第八話 格好いいじゃない

マイナス百合 マイナスから目指すトップアイドル

与田瑠璃花という元アイドルであるトレーナーにとって、町田百合という少女は不可解そのものだった。

稚児より下手な歩みで、驚くほどに音痴であり、笑顔を作ることすらぎこちない、そんな無才の全体で彼女はトップアイドルに本気で至ろうとしている。
この時点である種狂的だ。
更に、踊るどころかリズムに乗ることすら難儀した初回レッスンを経て汗だくになっても、彼女は負けないですぅと呟いていた。
本人曰く眼帯二つの奥の瞳は死んでいるらしいが、しかし瑠璃花には決してそうは思えない。
野心に燃える眼光がありありと想像できてしまうくらいに、百合という少女は火の塊のような熱量を持っていた。
正味、出来るからアイドルをやっていた瑠璃花にとって、彼女は理解を超えている。

「あれで、才能があれば良かったんだが……まあ、ないからこその執着かもしれないのが、また難だね」
「そうだなぁ……百合ちゃんは、裏方してる俺にも挨拶欠かさない良い子だし、出来れば夢叶えて欲しいところだがね」
「私に対してはちょっと生意気な感じだけどね。まあ、それを含めて可愛いもんだが……おししょー、って呼ぶのは止めて欲しいもんだがね」
「まあ、それは仕方ないよ。だってあの子、先生って呼び名は釉子ちゃんのものだって言ってるんだろ。健気じゃないか」
「だねぇ……ホント、才能がもうちょっとでもあの子にあればね」

筋肉質で気の強そうな瑠璃花の隣で会話をしているのは、ふくよか禿頭の笑みの上手な男性。
彼、与田公平はアイドル時瑠璃花のマネージングをしていて、紆余曲折の大恋愛の後に結ばれ、ここエムワイトレーニングセンターの代表として今も裏に隠れてセンターを切り盛りしていた。
夫婦の話の題目は、当然のようにトレーニングの厳しさが知れ渡り新規が殆ど来なくなったセンターに彗星のように現れ、誰から見ても放っておけないくらいに手の付けられない程の最低ランクの成績をたたき出し続ける問題児についてである。
そう、立てて歩ける程度になって歌も辛うじて音程合わせることが可能になったくらいの百合は、ここエムワイトレーニングセンターにて、先達達の凄まじいレベルの高さに驚きながらも負けるものかと頑張っているのだった。

「それにしても、百合ちゃんは、凄いよね。とりあえず体幹を作るためのプランクを指示したら、殆どずっとやっていたっていうんだろ? 後で聞いたら何回か攣ったとか言ってたけど……いや、翌日も元気してたんだから頑丈だ」
「根は優しいんだろうけど、気が強いから……練習はこなすわね。まあ、そういうのもあって友実らが嫌ってないのは助かるがね」
「まあ、俺はああいう子、大好きだけれど……なんというか、勘違いされやすそうだよね。あれかな、彼女ってツンデレって奴かな?」
「そんな単純だったらいいんだけどね……私から見たら根性のバケモノってとこだよ」
「そんなにかい?」
「ええ。練習強度を幾ら高めようとも食らいついてこようとする、そんな貪欲よ。そして、私が内心それを良しとしているのが、腹が立つ」
「まあ、あの子の才能なら、そうでもなければ、夢は遠すぎるよね……」

瑠璃花は、自分の課している努力が虐待にすらなっているのではと悩ましく、思う。
亡くした元親友から預けられた子であるからには大切にしたいところではあるが、そうしているとろくに育たないだろう。
だから、とはいえ厳しさ全て貪欲に飲み込んでしまう少女には頭を抱えざるを得なかった。

「大丈夫。君も頑張っている。彼女も頑張っている。それでいいじゃないか」
「そう、かねぇ」

だが隣り合う公平は勿論そんなことはないと知っている。彼女が練習の間にも後にも大丈夫かと声や気を回しているのは明白。
そして、何よりその大丈夫かと聞かれる度に燃える少女の性質が凄まじすぎた。
彼女は心遣いすらも薪にして、己の人生をすら地獄的にしてしまう。ただ、それだけ。

「私は、百合にトップアイドルになってほしいよ。教え子皆頑張ってるけど、困難だろう彼女は特にさ」

それだけなのに、どうしてあそこまで輝いているのか。笑えていないのに笑顔なのか。
経歴はどこまでも哀れで、最近だって死を見送ってばかりなのに、それでもどうして少女はあそこまで健気であり続けられる。

