第十四話

霧雨魔梨沙の幻想郷表紙絵 霧雨魔梨沙の幻想郷

その殆どを開かせた桜の樹は、花びらを散らせながら大いに咲き誇る。元々大きなその威容は桜色に埋まることでより迫力を増しているようだった。
いや、実際にその幹に篭められた力は薄くなった結界を越えて広がり始めている。封印のその殆どを解かれてしまった西行妖から、途方もない力が溢れ出て広がっていく。
悪寒を感じた霊夢とそれに倣った咲夜はすぐに西行妖から離れた。そして、魔梨沙は突撃しようとする妖夢の襟首を引っ掴んで早々にその場から飛び去る。必然的に、四人は二人組に分かれてしまう。

「離して! 幽々子様が、幽々子様が中に!」
「今は機じゃないわ。冷静になって」
「今助けずに、何時助けるというの!」
「うふふ。分からないけど、それでも今無理すれば後の機会も逃してしまうわよー」

力の高まりを感じた魔梨沙は、次第に締まりなくなる自らの口調を覚えた。高い力に焦がれそして出て来るのは緊張感を失った間延びした声と笑い声。しかし、そんな暢気が僅かに妖夢を冷静にさせた。
それは、どこか余裕を持った魔梨沙が、少しだけ主幽々子に重なって見えたからである。

「……何か、策はあるの?」
「これから来るだろう弾幕が治まった後に、あたしと霊夢で結界を張り直すわ。そうすればアレも弱まるはず。その前後に、貴女がお姫様を引きずり出してあげればいいんじゃないかしら」
「今直ぐに結界を張り直すことは出来ないの?」
「やっている間に蜂の巣にされてしまうのがオチね……ほら、来るわよー」
「くっ!」

何かが光った、と思ったその瞬間に魔梨沙と妖夢は反応してその場を離れた。すると、彼女たちが居た場所を桜色の太いレーザー状の多大な霊力が走って行く。
レーザーはそれ一つだけではない。魔梨沙が確認出来ただけでも、西行妖の周囲に色違いの青色を含めてあと五本。明確な敵を定めていないのか分からないのか、全方位に向ってその弾幕は展開されている。

「流石に今ので墜ちたのは誰も居ないか……」
「油断しないで。ほら、見てみて綺麗よー」
「わっ」

そして、全員がレーザーを避けたことを確認した妖夢が安心して少し気を緩めたその瞬間に、西行妖は本格的に弾幕を広げ始めた。妖夢が前を見て驚いたのは、その圧倒的な量の青に桜色の蝶の群れ。
左右を太いレーザーに挟まれ移動を制限されている中でも、真っ直ぐ来るだけの蝶弾を避けられないとはいえない。だが、弾幕としてあまりに濃いそれには見るものを感動させ動きを止めさせるに十分なものがある。
妖夢がバチバチと、グレイズしながらも避けることが出来たのは、偶然に他ならない。それだけ三百六十度を埋める蝶々は現と夢の境界を、更に言えば生と死の境を忘れさせる程の妖しい美しさに満ちていたのだ。

「ぼうっとしないで、っていうのは無理よね。仕方ないかー。妖夢、あたしの後ろに付きなさい」
「う、うん。分かったわ」

果たして、見惚れていた妖夢を後ろに下げて、魔梨沙が前に出たのは正解だった。他人を気にしていられないほどの弾幕が先の青と桜色が途切れるその間断もなく一面に襲いかかってきたが故に。
それは、産穢を象徴するような血のような色をした蝶。来る赤色をした四頭の蝶は、ある地点まで来た途端に一頭が四頭に増えながら左右へと散っていく。
眼前で交差を見せるその弾幕は、唯でさえ避けにくい斜めからという要素とそのあまりの物量、速度から、最早魔梨沙と後ろでその隙のない動きの真似をしている妖夢以外にはただ避けるということすら叶わないほどである。

「霊夢、私の後ろに!」
「くっ、分かったわ!」
「もう、一々スペルカード宣言なんてしていられないけれど、最低限大技を行うことを魔梨沙達に伝えないのは拙いわね……インディスクリミネイト!」

咄嗟に避けられないと判断した咲夜は、霊力の残り少ない霊夢に代わり力に余裕がある自分が盾になろうと霊夢の前に出て、文字通り無差別のように、歪にした空間から大量のナイフ掴み周囲に投じた。
狙いも何もないかのごとく周囲に溢れたそのナイフ群は、咲夜たちの周囲の大量の紅い蝶を串刺しにしたが、しかし魔梨沙と妖夢の方へ飛ぶようなことはない。無差別的、ではあるがある程度の調整は咲夜に難しいことではないようだ。
むしろ、その大部分は西行妖のその太い幹へと向っている。それは丁度赤い蝶が全て飛び去った時。誰もが動かぬ的に銀のナイフが刺さり、少なくともダメージを与えることを想像した。

