅ」
「あはは」

異口同音。
実際、咲希が入ってから百合は咲希以外見ていないし、友実を目的として来たはずの咲希も途中から百合にぞっこんだった。
いちゃいちゃ見せつけやがって、お前等早く友達になっちゃえよ、と思うのは二人の一つ上の先達だから、という訳でもないだろう。
正直、友実は二人の率直をぶつけ合う仲が羨ましくすら思える。

「まあ、いいけれどね。それにしても……」
「なんですぅ?」
「どうかした?」
「君らは並ぶと、凄い身長差だよねぇ」
「そりゃ、こいつがデカブツだからですよぉ」
「違う。百合がプリティサイズだから」
「ん……何言ってるですぅ?」
「間違えた。こけしサイズ」
「百合はそんなにちっこくないですぅ!」
「はは……良い、コンビだ」

そう。中学生になっても百四十にすら満たない百合に、百九十の大台に乗っかって少し経つ咲希は、並ぶと見事な凸凹コンビ。
百合は咲希のでかさを見上げづらいと面倒くさがっていて、地味に小さい物好きな咲希は、百合のサイズ感を愛してもいた。
時折、咲希は百合を捕まえて思いっきり吸いたくなる衝動にかられる時がある。流石に、それをやったら変人を通り越すために、今のところはやっていないのだが。
まあ、そんな二人が猫と大型犬のようであるというのは、友実の感想。お笑い芸人にでもなったら面白いだろうな、と考えたりもするのだった。

だが、彼女らが目指しているものはそれとは違う。なら、それを示してみてもいいかと少女は考えもした。

偶像は笑顔を真面目に換え、上下二人を真っ直ぐ真ん中にて睥睨する。
思わず実を正す少女達に、友実は言う。

「君らが、ボクに早く追いついてきてくれたら、嬉しいな」
「はっ、任せるですぅ」
「その内に」
「頼もしいな」

ついつい、後輩の成長に正したはずの表情も、緩む。
ああ、これからこの二人と一緒に歌って踊って笑顔を振りまくことが出来たらどれだけ楽しいのか。
そんな夢を見ながら友実は指を一本立てて提案するのだった。

「さあ、百合ちゃん。もう一回通しで踊ろうか。せっかくだ、咲希も一緒するかい?」
「へぇ? ……くっ、疲れてるですけど仕方ないですぅ。やってやるですよぉ!」
「分かった。汗だくの百合を観賞する良い機会」
「ん? また咲希バグってるですぅ……さっきから言ってること変ですよぉ?」
「間違った。実力の差を見せつけてやる良い機会」
「へっ、差がなんですぅっ、そんな余裕ぶってたら直ぐに追い抜いてやるですよぉ!」
「いい意気」
「……それじゃ、はじめようか」

またはじまった二人の世界に、危うい本音をときに転がす咲希をじっとり注視しながら、友実は端末を弄って音楽をかけ出す。

そして、やがて、結局は。

「はい、お疲れ様」
「ふぇー……」
「はぁ、はぁ」
「それじゃ、電気消すのと、後は……モップがけよろしくね」

曲の終わった後、去るのも流麗に。
現役アイドルはただ一人、笑顔で満足げにレッスンスタジオから去って行くのだった。
一つ長い尾っぽは左右にぶれずに真っ直ぐ流れてゆく。格の違いは、歩み一つにすら表れていて。

「負けねぇ、ですぅ……」
「私も」

だから残った熾火達は、しばらくそこで濡れてうずくまりながら燻り続けるのである。


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