第二十一話

霧雨魔梨沙の幻想郷表紙絵 霧雨魔梨沙の幻想郷

宴会当日。現在日は高く、夜中に予定しているそれまでまだまだ時間はあるが、言い出しっぺの魔梨沙は真面目にござを敷いたり霊夢と一緒に食べ物の吟味をしたりして、過ごしていた。
いよいよ増している妖気が邪魔だなあと思いつつ野菜を洗いながら、魔梨沙は台所の窓の隙間から青い空を見上げる。雲ひとつない晴天は、しかしよく利く魔梨沙の眼には宙に溢れる力で曇ってすら見えた。
相手は大した力の持ち主なのだろうなと思うが、幾ら魔梨沙でも純粋に大きいばかりの力を真似することは難しい。何か真似できるような理がある工夫された技を見せてくれればいいが、どうにも能力に頼って生きているような手合であるような気がする。
しかし、散々弄んでくれた相手をやっつけるためには一戦交えなければならないだろう。画策したとはいえ、それが今日であるかどうか不明なのが困ったところだが。
何時起きるかわからない得られるものの少ないだろう戦闘に、盛り上がりたらふく呑まされるだろう今日の宴会の翌日のことを思うと、魔梨沙も多少は憂鬱になる。
ため息を吐いてから、少しばかり能力を持って見つめすぎた魔梨沙は、疲れた眼を少しばかり閉ざした。そして、一分も経たない間を空けてから再び空を望むと、そこには三つ、いや漂う霊魂を含めて四つの点が見つけられる。

「うふふ。組み合わせが珍しいけれど、もう来ちゃったのねー。奥でお酒を選んでいる霊夢の代わりに迎えないと」

それが、咲夜と彼女に傘を差されているレミリアと妖夢であることを認めた魔梨沙は、水を張った木桶の中に野菜を置いてから、タオルで手を拭って表へと急ぐ。途中で魅魔が居るだろう神棚にお辞儀をしてから青空のもとへと魔梨沙は出た。
外は日差しが強く、魔梨沙はこの暑い中でわざわざ来てくれた彼女たちに何か冷たいものでもてなさないと、と考えてぼうっとナイトキャップに包まれた紫色の髪に二人の銀髪が揺れる様が詳しく見えるまで眺めていると、向うから声を掛けられる。

「こんにちは、魔梨沙。宴会の用意はどう?」
「三人共こんにちはー。準備は万端、とはいかないけれど着々と進んでいるわよ、レミリア」
「あら、流石にまだ終わっていないのね。それじゃあ、咲夜を霊夢の手伝いに向かわせるわ」
「助かるわー。あたしと霊夢の和食ばかりのレパートリーじゃあ限界があって。洋食が得意な咲夜が台所に入ってくれるのは勉強にもなるしありがたいものね。それじゃあ、皆暑いでしょうし、とりあえず中に入りましょう?」
「待ちなさい、魔梨沙。貴女はこの場に残ってもらうわ」
「ん?」

三人も友達が来てニコニコ笑顔だった魔梨沙は、細めたその目を開くことで、笑顔のレミリアとうつむく妖夢と、傘を主に渡して失礼するわねと横を通って行く咲夜の様子に初めて疑問を持った。
何だか、ただ気が逸って訪れたにしては妙な空気だと思い、その源泉である妖夢を注視する。よくよく見てみれば、その細身の体の至る所に手当ての後があった。鼻先に膏薬で貼ってあるのだろう布片は可愛らしくも、痛々しい。
妖夢が怪我をして落ち込んでいるのは、神社に来る前にレミリアとでも弾幕ごっこをして遊んで負けたからかしら、と魔梨沙は想像するが、それと自分がこの蒼天の元に残されることに、因果関係が見いだせずに首を傾げる。

