所は白玉楼に向かう階段。そこで八雲紫と博麗霊夢は向かい合っていた。いや、ただ二人は対面している訳ではない。その間には、無数の弾幕が行き交い、こと紫の張る弾幕は密に二人の隙間を支配している。
桜舞い散る中で、紫の弾幕は水色に緑色の小さなクナイの形をとって広がっていた。そして水色に緑色それぞれが左右に曲線を描くことで交差が生じ、まるで寒色系の花のような図形が紫の周りに現れる。
交差して狭まった隙間を何度も向けて来る弾幕は非常に難易度の高いものと思えるが、これがスペルカードを用意する合間の、牽制として放たれているだけのものであるということに、霊夢は戦慄せずにはいられない。
御札を投じながら、霊夢は紫のぞっとするような妖艶な笑みを睨み、両脇に浮べた陰陽玉に力を込めた。
「くっ、相変わらず紫は人が嫌がるコツっていうのをよく分かっているわ。これなら咲夜の代わりに藍の相手をやっていればよかったかしら」
「飼い猫の敵討ちだって、勝手に私の式から離れて行動してしまうのだから藍にも困ったものね。指示通りにしていれば、霊夢を逃がすことなんてなかったのに。全く、面倒だわ」
「あんたも妖怪の賢者なんて呼ばれているんだから、面倒臭がらずもう少ししっかり働きなさいよ。それだから、何時までも幽明結界を直さないあんたに私が活を入れる羽目になるんだわ」
「壊した霊夢に言われたくないけれど、まあいいでしょう。前言は翻さない。先に取り決めた通り、霊夢、もし貴女が私に弾幕ごっこで勝つことが出来たら結界の修復を始めるわ」
「むむむ……」
弾幕と一緒に軽口を投げ合っているが、しかし霊夢は自分の不利に気づいている。紫が提示したスペルカードは十一枚。霊夢も同様の枚数を用意していたが、予想以上に消費が激しく今は残り三枚である。
しかし、紫は元気いっぱいで、ちょうど今五枚目のスペルカードに手をかけたところ。これから難易度を増していくだろうスペルカード群を前にして、霊夢の敗色は濃厚となっていた。
「それじゃあ、次に行きましょうか。罔両「八雲紫の神隠し」」
「っつ!」
紫の名前を冠したそのスペルカードが始まるや否や、目の前を紫色のレーザーが通り、ダメージを与えられるほどそれに力が篭められる前に間一髪で霊夢は避ける。
無論、そんなレーザーだけの生易しい弾幕を紫が張るわけもなく、次に殺到してくるのは赤い大玉弾で、大量の紫の中玉小玉がそれに追随し、そして回避の邪魔をするかのごとく周囲に広がる蝶々、それもまた紫色だ。
そんな、中級妖怪の全力の弾幕の如くの、紫色の爆発は、しかしそれで全てではないだろうと霊夢は思い、避けながら発した紫を探す。しかし、桜吹雪の舞う中、その姿は見付けられず、霊夢は困惑した。
「紫はどこ?」
「ばぁ」
「なっ!」
スキマを介して紫は突然眼前に現れる。そして、当然のように彼女は先と同様の弾幕を、今度は至近で爆発させた。眼前で咲き散るは赤い実を零す紫の花。こんなもの、事前に察しなくて、避けることなど出来るものだろうか。
その暴力的な紫は、霊夢の周囲を覆い、あっという間に赤の大玉が彼女の身体に触れて、その身に能力を発揮できないほどのダメージを負わす。紅に弾かれる紅白は、ひらひらと、重力に引かれて地に向かう。
そう、霊夢は負けて、墜落したのだった。
「くぅっ!」
しかし、流石に霊夢も魔梨沙相手に負け慣れていない。頭が石段に触れる前に、気を取り戻して主に空を飛ぶ程度の能力を用いて体勢を立て直す。そして、自分が無様に負けてしまったことを痛感した。
先ほどのスペルカードは、いわゆる初見殺しの要素を持っている。その軌跡もなしに移動出来る紫の能力を用い、目眩ましの弾幕により紫本人が神隠しされたかのように消え、そしてスキマから眼の前に現れ弾幕を放つ。
同様のスペルカードは紫の式神八雲藍も持っており、その名も式輝「プリンセス天狐 -Illusion-」というもので、奇しくも同時刻に咲夜が沈んだ弾幕である。
