儚き桜の花弁に八重のためしもあれば、野暮にも誰かのために一人果てることだってある。
桜花も人も仕舞いに赤と似た色を散らし続け、やがてそれを積もり積もらせ跡を成すのがならい。
だが、たとえ何叶わず終わって、悲劇であってもよいものだ。
だって一欠片の命をかけたそのひとひらこそが、いっそ泣き叫びたくなるくらいに有為なこの世の証なのだから。
「冥界も紅葉華やぐ時期になったわねえ」
幽明境を越えたその先。豪奢を詫びで塗りたくった結果に生まれた寂びのような広い邸宅の庭にて、明朗な声が高く響く。
枯れに花を重ねる雅なその下手人を二文字で表すならば白に艶。彼女はそんな曖昧なもので作られたようである。
微笑み以外に似合う表情のなさそうな、そんな角のない円かな様子の彼女の周りには、大体丸い薄く輝く白が尾を引きながら複数浮いていた。
それは霊という存在を穏やかに形にすればこうなるだろうといった代物。その中の一つが、実はこの場で何より霊な女の唇から離れた白磁の指先にぴとと乗っかる。
冷たく、だが心地よい温度。彼女はわざとらしく面を更に綻ばせて、こう喜んだ。
「あら。貴女ったら随分懐っこいのね。私にこんなに親しんでくれる霊魂も珍しいわー」
そう、我が身の一端にて安堵する死んだ子どもの魂に優しくする。
彼女が覚えたのは終わり極まって冷たく凍えすぎたその身が、少し緩やかに解けるようなそんな心地。
《《霊》》度ですら温かいのであるからには、この人だったものはどれだけ冷めてしまったのか。だからきっとこの人魂は優しくその身で温めようとおもったのだけれども。
「あら……」
だが間近に感じた女性のあまりの死の香りに、幽かな魂一つはたまらずぶるりと震える。
そう、なにしろこの亡霊は誰よりも死だ。なにせ生を終えたそのまま永遠で、その上主に死を操る程度の能力なんてものすら備えたとびきり。
どれだけたおやかに生きようとも、魅力的であってもこれは終わりの形の一つ。生きとし生けるものが恐れるのは当然で、死んでいても尚この淡色に怯えるのは無理からぬこと。
――、――。
「いい子ね」
でも、その魂は彼女の白氷の指先からこびり付くように離れない。
一度味わった筈の死が、極大になってここにある。だが、それでも心根があまりに優しい少女だった人魂は一人きりを決め込んだ亡霊から離れてなんかやらなかった。
怖いからどうした。そんなことよりずっとあの人達と離れて一人ぼっちになることのほうが辛くて、そして死後にこんな優しくて寂しげな素敵な人に出会えたことが嬉しかったのだ。
だから優しくしたいし、どうせならこのまま永くこの場で女性を温めていてあげたかった。
そんな底なしの優しさはきっと、元巫女だった人里の誰かさんのものが伝染ってしまった結果なのかもしれない。
でも咳で苦しむことないこの冥界での暮らしはこれが永遠であってもいいと思えるくらいに、罪を帯びることすら出来なかったくらいに幼いまま命を終えてしまった人魂にとっては魅力的。
生きて辛くて死後にようやく自らの命を良しとしたそのことの悲しさに泣きたくなる心地を、敏に察した女性は慰めるように柔らかな命の塊を撫でつけて。
想いながら冬に枯れるばかりの世界に言の葉を乗せる。
「貴女も何時かは居なくなるのだけれど……」
人は、生まれ生まれ生まれ生まれて生の始めに暗く、死に死に死に死んで死の終わりに冥し。
だがこの冥界にて死後のはじまりの管理を行う亡霊はそんな輪廻の悩みと無縁だ。
そして、それは即ちここ冥界に来る罪のない死者達とは何時か輪廻や成仏のために別れなければならないということ。
それがこんなに指先くすぐったくなるくらいに優しくされてしまえば千年以上の孤独だって残念に思わないこともない。
だから、彼女は真愛おしがりながら、今度は手のひらの上に離れなくなった少女だった子に向けてこう語るのだ。
「私は貴女を憶えておくわ。そう。きっと人里で誰よりも優しい女の子だった貴女を」
柔和な笑顔の下に、喜色よって気軽にそんな言葉はころりと転がった。
女性からすれば、こんな優しい人間なんてそうそう他に居ないだろうという心から出た言葉。
だがしかし、どうしてだかかけられた言葉を人魂は受け入れられなかったようで、少し頭を上げるようにしてから高い音をその場に響かせた。
――――――。
「あら? そうじゃない? 私よりもっと優しい人達がいる?」
そして亡霊が聞き取ったのは、嘘のようなそんな答え。
人の世には、優しさがある。そんなことくらいは識っていたが、だからとはいえ限度というものがあった。
自分の恐怖を克己してまで人に優しくしたくなるような黄金の心を持った存在よりも、もっと優しい存在なんて果たしてそれは。
少し考えてむしろそら恐ろしくなってしまった亡霊は、何故か誇らしげな少女の魂を他所にこう呟かざるを得なかった。
「それは、本当なのかしらね……」