「宴会前に、魔梨沙に確かめたいことがあるのよ。いや、正確にはあるらしい、といったところね」
「何かしら。この妖気との関係を聞きたいのなら、もううんざりよー。つい昨日、本当のことを言いなさいってうるさい霊夢を弾幕ごっこで下したばかりなんだから」
「そう、らしいわよ、妖夢」
「っ!」
「何、霊夢の次は妖夢なの?」

終始楽しげなレミリアに声を掛けられても、顔を上げない妖夢を魔梨沙はいぶかしむ。自分のことであるのに、あまり関係のなさそうな吸血鬼に代弁させているあたりも彼女らしくないと思う。
しかし、それも妖夢にとっては自然なことなのだった。レミリアへの申し訳のなさから流されるままに来てしまったが、恥ずべき過去の自分がやろうとしていたことを、続けさせられるのは苦痛である。

レミリアとの弾幕ごっこともいえない戦闘を終えてから、気絶から覚めた妖夢は起きて直ぐにレミリアと美鈴に対して謝った。
アリスに関しては一応の問答があったから後悔は少なく謝罪の必要性を感じなくとも、自分の暴走を教えてくれたレミリアと殆ど問答無用に襲いかかった美鈴に対して妖夢は多分に申し訳無さを感じる。
そう、今回異変に惹かれるかのようにそれを解決するためと刀を抜いたことを妖夢は間違いだと認識していた。
確かに異変は解決されるべきだ。しかし、それを解決するのがどうして自分一人でなければならないのか。それに、怪しい者だからといって、斬って真実を知ろうというのはあまりに短絡的過ぎる。
しかし、ふと思い、それに囚われた。それには、西行妖の死に誘う能力を斬るという鮮烈過ぎる成功体験が、斬って知ってしまった最悪の同化欲求が、大きく関わっている。
刀を握ると、忘れ得ぬ斬った味と、自分の元に引きずり込みたいという強い思いが蘇るのだ。それを我慢しながら訓練のために抜刀を繰り返し、出来たのは斬って知りたいという強い思い。
未熟な妖夢は師の教えを曲解し、西行妖の残滓に操られるかのように辻斬りじみた行為をしてしまったのだ。

その全てを察して、妖夢は俯き顔をあげられないくらいに後悔してしまっている。これでは皆に、特に主に顔向け出来ないと。
しかし、きっとそんな妖夢の異常は知っていて間違えるのもまた一興と考えていたのだろう。妖夢を笑って送り出した幽々子の、今思えば幼子を見るような表情が彼女の脳裏に鮮明に映し出された。

「ま、いいわ。それじゃあ、弾幕ごっこ始めましょうか。妖夢の相手をするなら接近戦も可にした方がいいかしら。その方が面白そうだわー」

まあ、そんな思いなど魔梨沙が知る訳もなく、暗い妖夢を喜ばせようと相手有利の弾幕ごっこを提案する。

「……いいの?」

そこで、初めて妖夢は魔梨沙の顔を見上げた。魔梨沙の表情は微笑み。そして、その優しい目は、主幽々子のものを思い起こさせる。思わず、次の言葉に期待した。

「もちろん。何かを賭けるのならやっぱりスペルカードルールで決めた方がいいだろうし、何よりピリリと締まった【真剣】勝負は楽しいものだからねー」

魔梨沙は、殊更真剣を強く言って、笑みを深める。おかげで、魔梨沙の言いたいことが妖夢にも分かった。疑われているというのに、魔梨沙は自分とのやり合いを楽しみにしている。
真剣を向けられるということを、力を向けられることに慣れている魔梨沙が気にもしていないことは問題だが、その何も考えない暢気さには、感じ入るものがあった。
弾幕ごっこを楽しむということ。それは、戦いとも言い切れない相手との勝負の時間を無駄と斬り捨てずに、受け入れることでもあるだろう。望まれた妖夢の口元はへの字から上向きに釣り上がる。

