第十七話 背水の陣

美鈴おかーさん 美鈴おかーさん

紅美鈴というよく分からない妖怪は、出自を辿ると神獣へと行き着く。
ドラゴン、龍。大いなる自然の具現で、混沌たる力の根源。少し傾けば善となり、反対に向いてしまえば悪となる。そんな、茫漠とした上澄み。
そこから誕生したのが、紅美鈴という妖怪だった。

それは、天上にて虹と共に生じた、紅。
大陸の空を横断するその軌跡の夕雲に、多くが畏れて拝んだものだった。

「私は、私。あなたたちはあなたたち。それでいいじゃない」

だが龍にしては醜く、ドラゴンとするには愛嬌たっぷりなその様子。兄弟達と力変わらずとも、彼女が一人妖怪とされてしまったのは、仕方がないことだったのかもしれない。
袖を引っ張り別れを惜しむ妹分の頭を撫でて、家族とはそれっきり。
崇められず人に混じり、武を楽しんで愛を成す。中華の大地を気楽に踏みしめ歩む彼女はそれはそれは、境界など無意味な有様で。

「ふふ。面白い子」
「貴女は?」

だからこそ、それを気にした八雲紫に愛されることになったのだろう。
八雲の空に浮かぶ虹には当然紅だって入っていた。紫色にほど近い位置にて、彼女はしばらく安堵していて。

「さようなら」
「ええ、また」

だから、紅美鈴は幾ら名を変え袂を分かとうとも八雲の紅なのだ。

 

「はぁ……やっぱり紫さんはちょっと強引ね」

だが、代わりとはいえ親の無法に、子が頭を痛めることも往々にしてあること。
これだから付いていけないのだとでも言わんばかりに、溜息一つ。
いつかたっぷり叱ってあげないと、と思う美鈴にしかし紫を見捨てるという考えは更々ない。
だって、どうにでも出来ることしかあの人は自分に丸投げしてこないものだから。
それくらいに、美鈴にはあの曖昧で不気味、しかし綺麗な境界の妖怪に対する信頼があるのだった。

「ふふ」

八雲の紅を辞しても、それでも紫はこの楽園に自分を寄せたのだ。その理由が、ただ利用するためだけとは思いたくない。そんな子供の親愛は思わぬ笑顔となって表れる。
それは、柔らかにも胸の中に抱く霊夢の元へと向けられた。

自然対することになった悪魔は睨み付け、言う。

「お前か、夢月が言っていた力の強い方の侵入者は……私の妹をどうした?」
「妹……貴女と同じ髪色のメイドさんの格好をした子に対してだったら、別に何もしてないわよ?」
「……本当か?」
「ええ。むしろここまでの道の大体はあの子が教えてくれたものだったから、後でお礼をしないとね」
「夢月め、私に面倒を全てなすりつけるつもりね? いや、まあそれでも仕方がないか」
「どういうこと?」

疑問に世界を梳く朱を流しながら首を傾げる美鈴。その、容姿ですらただ者ではないのは明らかな存在に、幻月は面倒を覚えざるを得ない。
これはそもそもの気質が茫洋で容易くは計れないようである。だが、それだって守りに来た親が子の巫女よりも劣るはずがないだろう。
そう考える悪魔は、どこまで真剣に対するべきかを考えあぐねて、つい言葉に頼るのだった。

「流石に、給仕服を汚さずにお前に勝てるとは思えなかったのだろうね……私は幻月。見ての通りのただの悪魔。お前の名を聞いても良い?」
「私は紅美鈴。見ての通り、ただの妖怪よ」
「ふうん?」

しかし、初耳の名前に、妖怪の種族すら不明。自身を誇ることないその様子に、幻月の眉根も寄る。
天使の羽根持つ悪魔なんてものは幻月と並ぶ者程ろくにないのと同じく、格を気にしない妖怪なんてこれまで彼女は見たことが無かった。
天を突き刺す角要らずの龍。そんな物珍しい存在は人間の天敵である大悪魔、金星たる幻月ですら知らない。

「ただの妖怪は私の前に立つことすら不可能。つまり、紅美鈴。お前の言葉は虚偽とみなす。その上で……最大の警戒を持って神格持ちとして対峙するよ」
「あはは……ホント、私はそんな大げさなものじゃないんだけれど……」

