第二話

霧雨魔梨沙の幻想郷表紙絵 霧雨魔梨沙の幻想郷

魔梨沙は霊夢にも特に語っていないが、実は彼女は異変らしき事態に何度か立ち向かったことがある。
真っ赤な大学教授と戦ったり、何やら異世界の近くにいたフラワーマスターに挑んだり、魔法のメッカ魔界に行ってみたりと、実は魔梨沙は結構幻想的な体験をしていた。
その全てに関わったのは、強い力を求めて行動したためである。実際にスペルカードルールもなかった当時の弾幕ごっこで、彼女の力は磨かれた。しかし、それでも魔梨沙は満足しない。

じゃらり、という幻聴が耳に。顔を真っ直ぐ前に向けるための糧が全く足りていない。未だに見えない鎖が重く、彼女は飢えている。だから、魔梨沙は知らず必死に力を求めているのかもしれなかった。

 

「あーあー。体が冷えちゃった」
「温めてあげよっか?」

紅霧の源を目指しての道中。無事に邪魔をして来た氷精チルノを倒した霊夢は、寒さにその身を震わした。
その様と戦いをずっと後ろで見ていた魔梨沙は杖の先に火を点して霊夢に差し出そうとする。それは魔法で作った触れても火傷することもないまやかしの炎だ。

「いやよ。その火燃えないけれど熱いじゃない」
「ちぇっ」

しかし、修行という名目でその火で炙られたこともある霊夢は拒否をした。
熱感ばかりを刺激するその炎は拷問にも使えるシロモノだ。むしろ普通はその用途以外に使えないといってもいい。
それを安全な熱源として使おうとする魔梨沙は少しズレていた。

「全く、そんな要らない手助けをするくらいなら、ちょっとは邪魔する妖精を退かしたりしてよ」
「えー。あたしあんまり弱い者いじめは好きじゃないんだけどー」
「私だって嫌いよ。でも、向うからやってくるんだから仕方ないじゃない」
「しょうがないわねー」

面倒くさがる霊夢の要請に応じ、それまで妖精の張った弾幕を後方で避けるばかりであった魔梨沙も、少し前に出て杖から星形の弾幕を放って援護を始めた。
霊夢のホーミング御札と違って、その軌道は直線的であるが、威力が高いその魔弾は的確にやってくる妖精たちの包囲網に穴を開ける。
取りこぼしを霊夢がやっつけるといった形で殲滅していき、やがて二人が通った後には一体も元気な妖精は残らなくなった。

そうして霧の湖の上を倒した妖精たちで汚しながら進むと、その先には元凶が潜んでいると分かり易い見た目の真っ赤な館が見て取れた。
霊夢は知らないが、その名前は紅魔館。悪魔が住むと噂されている吸血鬼姉妹の棲家であった。

「何だか悪趣味な建物ね」
「あたしは赤いの嫌いじゃないけれど、ちょっとここまで全部だと目に良くないかなー」

雑談する霊夢と魔梨沙。互いに力を合わせて戦っているためか余裕があり、最早雑魚敵などに二人の意識が向くことすらなくなっていた。

「好き勝手言ってくれるわね。そこが紅魔館の美しいところじゃない」
「あら、美鈴」
「なに、知り合いなの?」

そして、門の近くに来た時に、会話を聞いていた門番が現れた。中華風の衣服に身を包んでいる彼女は紅美鈴。紅魔館の守りと花畑の世話を任されている妖怪である。
そういう情報を、魔梨沙はすでに知っていた。

「そこの……魔梨沙とかいったかしら。その魔法使いとは知り合いね。以前中の様子を尋ねられたこともあったわ」
「入っちゃいけないっていうから、美鈴に聞いたのよ。いまいちよく解らなかったけれど。ねえ、霊夢だって湖の畔にこんな建物があったら気になるでしょ?」
「まあ、気持ちは分かるけど。でも、これから弾幕ごっこだっていうのに、気が抜けるわね……」

暢気な二人の応答に、霊夢は眉根を寄せる。
霊夢にとって、今回の異変はスペルカードルール浸透後初めての大きなものであるために、少なからず気を張らざるを得ないものであった。
しかし魔梨沙はここへ来ても未だ通常通り。自分の経験不足が露呈しているようで、少し気分が悪くなった。