「あはは……そうね。分かった。それじゃあ、始めましょうか。この真剣をもって私は魔梨沙、貴女を斬る!」
「物騒ねー」

「ふぅ。これでやっと戦いが見られるわ」

笑顔で向き合った二人を見て、レミリアは自分の為すべきことは成したと、日差しを避けるかのように軒下に行き、縁側に腰掛けて観戦の姿勢に入った。

 

 

相対するは長大な刀を構える妖夢と、箒も星の杖も持たずに徒手空拳を遊ばせている魔梨沙。妖夢はともかく魔梨沙の姿はまるで、ぼうっと立って誰かを待っているだけの様。
ふわりと風で揺れる紫色のケープを乗せたワンピースといい、魔梨沙は戦いに向いているような風ではないが、実際問題大した実力者であることを妖夢は知っている。しかし、身構えもしないその不真面目さを、妖夢は見咎めずにはいられなかった。

「む、何故構えないの、魔梨沙」
「別に武道を嗜んでいるわけではないから決まった構えなんてないのよねー。えっと、こうかしら?」
「それは剣を持った場合の、それも私の構えじゃない」

魔梨沙が注意されて行ったのは、鏡写しのように正確に、妖夢を模した構えをとること。
隙のある表面的なものではあるが、自分の構えをこうまで上手に真似られることに、妖夢は内心驚いていた。だが流石に戦闘の前に表情に表すような愚をおかしはしない。

「そう。なら、これが一番かしら」
「……美鈴の構えね」

しかし、流石の妖夢もさっと手の位置を変えた魔梨沙の姿を見ればため息一つくらいつきたくなるもの。何とか我慢はしたが、それほどまでに魔梨沙が軽々と模した美鈴の戦闘の構えの完成度は高いものだった。
美鈴の年月を感じる巌ほどの代物ではないが、その姿からは充分な堅牢さを感じさせられる。物真似が得意、と聞いてはいたが、まさかここまでとは妖夢も思っていなかった。
だが、このくらいならば美鈴の時と違って、自分が斬り込む隙が有りそうだ。少しずつ、ジリジリと近寄っていくと、笑んでいる魔梨沙の姿が克明に見える。その肉体を強化している膨大な魔力も。

「うふふ。真正面から戦うばかりだと負けちゃいそうね。手数を増やすわー」
「それは、何時か見た魔梨沙の武器……でも何時もより多い?」
「これは、天儀「オーレリーズソーラーシステム」。遅れたけれどこれがスペルカードよー。そういえば決めるのを忘れていたけれど、あたしはこれ一枚だけで勝負するわ」

魔梨沙はまるで魔法のように、帽子から入り口よりも大きな六つの球体を取り出し自分の周囲に浮かべ、さっとカードを見せてから、宣誓する。
赤、青、緑、黄、紫、橙の美しく丸く研磨された宝石のようなそのビットは、魔梨沙を中心として名前の通り太陽系を示すかのごとく、その周囲を廻っていく。
見惚れるような美しさはあるが、威圧感も何もないそれに、妖夢は脅威を感じない。しかし、質量がそれなりにありそうな上にそこから弾幕が放たれることを思うと厄介であるとは思う。これを掻い潜りながら、魔梨沙を斬るというのは難しそうだ。

「さて、妖夢貴女は死を斬れても――――星は斬れるかしら?」
「くっ!」

そう考え警戒している内に、ある日に想像された太陽系は周囲に光をまき散らした。レーザーのような光線を、慌てて妖夢は避ける。
それだけでなく、素早く体勢を立て直した妖夢は自分に向かう六条の光をグレイズしながら、突貫した。しかし、魔梨沙は少しも慌てずにその真っ直ぐな接近を受け入れて笑む。

「いらっしゃい」
「斬……れ、ない?」

まずは一つと、丸くて硬いだけだろうと思ったビットを妖夢は斬ろうと試みたが、目測と違いそれは静かに自転していたがために刀剣の流れはするりと僅かに流されて、断つ寸でのところで斬ることが出来ずに宝玉の中に刀は嵌ってしまった。
予想外のこと。それに驚かないでいられるほど妖夢は完熟してはいない。更には僅かに出来た間隙、それを逃すほど魔梨沙は暢気ではなかった。