「ナイフが刺さらない?」
「あれは途中で力を奪われている……というより【殺され】ているように見えるわねー」

しかし、ナイフは途中で力を失い、木に当たってその場にポトリと落ちていく。その際の変化を魔梨沙は正確に看破している。
そう、西行妖はただの桜ではない。歌聖と呼ばれた幽々子の父がその下で果てた後に、彼を慕う人間が後を追って死んでいき、やがてその人間たちの精気を吸って妖怪となり人を死に誘う能力を得た桜の木だった。
奇しくも、いや傍に居たために当然のようにそうなってしまったのか、幽々子が持っていた死霊を操る程度の能力は死を操る程度の能力に変化してしまい、故に愛した桜と自分が人を殺すだけの存在になってしまったことを疎い彼女は自尽している。
そんな西行妖と幽々子が共になっているのだ。近寄る弾幕が、届くまでに死んでしまうというというのも当然のことであったのかもしれない。
次の弾幕を隠すかのように全方位に発された大玉弾の隙間を縫いながら、魔梨沙が力を込めて放った魔弾も、しかし途中で霧散する。

「そんな、ナイフも魔弾も効かないなんて……くっ、巫女が放った霊弾も御札も途中で【亡く】なっちゃった」
「やっぱり、死んでしまうことってつまらないわ。これじゃあ耐えるしか出来ない。何時まで続くか分からないというのに避け続けるのは酷だわー」

生にしがみついたお陰で今があることをよく知っている魔梨沙は、蝶によって生を謳い表現して不完全でも蘇生の法を成しているこの弾幕を美しいものと思えた。
しかし、死という絶対的な力によって守られている西行妖に対しては、ただただ疎ましく感じている。

力が欲しいと魔梨沙の心は飢えて止まない。だからといって、欲しいのは相手を否定するだけのそんな力ではないのだ。
弱い己を変えるために克己したいということと、相手を害したいばかりに力を求めるのは違う。壊れても直ることはあるが、死んでしまってはお終いだ。
何時かの幽々子と同じように、自分を高めることもなく、邪魔者をただの骸に変えるだけの力なんて、魔梨沙は欲しく思わなかった。
故に、ただ強いだけで学べることのない、咲いた枯れ木は邪魔なのだ。枯れ木に花を咲かせましょう。それは結構なことだ。でも、もっとマトモな木を選ぶことは出来なかったのかと、魔梨沙は思う。

しかし、誰が何を思おうと、弾幕の展開速度は変わらない。再び青色と桜色から始まる弾幕の繰り返しが行われようとしていたが、そこではたと、霊夢は気付く。

「ねえ、何だかさっきより光線が増えていない?」
「そうね、さっきは六本。今回は八本ね。だとしたら次は十本で、その次は十二本かしら」
「ちょっと待ってよ。唯でさえ弾幕に慣れていないというのに、これ以上避ける幅が狭まったら……」
「私たちでは避ける隙間を見つけることすら困難になるかもしれないわね。……余り言いたくないけれどここは魔梨沙に任せたらどう? いや、そもそもこんな馬鹿げた弾幕に私たちがわざわざ付き合う必要があるのかしら」
「いやよ。巫女の責務を魔梨沙に押し付けるのは問題外だけど、逃げでもして幽々子を戻す機会を失ってしまうのも駄目だわ。あいつに春を戻させるって、私は決めてるんだから」
「……そう」

これから難易度が更に上がりそうな弾幕の有り様を予想して、大きな傷はなくとも満身創痍に見える霊夢を心配する咲夜であったが、その言葉はむしろ霊夢の意気を焚きつけるだけに終った。
気持ちだけが先行している、現実的な判断ではない、と幾つもの反論が思いつくが、蝶に囲まれながら隣の霊夢の顔を覗き見た咲夜はそんな下らない考えを口にすることを却下する。
霊夢は追い詰められも、無理をしてもいない。ただ笑んで、目の前の弾幕を避けることを楽しんでいる。そんな姿に感じ入り、何かあったらそんな少女の無謀を守ろうと、おあつらえ向きの能力を持った咲夜は思う。
未だ避けるに自信のない紅い蝶の群れに向いそれに渾身の力を使って潜り抜けながら、咲夜に霊夢は未だに前を向いていた。