「まんまとやられてしまったわね……」
幾ら初見殺しと言えるような弾幕とはいえ、驚き圧倒され、初心者と同じように三枚ものスペルカードを抱えて落ちてしまった霊夢の気持ちは重い。
まだ紫との、働くか働かないかの賭け事であるからこそ良かったが、もしこれが異変の最中であれば再チャレンジを余儀なくされ、或いは時間を与えた相手に異変の目的を完遂させてしまうかもしれなかった。
そんなもしもを考えれば、流石に普段から暢気をしている霊夢でも反省せざるを得ない。
「霊夢、貴女は前半の結界弾幕にスペルカードを切り過ぎているわ。空気も区切れば捕まえられる。私を倒したかったらもう少し修行に励んで結界に精通することね」
「確かに。今の弾幕に夢想封印を使って無理に避けられていたとしても、後が続かないものね。はぁ。魔梨沙だったらどう避けていたのかしら」
霊夢は、思わずここに居ない弾幕最上級者の姿を思う。慣れているから一度弾幕ごっこを始めれば善戦することも出来るが、根本的な回避能力において、魔梨沙は霊夢と比べても非常に高いものを持っていた。
おそらく、この驚きばかりの弾幕など、にこやかに悠々と避けて、むしろ紫を驚かす結果に終わらすのだろう。
「霧雨魔梨沙……そういえば彼女は何処に居るのかしら? あの子が来るのなら、と私もそれなりの準備をして来たのだけれど」
「あいつならフランドール……レミリアの妹と遊びに出掛けているわ。幽々子に依頼されても断って、ね。理解できないけれど、魔梨沙は紫のすることなら大丈夫、って言っていたわ」
「随分と、信頼されたものねえ。好き勝手している私を放って、吸血鬼と人里で遊ぶなんて、あの子も変わり者だわ」
「私もそう思うけど……何で行く場所まで知っているのかしら。人里、なんて私一言も口にしていないわよね」
「人里で桜祭りが行われていることくらい知っているわ。どうせ、霧雨魔梨沙は吸血鬼を人と変わらず扱い連れて行く。彼女にとって人里の人間なんて一部以外有象無象。タガのない強大な悪魔を連れてきてどう思われるかなんて、鑑みない」
「どう考えても、場を覚まさせるような結果にしかならないわよねぇ。全く、今回はどうフォローすればいいのか、頭がいたいわ」
本当に、頭痛をこらえているかのように、頭に手を当てる霊夢を見ながら、紫は姉貴分の評判を気にする彼女に人間らしさを覚える。
空を飛ぶ程度の能力を持った霊夢、そんな彼女がずっと前より少し低空飛行になっているような。昔はもう少し何に対しても中立的な子であったような気がするが、魔梨沙に育てられあれだけ構われれば、変わりもするのだろうか。
そう考え、そして次に変化したが根本的に歪んだ部分が直っていない魔梨沙の一部を思って、紫は口元を歪める。
博麗の巫女に人間らしさを教えた魔梨沙の根本には、人間らしい心変わりを厭うに至る経験があった。だから、なるべく変わらないような奇妙な人間や妖怪を好むのだと、紫は察している。
そして、私は好まれているのかしらと思い、瞬時にそんなどうでもいい疑問は振り払って、紫は胡散臭そうにこちらを見ている霊夢と対するのだった。
人間の里、人里。そこはその名の通り、幻想郷にて一般の人が住むことの出来る、唯一と言ってもいい場所である。
人里には妖怪が利用するような店舗もあり様々な妖怪が里を訪れるが、暴れるものは少ない。それは、人里で好き放題すればどうなるか、彼らも知っているからだ。
妖怪退治を生業とする人間が居ること、そして何より妖怪の賢者による保護によって人は安全に暮らせていた。むしろ、人里の人間の一部は、夜は妖怪専用として店を開いたりしていて、持ちつ持たれつ共存しているような部分すらある。
そして、人が集まり生きていれば祭り事は行われるもの。今回は、遅く来た春を祝うために、咲き誇る桜をただ見るだけでは味気ないと、祭り事にして盛り上げようと人々は画策していたようだ。