「魔弾で歓迎するわ。ここまで近くから出る弾幕、避けられる?」
「うわっ!」

そして、妖夢の眼前で紫の星が輝く。目の前でビットに魔梨沙の手から溢れだしたのは、外に向いた沢山の昼間に眩しい流れ星。
多量で至近距離から来る弾幕を、妖夢が完全に避けることなど叶わない。顔と腕の周囲に当たるものだけをなんとか動かした刀で斬り払うことは出来たが、それ以外の部分には大いに当たり、妖夢の体勢は崩れる。
腕は下がり、紫色が破裂して押された体は開く。もう、誰にも分かる隙が出来ていた。妖夢は自分の敗北を理解する。

「いくわよー、総攻撃!」
「くっ……ぐぅ」

そして魔梨沙の指示通り、六つの宝玉の内、当たる寸前に斬り裂かれた青色以外の五つは妖夢に向い、その硬い円形の全体を強かに打ち付けることに成功した。
手加減はされていたが、それでも先日から残ったものを含めたダメージは大きく、妖夢は気絶する。耐え切れずに仰向けに倒れ込みそうになったその身体を魔梨沙は受け止め、その軽さに仰天した。

「うわ、妖夢ったらちゃんと食べているのかしら。きっと刀を除いたら霊夢より軽いわー。ひょっとしたら食べるものの半分も半霊に取られちゃっているのかもしれないわね」
「決してその剣戟は軽くはないものなのにね。不思議だわ。それにしても魔梨沙、貴女は私を斬った剣士相手に随分と楽に勝ったものね」
「え? レミリアったら、妖夢に負けたの?」

喋り、魔梨沙から妖夢を受け取るために歩みながら近寄るレミリアは、魔梨沙の質問によって渋面を作らせられる。
あの楽しかった勝負は、痛み分けで終り、決して負けたわけではない。そう言いたかったが、しかし一度身体を通ったあの刀の冷たさを思い起こせば、そんな反発は虚しく萎む。

「……相打ち、だったけれども内容としては負けていたわね」
「妖夢強いわねー。あたしだって妖夢にあたし自身を狙われていたら危なかったわよ。でもあたしは魔法使いだし、基本的には自分が前に出ないで戦うからレミリアには楽勝に見えたのかもしれないわ」
「構えはフェイク、と。最初から本命はあのビットだったのね」
「流石に付け焼き刃の実力で妖夢相手に素手で勝てると思うほど馬鹿じゃないわー」

格闘で負けっぱなしの魔梨沙には自信がなく、迷わずそう口にしたが、しかし実際には枷有りの美鈴とであってもそれなりにやりあえるという時点でその実力には確かなものがあった。
だから、妖夢も中々に鍛えあげられたその拳法の実力を主とした敵と戦うことになると勘違いしたが、実際魔梨沙は言われたから構えただけで、端から拳で剣の相手をするという無謀を考えたことはない。
レミリアも、そんな両者の狙いの食い違いを思えば考えていたよりもあっさりと魔梨沙が妖夢を下したことはおかしくないと思えた。だが、少し消化不足である。

「はぁ。まあ、呆気無く終ってしまったのは相性の問題かしらね。まだ、本命が残っていることだし、これでいいということにしておくわ」
「本命?」

その妖夢の軽い身を揺らぎもせず確りと受け取ったレミリアは、半霊を引き連れながら、そう呟く。
そう、レミリアはこれより続く運命から逆算して今日幻想郷を覆うほどの妖気を持った何者かが魔梨沙の運命に関わることを判じている。
酒で釣れるかしらと考えていたとはいえ、まさか本当にこれから宴会といった頃合いに再び戦うことになる運命とは思わずに魔梨沙は首を傾げ、そうしてから自分が妖夢の介抱をしようとレミリアの後を追った。