木に冬枯れ。たとえ乾いた紅葉の全てが落ちたとしても、私は死なない。なにせもとより亡くなって久しい永遠だから。
でも、もし本当に黄金よりも眩い優しさがこの世にあるならばそれは。
果たして枯れゆく全てに耐えられるのだろうか。
「可哀想」
そう、西行寺幽々子は死の向こうから己をすら顧みれない心の歪みを予期して、瞑目するのだった。
冥界と言われれば果ての氷か炎の地獄に似たものを想起する者が多いかもしれないが、実際そこは穏やかである。
いやむしろ、美しく雅であり、その地を支配し整える者達の手により主に和ですらあった。
その中心に鎮座しているのは、破風など一つ一つにすら手抜かりない豪奢な、それこそ一人には過剰に広大なお屋敷。
この和風建築の名前は名高きあの「白玉楼」と号を同じくしている。
白玉楼の中の人。即ち幽々子は死人である。そして、そこには彼女のような亡霊ばかりではなかった。
春は咲かない一本以外は溢れんばかりに一枚一枚を開かせる桜の花、そして秋も終わりの今は紅葉で染まりきっている。
はらりはらりと落ち行く枯れ葉達を、たった一人の従者が竹の熊手で掻き集めていた。
彼女が働く証左であるさっさという音がこの地の主である幽々子にも心地よく聞こえる。
ただ世話する木々が多すぎるためか俊敏にすぎてまるで目にも止まらず動き周っているのが、幽々子には少し面白くなかった。
そんなに焦らずとも冬風を待つ前には終われるだろうにと見積もられる彼女。
とはいえ従者の頬に小さな笑窪が見て取れたならその意見も簡単に変えられるもの。
幽々子は、一刀の真剣を帯びる半人半霊の少女、魂魄妖夢の仕事を邪魔するためでなくただその喜色の故を共有したくなってこう声を掛けた。
「ふふ。《《せい》》がでるわね、妖夢」
「あ……はいっ、勿論ですよ、幽々子様! 庭園の清掃なんて庭師として最低限の仕事ですし……何より最近仕事が楽しくて!」
たった一人の主の掴みどころのないくらいに柔らかな声を前に妖夢が地を掃く手は止まる。
しかし、振り返りそれでも少女の笑みは止まらなかった。
それは、主と二人、そして幽霊たちとともにあることで孤独だと想っていなかったけれども、でも実際少し冷めていた心が出先であった良い出会いに温まったために拠る。
そんなこんなを時期と、後はなんとなくで掴んだ幽々子は深まった笑みを扇子の影に隠しながら目を細めてこう問った。
「あら……それは、前に人里へのお遣いにて楽しい出会いがあったため?」
「幽々子様には隠せませんね……ええ、その通りです! 人の世にもあんな素敵な方々がいらっしゃるのですね……」
努めずとも綻んでしまう面に触れながら、幽々子様には敵わないなと思い、それでも純粋な彼女は楽しかった感想を《《尾っぽ》》を半身たる幽霊のように引きずる。
この前、妖夢は望外の楽しみと歓待を得て、おまけに最後には美味しい人里土産まで持たされ、また会おうとまで約束してしまった。
それがとても楽しみだ。だが、冥界から結界を越えて幻想郷に向かうには幽々子の許可がいる。
自ら行きたいと伝える選択肢が思い浮かべない勤勉な彼女は、また人里に遣われるのが何時になるかは分からないけれどもそれが早ければいいなと思っていた。
またそんなこんなをまるっと、こんなものかしらねで理解しきった幽々子は従者の楽しみを良しとし、頷く。
「ふふ……良かったわね」
「はい。幽々子様、機会を下さってどうもありがとうございます!」
「うふふー。そんなに畏まることはないわよ? それにどうせそのうち貴女に人里にお遣いを頼むことはあるでしょうし。お土産のおまんじゅう、美味しかったからー」
「幽々子様っ!」
喜びに感極まった様子の、妖夢。彼女は跳び上がり胸に手を当てたが、しかし抱きついてまで来なくなったのが少しさみしい。
とはいえ、そんなことお首にも出さず、実際手作りだったろうあの素朴なおまんじゅうの甘味に心残りを持つ幽々子は言葉に影一つなく、こう目下の者に告げた。
「一期一会の縁、大事にしなさい」
「はいっ!」
尊敬に頷く妖夢。それこそ何とも素晴らしい言葉だと感心しきっていたくらいで。
だから彼女は眼の前の主が、そんなことを実は全く思っていないとなんて、一切理解することもなかった。
夏よりは春遠からじ、だがそれより冬が近い。
枯れ葉はこの頃まるで降るようだ。そして、死は実際のところ常に落ちて乾いてそのまま風に去っていくばかり。
心とは空隙そのものであると、西行寺幽々子は思う。
そして、それは命と断絶して久しい亡霊の身であるからというだけでありませんようにと、彼女は願うように内心ずっと続けている。
「あの子も、行ったのね」
そう指先の冷たさに呟く彼女の心は果たして、友だって誰にだって分からないのだろう。


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