負けるために来た

モブウマ娘 それでも私は走る

少女は名もなきモブウマ娘。――――は、何にもなれなかった。もともと、何でもなかったから。
でも、彼女だって懸命だったから、なにも変えられない、なんていうことはなかったのだ。

 

――――という、ウマ娘がいる。
大粒の瞳に栗毛のショートカットに整った容貌が目立ち、そして遠くからでも引き締まった体躯に臀部からつま先まで太く鍛え上げられているのが分かる、そんなひどく《《それらしい》》ウマ娘だ。
一般の学校に混じって勉学に励んでいた頃には、それなり以上には男女関係なくモテていたようだ。
曰く、努力する姿が格好いいと。実際にその見目が成長していく通りに、記録会等で比べるに順調に記録も伸びてきているように見えた。
でも、どうしてそんなに必死に走るのだろう。周囲が覚えたそんな疑問をすら忘れさせ、ひたすら未来を嘱望されるくらいに、叩き出す数々の記録は輝いていたのに。

だがただ、それだけ。少女はそれでも負けていた。

 

細く栗色が揺れ、汗によって額に貼り付いて止まる。少女の手は何時だって空だ。ただのラップタイムを刻む意味すらない愚鈍。それでも走り、止まる。
疲れに息を荒げながら、彼女は誰にともなく言葉を紡いだ。

「無理、だってのに」

少女は、降り注ぐ称賛にむしろほぞを噛む。もう、いくら頑張ったところでどうしようもないのに、どうして私は走っているのか、と。
――――は、知っていた。自分のウマソウル――前世――は、何でもない、走りきることすら出来なかった程度の低いものだと。

沢山の尾を追いかけ走った、でも届かなかった。それを続けてもう、生きることすら許されなくなる。
そんな、無意味なバ生を抱えて続けて、何になる。

「私は―――――」

天を仰ぐ。きっとこれからずっと敵わない、叶わない。でも、それだって止まる理由にはなり得なかった。
サラブレッドは空を駆けるのなら、なるほど地べたを這いずるのが得意なだけの彼女にはあるべき羽がないのだろう。
幾ら何をしようと届かなくて、これ以上を求めたらきっと、苦しいだけだ。

「……そんなこと、分かってる」

故に、彼女はその場から逃げ出す。嫌いな地面を踏みにじるように、蹄鉄は深く地に跡をつける。そしてそれを続けて、いつか少女は凡庸を脱していた。
悔しさ。そればかりが――――の駆ける意味。

 

逃げて、逃げて。それでも、少女は速かった。天賦の才など望めなくとも、足踏みを続けることで、彼女は決して劣らなかったのだ。
故に、狭き門は彼女のためにも開いてくれた。大人は誤ち――――は将来を嘱望される。

「トレセン学園、か」

――――は不相応に過ぎる、新たな居場所を見上げた。
大きい。こんな立派なところは、知らない。でも、草の心地は覚えている。土の味も、馴染んでいた。

「っと」
「あら」
「どうしたのかな」
「んー?」

才気に溢れた同輩達が自分を訝しげに見ながら通り過ぎるのを気にも留めず、――――は逃避するかのようにその場で天を仰いだ。
ああ、なるほどここで私は彼女たちに踏みつけられるばかりになるのだろう。私が勝てないのは、知っている。それで、良いわけがないのだけれども。

「――――それでも、私は走る」

覚悟はした。そして、現実はいかにも苦い。

だから彼女はここに、負けるために来たのだろう。

 

だが、踏まれた草が更に強く芽吹くように、蹴散らかされることでむしろ綿毛に命載せて広がる蒲公英のように、負けることだって無意味ではない。

「あれ?」

同じく《《前》》に一度も勝てなかった、そんな彼女は一人止まっている彼女を見て、首を傾げる。
桜色が、ふわりと散った。

「きみ、こんなところで立ち止まっちゃって、どうかしたのー? 入学式の前で、えっと、緊張してるのかなー?」
「それは違うわ。……あなたは?」
「んー? わたしー?」
「そう。あなたこそ、どうしてそんなに笑顔なの?」
「えー、だって……」

それは、悔しさ覚える以前の追っかけっこを楽しむばかりの少女の本音。

でもそれは、何よりも、どんなものよりも。

「これからみんなとたくさん走れるのが、楽しみだから!」

希望と未来に満ちていた。

「――――っ」

そのウマ娘――ハルウララ――の笑顔一つで、世界は匂いを取り戻す。
敗衄の過去は地続きの今に戻り、――――は、ただの夢見る一人の少女になった。

「……そう、だったね」

負けて、でもいつか。
折れかけていた心を繋いだ不格好な花はまた笑顔を咲かせた。

 

 

春麗ら。その景色に似合う心を持った少女に救われて。

「むりー」
「むりー」
「くっ……」

――――。ただのノイズの少女は、今日もその希望を曇らせる。


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