第二十話

霧雨魔梨沙の幻想郷表紙絵 霧雨魔梨沙の幻想郷

内にぐるぐると胸の内で回るような熱が燃えて仕方ない。そして、レミリアの顔は美酒によって酔ったかのように火照っていた。
どうにも、通常の状態ではない。だから、こんなに馬鹿げたことをするのだろうと、レミリアの冷静な部分は自分を推察する。しかし、誇り高い紅の悪魔は前言を撤回する気はなく、むしろ日を浴びて塵となりつつあるその身を面白がった。

テラスから望んでいた殆ど無傷で終った美鈴と妖夢の戦い。それがどうしてこの身を焦がす程に、面白かったのか。それは、両者が芸術的なまでに鍛えあげられた拳に剣の技術を駆使して戦っていたことがあるだろう。
レミリアにとって必要もない武術など眼中になく、その道なんて興味のわかないものだった。しかし、そんな認識は美鈴という名の武の宝石を手にしてから変わって、レミリアは美鈴が魔梨沙とするような息をつかせぬ武の交わりを好むようになる。
今回は、殊更その醍醐味を楽しめた。美鈴の防御の技術もそうだが、妖刀にその者の身体を【斬れないもの】と判じさせ、そして本質のみ綺麗に斬った妖夢の剣技も息を呑むほど美しいもの。だから、身が沸き立つのであるのだろう。

「力弱い存在。貴女達は、その小さな力を効果的に働かせる方を知っている。弱きことこそ、巧さの源泉。武は舞のように私を楽しませてくれる。そんな健気さが、私には愛おしいわ」
「むぅ」

レミリアは、赤く染まった頬に触れて、その熱を確かめる。そして、彼女は自身と比べれば非力な半人半霊が向ける刀の切っ先についと視線を向けた。
そう、純粋な力が足りないからこそいよいよ美しく磨かれる武。あまりに鋭く鍛えあげられたそれを、限界まで味わいたいと、生まれながらの強者であるレミリアは傲慢にもそう思う。
そのために、自らの両手を空けさせ、相手の得手の場所である青空の下を選んだ。おかげで、身が焼け爛れようと、構いはしない。幾ら今無茶しようともそうならないと知っている、死など怖くもなかった。
ただ、何もかもを投げ出して遊びたい。ああ、こんな気持は久しぶりだとレミリアは思う。

「レミリア。私は貴女がこの異変の犯人だと疑っている。だから私は貴女を……斬る」
「ええ、どうぞ。やれるものならね。スペルカードの枚数は……まあ、制限なしでやりましょう。――――貴女が私を斬るか、それとも貴女が私の前に崩れ落ちる、その瞬間まで必死でかかってきなさい」
「くっ!」

妖夢はレミリアの言葉が終わるか終わらないかの間に、空気に糸がピンと張られたような気配を受け取った。それは強い緊張の糸である。僅かにでも動けばそれに触れて、途端にレミリアは弾かれるように動いて妖夢に一撃を食らわせることだろう。
しかし、動かなければ相手は斬るまでもなく灰になる。どうしても斬りたい妖夢にとってそれは嫌なことであった。だから彼女はレミリアの初動の邪魔をするために動くと同時に弾幕を作り出して周囲に散らばらせる。
一瞬にて妖夢の周囲に刻まれた六芒星からは白い鱗弾が溢れに溢れ、半霊もまた青い大玉弾幕を生成していく。それは全方位に向けた牽制というよりも最早仕留めるための弾幕。地上は青と白に染まった。

「随分と派手な第一波ね。ケンドーには確か、返す刀とやらもあるのでしょう。さあ次はどうするのかしら」

しかし、フェイントもなくその程度の密度の弾幕で吸血鬼をどうにか出来るのであれば、誰も悪魔を恐れはしない。レミリアは容易く、人外の動体視力に速さをもって、妖夢の眼前へと寄っていた。
余裕を保つレミリア。だが、その距離は妖夢のものである。踏み込む必要すらなくただ一閃、音にも迫る速度をもってして刀は振られた。

「斬った!」
「空を?」
「なにっ……ぐぅっ!」

だがしかし、それほど鋭く振られた剣でもレミリアには届かない。むしろ愚直で正確過ぎるその刀の軌跡は、彼女にとっては見ずとも予測できるものであり、素早く一歩下がるだけで全てを回避出来た。
そして、その一歩が後退ではなく足に力を溜めるためのものであったから、妖夢にとってはたまらない。振り切り再び正眼に構えようとしたその瞬間を逃さず、レミリアはタックルを繰り出した。
それは幻想郷最速と呼ばれる天狗の速度に匹敵していて、お伽話で語られる剛力の鬼に近いものを持っている吸血鬼の一撃である。常なら必殺。当然、この程度で幕切れさせてはたまらないと考えるレミリアのものであるから、本気ではない。
しかし、それでも腹部に強烈な衝突を受けた妖夢は吹き飛び転がり、地面にキスをしてから漸く止まった。