「霊夢達も気持ちは切れていなさそうだけど、咲夜もあのペースで力を使っていると、そう長くは保たないかな」
「弾幕はむしろ激しさを増しているし……私だって魔梨沙、だったっけ、貴女が前に出てくれていなければ、既にやられて落とされていたわ」
「あたしは結構無茶な動きをしている自覚があるのだけれど、それを真似できる妖夢も実は凄いのではないかしら」
「そうかな?」

止む暇のない弾幕の、その体が通るギリギリの隙間を通り抜けながら、しかし妖夢は魔梨沙という達者な回避の見本を参考にしているために、焦ることなく会話する余裕すらある。
日々修行に家事に明け暮れている妖夢は慣れから自己の制動が抜群に上手い。そして瞬間的な動きならば幻想郷最速の天狗すら上回りかねないものを持っている。彼女は、魔梨沙の動作に後出しで付いていくことが出来る数少ない一人だった。

「そんな凄い妖夢に、質問があるわ」
「なに?」
「貴女が背負っているその刀、なまくらでも飾りでもないわよね?」
「勿論! 例えばこの楼観剣は一振りで幽霊十匹分の殺傷力を持っているし、白楼剣なんて……」
「うん。刀が凄いのは分かったわ。なら、妖夢……貴女はその刀で死を斬れる?」
「妖怪が鍛えたこの楼観剣に、切れぬものなどほぼない――――幽々子様のためなら、斬ってみせるわ!」
「よく言ったわ! ならあたしも覚悟を決めましょう。よーし、その長刀の届く距離まで近づくわよー」
「わわっ!」

止めどなく周囲に溢れる弾幕はまるで瀑布のよう。その合間をたゆたっていた魔梨沙と妖夢は荒波に流される笹の船のごとくであったが、会話が終わるか終わらないかの間に一転し、烈しく動いて遡行し始めた。
川は上向きに辿るだけ急流になるもの。生れたばかりの蝶々は、直ぐ傍で変化し一体に展開する。それを先読みしていても、避ける間隙がなければ弾幕が身に掠める身体を痛めつけてくるのを止められない。
対応しきれなくなった妖夢にも、そして前に出ている魔梨沙には殊更、余裕というものが失くなった。
しかし、それは覚悟の上である。魔梨沙が勝負を急いだその理由は、今も引かずに赤と青の弾幕を発している霊夢とそれを支援している咲夜がこのある種の耐久弾幕に負けて、もう前を向けないくらいにボロボロにされてしまうことを想像したからだ。
相変わらず過保護な魔梨沙はそんな妄想が現実になるのを許せずに、まず無理をするのは姉貴分である自分の方だと、長く生きているようである妖夢を巻き沿いにして突撃を始めたのである。

「痛っ、ここまで、ね」
「コレは……」

そして、魔梨沙は間近で蝶の形になる前の青色の霊弾で頬に傷を作りながら、その目から見れば禍々しい空間、能力によって死に誘う影響が強く近寄るに限界の距離まで来るのに成功した。
後ろにピタリと付いた妖夢も、目の前の木との隙間の異様さに気づいたようで、楼観剣を握る手に力を入れる。
たしかに妖夢はコレを斬れると豪語した。しかし、コレが広がる場所はあまりに広くて曖昧だ。本来は桜の絶景がたまらないであろう近距離は、西行妖の持つ能力によって、散り灰になるだけの死地に変ってしまっている。
妖夢は自分に問いかけた。雨ならば、もう斬れる。空気はもう少しで斬れそうだ。しかし、時を斬るにはまだまだ遠い。その程度の腕で、私はこの蔓延る死を斬ることが出来るのだろうか。

「そんなこと、斬れば、判る」

妖夢の青い目が、大きく広がる。そう、迷っている暇などないし、迷いなんて簡単に斬り捨てられる代物だ。
これは妖夢にとって遊びではなく、そして余分な力は邪魔である。故に、弾幕を広げたり自身に強化を施したりするような小細工なんて要りはしない。
斬るというのは簡単であり奥深く、故に真実に至る道の一つであると妖夢は信じている。そう、斬って知ろう。死に誘う未練や同化欲求、その他諸々を。
抜いたのは、その長さから妖夢以外に扱うことは難しい、切れ味鋭い楼観剣。ただ、これを振ればいい。技量さえ追いついていれば、それで全てが解決するのだから。
固く決意し、妖夢は魔梨沙の前に出る。その瞳に、紅を映しながら。

「待って、未だ弾幕が……」

そう、よりにもよって眼前に、避けられない位置に大玉の弾幕が残ったままなのである。魔梨沙であっても技を用いなければ弾ききれないその霊弾の威力は、無視するには難いものがあった。