ああ、無理だと思う。今日だって、踊りの切っ先すら間違えて躓いていたという無様。それが、天に及ぶなんて、そんなおとぎ話は夢の夢で。

『ししょー、すっげえです! けど、負けねぇですぅ!』

だが、それこそ叶ってほしい星の夢。
下手に息巻く少女が、誰より幸せになるなんて、そんなことは神様にだって願いたくなるくらいに叶ってほしい夢想であり、ならば。

「良いじゃないか。なら、俺らも一緒になって彼女のためにだってなろう」
「それは……」
「いいじゃないか。大人は子供に夢を託すもんだ」
「私にアイドルを見たあんたみたいに、かい?」
「はは……そうかも、ね……」

そう。大人は折れた羽を子供に託すもの。愛を知って、そうして痛みも理解したならば。
誰より辛いだろう彼女の幸せを願ってしまうことだって、仕方ないのかもしれなかった。

 

「はい、そこ! 足が伸びてない、振り向くのが遅れている、テンポもズレてる!」
「ぐぅ、ですぅ……」

親は娘を愛していて、その夢を信じている。そして、娘が信じた女性が終わってしまう前に彼女ならと紹介した相手に、親が子を託すのはもはや決断ではない、自然だ。
レッスン。それは、歩行すらおぼつかない百合にとっては、大儀。
大変な強張りを足先にて努めたところで、ほかが足りずに遅れて失敗を続ける。
一歩すら進めない。遅々とした進歩の中。それでも、トレーナーであるししょーの瑠璃花は決して少女を見放さなかった。
何度も何度も。それこそ普通ならば諦めて泣き出してしまう程の繰り返しをして、百合の身体に基本を覚えさせる。

「はぁ、はぁ……」
「水、休憩五分! そしたらまたはじめるよ!」
「はい、ですぅ……」

勿論、基本のはじめすらここひと月ですら修めきれない、その無才ぶりは、どうしようもないもの。
汗でびしょびしょ、滴るもので眼前の覆いから薄っすら地獄を見せる百合に、瑠璃花は気づきもしない。
振り返ることなく、ダンスルームから去っていく彼女を見送りながら、百合は慣れた這いずりっぷりを見せた。
そうしてダンスの流れを描いた何度も汗かいた手で見たせいでぐずぐずになった髪束を広げる。
ぺらりぺらりと最初の一ページを何度も見直して、やがて自分のダメっぷりに出るため息を飲み込み、彼女は今日も弱音を地獄に捨てるのだった。

「はぁ。地獄力が、溜まってきましたねぇ」

最近、無様に対する克己心のために自分のやる気が高まってきたことを百合は地獄力と名付け始めている。
それは、燃えるような心が、止まらせてくれない胸元がどこまでも見通しのない地獄の日々に進ませるから、なのだ。

辛い。だがそれがどうした。だって、この一歩一日は、せんせーが進めなかったものだ。
幾ら無様だろうが困難だろうが、それを踏破するのは、喜びにほかならない。

「私は愛をいただけた。こうして、本物の情をかけられている……なら、十分ですぅ。むしろ頑張るには、過分なくらいですぅ」

学校では最近、また嫌われた。そしてそこから掬おうとしてきた子の、ただ可愛い自分を慰めるばかりのせんせーとは比べ物にならない愛の浅さに、ため息を付いた覚え。
そんなものなんて、どうでもいいことだ。私は地獄であっても愛されて、そしてその愛はまだ地獄の中に燃えて尽きずにある。
なら、報いよう。最初は一人きりのものであったこの夢を、支えてくれたせんせーのためにも、決して諦めることだけはしないで。
そして、今はししょーまで出来た。その人が見捨ててくれない今。誰が自分を捨てるか。

「さて。それじゃ立たないと、ですねぇ!」

だから、生まれたての子鹿のように震える足を強張りで殺し、そのために攣った腿を無理に動かし軽い怪我としながらも、そんなものを下手くそな笑みで隠して。
また、いや何度でも百合は立ち上がる。

「おししょー、遅いですよぉ!」
「……やる気、満々みたいだね」

汗で出来た水たまりの上、誰よりも労苦燃やしながら、少女は明かりにキラキラ輝いていた。

 

「何なのよ、あの子……」

勿論、光り輝けば影だって出来て。

「……格好いいじゃない」

でも、その想いを認める酔狂な他人だって、この広い世の中には居るのかもしれない。


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