「それで私は紅白と紫、どっちと戦えばいいのかしら。両方共、っていうのは厳しそうね……」
「あたしが相手をするわ。その代り霊夢を通してちょうだい」
「むっ、何勝手に決めているのよ」

ここもまた自分の出番だろうと思っていた霊夢は、出鼻をくじかれて、憤慨する。しかし美鈴は魔梨沙の提案に意外と乗り気であった。

「あー、私はそれでいいわよ。二人相手は面倒だし、そういえばお嬢様が博麗の巫女と会ってみたい、って少し前の夜の散歩の時に言っていたことがあったことを今思い出したわ」
「そう。ならちょうどいいわね。霊夢【頼んだ】わよ」
「……私抜きで話が進んだのは気に食わないけれど、仕様がないわね。じゃあ、先に行っているわ」

姉貴分に頼まれた。それだけで気分がよくなる自分は単純だと思いながらも、霊夢は期待を裏切ることはできない。
横を通る時に美鈴をひと睨みしてから、三面ボスと戦うことなくすり抜けて霊夢は先に進み紅魔館の中へと消えていった。
その姿を目で追い、しかし体は魔梨沙の方へ向きながら美鈴は気になったことを質問する。

「どうしてあの子を先に行かせたのか、聞いてもいい?」
「うふふ。そうねえ、保護者が二人も居たら流石に霊夢も窮屈だろうから、かしら」
「なるほど……私が妖しい【気】配を感じたのも、そういうことなら納得ね」
「心配だけれど……あの妖怪が見てくれているならよっぽどのことは起きないでしょう」

そう言って、魔梨沙は自分の服を引っ張りその色を眺めた。そして、過保護なのは自分だけではないのだと思い、苦笑いする。
霊夢の背後の何にもない中空が裂けてそこから眼が覗いているということに気づいたのは少し前のこと。いくら術でそのことを分かりにくくしようとも、下手人は解っている。
しかし、魔梨沙は何度となくやりあった経験から、スキマ越しに霊夢を見守っているだろう妖怪、八雲紫に対しては一定の信頼を置いていた。
だから危険はなく、むしろ今は霊夢に不足気味な経験を積ませるいい機会なのだろうと、そう理解して送り出したのである。

「さて、それじゃあ、弾幕ごっこ、始めましょうか」
「いいわよ、かかってきなさい」

やがて二人を中心として広がっていったのは、虹色の妖弾と紫と白の魔弾が交差する光景。それらは次第に広がり、宙を大いに彩っていく。
鮮やかな弾幕を避ける、二人の姿も中々のもの。双方ともに赤い髪を乱しながら、空中をただ移動するだけでなく自分めがけて迫り来る弾幕を見事な体捌きで紙一重にて避けていく様は、曲芸を思わせる。
こうして中華ドレス風に魔女風という対照的な姿の妖怪と人間との弾幕ごっこが始まった。

 

 

「美鈴、あなた弾幕ごっこは得意じゃないでしょ」
「あー、やっぱり分かちゃう?」

花は美しくとも刺がなくては踏み散らかされてしまうことに抵抗することは出来ない。
同様に、魔梨沙がまるで舞い散る花びらのような弾幕の隙間を踏破してその間を縫って魔弾を叩きつけることを美鈴が防ぐことは出来なかった。
ボロボロになり始めたチャイナ服を気にしながら、美鈴は懐から最後のスペルカードを取り出す。その顔には、一度も相手にスペルカードを使わせられなかった苦渋よりも、諦観の念が色濃く現れている。

「弾幕は綺麗だけれど嫌らしさが足りないわ。まるで貴女みたいよ」
「あはは。こういう考えるのは苦手なのよねー。こっちの方が得意だから」

そう言いながら、美鈴は自分に向けて飛んできた魔弾を蹴り砕いてみせた。魔梨沙はその際に一瞬表情が生き生きとしたものに変ったことに納得する。
普段から門番をしているのだから魔梨沙は美鈴にある程度の強さを期待していたが、残念ながらそれは期待はずれであった。しかし他が得意で弾幕ごっこが不得意であるのであればそれも仕方がない。
あくまでスペルカードルールを用いた弾幕ごっこは遊戯の域を出ないのだから、格闘戦闘が得手な相手にまでその上手を求めるのは酷なものだ。
そう思い、魔梨沙は美鈴の放った時間稼ぎ用の弾幕を避けて通る。