里の外れの桜の木で囲まれた、催し事のために整備されている土地のため遊具はないが普段は子供がよく遊んでいる広場で、桜祭りは行われていた。
祭りは盛況を見せている。狭い広場は人妖で埋まり、笛太鼓の音色はよく響き、屋台の売上も順調そのもの。一角に広がれたござの上では酒盛りが行われ、桜によじ登ろうとする子供を優しく妖怪がたしなめるような光景も目にする事が出来る。
そんな、幻想郷の平和を凝縮したような祭りであったが、しかし一部ぽっかりと人混みに隙間を広げたところがあった。その中心には二人の人妖の姿がある。
二人とは、竹箒を片手にスカスカの周囲を気にせず屋台を覗く魔梨沙と、周囲の空間を不思議に思いながら日傘とりんご飴をその両手に持って喜色と妖気を溢れさせているフランドールだった。
彼女らの周囲に誰も近寄ることもなく、屋台の店主も眉をひそめるその理由は、フランドールが抑えきれていない妖気にある。
本人たちは、そのことをどうでもいいと思っているが、フランドールは強大な悪魔吸血鬼。他種族に厭われるその有り様に力は妖気に表れており、フランドールと魔梨沙には気にならない程度ではあるが、それでも周囲を圧倒するほどに溢れ出しているのだ。
そんな周りを気にしない魔梨沙と気になっているが一部隙間を空けるのが普通なのだと誤解し始めたフランドールは、妖気をまき散らしながら移動する。
二人は金魚掬いのお店を冷やかしてから、少し歩いた先に奇妙なものを売っている屋台を発見した。
そこにはカメラのような、マジックハンドのような、雑多なしかし幻想郷には珍しい機械的な代物が展示されている。物珍しさに、二人は近寄っていく。
僅かだが客はいたが、気持ちの悪い気配を感じて振り向き、その源泉となる者の姿をおぞましい妖気越しに見ることで恐怖を感じ、蜘蛛の子を散らすように三々五々逃げ出していった。
そして、空いた店に近寄って、魔梨沙は暢気に店主に声をかける。
「機械かー、外の世界を思い出すわ。あ、店主はにとりじゃない。元気してたー」
「ひゅいっ! ま、魔梨沙、その後ろにいるのは何なんだい……」
「私は吸血鬼のフランドール・スカーレットと言うわ。貴女も妖怪でしょ。なんていう種族?」
「わ、私は河童の河城にとり。吸血鬼か、道理で恐ろしい気配がすると思ったよ。それにスカーレットっていう事は、去年の紅霧異変の……」
「そうね。主犯であるレミリア・スカーレットは私の姉よ」
「なるほどねぇ……どうにも禍々しいのはお姉さん譲りなのかなあ。ほら、おかげで客が来ないで代りに人垣が出来ているよ」
「あら、本当ねー」
さも、今気づいたかのように魔梨沙は答える。いや、周囲の人間の反応など気にしていなかった魔梨沙にとって、まじまじとその様子を見るのは確かに初めてのことではあった。
周囲の視線に、異常なものを見る奇異と嫌悪の入り混じったものを感じ、しかし魔梨沙はどうでもいいと切り捨てる。
「うーん。気づかなかったわ」
「はぁ。相変わらず魔梨沙は人間らしくないねえ」
にとりは魔梨沙のその鈍感さに呆れ、人に興味のある妖怪の自分と反して、ただの人に興味を持たない彼女の人間として珍しい有り様を面白がった。
魔梨沙とにとりの関係は、玄武の沢で魔梨沙が魅魔とピクニックしている際に、好奇心から近寄ってきたにとりを魅魔が捕まえて、その際にエンジニアの河童には及ばないが機械の知識が少なくともあるということをにとりが知ってからのものである。
以降時々偶然を装って会い、そしてちょっとにとりの持つ人間像から離れた存在である魔梨沙と関係をもつことをきっかけとして彼女は人見知りを克服し、こうして祭りで屋台を営むようにすらなっていたのだ。
だから、他のテキ屋と違う理由で無碍にするわけにもいかず、取りあえず何か買ってもらおうと商品に手をのばそうとした時、不況の原因である吸血鬼が今更言葉を咀嚼しきったのか大いに焦り出して疑問を口にする。