 

 

太陽が傾ぎに傾ぎ、地平に落ち込もうとしている時間。博麗神社は黄昏時の橙色に覆われていた。
逢魔が時の、全ての輪郭が闇に溶けるようになっていくその時刻に好んで、宴会に訪れる妖怪たちはやって来る。忙しなく、幹事をしている魔梨沙は来た人数を確認しながら場の準備をしつつ、調理場へと妖夢を遣いに走らせた。
妖夢が頭にたんこぶを付けて走り回っているのは、魔梨沙が尋ねた怪我と単身挑んできた理由を、斬って知ろうと思ったからと馬鹿正直に話したからである。
反省していることを加味しても、そんな物騒なことをすれば自分も危険になるのだからということを教えるために魔梨沙は小突いてから小間使いにして後悔を身にしみさせることを選んだのだった。

「あらー。妖夢を魔梨沙に取られちゃったわー」
「ゆ、幽々子様!」

そんな新たな主従関係を見た、本来の主は眼を丸くして声を上げる。そして、釈明しようと近づく妖夢の裾を掴んで魔梨沙は邪魔をした。

「今日ばかりは自分の主だからって付いて行っちゃダメよ、妖夢ー。貴女には罰として私を補佐する仕事があるんだもの」
「分かっているわよ……そういうことで、申し訳ありません、幽々子様。先日から暇を頂いていましたが、今日もお世話をすることは出来そうにありません」
「私は別に構わないわよー。今回のことは妖夢にとってもいい勉強になっただろうし、妖夢のいない間に趣味になったばかりのお料理の腕も上げることも出来たし、ここ数日間はむしろ実りのあるものだったわ」
「後でまた一緒に料理をしたいわねー。それで、持ってきてくれた、とっておきのお酒はそれ?」

桜柄の風呂敷に入って幽々子の手に下げられていたその瓶らしきものを魔梨沙は視線でさす。
今日は、魔梨沙が前回の宴会の終りに言った言葉を皆覚えていたようで、それぞれとっておきのお酒を持ってやって来ていた。幽々子もその例に漏れず何か自慢のものを選んできたようである。

「これは紫から貰って冥界で熟成させたお酒よー。結構な間放っておいたものだけれど、まあ保存状態も悪くなかったし、不味くなってはないと思うわー」
「そう。妖夢、これは他のお酒と混ざらないように紙に書いたりして置いておいて。幽々子も、宴会場にはもうレミリアが場所を取っているけどできたら一緒にゆっくりしていってね」
「それじゃあ、置いて来るわね」
「妹さんは来ていないのかしら? まあてきとうに時間まで遊んでいるわー」
「よーし、次の参加者は誰かしら」

幽雅に、幾匹かの幽霊を従わせながら歩いて行く幽々子と大きい半霊一匹引き連れてパタパタ走って行く妖夢を見送ってから、魔梨沙はまた分厚い帳面へと向き直った。
今日は集まりが悪い方である。魔梨沙にかけられた以外はそれほど強くない萃(あつ)める能力による誘導よりも、私事等の用事が優先されたのだろう。
何度も宴会を盛り上げてくれたプリズムリバー三姉妹の姿もライブのためになければ、後からパチュリーは美鈴と来るらしいがフランドールは姉の今日は止めておきなさいの一声でお留守番。
時折来てはビクビクしながらお酒を舐めていた凶兆の黒猫橙の姿もまた目聡い魔梨沙であっても認められなかった。

「声を掛けた子達は大体もう来たし、今回は何時もと違う、飛び入り参加してくるような子に期待するしかないかー」
「あら。どうも期待をされているみたいね」
「紫も参加、と。藍は来ないの?」
「ええ。【次の機会】ではどうだか分からないけれど、今回はお留守番ね」

