番外話四 アリスの白い恋

挿絵 私は彼女の魔嬢(まじかるすてっき)

番外話四 アリスの白い恋

大須の本家は、化け物の集まり。

決して悪口ではないそんな事実を知るものは、そう多くはない。瀞谷町でも、その地に深く根付いた家々、中でも縁ある分家で同類の楠川家においてしか、そんな伝承は最早真面目に語られてはいなかった。

彼らは知っている。自分たちのようなただ人間以上な人でなし達よりも尚、次元が違う存在が大須であると。あくまで規格に則って、しかし感応することで遥か彼方に。人間の隙間ポケットの中の究極の歪。それらがどうしてかひとつなぎに繋がり続けるのが、大須一族だった。

それは楠川――質量を超えた全てを破壊出来る程のスケールと繋がることでいずれその彼方の大いなるものを引っ張り込み、世界を滅ぼすだろう――一族しか理解出来ないほどの深淵。神を陳腐にする、人の頭脳の繋がりすら超えた単なる実体。

そんな中から、世界最高の人間程度が生まれてくれたのは、酷く易しいことだったと、楠川の長は語った。

「楠川は人間に憧憬を持つ人でなしの集まり。そんな奴らでも理解出来ない化け物一族から、龍夫お兄さんのような高いだけの分かり易い人間が生まれてきたら、次は私達一族からも人間が、と思ってしまうものなのかしらね。……一人奇形が生まれたところで、人でなしは人でなしで変わらないというのに」

そんな全てを、瀞谷町人ですらないアリス・ブーンは聞いてよく知っている。ほとんど全てが白の中、ベッドにて数多の命を繋ぐ線に繋がれている、大須龍夫の隣に座しながら、彼女は呟く。

「ブーンプロジェクトが目指すところの世界に穴開ける歪みどころでは無い、彼方への感応。パッチワークで生まれた私以上に、おぞましいほど大須の者は人と違っている。それは、人間ではその本性を観測や記録することが出来ないくらいに。……神の設計から外れた、難しい生き物よね。はぁ。それを思うと、単純な龍夫お兄さんは本当に素敵」

嘆息と共に手を伸ばし、しかしアリスは龍夫に触れる前に引っ込めた。それは、近づき聞こえた彼の苦しみの吐息が熱すぎたために。きっと、それに触れたら溶けてしまう、蕩けてしまう。そう、勘違いしてしまう程に彼女には彼が愛おしかったから。

一本一本他が纏められたブロンド、その不揃いなグラデーションを五体から採った指にてしばらく梳いて自分を落ち着かせてから、アリスはまた独りごちる。

「よく分からない、そんな怖いものではない人間程度。しかしそのまま私の位置に届く者。そんな龍夫お兄さんだからこそ私は恋できる。……私の唯一の恋愛対象、対なる人間。ああ、そんな人の弱ったところをこんなに近くで眺めることが出来るなんて、なんて稀なことなのかしら!」

アリスは龍夫の端々欠けたが必死に生きようとしているその勇姿を、頬を赤くさせながら認める。荒げた息が、どうにも不審だ。しかしそんな様を、咎める者などこの場にはないのだった。

火傷に歪んで、それでも自然治癒しつつある肌が色っぽい。処置の無いくらいに優れているからと、ただ薬とガーゼでぐるぐるに巻かれているばかり顔の中心付近の、まつげの一本一本が尊く思える。簡単な生き物を参考に、遅々たるものだが巻き戻しのように肉や骨を再生させつつある、その低等に合わせる無様な最高のザマが面白い。

全てが全て、アリスの琴線をくすぐる。普段は、自分の手を取ってくれる、優しいお兄さん。けれども今は、彼女の前の半死人。そのちっぽけさがあまりに彼女には滑稽で、抱きしめたかった。

「う、う……」

そして、生きるからこそ痛むのだろう、我慢するアリスの前に、龍夫の口から苦悶の音色が響く。この世の重要をジグソーパズルのように掻き集めた後にくっつけた、生来のものは一部もない彼女の心臓が力強く鳴った。

「ああ、なんて可哀想なの……」

憐憫。血を分けた肉親なんかのために命を掛ける気持ちを、数多の血の混ざった淀みばかりを容れて生きているアリスには分からない。親愛なんていう狂気じみた感情にて、無理をして生粋大須の妹の範囲にまで手を届かせた龍夫は、彼女にとって非常に馬鹿げた存在である。

とんでもない高みにあるくせして、あくまで人間に囚われている男。ああ、そんな可哀想な生き物、抱いて愛でて容れたくなってしまうではないか。私の中で安堵して欲しい。そんな思いが、アリスの恋情の大本であった。

