十三話 幾ら想いを焚けども独りには

少女は星にならない挿絵 少女は星にならない

須賀京太郎は、元来星に手を伸ばす人だった。
希望を持ち、愛に瞳を輝かし、そして夢を求めてやまない少年が彼の基礎。
その大器が幾ら愛のために陳腐化しようとも、怪我の痛苦にて肩より上に手が上がらなくなろうとも、本質的に青年は足掻く者なのだ。
更に言うならば、京太郎は空を飛ぶためにもがき続けることの辛さを誰より知る一人だった。

叶わぬ夢は、見るべきではない。でも、背を向けてうずくまったところで天には今日も星星が輝き続けている。

「……綺麗だな」

ならばこそ、京太郎は手を伸ばさずとも、今日も空を見上げていた。

 

電車というのは、どうにも易しすぎるものと少女は思う。
地に足をつけず、こうしてぶらぶらとさせている間に目的地へとつく便利。それを無聊と感じてしまうのは、異国の僻地に生まれた僻みからか。
土の匂いを意識しないでも済む、そんな東京という土地にはどうにも彼女、ネリー・ヴィルサラーゼは中々慣れなかった。

「……よく分かんない」

彼女は東京の街と切れ端の緑が線の如くに速く通り過ぎていくのに飽いてから、騒がしい電光掲示板の読み切れぬ日本語を望む。
楽しげな、登場人物たち。色は過剰で留まることなく何もかもがびかびか輝いている。話すのに慣れた程度の言葉の説明ばかりではその内容すら今ひとつ理解できずに、思わずその愛らしい眉根も寄った。
灰色に飽いて、贅を得るためにとこの麻雀という競技において異常な成績を収める世界ランカーを排出し続ける、日本という変わった国へ麻雀を学び、また実績を得に来たネリー。

「まだ、足りない」

そんな意気軒昂を保持したまま今に励み続ける少女は不理解すら自らの不足だろうと瞳に更なる炎を灯す。
もっと頑張って私はお金を得て、そして。願いを持って励む彼女には、最早他の幸福な生に慣れたすべてが停滞しているようにすら見えていた。
必死でなければ死んでしまう。そんな現実のために何に関しても本気にならざるを得なかった、それでも減りゆく輩達と過ごした過去を思うとネリーは日本の同級には乾きがなさ過ぎるとすら思ってしまう。

勿論、制服に着せられて一人空いた昼の電車内にてキョロキョロしている少女を優しく眺める老婆や、早めに授業が終わったのだろうあまり見慣れないランドセルというものを揃って背負って集っている小学生等にまでそれを求めてはいない。
美しい背景が浅薄でも構わない。自分の範囲の外なら、別にただ幸せでも構わないのだ。
だが、友達とするならば。もう少し温度が同じ人が居たら良かったのにな、と嘘偽りなくネリーは思っていた。つい、弱々しく少女は呟く。

「ネリーは、一人ぼっち……」

日本は平和だ。だがそれ故に切磋琢磨に衝突が足りていないこと多々。幾ら優しくてもそれでは互いの理解も出来ないと、いっそ暴力的ですらあった日々を送ってきた異国の少女は考える。
馴れ合いにあまり、磨かれない心地。麻雀競技上位の生徒達はまだマシとは思えども、それだって足りないとネリーはどうしたって感じてしまうのだ。

「もっと、殺すつもりでかかってきて良いのに」

ネリーが雀卓においていっそ悪辣に振る舞うようになったのは、何時からか。
何時も彼女は明白に本気で掛かってこいと口に出さずとも言っている。だが、そもそもの少女の優しいところが知られていたり、ネリーの矮躯では迫力がないのか、挑発なんて流されてしまうのが常。
そもそも、周囲は優しい人ばかり。彼女らのそれが美徳なのは分かっているのだけれども。でも。

「白糸台には、面白い子、居るのかな?」

ここにないなら、他には。そんな心は一人の今明確に言葉に出る。
期待外れな日々に少しずつ、溜まり始めた心の澱。豊かだった少女の表情が凍りはじめたことに、麻雀部の監督アレクサンドラ・ヴィントハイムはネリーにこう囁いた。

――――ネリー、ちょっと敵情視察をして来てくれないかな?

同じ代表校同士対戦するのはダメだけれど、それ以外は自由にしていいよ。一報は入れておいたから、と。
片目を瞑って軽く言いつけられたお使いに、しかしネリーは特にごねることもなく頷いたのだった。

「西東京代表って弱いけど……期待してもいいのかな」

そう、彼女は気になっていたのである。
白糸台高校の都大会での牌譜を見るに無駄は少ない。皆が実に効率的な麻雀を実践しているに違いなかった。
けれども、それは逆に考えれば特異なジンクスや実力を保有している者が殆ど存在しないということ。ちょっとずるな力を振るわれただけで飛んでいってしまう程度の実力で、それでも彼女らは全国への切符を得ていた。
きっと白糸台の者たちは優勝を夢に見ることも出来ず、でも諦めきれなかったというそんな類。弱者に己との相似を見たくはないけれども、それでもきっと乾きぶりは似通っていて。