だからこそ、彼女は見積もりを高める。
名こそ実力を示すものが妖怪であるのにそれを気にしないということは、つまり摂理と同化すらした神とすら呼ばれる存在と同格ではないかという予想から。
人好きのする笑顔を見せる妖怪の言い訳じみた言など、殆ど幻月は聞いてすらいない。
意味深い朱を持つこれは或いは、零落した神かそれとも神獣か。
最悪とすら呼ばれた幻月にとって、そんな大袈裟な名前は虚仮威しにすらならずにむしろ笑みを持って受け容れたくなる代物だ。

「ふふ。貴女が神ほどだったなら、私は嬉しいんだ」

なにせ、彼女は悪魔だから。最強直下の真っ白な穢れは、晒す白き羽根を十二に増やし、世界をも握りつぶさんばかりにそれを大いに伸ばして。

「だって――――私は神を弑すのが大好きだから」

恍惚の表情を持って、そう紅美鈴に対して全力を広げた。

 

紅美鈴は、弾幕というものが苦手である。
それは、弾となる気の色形を操ることは得意であっても、加減というものが得意ではないからだ。
彼女が空に展開するものはごっこ遊びでも殆ど使えないくらいに弱すぎるか、真剣勝負でも過分なくらいに強力などちらかの極端になってしまう。
故に、愛し子として力を学ばせている魔理沙に対しても気弾の手ほどきは出来ずに、強請られる度に困っている現状。
そんな美鈴だがしかし、今回は相手が強力ということもあって、端から全力で空に弾幕を張っている。
大妖怪ですら一発も受けきれないその龍の咆哮に違いない気の大輪達は。

「うふふふふふ!」
「っ。まるきり届かない!」

それこそ、神を殺すための弾の檻を崩すことすら叶わない。
真剣を越えた、狂喜。そんな悪魔の心根に依った弾幕は、美を考慮に入れずともしかし怒濤となって輝き整列した綺麗と化している。
赤と白を中心とした無数。その一発一発に篭もった力はどれほどか。それは、避け損ねて受け流した紅美鈴こそがよく判っている。
技術を食い破り、触れた手を焦がし、更に心に至るほどの殺意を覚えるそんな弾が、空に数限りなく。
どうしようもなく、死を覚悟せざるを得ないレベルの規模。これぞ、大災害に挑まんとする龍一匹。
掠め吹き飛んで台無しになったお気に入りの帽子を気にも留めずに避けることに必死になりながら、美鈴は。

「よいしょっと」
「うぅ……」

片手の内にて護っていた小柄、大事な大事な霊夢を弾の間隙にて横たえさせてから、その前にて立つ。
子のため作った笑顔は振り向きざまに真剣に。ここではじめて彼女は両手を顎のように広げる。
そして、だんと脚を地に。靴底に地脈の力を覚えないこの場が異世界であることを再認識しながら、浮かぶ悪魔に向けて宣言した。

「背水の陣だっ!」
「ふふふ……なるほどね……覚悟してきたか……面白い!」

そう、幻月にとっては美鈴のその必死が面白くて仕方がなかった。
このレベルの妖怪。もし人間を護ってすらいなければ、まだ逃げに徹したりして隙を見つけるのも不可能ではないだろう。
だが、それでもこいつは愛していて、だからそのために全力を持って子を護りきることを決めたのだ。
空を舞うべき龍が、地に腹ばいになって宝を護る。ああ、それはなんて無様で愉快で。

「気持ち悪いっ!」
「くっ」

気高い者は、孤であるべき。そんなことは、自分を生み出した幽香という存在を見ないでも理解できるもの。
強いものは、故に他に頼らず完結すべきなのだ。それこそ、美であり力という重力が起こす当たり前の結果。
だが、この目の前の妖怪は、繋がりこそを愛しているようだ。気高さを棄てて、地に汚れてでもちっぽけなものに一々優しくしようとして。そんなもの、天を睨む悪として存在する魔は理解できるはずもない。

「消えなさいっ」

だから、絶対的で権能にすら匹敵する程の魔力で持って創った弾幕全てを集中させて、否定とする。
一発、それが地に当たればそれはクレーターを作るどころではない。光はぐつぐつと全てを煮立たせて、それでも止まらずに線を引く。そんな熱量で言えば恒星に匹敵するものが、輝きとともに押し寄せるのである。
こんなもの、龍だろうが神だろうが耐えられる筈など無い。
愛も心も吹き飛んで、蕩けて何もかもがなかったことになる。それこそが自然で当たり前。
爆発する水蒸気に、次第に周囲は威力で何も見えなくなる。流石に、これでお終いだろうと思いながら、様子を見る幻月は、呟く。

