第五話 一人ぼっちは寂しい

マイナス百合 マイナスから目指すトップアイドル

田所釉子は、アイドルだった。
それも、ただのアイドルではない。天上には及ばずとも、まずただの花として飾られるばかりの代物ではなかった。
喩えるならばそれは、輝石。可憐を綺羅びやかな明かりの中輝かせて、その多面な美を周囲に振りまく、そんな少女だったのである。

「今日も釉子のために、来てくれてありがとー!」

燦々と光投げかけられる、そんな日々。輝くためにはどんな影も許されず、だから笑顔だけが彼女に許された表現だった。
酸いも甘いも周囲には転がっていたが、しかし苦味に顔をしかめることすら不自由。
上手であることこそ大切で、一見の組みやすさだって演出。努力で自縛しきった釉子は、柔らかな笑みの中に何より頑ななものを秘めていた。

「釉子も皆のこと、大好きだよー!」

一人のために埋まったライブ会場での少女の放言はどこまでも迫真で、白々しい。
見知らぬ他人なんて、好きになれるはずがなく、だからそれは嘘。まして彼らが幾らお金をくれようが、そんなもので変わる心なぞ持ってはいない。
故に、どこまでもどうでもいいもの達の中、しかし釉子は作った笑顔を極め続ける。

「みんな、楽しかったよ……ありがとう」

同じように、人気を失い引退となった際に彼女が流した涙だって嘘っぱち。釉子にとって失意よりも本当は安堵のほうが大きかったのかもしれない。
もう、夢の時間が終わっても悪くはなくて、むしろ窮屈に過ぎるガラスの靴は早く脱ぎ捨ててしまいたかった。
それくらいに、一人の少女にとってアイドル、偶像であり続けるのは大変なことだったのだ。

「……これで、良かった、のかな」

しかし、最後の最後に衣装を脱ごうと胸元に手を当てたその時に、溢れたのはそんな言葉。
こうあれ。そういう理想のために、私を捨て続けた私。しかし、そこまでして願い励んだ夢は、半分叶って半分失った。

私はアイドルになって歌って踊って笑って楽しく暮らすんだ。そんな子供の頃の夢は、楽しくという大事な部分以外が叶って、消えていた。
でも、ならどうすれば果たして、あの人に縋れたというのか。

【あは♪】

目指し続けたは、お空に輝く一つ星。ギラギラ光る、段違い。

確かに陽光を真似すればするだけ綺麗になることは出来て、そうして愛されもした。
望まれて歌って、踊って、笑って、喋って、結果として夢の殆どは叶ったのだ。きっと、自分は幸せであるのだろう。

しかし、どうして私はアレになることが出来なかったのだろうか。

【夢は、叶うよ♪】

極めつけの偶像はそう、ほざき、それを真に受け老若男女の多くが真似した。
或いは私もその一人でしかなかったのかもしれない。認めたくはないけれど。

「くそ……」

耐えきれず釉子は必死に胸元を掻きむしる、だがそれはどうしたって拭えず、きっと一生取れることはないだろう。

まがい物の翼は蝋。そんなもので飛べば落ちるのは、当たり前。そして、下手でも飛んだからには。
落ちる痛みを味わうのは、必然だった。

 

カエルの歌のほうがマシだったよ。
曰くアイドルだったらしい女からそんな評をプレゼントされた次の日から、百合には日課が二つほど増えた。
一つは、歩行訓練。
それは治りかけの体に鞭打つ行為であり、そもそも元々上手く歩めていなかったから少女にとって行うのはリハビリとすら言えない難度であったが、しっかりそれを百合は毎日こなした。

「ふぁ、眠ぃですねぇ……」
「百合ちゃん、頑張ってるものね」
「それしか、やることねぇですからね。しゃあなし、ですぅ……ふぁあ」
「ふふ、それをこなしきっちゃうのが凄いんだけどね」

その歩行訓練でくたくたになって、欠伸ばかりする重い体を看護師さんに押して貰いながら百合は車椅子の上ころころと二つ目の日課の消費のために向かう。
会話はそこそこ。進めば進むほど人の数が減っていく通りを進んだためか、話す数も先細りしていく。やがて、一際大きな貸し切りの病室の前に付いた二人。
田所釉子という名前が一人ぼっちにかかった戸に看護師の行ったノックの直ぐ後、ためらいなく宣言しながら百合は扉を開けた。

「失礼するですぅ」
「また来たんだ。君も暇人だねぇ」
「むぅ、ですぅ。百合も暇をこんな奴を使って潰さなければなんないってのは、ゲロゲロですよぉ」
「こんな奴とは……まったく、先生に対して随分な言いようだね」
「文句を垂れるだけが能のせんせーなんて、百合はぜーったい認めないですがねぇ」

検診衣代わりのパジャマ姿の釉子の姿を目に入れるなりぷんぷんしながら、百合は寂しい一人部屋へと入室する。
貸し切り部屋の主も呆れた表情をしながら、しかし読書中の本に栞を挟んでから律儀に少女に対して応答していた。

全く素直ではない。そんな二人を見つめて看護師はそう感想を覚える。
疲れた身体を押してまでこの二つ目の日課を行う百合はもちろん、釉子だって最後はいつも明らかに楽しそうに笑んでいるのがお決まりだというのに。
意地っ張りが二人居ると面白いものだと、看護師は思うのだった。
スネにクチバシを作った百合は、それを直さないまま、勝手に始める。