「邪魔だ――――幽々子様を返せ!」

しかし、そんなことは斬ることに関係ない。妖夢は弾幕ごと、死を斬り伏せた。

「うふふふ…………きゃははは! ありがとう! これなら、いけるわ!」

目の前で起きたのは絶技、である。力を抜いた、小さな妖夢の身体から巻き起こったのは、一筋の剣閃。それは魔梨沙の欲するような力の篭ったものではないが、起した結果は今何より欲していたものであった。
死は斬って捨てられて、もう目の前にはあれだけ邪魔をしていた弾幕もなく、ただ目を瞑りながらゆるりと納刀している妖夢一人が映っているだけ。
そう、この隙間が欲しかった。準備はもう出来ている。後は、それを放つだけ。魔梨沙は、笑って、魔力を星の杖に集中させ、更に周囲を廻っていた宝玉のようなビットまで集めて、全てを妖夢の退いた先へと向ける。
これから巻き起こす弾幕は掛け値なしに魔梨沙の全力。それは、光と思わず口から零れ出たその名とともに顕になった。

「――――ファイナル、スパーク!」

巻き起こるのは、轟音とともに光り、その場の誰もの視界を奪うほど強烈で巨大なレーザー光線。ただの、マスタースパークの強化版、といえば簡単だ。
しかし、その範囲に込められた力、魔力の変換効率においてまで全てが極められているそれは魔梨沙の切り札として考えられた一番の代物なのである。
勿論、力を求めている魔梨沙らしく、全てが光るパワーとなって弾幕の体は殆ど成していない。しかし、その効果は絶大なものがあった。
西行妖は、神の力に匹敵するとすら言われる境界を操る程度の能力を持つ妖怪八雲紫ですら、いかなる理由かどうしようもないと封印せざるを得なかった妖怪である。
しかし、それが今魔梨沙の全力を直に浴びて、幹を揺らし、表皮を徐々に烟らせていた。
桜は時に人の心を狂わすという。それが西行妖ほどのものになれば、運命すらも狂わしてしまうのかもしれない。もし狂った運命を打ち破れるとしたらそれは、定めになかったものだけ、だろう。
そう、この場に魔【梨】沙が、妖夢と共に居るというのは、本来ならばありえることではない。そして、そんな事態が西行妖を脅かすのである。

ピシリという音が辺りに響く。それは、桜の花の大部分を散らした西行妖の、その幹が割れる音であった。
心地いい音色を聞いた魔梨沙の笑みは深まる。しかしその手から溢れる力は次第に弱まっていた。双方ともに、限界なのである。
だが、魔梨沙の笑顔は変わらない。それは、大事な妹分がこの好機を逃すことがないということを分かっているからだ。

「霊夢!」
「分かっているわ。もう、結界は張ってる!」

魔梨沙は教えるために霊夢と一緒に巫女の修行をしている中で、こと結界に関して圧倒的な適性の差が感じられたことを覚えている。当時は悔しがった、そんな霊夢の才が今は頼もしい。
四方に置かれた御札は光り、封印は以前のものと重なって二重になって展開される。魔梨沙の砲撃で弱った西行妖は、これだけ雁字搦めになってしまえば最早他に影響を与えることすら叶わずに、ただ朽ちるまで永遠に封印されるがままとなるだろう。

「ふぁー……もうだめー」
「魔梨沙!」

封印が上手く行ったことを確認した魔梨沙は、先のアリスのように力を使い果たしたがために、落ちていく。
しかし、今回は近くに妖夢が、そして時間を止めながら移動できる咲夜がいたために、二人の手により魔梨沙は受け止められた。
美しい銀髪が二人分、傍でしゃらりと流れる光景を綺麗と思いながら眺め、魔梨沙は気を失う。

「ちょっと、魔梨沙は大丈夫?」
「あちこち怪我しているけど、疲れて気絶しているだけね。妖夢、私は遠くから見ているしか出来なかったけれど、弾幕が悪い所に当たったということもなかったでしょう?」
「ええと……多分、大丈夫だと思うけど」
「はっきりしないわねえ」
「だって、後ろに居たんだもの。私だって避けるのに必死だったし、そう確かには……」

「あらあら、妖夢ったらもう仲良くなったのねー」

最早ただの桜と変わらなくなった西行妖から出て来た幽々子は、自分の従者が赤髪の魔女を巫女とメイドと共に囲んで看ている姿を認めた。
その距離が近いこと、それをいい兆候と思い、そしてそんな彼女の姿を再び見ることが出来るということに内心幽々子は感謝する。

「これは、償いとしても幻想郷に早く春を返してあげなければいけないわねー」

西行妖から降ってきた最後の桜の花弁を掌に乗せながら、幽々子はそう独りごちた。


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