第二十八話 ハーモニー

マイナス百合 マイナスから目指すトップアイドル

片桐朝茶子という少女は人界にあってしまった天国である。
そして、町田百合は人界に溢れ出ぬよう地獄を抑える蓋だった。

『そういえば結局、あの音楽家さん? あたし達の曲書いてくれなかったねー。どうしてだろ?』
「はっ、そりゃ心壊れた後に他人のことなんて考えられないもんですからねぇ。ましてや、あんたが歌で壊したんですから、優しくされないのはとーぜんですぅ」
『そうなんだ! やっぱり百合ちゃん賢いよぉ。勉強になるねー』
「百合としてはあんたの幼稚さというか間違いっぷりに頭痛くなるですよぉ。あんたのとうさんかーさん達はあんたに何を教えたですぅ?」
『えーっと……なんだろう? これまで実は声もあまり聞いたことないし……うーん、百合ちゃんなら分からないかなー』
「友達とはいえ、私が他所の子の家庭じじょーに詳しい訳なんてないですよぉ。ただ、ちょっと片桐家のネグレクト地味た雰囲気は察せたですぅ……」
『んー……ネックレスト?』
「確かに、受話器のむこーできっと首を傾げまくってるだろうあんたには、それは必要かもですねぇ……」

そんな本来交わる筈のなかった二人は、しかしアイドルという共通語により友誼にて結ばれ、お電話中。
だが、その会話は一体全体ツンツンして守ってきた意外と良識派な中身を持つ百合にはどうにも面倒なもの。
純粋無垢な狂気を金の喉で冗談のように次々鳴らしてくる年上に、さしもの彼女もたじたじ。毒の強すぎる天然ボケに突っ込みも大忙しになってしまう。

とはいえ、それに一々付き合う義理も本来ないのだが、どうにも百合は朝茶子には甘くなってしまうのだった。
何せ、終わっている自分と異なり、この生き物未満は何一つ始まってすらいない。
赤子にすらなり得ていない生きていない魂の宿った器物。それがこのヘブンズオブジェクトの正体だろうと無闇に賢すぎる百合は判ぜていた。

最悪のおねーさんと友達になってしまったと弾力と艶に満ちた濡髪を掻きながら、しかし彼女は彼女を見捨てる気など更々ない。
むしろ、天国の一端なんて地獄に落として仲良くしてやるですよぉ、と意気込みながら不通な会話を続けるのだった。

『でも、あたし、あたしの曲ほしいなあ。ね、百合ちゃんは一つくらい持ってるんでしょ?』
「ええ……でも、一つしかなかったせいで、あんたたちと予定バッティングして大事故ですよぉ。百合だって、新曲欲しいですぅ」
『そっかー。ねえ、百合ちゃん曲あたしに貸してくれないかなあ』
「はぁ……楽曲なんてのは所属とか権利とか色々めんどーなしがらみがあるですぅ。私の一存だけじゃ貸し借りなんてムズいですよぉ」
『へー。滋賀ってけっこう遠いのに、強いんだねぇ』
「ツッコもうにも百合は行ったことない滋賀のことはほぼ琵琶湖ってことしか知らねぇですぅ……ま。とにかく、難しいってことですよぉ」
『そっかー』

朝茶子の身じろぎに、パタと受話器の線が黒いプラスチックの本体に当たる音がする。
それを感じながら、しかし実のところ彼女がどこでどんな風にして電話越しに声をかけているのかすら、百合はどこまでも分からない。
何せ、電話の番号すら教えずあの日別れたというのに、本日番号どころか何も表示ない空白の通知だけの電話がかかってきて、恐る恐る通話させてみたところ片桐朝茶子の声。
電話かけてみたんだ、というだけで道理を通り越して来たこの年上の後輩の友達はひょっとしたら高天原にでも住まいがあるのではとすら思えて来るほど無法だった。

「はぁ……自覚がないってのもとんでもねーですねぇ」
『なんのこと?』
「電話しながらスクワットとか運動不足解消にどーかと思っただけですぅ」
『分かった! あたしやってみるね!』