「それにしても、滴は、邪魔ね」

だからこそ、アリスは龍夫の心を占有している滴のことが嫌いである。彼を目に入れるために、よく見る将来の妹。継がなかった兄と違って、濃く大須を継いだ彼女のことは、どうにも気にくわなかった。

見てくればかりはひとたび目が合えば誰もが劣等感に目を伏せてしまうくらいに良くあっても、その中身はあまりに愚鈍。口を開けば己を過小評価した勘違いを語る。普段癖のように下を向いているのはどういうことだろう。ろくろく周囲を見ないで顔を上げずに居れば、そんなザマでも世に参画出来ると勘違いしているのだろうか。魔性が世界を傾けずに済むなんて、それこそ夢物語であるというのに。

「これがただ馬鹿な子であるならまだ許せた。けれど、今回の迷惑のかけ振りは、流石に許せない」

苛立ちに、アリスは頬を膨らます。比較的似たものの寄せ合わせの皮膚であるために肌色の違いは目立たない。けれども歪めれば多少分かってしまう者も居るのではという恐れからあまり変化させることのない、整えられた顔を今彼女は歪めている。それは、とても立腹したということであった。

「龍夫お兄さんなんて比較にならないくらいに力がある癖して、怯えて彼の大きな背中に隠れて怪我させた。力持ちの自覚が足りないわよね。手の届く世界を平らにするのは、我々の義務だというのに」

アリスは、生まれながら力持つものには義務が在ると信じている。それは、世界の整地。悪たる凸凹は挫くのが万民のために必要なのだと、足掛ける物体だった彼女はそそのかされている。その、役目のために。

故に、ざっと辺りを見回してからアリスは言うのだった。

「私達には簡単なんだから、悪なんて、軽く挫きなさいよ。――今の、私みたいに」

そう。折りたたみ椅子に座るアリスとベッドに包まれた龍夫以外の辺りは白白、白。それは、病院の中に彼らが居るからではなかったのだった。

お前らなんて消えて、無くなれ。それだけの意が塗りたくられて辺りをただ白く不明にしている。アリスに秘められた凶悪なまでの重要度が、それを可能にした。

天の創造主に認められたアリスは、この世界での自由の権限を一部手にしているのだ。

才を集めて天への階段を作る。そのためのマジックオブジェクト。唯一の成功例、最高段は微笑みに顔を歪めて、零すのである。

「いたずらに兄を危機に追いやる妹とは違う。その身を狙う相手を消し去り守ってあげる。私こそ龍夫お兄さんの、世界一の妹じゃない?」

果たしてアリスに権能を授けたのは、神か悪魔か。兎角そこに至ってしまっては、遍く全てが下に見えるもの。物語の主人公のつもりになって、創り手を喜ばす道化役は自分を誇る。恋する相手を兄と慕うことの捻れすら楽しんで。

「あはは。早くお兄さんが、私を踏んづけて、頂いてくれないかなあ」

そして、酷く薄い胸を張って、彼女は嗤うのだった。

 

 

アリス・ブーンは、作品である。マジックオブジェクトが生んだ、神の模型の一つとして彼女は存在していた。

人を創り上げた天に認められるために、アリスは人に似せているが、生まれたときから彼女は人間とは立ち位置が違う。主の力を手にして世界に穴を開けるための装置。人が神に至るために踏みつけるための高い一段。彼女は人と交わること許されない、孤高の存在の筈であった。

「お、こんなところに居たのか」

「――タツオ?」

「随分と高いところが好きなんだな。おはよう。アリス」

「オハヨー、タツオ」

しかし、何時しかアリスは龍夫とのみ関わることを許されるようになる。まだ調整不足でツギハギばかりの彼女を、彼だけは人と見た。

その全体は数多の培養した人間部品から天才と認められたものみを集めた逸品。曰く、神に似せたフランケンシュタイン。人ですら無いと目された醜いアリスに、龍夫は情を持って近づいた。

二人は、星が流れる様を横に見ながら一時沈黙する。アリスは大きな月を見上げて、龍夫は足元の青を見た。ここは、ブーン財閥が保有する軌道エレベーターの外。呼気すら死を呼ぶ場所にて平然と、高くて当たり前である彼らは存在した。

「ナンデ」

「ん?」

「ワタシヲ、ミトメル?」

ほとんど真空の宇宙空間にて、あり得ざる声が二つ響く。薬に機械でも抑えきれない拒絶反応に波打つ皮膚を抑えながら、アリスは龍夫に問った。どんな財力に権力を持ってしても繋ぎ止められない、気持ち悪い不明な自分。それをどうして見捨てないのかと。

