番外話二 茉莉のヤンデレ
生きるというのは、休まらぬことだ。そう、襲田茉莉は考える。真にこの世は忙しない。そうでなくても長々と、星々は廻り、熱を持ち続けている。一体全体さぞ疲れていることだろう、この世の全てが停まってしまえばいいのに、とすら思うのだ。善意を持って、彼女はこの世の死滅を願う。
「あああ、うるさいうるさい。私も停まりたいなあ」
茉莉は、静寂が好きだ。望ましいのは、無音。だがいくら他から距離を取ろうとも、何時だってうるさく自らの心の臓は鳴り続ける。早く死ねばいいのに、と自らを思うが、そうしてしまうとあの美しいものを見て取れなくなってしまう。それだけは、ごめんなのだった。
「ああ、大須さん……」
茉莉が想うのは、天上の綺麗、大須滴。彼女を見つめた時から、この世の全てが殊更醜く思えるようになった。
滴は暗い世の中で唯一の光。茉莉がそう錯覚してしまえるくらいに、少女の美しさは度を超していた。先達の理性をも犯す、それは正しく魔性である。黄金比なんて下らない。彼女が正しき美であった。
「もっと、私を見てくれれば、いいのに」
ただ、その輝石ですら比べるに足りない滴の瞳は主に下を向き、視線は地を這っている。それは、一等小さな茉莉ですら、見つけられることが希なほど。
物憂げなその様子ですら美しきことこの上ないが、もし、滴が胸を張って己を誇ったらどれだけ綺麗に輝いてみえることだろう。茉莉も一度はそれを見てみたいと思うが、それが常態になって欲しいとは思わない。
何しろ、滴に見惚れる数多の中で、友と言える人間は大凡四人きりなのだ。その内の一人である茉莉には、彼女が周囲を見直して親しむ対象を増やされるというのは望ましくない。きっとあの深い瞳に映る機会が減ってしまうだろうから。
そう考え、次に茉莉は思いを飛躍させるのだった。
「やっぱり、皆死なせてあげた方がいいのかな?」
滴の瞳が動くモノを追うのであれば、私以外の動物は要らない。そうとすら、思う。愛。それはこんなにも殺意に近いものになるのだろうか。ただ、凝って重なり続けたものは、大概が黒に似るのである。
そして、茉莉の周囲に集うは、暗がりの、闇。この日この時彼女は独り、体育館倉庫に閉じ込められていたのだ。けれども、少女は焦らず恨みもせずに、ただ決まった助けを待ち望む。
そうして、茉莉は己の中で終わってしまっている結論を口にした。
「人って死ぬのが一番だから」
そう、茉莉はそんな答えを出してしまっていたのだ。シレノスの知恵を、彼女は早く、識り過ぎた。誰に教わるでもなく下らないその人生から、そんな回答を導き出していたのである。
善悪人界全て、泡沫の夢。無常こそが自然であるならば、滅びを見つめない有様こそ間違っているのではないか。そんな言い訳を持って茉莉は死を想う。
終わりに比べれば、つまらない者達からの自分への悪口なんて、大したことはない。父親からの隠れた虐待ですら、どうでもいいことだ。少女はそう、考えたいのである。
大事なのは、死ぬことだ。それは、滴以外の全てに適応できた。
「でも、どう考えたところで、大須さんには生きていて欲しいな」
直ぐにでも消えて欲しい全てに反して、長く、それこそ永久に。もし自分がその他全てを食らいつくして、その後彼女に捧げてあげれば、かもしたらそれも可能になるのだろうか。そんな妄想でしかない不可能ごとをすら、茉莉は考えてしまう。
何しろ、茉莉にとって、滴は特別過ぎるから。
茉莉にとって、この世はただ単に、情のない骸に近いものだった。大事こそ自分を虐げて、どうでもいいものこそ慰めになる。そして、幾ら愛を向けようとも返ってはこないのだ。