「え……私、そんなにおかしいかな?」
そう、フランドールは周囲の異常は自分に原因があったということに今更気づいて、困惑した。喜色は弱まり、溢れる妖気もこころなしか減る。
それだけで、目をそらすことの出来なかった周りの人妖には安堵の色が広がっていくのだから、彼女の持つ力は恐ろしい物があった。
フランドールは知っている妖怪がどれもこれも尋常でないという環境からそんな自身の力の異常さに気づけかった上に、そして人間の少女のような彼女の性根が、悪魔の自覚を薄くさせてしまっているのだ。
また、魔梨沙に霊夢という規格外を基準としてしまっているフランドールは、他の人間が良くも悪くも繊細であることを知らない。
故に、魔梨沙に目立たないように妖気は抑えてね、と言われた通りにしているというのに僅か抑えきれない分だけで悪目立ちしてしまう現実を理解できなかった。
フランドールが首を傾げていると、何やら入り口の方から目立つものが来たようでざわざわとその方面が騒がしくなり始める。そしてそれは真っ直ぐに魔梨沙とフランドールとにとりを囲むように隙間を空けた空間に押し寄せて来た。
その人物のために、人垣は割れる。現れたのは、銀色に青が混じる長髪に、立方体に屋根を付けて上に四角錐を乗せたような形をした青い帽子を被せている、上白沢慧音という女性だった。
慧音は、半獣という人とも妖怪とも取れない身でありながら、人間の側に立ち人里の人間に慕われている存在である。彼女は祭りの和を無自覚に乱している輩が居ると人づてに耳にし、注意をしにきたのだ。
「すまないな、ちょっと退いてもらおうか……はぁ。片方は霧雨の娘と聞いていたが、やっぱり魔梨沙、君だったか」
「あら、慧音先生じゃない。あたしに何か用?」
「魔梨沙、というよりも問題があるのは後ろの妖怪、吸血鬼の方なんだが……まあいい。二人ともちょっと来てもらおうか」
「はーい。フランドールも行きましょう」
「……分かったわ」
「じゃあね、にとり」
「はいはい。今度は居たら人間の友達でも連れて来なよ」
にとりに手を振り、魔梨沙とフランドールは、慧音の後を付いて祭りの場から去っていく。その際に、向けられる人々の視線の意味を理解し始めたフランドールは俯き言葉も少なくなっていった。
フランドールの気持ちを察し、魔梨沙は先ほど空いたばかりの傘を持っていない方の手をギュッと握る。二人の接触部は、誰彼の注目を嫌というほど浴びたが、それでも解かれることはなかった。
先導する慧音は誰も居ない場所を探し、やがて彼女の足は路地裏に入って直ぐの場所で落ち着いた。日当たりがあまり良くないこの場は、吸血鬼との会話にちょうどいい場でもあると彼女は思う。
そう考え振り向いた先には、後ろ暗いものなどないと思っているのか平然とした顔をした魔梨沙と、怒られるのではないかと怯えているフランドールの姿があった。そんな対照的な二人を見て苦笑いを零しながら、改めて慧音は対話を試みる。
「自己紹介を忘れていたな。私は半獣の上白沢慧音という。まずは、会話の前にそうして妖気で威圧するのを止めてくれ。それだけのものを放たれると、普通の人間や私のような半端者は気分を悪くしてしまう」
「え? そんなつもりはないわ。私は魔法を使わない限り妖気を隠すのが苦手だけれど、今は頑張って殆ど妖気を抑えられていると思うのに……」
「なるほど。ほんの少しでコレくらい、ということは君という妖怪はそれほどの存在なのだな。魔梨沙、日傘をして羽根が生えているから吸血鬼とは思っていたが、ひょっとして彼女は君が解決したとされる紅霧異変の……」
「首謀者のレミリアではなくて、その妹のフランドール・スカーレットよ。後、解決したのは霊夢なんだけれど、どうして誰も信じてくれないのかしら?」
