第二十七話 片桐朝茶子

マイナス百合 マイナスから目指すトップアイドル

この世に太陽が一つしかないというのは常識ではあるが、それは果たして何故だろうか。
生命が育まれるに丁度いいのがこの奇跡の恒星一強の環境であるが故に、大星は複数に並ばない。
だが、並べてそれと喩えてカシマレイコを太陽と呼んでいるばかりのアイドル界という場にまで、その道理は通じる訳がなかった。

「あら」

最初に四天の一角にてそれを見つけたのは、奇しくも同じ造りに尋常ではない奇跡が宿った存在である山田静。
君は謡わなくてもいい。マネージャーのはじめの言葉を真に受け続け、アイドルでありながら音楽に背を向け続けていても、極みの理想の一つとして認められた彼女。
そんな、最美の四天王とすら言われ、カシマレイコですら並ぶのを嫌がる容姿である可憐な一輪は。

「とても可愛らしい子ですね」

その日、一つの宣材写真に映った三千世界を見つめる山田静が《《見たこともないような》》アイドルを見つめて、そう認めたのだった。

冗談みたいなヒットを得て、でも常に目を瞑る度に人の罪の終焉を見続ける百合に慢心する余裕などこれっぽっちもない。
頑張ればそれに結果がついてくるなんて、本来彼女にとって望外だ。
それは幼い頃からのマイナスとすら取れる程の足りなさから来るものだが、つまり彼女は報酬など無くても努め続けられる心根を持っていたということ。
もとよりそんな生き方しか知らないならばアイドル輝き瞬く天上にて百合が必死に何かを得ようと足掻きをこれまで通りに続けるのは自然だった。

「♪」

踊れ、唄え。そして少しでもこの世を。
己のためですらない、献身ですら過ぎた彼女の届けるアイドルは、いっそ異常なくらいに人の心をくすぐる。
視線も遮って向けてくれないつれなさですら、最早彼女のマイナスではない。むしろ、彼女が一度本気でこっちを見つめてまできたら、それを我々は受け入れられるのだろうか。
ファンですらある種畏怖を覚えるほど、小柄な乙女はその根にある化け物じみた性を乗りこなすことで輝きを増して来たのだった。

「しかし、次の楽曲の制作に手を挙げてくれるとこ、どこもないね……」
「鹿子の単独ライブに、特別ゲストとしてお呼ばれするくらいに他は順調なのですがねぇ……順調過ぎるのも困りもんですかぁ? 別に皆、そのしっぺ返しを怖がらなくても良いんですがねぇ……」
「だよねー……うまうま」
「あー……稲センパイぃ。何で予約した会議にあんたが紛れ込んでる上にうどんを食べてるかなんて、突っ込まねぇですよぉ」
「はーい……うまうま」
「やれやれ、ですぅ」

しかし、その星の持つ熱が人の触れ得る域を超えてきているとあらば、多くが見上げるばかりで関わりを躊躇してしまうのも仕方のないこと。
百合ちゃんこんなかわいーのにね、とオーキッドプロダクションのメンバーを代表して遠くの椅子に座しながらこそこそと稲は口にうどんをせっせと運びながら考えていたりするが、まあそこまで呑気なのは少数。

「まあ、多くの作曲作詞家が怖気づいちゃうのも分かるかな……正直、売れすぎた」
「びびりが多すぎですぅ。カシマレイコと比べられるのがそんなにこえーのですかねぇ?」
「ずずー……うまうま」

実際、飛ぶ鳥を落とすどころか太陽の付近にまで迫った話題のアイドルに対して、カシマレイコが下賜した至高の並びとすら評価されている譜面以外に似合いの物を思い浮かべない凡夫はあまりに多かった。
完璧な調和。それを生み出したアイドルに自分の譜を与えて、もし少しでも欠けが生まれてしまったら、するとその分だけ作曲家としての不出来が顕になってしまうだろう。
自信こそが人を活かすものであり、またそれを折るのは才能。そして、神にほど近い天才のカシマレイコに、敵うものなどこの世にないと多くは思っていた。
だから、雑に述べた百合の言葉の通りに多くが怖じて、彼女の新曲の予定宙ぶらりんな今がある。
ついに汁をいただくまでに至った稲の食事風景は放り、口の端歪ませ指をくるくるとさせながら百合は提案をした。

「まー、あのオバケと戦う胆力なんて、そんじょそこらのオトコじゃねーですかぁ。それじゃ、ユータがオトコを見せる番ですかねぇ……」
「いや、男を見せるとか、一体どういうことかな……まるでオレに作曲をはじめろとでも言うような……」
「その通りですよぉ! 下手に仕事にプライドあるからダメなんですよぉ。弱虫共に任せるくらいなら、気心知れたしろーとの方がマシですぅ!」
「いやいや、百合ちゃんがオレを指名してくれるのは嬉しいけれど、素人のオレじゃ酷評されるどころか君のファンにコロされちゃうかもよ?」
「なーむーですぅ」
「いや、法要のお経を今前借りしないで! コロされちゃうかもって言ったけどそう簡単にオレ、死なないからね?」
「うまうま……けぷ。ごちそーさま!」