だから、茉莉が生を感じることが出来るのは、走っている時くらい。あえぎ苦しみ、熱を持つ間ばかりが、明確だった。
じりじりとした暑さに疲れ、熱中に倒れ伏してしまった、あの夏。極端な気持ち悪さに苦しみの中、茉莉は起きることを望まなかった。
寒さすら覚える暗中にて、ただただ蝉の鳴き声が、うるさい。もう、茉莉は雑音に疲れていた。だから、最期の時くらいは静かにしてと、文句を言いたくて、彼女は顔を上げる。
「だ、大丈夫?」
その時に、茉莉は光を見た。ぼうっとした視界に、光を呑み込み輝く、美しすぎる瞳が映る。彼女の闇すら、あっという間にそこに呑み込まれていくような気がした。
「今、助けを呼んでくるね!」
そうして、助けに去って行くのだろう、視界から輝きは逸らされ消えようとしていた。けれどもそれを嫌い、相手がのぞき込んだために近くにあったのだろうその手を引き、茉莉は呼び止める。
「なに?」
「手を、握って」
そして、茉莉は求めてしまった、確かな、美しいだけの愛を。
何時も裏切られていた、期待。しかし、少女は確かに茉莉の手を握ってくれた。冷たく、温かい。ああ、なんて心地良いのだろうか。
「必ず、貴女を助けるからね。それまで、ここで待ってて!」
そして、そんな心地良い声色を聞き、茉莉は、信じてうなずく。もう彼女が、離れていくことを恐れることはなくなった。
そうして茉莉の命は救われる。起き抜けに見た助けてくれた少女、眦に涙を溜めた滴の姿を目に入れ、初めて少女は生きていて良かったと思うのだ。
打てば響いて返ってくる。応答こそ、生の実感を生むもの。ただ嬲られるだけでは、あまりにつまらないのは、自然だった。
茉莉は滴に愛を向け、そして返ってくるのを期待した。しかし、下ばかり見てしまう彼女は中々自分を見てくれない。心という子は、視界に入れたのに。
それでもうろうろしていれば、滴を愛する周囲に鬱陶しがられるもの。影で嫌われ排斥されそうになったのを、流石に良心が咎めた心が止めた。やがて友となった心とちょっかいをかけてくる周囲の間でまだ行ったり来たりしていると、とうとう彼女が目を留めたのだった。
その時の興奮を、眩しさに目を細めながら、茉莉は今再び思い出す。
「アイツらが口に出したから見つけられて良かったけれど、今回ばかりは意地悪の度を超しているよ! 襲田さん、大丈夫?」
光を負って、滴は現れた。思ったよりも早い助け。カランと転がった錠に走る、鋭い切れ口は何なのだろう。
だが、そんな観察はどうでも良かった。ただ、この美しい少女の綺麗な瞳の中に入ることが出来たのが、嬉しくてたまらない。歓喜に震えながら、茉莉は言う。
「大須さん、ありがとう」
少女はその顔をふやけさせて、笑みのようなモノを作り出した。
愛している、愛している、愛しています。だから、私に貴女以外を殺させて。そんな思いを、この日茉莉は胸の奥に閉じ込めることが出来た。
だが、明日は、明後日は。何時まで我慢していればいいのだろう。
「茉莉ちゃん、大丈夫ー?」
「あ、心」
「うん……ありがとう、心ちゃん」
苛立ち、揺れる想い。自分と違って、嵐山心は、何の努力もなしに、そこにいる。最愛の、滴の隣に。羨ましさが、茉莉の心をかき乱させる。
「心ちゃん。何時、私と交代してくれるんだろう……」
誰にも聞き取れないような声で、そう口走ってしまうことを、止められなかった。友達、なら代わってくれても良いのではないだろうか。そう、思ってしまう。
そして、ぎしりと沈む、夜が来る。
きっと、何時かは早いのだろう。
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