「そうか、恐らくは親譲りの才能なのだな。それと、幾つもの異変を解決したといわれる里一番の退魔師として名高い魔梨沙、君を差し置いて新米の博麗の巫女が異変を解決したというのはにわかに信じがたいものがある。私は信じても構わないが、普通の人間は遠くの巫女より身近の英雄の噂をとるだろうな」
「へぇー。やっぱり、魔梨沙って凄いんだね!」
「私なんて力任せに悪いことをする奴をやっつけているだけなのにー。術や技を使って体を張って頑張っている人の方が優れているって、どうして分からないのかしら。それに霊夢の力は本物よー」
「博麗の巫女の実力は知らないが、弾幕ごっこでもなしに、天狗を落とすことの出来る人間なんて君くらいのものだと思うが……おっと、話が逸れたな」
コホンと咳をして、慧音は話を戻そうとする。彼女は寺子屋で先生をしており、その癖か謙遜している人間にはしっかりと褒めて丸を付けてあげたくなってしまうようだ。
しかし、そのために、話が変わってしまうのは感心できないと、慧音は気を取り直した。
「別に、人里にも祭りにも妖怪が来るのは一向に構わない。現に、ああして許可を得て屋台を出している妖怪だって居るからな」
「にとりのことねー」
「しかし、その妖怪すらも怖れるような大妖怪には自覚を持って欲しいものだ。君が妖気を抑えられるのなら目くじらを立てることもなかったが、しかし今もひどく不吉なものが溢れている。だからといって今直ぐどうにかは出来ないのだろう?」
「魔法を使うと私自体が消えちゃうし、それは、ちょっと難しいかな」
「だから来るな、とは言いたくはないのだが、せめて自覚はしてくれないか。君の力は恐ろしいもので、少し溢れているだけでも他者が危険を感じてしまうくらいのものだと」
「うん……分かった。皆を怖がらせたくないし、私は帰るね。あはは……」
久しぶりに、フランドールは壊れてしまいたいと思う。先ほどまで忘れていた、出かける前に姉が言った覚悟しておきなさいという言葉が彼女の頭を駆け巡る。
そう、フランドールは覚悟が足りていなかった。和を壊してでも楽しむ覚悟も、潔く身を引く覚悟もなく、今も仕方ないのだからと渋々諦めている。そんな自分が情けないと、フランドールは思っていた。
しかし、覚悟なんてとうに済んでいる人物がここに居る。彼女は、フランドールの隣でおかしなことを言うものだと笑っていた。
「うふふ。フランドール、帰るなんて気が早いわ。祭りをまだ半分も回っていないじゃない。楽しめる部分はもっと沢山あるわよー」
「え?」
「……魔梨沙、君は自分が何を言っているか分かっているのか? 皆の怯え様、分からなかったわけでもないだろう」
「だからどうしたというの? 私は今日、フランドールと遊びに来たのよ。そのことで、皆が楽しめなくなろうが、どうでもいいわ」
「むっ、君は人々が楽しみにしていた祭りに水を差すことを良しとするのか?」
「それでも、あたしは友達と一緒に遊ぶわ。何かあれば態度を変える人間のことなんて、一々気にしていられないもの」
「それが君の本音か……」
苦々しい思いを胸に秘め、悲しい表情をして慧音は魔梨沙を見詰める。彼女は魔梨沙の過去を、持っている歴史を食べる程度の能力と関係なく大方知っていた。
その過去に関わり慰めることの出来なかったことを、人のいい慧音は後悔している。そのために出来た歪みを見せられては、尚更。
魔梨沙は名誉ある博麗の巫女と成る道から逸れて、博麗神社の悪霊と畏れられている魅魔と共に魔道に踏み外してしまった人間である。
そんな魔梨沙は、魔法使いになった瞬間から期待から持ち上げられた分だけ扱いを急転落下させられ、幼い彼女は里の人間から悪口を表に陰に叩かれるようになって、同年代の子供に石を投じられた経験もしている。
その魔道で培った力が妖怪退治において非常に有用であるということから、次第に扱いは変わっていったが、それでもそんな風に変わってしまう人間に呆れた魔梨沙は人に期待をかけるのを止めた。