「ちょっと、楽しみだな」

勝手だとは重々承知しながらも、ネリーは格下相手に再び焚き付けられるような熱量を欲していたのだった。

 

「Musashinodai……ここ、だよね」

読み損ねた日本語の後に続いたアルファベット表記に、もう少しで降りるべきと知る。
そう、駅から五分と離れていない白糸台高校はもう直ぐそこだ。思わず、長い髪を弾ませながら少女は楽しみに微笑むのだった。

さて、ネリーは、海を下に見て空を通って日本までやって来た留学生である。
彼女は飛行機の翼に己の飛躍を重ねながら祖国サカルトヴェロ――ジョージア、或いはグルジア――から荷物も少なく、3ヶ月程前にやって来ていた。
母国の同級どころかランドセルを背負った日本の子にすら時に及ばないこともある矮躯に夢と欲望一杯に、少女は麻雀という舞台にて圧倒的な成績を残す。
もっとも対策されぬように今のところは半全力ですら臨海女子麻雀部の内にのみ限られているが、それだけでも格付けするには十分。
日本で《《二番目》》に麻雀が強いとされる女子高生や世界ランカーの他の留学生等を差し置いて、麻雀全国大会東東京代表の臨海女子高校麻雀部の団体戦代表にて、大将を務めるにまで至っている。

順調とは即ち己の現況のこと。しかし、そこにあまりに簡単すぎて気持ちが伴わず、むしろつまらないとネリーは常々感じていた。
この世は決してガムではないけれど、歯ごたえがなければ空虚に過ぎる。これまで、身動き取れずに辛いくらいだったのが、人生だったのに。

「学校……白糸台……着いた!」

楽を当たり前と感じられないのは不幸か否かはきっと誰にも解らない。
でも、アレクサンドラ監督はそれをどうにかしてあげたいとは思ったのだ。だから、わざと彼女はきっと期待外れだろう高校を選んであげた。そもそも、ネリーほどの努力家な女子高生なんて日本中を探してもそうは見つからない。
今回のお出かけで大きな失望を感じ、むしろこれまでを良しと妥協してもらうというのが監督のプラン。そもそも、ネリーにはもっと力を抜いて欲しいと彼女はずっと思っていたのだった。

だが、そんな大人の賢しい考えは。

「ん、君は……見学者か?」
「……誰?」

|偶《運命》の出会いによって、無に帰した。

 

「あー……面白いな」

京太郎はその日の昼休み、部活棟に籠もって本を読んでいた。文芸部室の本の山を崩すという程ではないが、最近こと彼は読書に熱中している。
その昔から、星の王子さまに感じ入ったり、始めて読み通した本が絵本ではなく坊っちゃんだったりする子供だった。
運動を気に入り、ハンドボールに嵌り込んで青春を捧げてきてはいたが、元々頭が悪くもなく、また共感性も高い方。
小説に涙することも、図鑑に驚きを覚えるのだって京太郎には自然なことで、ならば読むことを好むようになるのも当たり前だったのかもしれない。

「冗談みたいに分厚かったけれど、流石は咲のイチオシだな……まあ、途中途中判らないところはあったから、後で聞いてみるか」

部室の奥にあったページ数がこれまで読んできたものと一桁違う大作を数日かけて読み通して、結果京太郎は満足を覚える。
バタンと大きめの音を立てて閉じた本を置き、伸びをしながら彼は筆まめというかメッセンジャーアプリをこまめに使ってくる咲のことを思う。

一番の友だちはあまり文字の詰まった本を与えれば秒で寝入ってしまうが、しかしあのポンコツ乙女は妹らしく部長と同程度小説というものに造形が深かった。
聞けば大体答えてくれるし、それに年上には気が引けてしまうような質問も、からかいですら咲には出来てしまう。まあ、それを自慢されたのか時々ぶーたれて拗ねてくる照だって慣れてしまえば可愛らしいもの。
姉妹共に積極的なこともあり何だかんだ、京太郎の好感度は宮永シスターズの共に高い。

「まあ、あいつを良いように使わないように気をつけないとな……咲が俺のために家中の本を探して読んで寝不足になってるとか、誠に聞かなきゃ分かんなかったぞ……」

しかし恋愛対象にまで感じるには、彼女らはどうにも危なっかしく低年齢対象な存在に思えてしまい、姉妹揃って悪い男に引っかからなければいいなと心より願ったりする京太郎だった。
そもそも、おもちが足りない相手を中々異性として見れないのが、彼の悪癖でもある。
故に、少女らの健気なアピールは可愛らしいで終わり愛おしいまでは中々届かなかった。

「そろそろ昼休みも終わりか……よし、戻るか」

そんな青春中の京太郎も、学生であるからにはチャイムまでに行動を終えなければならない。
部活棟は近けれども、あんまりのんびりしていては次の授業に遅刻してしまうことだろう。
戻るために急ぎ、扉を開けた京太郎は。