「それじゃあ、これで最後。いくわ、彩符「極彩颱風」!」
「わー、綺麗ね」

それは色彩の暴力、そして素直さを極めたような弾幕であった。まるで美鈴の方から降ってくるかのように、飛んでくるカラフルな弾幕は気ままにまとまり離れて空間に隙間を失くしていく。
花びら状の弾幕は、風に飛ばされているみたいに、四方八方を動いて通る。美鈴の周囲はそれこそ溢れんばかりの色の競演を見せて、至近の魔梨沙もその美しさに満足感を覚えた。
しかし、この弾幕にも道が見えないわけではない。規則的でない弾幕には濃い場所に薄い場所の両方が存在する。下がり密度の低い方に飛翔し体を滑りこませれば、回避は比較的に余裕となった。
そも、わざわざ薄い場所を作った上で誘導して弾を当てるような小細工もなしに、弾幕慣れした魔梨沙を落とすことは難しいのである。

「えーい」
「くっ、やられた」

スペルカードを展開できなくなる程の時間を待つまでもなく、隙間を縫った魔梨沙が魔法の杖を振り星形の魔弾を美鈴に浴びせかけて戦闘は終了した。
バサリと紅の長髪が翻り、そしてその身を一回転して安定してから美鈴は地へと降り立つ。そうして、両の足でしっかりと立ち上がり仁王立ちになった。
魔梨沙が道中にて出会った宵闇の妖怪や氷精と違い、負けた後でもその姿には未だ余裕が見える。
なるほど確かに全力を出せていないのだと、宙に浮かんだまま魔梨沙は感じ取った。
それを面白く無いと思った気持ちを彼女は素直に吐露する。

「うーん。これじゃ、お互い消化不足じゃないかしら。もし次やりあう時があったら貴女の得意な格闘も織り交ぜてやってみましょう」
「呆れた……わざわざその細腕で私の、妖怪の領分で戦おうだなんて、随分となめてくれたものね。お遊びに勝ったからって調子に乗っているの?」

言葉を受けた美鈴は少しの苛立ちを見せた。そして威嚇するように鬼【気】を発する。気を使う程度の能力を持った美鈴の威は最早物理的な圧力を持っているかのように錯覚させるほどだ。
並の人妖では空中に居ることも出来なくなって墜ちるほどに、それは重い。
しかし過分な重圧を受けても、魔梨沙はただ柳に風でうふふと笑う。

「違うわよ。お遊びだからこそ、相手が本気を出せない状態で白黒つけたところで面白くないって思ったのよ。だって、あたしは貴女に期待をしちゃっているのだから」
「……あはは、分かったわ。そうね、死体でなくとも敗者にだって口はないはずだった。次は期待に応えて見せましょう」

終始余裕を崩すことのない、そんな魔梨沙の様子を見て毒気を抜かれた美鈴は、意気を引っ込め、そう答えた。そもそもが、自分が過小に取られたという勘違いからの行き違い。
決して、生涯かけて磨いてきたその格闘術が遊びと同列に扱われていたわけではないのだ。
大人げない自分を反省して、美鈴は魔梨沙が紅魔館に入っていくのを見送ることに決めた。

「それじゃあまた」
「またねー」

箒にまたがり空を往く紫色。その姿を目で追いながら、美鈴は本当に行かせてよかったのか、わずかに迷う。
その身から感じられる気ほど得手ではないが、魔梨沙にずば抜けた魔力の多さを感じ取っていた。
相手の力量の把握は門番についてから自然と身についた技能。しかし、その経験からしても、魔梨沙の底は把握出来なかった。

「まさか、パチュリー様と同じくらいの魔力だったりして……いや、人間の身でそれほどの力を持っていたとしたら正気でいられる筈がない、か」

頭を振って、疑念は散らす。以前から知っている相手であるし、悪い相手ではないことは、会話でも判っている。嫌な気配もしない。
ただ、何かが【気】になった。それだけのことである。
そうして美鈴は紅魔館を背にして、再び門の守りに就いた。世話をしている花のためにも、内心この異変が早く終ってくれることを願いながら。


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