突如として眼の前に開かれた妖しいスキマから現れた妖怪に対しての驚きも僅かにもなく、魔梨沙は冷静に帳面へと八雲紫の名前を書き連ねる。そして、意味深に発された次の機会という言葉に対しては少しばかり眉根を寄せた。
だが、次回が来るまでにそんな一言が気にならないくらいに強くなっていればいいかと、その疑問を魔梨沙は流す。

「ふーん。でも、今まで来なかったのにどうして今日は呼ばれずとも来たの?」
「大方居場所を突き止められなかったのでしょうけれど、誘いなくては私もお邪魔する気にならなかった。でも、今日は特別に宴会へ参加したいと思ったのよ。ほら、とっておきの外の世界の吟醸酒よ。今回の趣旨にはあったものでしょう?」
「うわー、充分よ。どうして今日だとかどうしてとっておきを持ってくるよう言ったのを知っているのかとかも、どうでもいいわね。覚えている限り、外の世界の酒蔵のものは呑んだことはないわ。楽しみねー」
「喜んでくれて何より。でも、これからもっと喜ばしいことが起きるはずよ」
「それって。あら、あれは霊夢と……」

スキマから取り出された綺麗にラッピングされた瓶を片手に、何だかんだ酒好きな魔梨沙は喜んでいると、ざわめきが耳に届いた。
その方を向けば、そこには巫女らしき影と魔女のような幽霊のようなあやふやな形の影が見受けられる。後者の姿を認めた瞬間、魔梨沙のテンションは上がり、心は大いに弾む。

「やったー! 魅魔様も来てくれたの!」
「まあ、そろそろ愛弟子が根比べに負けるかもしれないと思ってね。なんだ、紫も来たのかい?」
「そろそろ貴女の堪忍袋の緒が切れるのではないかと思ってね」
「流石に察しがいいわ。そろそろお遊びに付き合わされている愛弟子が可愛そうだからね。ちょっとこの無法者には痛い目にあって貰うとするわ」
「過保護ねえ。いや、弟子を鬼の前に差し出すというのは、スパルタかしら」
「私の弟子が、鬼退治くらい出来ないわけがないわ」
「だそうよ、萃香。大した親ばかと思わない?」
「スイカ?」

魅魔もそうであるが、訳知り顔の紫は宙空に向って声をかける。交わされた会話からそれは何者かの名前であるだろうと理解していたが、魔梨沙は言葉の響きからウリ科の果実を思い浮かべて、首を捻った。
魔梨沙は変な名前だなあと、【魔】という文字が付いた珍しい自分の名を忘れてそんな感想を持つ。そして、そういえば宴会の面子も変わった名前ばかりねと思いながら、ゆっくりと近寄ってくる【一番に慣れ親しんだ】少女の名を口にする。

「霊夢、どうしたの?」
「魔梨沙。どうしたもこうしたもないわ。神社に不審者が隠れていたのだから、捕まえに来たのよ」
「あら。魅魔も今回の宴会に参加したくて現れたらしいわよ」
「魅魔が唐突に神棚から出てきたから追ってきたけれど紫まで……まあ、あんたは立派なのを持ってきたようだからいいか。けれど、参加するにしても魅魔は手ぶらじゃないの。今日は酒を持ってこないと駄目な筈よ」
「今日はお酒が必要なのかい? なら……ほら」

その参加を嫌がって眉をひそめる霊夢に対して、魅魔は片手を広げ、その掌からにポンと音を立てて奇術のように煙を出してから酒瓶を取り出した。

「むっ」
「これで、今日の酒宴に参加する資格はあるかしら」

そうして、ちょいと摘んで一升瓶を差し出す魅魔。霊夢は受け取った酒の様子を確かめてから、一言。

「随分といい酒ね……どこから持ち出してきたのよ」
「人里に居る私の信者から頂いてきたのよ。これはそいつのとっておきの酒、らしいわ」
「相変わらずろくなことをしない悪霊ね……でも、持ってきたのなら文句をいえないか」