そしてため息混じりに冗談を口にすれば、いちにーさんしー、と調子外れにスクワットの回数を律儀に数えだす朝茶子。
百合は耐性がなければ心何度へし折られても不思議ではない神域の声色を他所にして、本当にこのボケ助はどうして向いているだろう芸人でなくアイドルなんてはじめたのだろうと疑問を今更に覚える。

『はーち………きゅ、きゅ~……あわわ!』
「やれやれ。こんなのに欲なんて、あるんですかねぇ?」

膝曲げ十回目を数える前にひーん、と音を上げた朝茶子。そう、こんな人間の動作を真似ることすら上手にできない上位存在が、どうして真面目に偶像崇拝などを求めているのか。
あるだけで信仰の対象になれる存在が、あまねく全てに何を。
次第に深く考察しだした百合に、何一つ知らない朝茶子は、屈伸運動にて軋む脚を撫でながらこう問った。

『そういえば、百合ちゃんの曲ってどういう曲なの?』
「あー……あんたの家ってテレビもあんま観ないらしいですねぇ……じゃあ、こっちから勝手に流しますよぉ」
『わあ、楽しみだなあ! なんて名前の曲?』
「涙隠した、天使の歌ってこっ恥ずかしい名前の……こういう曲ですぅ」
『おー』

そして、通話以上の機能を持った平たい携帯電話から流したのは、最初に出来たよと貰ったものをスケールダウンさせた音。
テレビ番組の宣伝のテーマに使われていることもあり知名度も大変高い、でも聞いたことのない耳朶の付近にて大きく鳴り響くそれを面白がり、にこにこ真剣に朝茶子は聞いた。
だが、何時まで経っても彼女はおー、おーと続けるばかり。そこには感動の色もなければ情動の様も感じ取れない。
なんとなく緊張を覚えだした百合を他所に、楽曲は終わりを告げる。にこにこと品定めを終えた朝茶子は、元気にこう断言するのだった。

『ふぅん……なんか色々カチャカチャしてて面白い曲だね!』
「あのカシマレイコの作った曲にそんな感想を覚えてくれたのは、百合を除いたらあんたがはじめてかもしれないですねぇ……それで、百合の歌はどうでしたぁ?」
『それはねー……』

にこにこにこにこ。少女はただ最高でない違和にくすぐられるだけ。
その理由は単純。天国の存在は天国に当たり前に流れている至極のバックグラウンドミュージックしか知らないから。
だから、それ以下でしかない下界の工夫や努力やそんなもの、一つに纏めて。

『雑音だらけであたしは真剣に聞いてられなかったかなー』
「っ!」

暗に無駄だよと、断言するのだった。
自分の何もかもをこき下ろされた百合は、絶句せざるを得ない。
むしろ目指すべきトップの更に上、天国から唾を吐かれて電話機を取り落とさなかっただけ彼女はマシだろうか。

勿論、友達の動揺やそもそもその心すらどうでも良い朝茶子は笑顔のままこう続けて。

『うん。この曲はあたしは要らない。でも』

あくまで彼女にとってはとびきりの善意でもってして、こう百合を怒らすのだった。

『こんなに歌が下手な百合ちゃんになら、あたしが曲を作ってあげられるかも!』
「……はぁ?」

何でこの時私は絶交しなかったですかねぇ、と後に百合は述懐する。
そんな無知の言いたい放題に、だが彼女は。

「なら――作ってもらおうじゃねぇですかぁ!」

怒髪天を衝かせながら、むしろ発奮してしまうのだった。

 

その翌日。オーキッドプロダクションの会議室にて百合と裕太、リリィ組と社内では言われている彼らが秘密の会合を開いていた。
今回ばかりはどうしてか室中にて麺類を啜ろうとしたがる稲もおにぎりを一個与えた上で追い出し済み。
全ての事の次第をメッセージアプリから知っているマネージャーは、先からずっと眉を怒らせ続けている百合に、恐る恐るこう呟く。