「では、勝手に始めますよー、ドレミハソラシド♪ ですぅ」
「相変わらず、ド以降は全部半音以上ズレている上、今回はファがハになっているね……ほら、ドレミファソラシド♪」
「くっ、ドレミフォソラシド♪ ですぅ!」
「今度はフォだね……まあ、全体さっきよりはマシかな。ただ、もうちょっとこう歌らしく出来ないものかな……地声で怒鳴っているのに近いよ?」
「むぅ……難しいですねぇ……ドレミファソら……げふぉっ!」
「ああ、無理な喉の使い方するから……ほら、これでも飲んで」
「うう、すまんですぅ……」

遠慮なしに釉子の飲みさしだろう、紅茶――実は高価な茶葉を用いている――をカップを貰うなりごくごく飲み干し、謝る百合。
その謝罪の理由は、きっと無理に真似して失敗したからだろう。上等に近づけただけで咳き込むほどの苦痛になってしまうくらいに、ダメな自分を知らず彼女は謝っていたのだ。
だが小さな子供の左巻きつむじを見つめながら、元アイドルは冷静に返す。

「いや、謝ることはないさ。むしろ、現在の限界値がそれくらいだって分かったのは収穫だ」
「どーいうことですぅ?」
「何。下手に無理すると喉やられるって分かっただろ? なら、その手前まで、ぎりぎり近くで慣らしていくんだ。そうしていけば、何れはもっと良い声を出せるだろうね」
「なるほどですぅ……って、ということは今の百合の声は……」
「ゲロゲロだね」
「ぎゃふんですぅー」
「ふふ」

今までそこそこは出来ていると信じていたのだろう、酷くがっかりする百合を、微笑ましいものとして釉子は笑う。
そう、それは作ったものではない、影すら伺える小さな笑み。でも、それこそ彼女には似合っていて、そのために。

「アイドルってのは、伊達じゃねぇですねぇ……」

白い花びらキラキラと。幾重も重なり深まり心すら伺えず。
百合も、釉子のことを綺麗と思うのだった。

 

「らー♪」
「らー♪ だよ」
「むむむ、ですぅ」

しばらく、歌のレッスンは滞りなく進んでいく。
地獄から僅か離れたばかりの声色に、天国にすら近い音色は重なり合わない。すれ違うことすらなく、しかし何時か重なることを願う二人の歌唱は続いた。

レースのカーテンから数日前から続く暖かな日差しは今日も柔らかに彼女らを覆う。
釉子の以前は振りまくようだった美も、日差しの下に落ち着いた大人しいものとなり、百合の安心を誘っていた。
また、百合の傷の痕だって眩さに紛れてしまえばただの愛らしさにしかならない。

「素敵……」

そのせいで、彼女たちはまるでただの人のように、見えた。最低でも、看護師の女性の目の端は緩むくらいに、それは望ましい光景で。

「あー♪」
「あー♪」

まるで、天国に二番目に近かった元アイドルに、地獄の蓋の少女が競って鳴いている姿には思えない。
やがて、周囲に暗がりが増えてきた頃合いになって、歌は小さく細く、一筋に消えていった。

「すぅ……」

そう、あたりに響くのは百合の吐息のような寝息ばかり。
そればかりは、とても上手で愛おしく纏まっていて、思わずその頭を撫でてしまいそうで。
だから、あえて釉子は連れの看護師に言った。

「今日は、ここでお終い、かな」
「ええ、本当にありがとうございます。百合ちゃんったら毎日鼻を明かしてやるって、あなたと会えるのを楽しみにしてて……」
「捻くれた楽しみかたもあるもんだね……まあ、いいさ。私の暇つぶしには、なるから」
「ふふ、素直じゃないですね」
「むぅ」

看護師の満面の笑みに、釉子は珍しく照れる。
しかし、自省し、私が言った全ては嘘ではないとも思うのだ。
何せ、本当に百合という少女の歌は地獄的に下手で、その上達のための手助けだってお遊びの暇つぶし程度にしか行っていない。
だから間違いないと思えども、しかし、それが真っ直ぐ本心でないかと言えば。

「まあ、そうだね、私もちょっと捻くれていた」

心はどこまでもすれ違っていた。
真っ直ぐ、改めて彼女は彼女を見つめる。
すると、哀れな傷を負った子供が自分の膝下でどこまでも、安心に寝入っている姿が映った。
それを一度認めてしまえば、もう無理だ。

金に集まる虫を払って、払って、すると一人も残ってくれなかった哀しみにずっと捻くれていたことを、思い出してしまう。
だから、少女だって傷つけてやりたかったのだけれど。
そんなことをする、元気ももう、釉子にはない。ただ、深く寝入った子供の横で、彼女は看護師にだけ本心を晒す。

「ぐぅ……」
「本当は、私はこの子の傷になりたいと、思った。どん詰まりから咲こうとするこの少女の未来の、その心に少しでも刻まれることがあればと、考えていたんだ」
「それは……」
「でも、だめだ。楽しいよ、やっぱり」

最早とても、この子を傷つけたくないと、釉子は言う。

努力を重ねて重ねて花となる。それを百合より先んじて行った白色ラナンキュラスは、だがしかし。

「一人ぼっちは寂しい、からね」

病みに蝕まれて、先に枯れ果てる。

そして、だからこそ。

「ここで、おしまい。今日でレッスンは終了」
「すやぁ……」
「私は彼女にただ忘れられて、もうそれでいいんだ」

だから、今まで一緒に歌ってくれてありがとう、と泣きそうな顔をしながら、釉子は寝入る百合を今度こそ恐れず優しく撫で擦るのだった。


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