勿論、人間不信に至ったには、父親からの虐待の記憶が抜けないところにもある。強くなりたい、それは弱いと変化に抵抗出来ないから。そういう考えもあって、魔梨沙は妖怪みたいに何が起きても根本は変わらないだろう強い存在に惹かれるのだった。
フランドールは少女らし過ぎていて、これから大きく変化していくのだろう予感があるが悪い風に変わらないとは信じているし、何より友達なのである。
そんな思春期の友の前で自分が提案した意見を、人の目如きで軽々と変えるのは悪い手本ともなると魔梨沙の望むところではない。
もっとも意地を張りすぎるのも良くないと知っているが、どっちつかずにならないためにも自分に甘い考えは捨てる。そのために、嫌いではない存在、慧音とぶつかることになろうとも、関係はなかった。
「それで、どう白黒つけましょうか。歴史のテストではとても勝負にならないし、ここは公平に弾幕ごっこで決めたいわ」
「それこそフェアじゃないと思うが、仕方がないか。では、場所を変えて……」
「駄目、喧嘩は止めて!」
「フランドール?」
「魔梨沙ありがとう。私のためにそこまでしようとしてくれて、本当に、ありがとう……でも、私はいいの。頑張って、妖気を抑えられるようにするから、その時にまた一緒に遊ぼう!」
フランドールも姉と喧嘩をしたことはある。しかし、それが目の前で起きたのは初めてのことだ。曲がりなりにも自分のために、目の前の二人が争うということを、フランドールは涙目になってまで嫌がった。
スンスンと、鼻をすすり始めたフランドールを見て、慧音と魔梨沙はバツの悪そうな顔をする。
「……だ、そうだが?」
「そう……貴女の気持ちは分かったわ、フランドール。ごめんなさいね、フランドールの意見をちゃんと聞かないで喧嘩しようとしちゃって」
「いいの。魔梨沙は私とお祭りを楽しみたかったから、慧音と争おうとまでしてくれたのでしょ? でももう私は十分お祭りは楽しんだし、今日はもうお家に帰って魔梨沙とお話できればそれでいいわ」
「分かったわ。後は紅魔館でお茶にしましょうか」
「うん。……それじゃあ、さようなら慧音」
「じゃあね、先生」
「ああ、さようなら、二人共……」
フランドールは、紅の虹彩だけでなく白目も赤くしたその眼を擦り、その手を慧音に向けて振ってから魔梨沙と繋ぐ。それを少しも嫌がりも恐れもしない、魔梨沙の姿が、慧音には眩しく映る。
だからだろうか、つい慧音の口は開いていた。
「……フランドール」
「なあに?」
「もう少し妖気のコントロールがしっかり出来るようになったら、祭り以外でも何時でも君を歓迎するよ。他の皆はどうか分からないが、最低でも、私はそうしよう」
「……ありがとう!」
今泣いた烏がもう笑う、ではないが優しい言葉を受けたフランドールは笑顔になる。彼女のほころんだ顔には幼き者特有の稚気を感じ取れて、慧音も思わず口の端が緩んでいた。
それは、掴んだ手を一緒に揺らしている魔梨沙も同様で、そんな三者の笑みは、別れてからも暫く続く。最低でもその顔を里の門番に見られて恥ずかしがるまで、二人は笑みを零している。
そして紅魔館へ向って飛び立ってから、魔梨沙はふと、予定していたことを思い出した。
「そうだ、何時だかは決めていないけど、博麗神社であたしが主催するつもりの宴会にフランドールは出る? そこなら妖気なんて気にしない人妖ばかりだから、普通にしていても平気よ」
「うん。それなら……出たい」
異変解決後の全てを水に流すための宴会、そこにフランドールも参加することが青空の中で決まる。くるりくるりと、傘を回して喜ぶフランドールを微笑ましく見て、魔梨沙はなるべく早く日取りを決定しようと考え出す。
楽しみにしていたそれが何度も続いて、魔梨沙を悩まし醜態を晒させ続けるものとなるのだが、今彼女は暢気に箒の上に横座りしながら、楽しい酒宴を想像してばかりいた。
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