どうしようもないなら、身内で。そんな下らない提案にぐだぐだと場は真剣から遠ざかる。
それは、食後の挨拶とともにぱんと手を叩いてからプラスチックの器と割り箸を持ってさっと出ていった稲の方が真面目に思えてしまうくらいにぐだぐだだった。

「全く、百合ちゃんは落胆の怖さを知らないからそんなことを言えるんだよ……」
「むぅー……一度くらいジェットコースターみたいな掌返しを受けてみてぇですけど、そんなのはアイドルの後の人生でいいですかねぇ」
「そう、そう」

このまま持ち上げられた後に下手をしたら、落とされるのが常のこと。
それこそこの世にあり得ない筈の実力を持っていたから未だに期待とともに安堵されているが、実際百合は位置エネルギーたっぷりな危うい位置に居る。

「むぅー……ですぅ……ならどうすれば……」

それを知らずでか、久しぶりの暇に自らの頬をむにむにとさせながら、ああでもないこうでもないと少女はひとり考え出す。
勿論、二人が一人に減って妙案が飛び出す訳もなく、ただ沈黙ばかりがその場に広がりだす。

「うーん……」

マネージャー裕太はPCを弄りながら、打診メールの返信を振り返り、しかしそれでも色よい返事はRE:の先にないのを確認するばかりだ。
いよいよこれは打つ手なしだな、と比翼連理の彼らは時に待つという結論をともに出そうとした、そんな際。

「あー……豊さんのくれたおうどん、うまうまだったー」
「稲センパイったらぽんぽん一杯みたいで良かったですねぇ。そして、そのユタカって奴は何もんですぅ?」
「んー? 豊さんっていうのは、もう五年くらいかな。そんな前に作曲は辞めちゃった、でもあたしの曲を創ってくれた人でねー」
「それって、あの『水面の愛』を創った……」
「そっか!」
「うわぁ、ですぅ!」

お腹を撫でながら、どうやら今日はここを休憩室とするつもりらしい稲がやってきて、その名を言う。
豊。豊イカサという今は一線退いて久しい音楽家。旧さを好む性質があれども、彼は流行りのアイドルに多くの曲という鉾を持たせてカシマレイコに向かわせてもいた。
もっとも、それらは届きも掠りもしなかったが、それでも実績に間違いはない。そして一度折れたプライドなら、また持ち上げるのは容易いはずで。
叫び百合を驚かせた裕太は続いて大声を上げる。

「それだよ……現役に拘りすぎてた! 何なら今からでも無理でも豊さんに打診をして……って、別に振り分けられてたこのメールまさか!? なんてラッキーな!」
「ですぅ?」

偶然から、更に幸甚は続く。裕太の瞳に映ったのは、お前のアイドルの曲を作らせてくれないか、という内容のメール。
プライベートな方に来たそれを二度見直し、両手を高々と掲げるマネージャーに、首を傾げるアイドル。
その隣で満腹満足な先輩は。

「良かったねー、百合ちゃん」

ただ、地獄の少女の未来を祝福するのだった。

 

やがて、福音は天国へと通じる。
これまでにない大きさの個人スタジオの中、受付の前で苦心しているマネージャーを置いて町田百合は運命に引っ張られるようにその奥へと歩んだ。
高名な音楽人、豊イカサ。その多目的音楽スタジオには彼が手をかけるアイドルも少なからず居て、綺羅びやかな存在が道中に。

「これは……折れてますぅ?」
「あはは……」

斃れて崩れて壊れかけて散らばっていた。
それは、近いからこそ感じる絶望。どうあっても、届かない深すぎる悲しみ。そして僅かな対象への哀れ。
全てが全て、彼女らに膝をつかせるに十分なもの。

「似て、ますねぇ……」

自分が壊してしまった先例を思い出し、百合はこの先に、自分と似て非なるものが存在することを悟った。
優しさに、少女は足を早める。

「あれはぁ……」
「ふぁ」

そして、地獄の少女はそれを前に停まった。
欠伸をしているようであるそれの面は、魅力を超えた価値の狂い。この世がラインで出来ていたとしても、それは究極の弧。
この世の皆がカシマレイコを識っているからこそ、こんなものを理解できない。

これと比べてしまえば、この世のすべてが不細工極まりないものである。
神だって、一歩届かない天の国。全てを見下げて構わないだろう、未完の整いを帯びた、伯楽をすら壊すもの。
全てが全て白を基調として、鮮やかを飲み込み器として機能している。なるほどこれは美の兵器。