当時のアリスの歪みに歪んだ醜い顔を不安と採り、笑顔で龍夫は応える。

「俺には、アリスと同い年の妹が居るんだ。だから、見捨てられなくてさ」

「ワカラナイ」

答えを訊いてもアリスには、分からない。どうして、目の前の青年は汚物と肉親を重ねるのか。自己を人と思わず、いと高くシンパシーなんてあり得ない場所にある少女には、龍夫は不明な生き物としか思えなかった。けれども、訳知り顔で、彼は続けるのである。

「分からなくても、こうして隣に居るんだ。アリスが俺に疑問を持っているのと同じで、俺がアリスを気にしてもおかしくはないだろ」

「ソレハ……」

「後、俺にはアリスが醜くいとも思えないし、モノにも見えやしない。ただ、妹と同い年の女の子だと考えているんだ」

目の前の人間は、単にして成長のみで孤高に届いた予想外。だからか、その言葉の殆どをアリスは理解できなかった。けれども、その中から一つを、どうしてだか傷だらけの彼女の舌が繰り返す。

「イモウト、カ」

「ふうん。そこを気にするんだなあ……なあアリス、良かったらさ。君も俺の妹にならないか?」

「ナニヲ……」

よく分からない少年は、更に意味不明な言葉を続ける。妹。まさか自分なんかと軽々とそんな関係を繋げようなんて、どうしてこうも目の前の人間は変わり者なのだろうと、アリスは思う。

だが、彼女は次の言葉に全てを理解するのだった。

「いや……一人は、寂しいから」

判る。それだけは、アリスにも理解出来た。高いばかりなんて、つまらない。才能の集まった身体はしかし、心を強靭にしてはくれなかった。言われた通りに自分を物とでも思わなければ彼女はやっていられなかったのだ。

しかし、自分と同等にありながらそれでも人としてある目の前の少年は、素直に寂しさを零す。この人間は自分と同じ感を持っていると解して、アリスは龍夫のことがぐんと気になった。

「ナル」

「ん?」

「イモウトニ、ナル。ドウセナラ、セカイイチノ、イモウトニナル」

だから、一歩今まで保たれていた距離を詰めて。そうして相手の容貌を詳らかに見つめる。大きく瞳開いた彼は全体格好いいなと、どうしてだかアリスは感じた。

「よっし! アリス、俺がお前を守ってやるからな!」

人間には情が、ある。そして、龍夫には熱情があった。彼にあったのはフランケンシュタインをすら守りたいという、そんな思い。それが、未だしてやれない本当の妹に対する代替の感傷であることを知りながら、それでも間違っては居ないのだと自分に正直に、過つのだった。

「ア……」

歩み寄り、そして向こうも寄れば距離はゼロになる。初めて繋げられたその手は、あまりに熱かった。

 

その日から、マジックオブジェクト内部にて異動が頻発するようになる。そうして、転換した方針から、少女の容姿は急速に整えられていった。やがて、随分と綺麗になったな、という龍夫が零した本音はアリスの自信となる。それが、はにかんだような笑顔の歪みに向けられたことを知らずに。

その時を思い出して顔を紅くしながら、アリスは言葉を転がす。

「それにしても早く交合してこい、だなんて、所長は気が早いわ。私達は、未だ兄妹なのに」

あれと番え。アリスにそう入力したのは果たして誰だっただろうか。もっとも、そんな命令なくとも、彼女が彼を求めるに決まっていたが。

アリスの白いキャンバスに描かれたのは、龍夫の虹。輝かんばかりの愛情に、解かされた結果、彼女は人になった。そして目指すは世界一の妹。それが叶ったら、次は。

そう考えてにまにまするアリスはただの恋する乙女だった。

「さて、そろそろ良いかな? 消し消し、っと」

やがて経った時は幾許か。次第にアリスは龍夫の苦しみに飽く。指先でごしごし。そして、物語を白紙に戻す権能によって、彼女は彼を瀕死に追いやった傷の事実を真っ白に消し去った。後はベッドの上にて五体満足の最高が残るばかり。

「う……」

そうして。滴の責任なんて綺麗さっぱりにしてやったぞ、ざまあみろと舌を出し、あの日の彼のように微笑んで、アリスは目覚めの龍夫に話しかけるのだった。

「おはよう、龍夫お兄さん」

「――おはよう、アリス」

返し、アリスの恋の白色の中で、龍夫も微笑んだ。まどろみのなかで、青年は口元に触れた柔らかい感触を忘れる。


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