「あー……田中勇作芸能事務所の社長にはOK貰ったけど……百合、本気かい?」
「ですぅ」

冗談だろうという提案に対する疑問に、しかし賢い百合の頭は確かであると頷くばかり。
見ず知らず、能力も判らず実績もない同年代の少女に全てを預けようとしている我がアイドルに、最早中井裕太はどうすればいいか分からない。
しばらく見ていてもちんまい姿を頑なに、百合は不動である。
ため息を飲み込みながら、彼は尚言い募る。

「その子、作詞作曲すべて素人なんだろう? それならまだ、齧ってたオレが書いた方が……」
「無理、ですよぉ」
「……向こうの事務所でも情報をひた隠ししてるみたいで、オレは顔すら見たことないけれど、その……片桐さんってそんなに本物なのかい?」

何を口にしても、百合から返ってくるのは朝茶子に対する信頼地味た文句。
つい先日友達になったばかりらしい相手に、これはどうにも兄代わりのつもりの裕太は不安である。
今まで何が相手でも負けるか精神で軽々と手を取ろうとしなかったのに、急な路線変更。
これはもしかして、もしかするのかとすら考えはじめた彼に、彼女はこう断言するのだった。

「ええ。それこそアレと比べたら私達なんて全てが偽物ですよぉ」
「はぁ……百合ちゃんが認めるなんて……カシマレイコより上と見たほうが良かったりする?」
「あんな妖怪、下の下ですよぉ」
「マジかよ……流石に、信じられなくなってきたぞお?」

全世界を席巻する存在ですら、下の下。下に敷いておくものにすらならない程度のものでしかないなんて、信じられないどころではない想像の外。
最早、そんなもの人間のはずがなければ、アイドルを超越しすぎている。
あり得ないとこちらこそ断言して首を振りたいところであるが、でも我がアイドルは本気でそれを信じていた。

その絶対的な信頼を理解は出来ない。だが、こうなってしまえばその少女の力を借りることは決定だ。
最悪ダメでも、譜面などを受け取った上で最大限こちらで良化させればいいかと考えはじめた裕太。
なら、早めにモノを受け取りたいなと思った彼は期日などを考えて尋ねてみる。

「……どれくらいで出来るか、とか片桐さんと進捗とかは話せてる?」
「あー。それなら明日には出来るとか抜かしてましたねぇ」
「実質二日!? ……確か、片桐さんって学生なんだよね」
「えぇ。アレは多分これからお家に帰った後鼻歌交じりに正解を綴ることでしょうねぇ。そんな、バケモンとか超えた存在ですからぁ」
「はぁ……なんというか、どうしてそんなのがこの世界に降りちゃってるんだろうね……」

地獄を秘めた存在。確かに我がアイドルも超常ではある。だが、そこまで行くと最早異なりすぎてなんでここにあるのかが不安になるレベルである。
故に、鵜呑みには出来ない。とはいえ、ここまで担当アイドルに説得されれば、期待したくもなる。
凄いのが届いたらいいな、と思う彼は明日の重すぎる奇貨を想像も出来ない。

だがふと、裕太は思う。
才人は百合が自分の向上のために睨みたがる類。とはいえ朝茶子とやらがそこまで凄ければ嫌いになれないのかもしれないが、それしてもあまりに百合のこのデレっぷりはらしくない。
まさか負けを認めてしまったのではと考えてしまった彼の口はこう問いを放つ。

「でも、そもそもどうして百合ちゃんは、そんな子の提案を呑んだんだい?」
「それは、アレでも百合の友達ですしからプレゼントしてくれるなら捨てたくないですしぃ……」

少し恥ずかしげにしながら、百合は卓上のドラセナをつんつん。
そうして反発を味わってから少し黙り、目隠しの奥で瞳を一度閉ざしてからこう語った。

「なにより、百合だって人の子なのでぇ……天国と地獄……最大オクターブ違いのハーモニーはどんなものになるのか、気になったってのもあるんですよぉ」

そうして、乙女は今はなきどこかを見上げる。
早く明日が来ないですかねぇ、と呟く百合は頬を少し紅に染めていて、まるで恋に恋する少女のようだった。


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