「ふぅん……」

だが、そんなものは哀れにも百合には《《効かない》》のだ。

存在してはならない比較対象は、間抜けにも口を開けていた。それを突くように、百合はその少女らしきものに声をかける。

「おねーさん」
「わ」

それは、金の眼差しをこちらに向ける。
だが、明らかにそれは全てを舐め腐っているようだった。当人の呑気さを覚えた百合は目隠しの奥で眦を上げる。
こんなものが天国か。そうであってもそんなの認めないと、少女は隔意を持って彼女に言った。

「そんなところで無駄にそびえ立ってたら、邪魔ですぅ」
「あ、ごめんね」
「いえいえ。ただ、あんたって聞きしに勝る実物って奴と聞きましたが、実際大したもんじゃないですねぇ」

察する。
最近また塞ぎ込んだ師匠を励ましに向かった先で知った、悪辣な、美という視覚情報、天使の姿をした器物の存在。
その名は確か、片桐朝茶子。なるほどこれはアンタッチャブルな存在である。

だが、百合は百合で反則。むしろ朝茶子の中身の無さを見下げて、こう続けるのだった。

「あんただってどうせ、汚穢に犯されて台無しになる、そんな程度の一つですよぉ」
「わわ、えっと」

そうすると、今までにない反応に驚いた朝茶子は、慌てる。
その様ですら美を一切逸脱しないのだから、むしろ何もかもがおかしい。
そんな壊れて狂っているようである彼女は地獄に向けて問った。

「あの、友だちになってくれないかな?」
「ほほーう」

友だち。それは百合にとって大切なもの。
そして、本来人と人が結ぶ関係のことである。
それを、天国と地獄の存在が結ぶなんて噴飯もの。だが、だからこそ少女にはとても愉快だった。

口だけで上手に笑んで、百合は絶崖の美形に向けてこう返す。

「良いですよぉ?」
「わあい!」

当然、喜色を溢れさせるこの世を死なせる未熟な百合の正対。
彼女は楽しさのためにくるりくるりとその場を廻った。

「あっと」

そして、何故か朝茶子は瞳を湿潤させる。
慌てず騒がず、燃える何時もと違ってひたすら冷静に、悪い友として百合はこう言った。

「泣かなくて良いんですよ、天国のような人でなしさん。あんたが幾らクソだからって、百合は気にしないですぅ」
「あなた、百合ちゃんっていうんだ」
「そうですよぉ? 百合の敵は、彼岸花だとか揶揄しますが、百合は純潔なリリィなのですぅ」
「そうだよね。百合ちゃん、可愛いもの」
「ホント、あんたって頭と口がわりぃですぅ。可哀想なものと可愛いは、ホントはノットイコールですよぉ? 思っても、口に出しちゃだめですぅ」
「うう……とっても勉強になるよー」
「こんなクソバカに取り付いた上等な上っ面が可愛そうですぅ。ったく、世の中ってやっぱり滅ぼしたほうが良さそうですねぇ」

百合の口が悪くなるのは、当然。
これはあまりに違えていて、タガが外れているのは明白。
そもそも、自分と違ってこんなとんでもないものを隠しもせずにひけらかすなんてあまりにはしたなく、そして。

ああ、なんて羨ましいと思ってしまうのだった。

別に嫌いではないけれども、しかし嫌うべきとは考えるけれども、でも。
そんな感情をすら友として、地獄の少女は天国の少女を見捨てない。
よく分からず、子供以上の白を持つ片桐朝茶子は首を傾げた。

「ねえ、百合ちゃんはどうしてあたしの友達になるのをおっけーしたの?」
「はぁ? そんなの簡単ですぅ」
「えっと」
「百合は友情に見返りいらずで期待もしていないし、それに滅ぼされようが気にもとめないからですぅ」
「つまり?」
「まだ分かんねぇんですか……良いですよ。ハズいですぅが言ってやりますよ! それはですね」
「それは?」

言の通り百合は、本来何も求めていない。
ただ果のない努力に結果が付いてきただけ。地獄をスタートラインとした少女はただ上を向いていて。

「……百合も一人ぼっちは寂しぃって知ってるからですぅ」

だから、こうして天国と目が合ったのだと、ツンデレらしからぬ本音を朝茶子に一度瞳と共に向けて、そっぽを向いたのだった。

 

【ふんふーん♪】
「これ、はぁ……」

そして、少女は扉の隙間から本物の天国の調べを聴く。

「……負けない、ですよぉ?」

だが、それでも少女は負けない、負けられない。
何せ。

「あんたは、愛を知らないようですからぁ」

耐えきれず、目隠しの端から青い炎がちろり。
少女はただの美しい器物に負けるつもりなんて欠片もないのだけれども。

「いつか、地に落として、あんただって愛されてるってことを、教えてあげるですぅ……」

そう、町田百合はこの日、片桐朝茶子を|友《ライバル》とすることを決めたのだった。


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