魅魔に酒を揺すられ涙目になったり、隠していた酒が失くなり顔を青くしたりしている人里の人間の姿を思い浮かべながら、しかし酒を持ってくればいいという旨の自分の前言を撤回することは出来ない霊夢は、唇を噛みながら魅魔を見送る。
しかし、当の魅魔はそんな霊夢の心地なんてどこ吹く風といった様子。久しぶりに会う愛弟子を撫でて可愛がってから、恥ずかしがる魔梨沙を他所に、紫と向き合い言葉を交わす。

「それじゃあ私は魔法であいつを萃めるから、魔梨沙と二人で暴れても大丈夫そうな空間を見繕っておいてくれないかい?」
「随分と無茶なことを言うわねえ。でも――まあ、友人の珍しい頼みごとですもの、出来るだけ叶えて差し上げますわ」
「助かるわ」
「はい、これもお願い。萃める……ひょっとして、魅魔様はこの幻想郷中に広がった妖怪をどうにかできるの?」

魔梨沙はやって来た妖夢に二本のお酒を任せながら、魅魔の実力ではなく行うその方法に疑問を持つ。或いは自分でも出来ることを間抜けにも思い浮かべることが出来なかったのかもしれないと、そう考えて。

「なあに、簡単なことよ。確か魔梨沙にも教えていたわよね。これからやるのはゴミ集めに使う、ただの集塵魔法よ。それを私が本気でやれば……」
「わぷっ」
「きゃっ、なによこれ!」

しかし、それは間違いである。力が強いばかりの魔梨沙と違い、魅魔は魔法に深く通じている。
故に、魔力でマーキングしたものに相似したものを萃めるというそれだけの魔法が、魅魔の手腕によれば能力によって幻想郷中の宙に散らばり疎らになった鬼を集める数少ない方法にまで高められてしまう。
魅魔がどこからか取り出し掲げた、三日月を模したような杖を中心として引かれるような力が働き、魔梨沙や霊夢達のスカートがめくり上げられたりしたが、そんな副次的作用よりも大きく結果は現れた。

「……ほら、一丁上がり」
「あれ、ちっちゃい? それに……」

そう、杖の先から徐々に形を成して現れたのは二本の角を携えた、しかし小さな少女の妖怪。魔梨沙はその妖怪に纏わりついている驚くべき濃密な妖気よりも、しかし少女の両手に付いている枷と鎖から目をそらすことが出来なくなる。
だが、戒めをされたままの少女はそんな視線に興味はないのか、形を成したと思えば宙から落ち、どすんと尻もちをついてから、自分を呼び出した者を見た。

「何なのさ、魅魔ー。折角良さそうな酒が萃まっているみたいだからこっそりと味見をしてみようかと思ったのに」
「餌に釣られて大分こっちに寄って来ているのは分っていたから、萃め易かったわよ。さあ、鬼退治と洒落込もうかしら」
「えー。魅魔に、紫まで居るじゃないの。流石にこれじゃあ分が悪いなあ」
「何勘違いしているのよ。鬼退治は人の領分。そこにいる私の弟子が相手をするわ」
「ふうん?」

そこで、妖怪少女、いやその正体は不羈奔放の鬼、小さな百鬼夜行、伊吹萃香は魅魔の白い指先を頼りに初めて自分を【同類】を見るような眼で見ている人物を眼に入れる。
そうして、萃香はその自分持つ妖力にそっくりな魔力を湛えた紫色の魔法使いの全容を認めて、口元を歪めた。

「なるほど、元鬼子が鬼退治をするというのは面白い。こういうのは吉備津彦のお伽話を思い出すね」

たしか桃太郎、といったかな、と呟いてから、こき使うのに欠片も罪悪感も持たなかった、成り損ないの少女と同じように【同類】を認めたような視線を交わした。

「それでは、二人共行ってらっしゃい」
「わあ」
「わー」

ただ、視線が通じたのも少しだけ。問答無用に足元に空けられたスキマによって、二人共々足を取られて落ちていった。


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