「っと」
「わ」

通りすがりの学校見学者――ネリー――とぶつかりそうになり、寸でのところで堪えた。
急に横っ面から大きな男子と遭遇した少女はびっくり。もとより大きな目を丸くして、しっかりした胸板と正対するのだった。
京太郎は、ネリーの首からぶら下がった許可証を見つけて、問う。

「ごめん。驚かせちゃったな……ん、君は……見学者か?」
「……誰?」
「俺は、白糸台一年生の須賀京太郎」
「んー……ネリーは、ネリー・ヴィルサラーゼ。臨海女子の留学生」

低い背の後ろには一本の長いお下げ。まだまだあどけなさの残る顔立ちにはしかし燃えるような熱量を秘めた瞳が目立つ。
これまで様々な輝石を見つめてきた京太郎にとっても、これは傑物だと判じられる、ネリーはそんな少女――やはりおもちはないが――だった。

そして、己を軽くなく認めている様子の京太郎を見上げて、ネリーもこう感じる。
決して燃え盛ってはいないけれど、なんか温かい。そんな生ぬるさが心地よいとすら思えるのはどうしてか。
惚れたはれたは自分には似合わないし、この胸の心地はそれでは絶対にないとは少女は理解っている。

でも。ならどうしてネリーは京太郎から目を反らせないのだ。それを不思議に思いながら立ちすくんでいると、笑顔に成った京太郎が続けた。

「臨海って確か結構距離あったよな……いや、はるばるお疲れ様」
「うーん。サカルトヴェロ……母国から来た時と比べたら大したことないよ」
「はは。そりゃそうか。えっと……そういやネリーも、一年か?」
「うん。キョータロと一緒」
「ふうん……それにしては……」

燃え残りは、火達磨とすら感じられるほど赫々と意気に燃え盛る少女に深き業を覗く。
京太郎は、星に手を伸ばす人だった。だが、この子はそもそもが星のようで。星に成りたがっているようにすら感じられた。

空に飛翔したがるのは、能力だけでなくその心根からも。ネリーは現実に醒めながらもどこまでも夢を見続けている。
それが、他との温度差と孤独を生んでいるのならば。
少女はやっぱり熱くない男の子、それでも何か判じている様子の彼の前にて首を傾げる。ネリーは聞いた。

「何かネリーっておかしい?」
「いや、俺はネリーが間違っていないと思う。ただ……」
「ただ?」

ただ、何なのだろうか。
そもそも異国にて同等を求めるのはおかしなことだと少女も何となく理解はしている。
でも、一人ぼっちは誰だって嫌だからには、諦めきれずにこんな東京の端から端まで。それが正しくないのは違いないのだろうけれど。

そんな筈なのに、この男の子の瞳がここまで優しく凪いでいるのはどうしてか。
京太郎はゆっくり膝を曲げ、視線を合わせてから、言う。

「無理に星にならなくて、いいんだ」
「あ……」

それはどういう意味の言葉か。だが少年の破れた夢の飛沫は、確かに優しさに変わっていた。
美が浅薄ならば、欲しがっている金も同じで、望んでいる愛も同等。そんなことは少女も重々識っていたのだけれども。
項の一枚一枚を価値あるものとして酔狂にも愛するようになった京太郎は、覗いたネリーの努力の一片を理解しつつも、思いやるに留まる。
そしてこう断言するのだった。

「だって……逃げるために、空はある訳じゃないだろ?」

叶わぬ夢は、見るべきではない。でも、背を向けてうずくまったところで天には今日も星星が輝き続けている。
ならばこそ見上げ続けた京太郎は、星になりたがった少女を一人にさせない。

「そう、だったんだ……」

ネリーはどこか胡乱ですらある言葉の連なりに、むしろ強い理解を覚えた。
そう、彼女は優しい世界へのそう痒感のために、己震わせその熱量に場違いと逃避していただけ。
私は違う。そんな心根こそ大きく間違っていた。

「キョータロ……」
「ああ、俺だってここに居るよ」

だから、おずおずと、少女が伸ばした手を掴む青年。
その熱さから自らへと逃げる温度を感じて、でもそれが痛くなくむしろ心地良い事実に彼は微笑んで。

 

「あー! 須賀がちっちゃな女の子かどわかしてるー!」
「むっ、手を引っ張るなら京ちゃん、私か咲にして」
「あー……照に大星、そのちっちゃな女の子とやらは私の部の客人みたいだな……」

やがて縁は絡んで青年少女を二人ぼっちにすらさせやしない。
一気に慌ただしくなった中、ネリー・ヴィルサラーゼという一人ぼっちになろうとしていた少女も。

「あはは……キョータロの隣って面白いねー」
「笑ってないで、淡を止めるの手伝ってくれ、ネリー……」

繋いだ手はそのままに、笑顔になって輪の中にて共に空を見上げるのだった。


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