「ぐ、くぅ……」

そして、妖夢が立ち上がり再び構えを取ることが出来たのは、普段の稽古の賜物だろうか。額と鼻先からは血が流れ、お腹は手を突き入れられてかき回されたかのように気持ちが悪い。
しかし、それでも負けられないと妖夢は意地を張る。それは、今回の異変を解決したいからでも、斬って知りたいからでもなく、それ以前のもの。ただ、魂魄妖夢という少女の持つ矜持がその身を奮わせるのだ。

「よしよし。まだ折れていないわね。それじゃあ、これはどうかしら?」

だが果たして、そんなちっぽけなプライドなどで夜の帝王に敵うものであるだろうか。レミリアは、開いた距離を弾幕で埋めるかのごとく、紅い蝙蝠に整形した魔弾を大量に発していた。
飛び立つ暇も何もなく、痛みでおぼつかない足さばきをと刀を持ってして妖夢はその場でどうにか耐える。舞う翼膜に何度身を掠めさせて傷つけられたことだろう。狙いも何もなく物量で圧すように発されるその魔弾の群れは一向に止む気配がない。
それでも光明があるとするのならば、時間と共に腹部の鈍痛と吐き気が治まってきたということか。楼観剣を握る手も力を取り戻し、瞳もどうにか定まってレミリアを望む。

「なっ」

そして、妖夢は視線の先に絶望を見た。それは、紅き吸血鬼の妖力に魔力を凝縮させたような力の集結。紅い力はまるで槍のような形になってレミリアの手の中で輝く。
そのような恐ろしいものをどうするのか。まさかと思った妖夢は来る弾幕がその身を傷つけるのを構わずにその場から逃げ出す。その判断は正解だった。逆手で見せつけるように向けられたカードも無視して、妖夢は跳んだ。

「神槍「スピア・ザ・グングニル」!」

全ては一瞬のこと。レミリアの手から投じられたその槍は、寸分の狂いもなく、直前まで妖夢の居た空間を撃ちぬいた。再び転がる妖夢。そして止まって振り返った先では土煙が高く上がり、土が溶ける嫌な臭いがした。
妖夢は思わず身を震わせる。明らかに、コレが当たれば妖夢は死んでいた。だから立ち上がり、妖夢は直ぐに文句を口にする。

「レミリア! このスペルカードはスペルカードルールに想定されている弾幕の威力を明らかに逸しているわ!」
「そうね。一歩間違えれば、間違いなく貴女は死んでいたでしょうね」
「なら――」
「でも、それは斬られることと一緒じゃないかしら。私はそれを理解して受けて立った。なら、貴女も半分だけの命を張って少しは私を楽しませるのが道理じゃない?」

それは戯言。レミリアに命をかける気など更々ない。ただ彼女の気が乗ったため、ついグングニルと名づけた魔槍へ必殺にまで力を篭めてしまった、その言い訳を口にしただけである。

「この破壊が、斬ることと、同じ?」

しかし、その言葉は妖夢の芯に届いた。土が蕩けるほどの破壊痕を覗いた彼女は、死を想起させられるその恐ろしさを理解する。
そして視線を鋭く磨かれた刀に移してそこに秘められた殺傷力を思い、レミリアが放ったものと同類の恐怖を他人に課していたということに今更気付いて狼狽した。
妖夢には無傷で相手を斬ることが出来る術がある。しかし、人に刀を向ける、その意味を彼女は忘れていたのだった。

「そうだ。私はどうして斬ろうと……」

理想は心技体全てが揃っていること。しかし未熟な妖夢の心は遅れてやって来る。
どうして自分は斬って、今回の異変全てを理解しようとしていたのか。斬る必要も理解する必要もさほどないというのに。自らの行いにそんな疑問が湧いて出て、楼観剣を持つ手を震わせる。

これではまるで、何かに操られていたかのようではないかと、妖夢は気づいてしまった。

「あら、どうしたのかしら。今の貴女、隙だらけよ」
「くっ!」

しかし、そのことを考えている間はない。ぶつぶつと呟いて反撃してこない相手を不思議に思い、自分から攻撃してみたレミリアが振ってきた魔力で出来た爪を、妖夢はほとんど反射的に斬り上げる。
鈍い手の感覚によって、妖夢は我に返った。発端が自分の意志であるか怪しいとはいえ、しかし始めてしまったことの責任はとらねばならない。
そう、今も紅い霧のように蒸発するその身を日光に晒してまで妖夢のその身から出る武を楽しみにしている、そんな吸血鬼に対して斬るとまで言ったのだ。
そして、向うは斬るまでの技術を欲している。ならば、全力を持って斬ってみせよう。迷いは捨てて、ただ目の前の相手に対して本気で向かうことこそ礼儀である。

「はぁっ!」
「ふふっ、いいわね。妖夢、今までで一番いい目をしているわよ!」

青い瞳は、紅き瞳と真っ直ぐ通じて、強い意気をぶつけていく。裂帛の気合とともに振られた一閃、それは受けたレミリアを後退させる。
そして、妖夢の剣戟は加速し始めた。次第に激しさを増す妖夢の剣によって、理もなく空を掻き切るばかりのレミリアの魔爪はボロボロにされていく。
元より、妖夢の瞬間的な速度は吸血鬼に及ぶもの。力の差は技術で埋めればいい。地力に途方も無い違いがあっても、斬ることに関して妖夢の才は途轍もないものがある。故に、妖夢は接近戦でレミリアを押せていた。