「ふふ……大事にすべきものを間違っていた、それこそ貴女の敗因よ。愛するなんて、下らない」

そもそも、この世を動かしているのは心ではなく力。故に、力こそ大事なのだと彼女は理解していた。
そして、何より愛すべき者は己。そんなことすら判らなかった大妖怪の死をこそ願い、煙が晴れるまでを見つめていた幻月は。

「それが、貴女の結論なのね……寂しいわ」
「なっ!」

五体無事にしたまま、子を守り切った親もどきの勇姿を見て、瞠目した。

「ぐ」

いや、勿論彼女といえども無事ではない。準最強な力を技術と能力で受けきろうとした美鈴の指先は炭化を越えて骨ごと失われている。大気を操り、真後ろの巫女を守護りきったのはいいが、その分守り切れなかった五体は熱にやられて灼かれぼろぼろだ。
だが、傷だらけの全身の中、その碧き瞳は決して死なずに天使だったかもしれない悪魔を見上げるのだった。
力みに口の端から血を零しながら、美鈴は言う。

「一人でもいい。愛がむず痒い。そんな異見、別に私はあったって良いと思うわ。なんて言われたって、私は構わない」
「うっ……」
「でもね……愛が下らないなんて、そんなことだけはあり得ない!」

そして、はじめて紅美鈴が隠していた牙を見せる。
それは、忌まれる程に外れた、己を龍ですらなくさせた強力。こんなのを秘めていてそれを恐れていたなら、他を思いやりたくなってしまうのも納得だ。それくらいに、この力は何もかもを脆く感じさせるくらいの代物で。

「でも、私はっ!」

だが、天を切り裂く七色の一本角を相手が披露した、それだけで圧を感じざるを得なかった幻月は逆に発奮をして。

「愛なんて知らないんだぁっ!」

光を散らした。

そう。創造主は最強無比な孤独であり、妹ですら悪魔。そんな出自でどうして愛を知ろう。どうせ得られないものなど下らないとつばを吐いて、酸っぱい葡萄だと忌んでしまってもいいだろうに。
否定が生き方でも、文句を言わせないくらいの力は幻月にはあって。でも、今日それに文句を付ける、天殺しかねない程の龍が一匹。
これまで育んできた自信すら揺らぎ、そしてだから圧倒的な筈の攻撃すら駄々のようになってしまう。

「そう」

ああ、そしてそんな子供の駄々をすら受け止められない大人なんてそういないのだ。
また、愛を知らないなんて魑魅魍魎の当たり前なのかもしれないけれど、それが叫びになってしまえば無視なんて出来やしない。
究極にほど近い光熱は、本気になって大気を操って防御とした美鈴には届かずにただの美として消える。
そして。

「彩雨」
「あ」

彼女の宣言の通りに、色鮮やかが世界を埋め尽くす。

 

「あはは、幽香、くすぐったいよー」
「意外と、人の髪を梳くというのも難しいものね」

きゃっきゃとうふふ。そんなが触れ合いに並ぶのは殆どこの夢幻世界では奇跡。
そして、それを行っているのが主たる幽香と外の人間の子供魔理沙であるというのは、最早とびっきり。

「はぁ……今日はあり得ないことばかり起こるものね」

そんなこんなを認めたのは、メイド服に身を包んだ夢月という悪魔。
ホワイトブリムを揺らしながら、彼女は間借りしている屋敷主に報告のために入室する。
開ききった扉の奥の少女達へ、彼女は歩んだ。

「幽香。失礼するわ」
「わ、メイドさんだー! はじめて見た! 可愛い!」
「ふぅん。夢月。貴女がわざわざやってきたということは……そういうことかしら?」
「ええ、判っているのでしょうけれど……改めて」

小さな子に手放しに褒められ続けるのを無視しながら、最強の前にて口の端が歪むことを夢月は止められない。
姉が負けた無念はある。けれども、それでも変化に希望を持つのは、自身が悪魔であるがためというだけではないだろう。

そう、世界なんて壊れてこそ普通。最強なんて、決まり事ではないのだ。
安置なんて、隣で見ていてもつまらない。だからこそ、それが揺らぐことが楽しみで、悪魔は報告をする。

「幻月。姉さんが、侵入者にやられたわ」

聞き、風見幽香はただ、くすりと笑った。


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