紅と銀の乱舞。傍から見れば、その軌跡があまりに美しくみえるのかもしれない。妖夢は剣術の優れた型を用いながら、相手の次を読み、それを崩してでも合わせている。
ただ速くて力があるだけの粗雑な自分に付き合ってくれるダンスパートナーに、レミリアは熱く蕩けるような視線を向けた。返ってくるのは、当然のように冷めた鋭い視線である。
しかし、レミリアはその視線に満足して、口を歪ませながら、魔爪を振る手を速める。もっと、もっとと、武を引き出すための舞は激しさを増していく。だが、近づかんとする紅の全ては打ち払われていた。
むしろ、息をつく間もない攻防の中で、妖夢の斬撃が迫ること数回。しかしその尽くをレミリアは紙一重で避けていた。その紙一枚あるかないかの距離が遠い。

「今っ!」
「あら、危ない」

次第に、レミリアの武器である爪は削られ失くなっていく。妖夢もやっと追い詰めたと思い一歩踏み出したが、間一髪レミリアは後退することでその身を守った。

「はぁ、はぁ……」
「ふぅ。少しひやりとしたわね。でも、面白かったわ。充分に貴女の剣を楽しめた。……それでは、終わりにしましょうか」

レミリアの身体は太陽に晒されたことで全身の表皮が赤くなり、身に溢れていた妖気も大分減っている。そろそろ遊びは終わりにしないと危なくなってくる頃合いだ。
そうでなくても、近距離戦ばかりでは全力を出したことになれずにつまらない。近中長の全距離で戦えることこそ、レミリアの長所でもある。

だから、羽根を広げてその場から飛び立とうとした、その瞬間。その首が斬り落とされることをレミリアは幻視した。

「はぁ。そうね。これで最後にするわ」
「……なるほど、まだまだ渾身が残っているようね。受けて立つわ」

それは、疲労困憊に見える妖夢から放たれた剣気によるものである。飛ぶ隙なんて逃さない。その瞬間にかける強い集中された意識が届き、レミリアに斬られる自分の姿を思い起こさせたのである。
刀が届かない距離まで逃げられたら斬れない。それは道理だ。だから、妖夢は逃がさないと、一撃に全てをかける。
二人は、同じタイミングでスペルカードを掲げ、宣誓した。

「断迷剣「迷津慈航斬」!」

それは、長大な刀を常用している妖夢であるからこそ使いこなせる大技。ただでさえ長い楼観剣に霊力を纏わせて巨大な剣とし、それにて相手を一刀両断する、言葉の意味通りの必殺技である。
持ち上げた剣先は光る柱のようで、夜の王たるレミリアを脅かすものとなった。

「夜王「ドラキュラクレイドル」!」

対するレミリアは、剣が届く前に距離を詰めて相手を倒すことを選んだようである。
今度の突進は先ほどの体当たりなんて生易しいものではない。レミリアが身体を捻り回転しながら突撃するその技とも言えない特攻は、削岩機のように当たる全てを破壊する。

「はぁっ!」
「くっ!」

青い閃光と、紅の竜巻は、すれ違うことなく正面からぶつかり合う。鋭く篭められた霊力と、縦横無尽に暴れる妖力は辺りに凄まじい衝突音を響かせた。
そんな二つの必殺技はあっという間に周囲の景色を破壊し、土煙をもうもうと上げさせる。互い以外にはぶつかり合う姿すら望めないほどの高速の衝突は、果たしてどんな結果をもたらしたのだろうか。

それは、煙が晴れた先にて倒れ伏した二つの影が教えてくれる。そう、相打ちであった。しかし、そのことは一つの事実を浮かび上がらせていた。

「斬った、わ」

剣を支えにして起き上がった妖夢は一言、そう口にして口角を上げ、そして傷だらけの彼女は再び倒れ伏す。
反して五体満足でプスプスと、煙を上げるレミリアは、まるで動かなかった。一撃必殺。双方ともに加減はしていたが、その比べ合いは妖夢に軍配が上がったようである。

「二人共無理をして……全く、私の気も知らずに双方笑顔で倒れているのだから困ったものね」

日を浴び過ぎている主と、怪我をし過ぎている知り合いの介抱をするためにその場に瞬時にして現れたメイド、咲夜は二人の様子をざっと見てから、そう言った。

 

 

「うわ、子供がうじゃうじゃいるわー。無遠慮に近寄ってくるものねー……こら、あまり女の人の服を引っ張っちゃ駄目よー」

そしてその時、魔梨沙は通りかかった寺子屋の前で子どもたちに囲まれ親しまれていて。それは親御さん達が子供に遠慮させるまで続いていく。


前の話← 目次 →次の話

コメント