第十八話 家庭訪問

美鈴おかーさん 美鈴おかーさん

幼少の妄想。人を殺めかねない不安。崇め立てるべき神聖。
それらは妖怪、怪人、神等など。彼ら発生が空想信仰に依る者どもは、空から生まれた単一であるからこそ、多くが親愛など知らない。
だからその存在が絶対であろうがなかろうが、殆どを対面のみで済ましてしまい他と寄り添うことなどありえないため、彼らは弱ることなくとも孤独である場合がしばしばあった。

そういう者達からして、親だの子だのは理解の外。温とそう、くすぐったそうにする人の子らの時間を貴重とも思わず、強いて言えば下らないと認めるばかり。
勿論、それに慣れた人間が触れ合いを馬鹿にするのと同じように、そんな風に決め込むことだって多々あって良い。
この世に、ててなし、こなしが幸せになれないなんて道理はないのだから。

もとより幼さの遍く全てが熱に守られる必要なんてなければ、そもそも愛は人を選びがち。
また紅美鈴だって全てに応じた母性でなければ、広げる手の長さだって限界はある。
ならば、妖怪変化達は美鈴の手一杯のその手をわざわざ好き好んで掴むべきではないのだろう。

「まあ、気まぐれよね」
「んー?」

だが、時に風見幽香は今も首を傾げる危なっかしいまでの幼さを見ながらこう思ったのだ。
いいな、と。

幽香という存在は現在最強である。だが、彼女も最初からそこを定位置としていたわけではない。
妖精の時代には侮られていたことだってあるし、妖怪と成っても上には上がずらりと並んでいた。
その中で、一度も負けずに成長し続けられたのは、偏に貪欲のせい。
ひたすらに、強く。味わったことのない敗北を恐れるからこそ、前に。
それを続けてもう並ぶことのない者に成れはした。だが、それだけであってはつまらないもの。
神すら超えた位階において何もよせつけなければただ暇でしかなく、ナイトキャップを被って寝ぼけてばかりの日々を送っているのも面白くない。
故に今回などは近くの異界、幻想郷へと何故か夢幻世界をうろうろしている大量の化け化け達を仕向ける異変を起こすことで無聊の慰めとしていた。

「メイドさん!」
「ええ、確かに私はメイドの格好をしているわね」
「可愛いなぁ。おかーさんにもメイドの服着て欲しい……」
「そうね。貴女のお母さんもその内ここにたどり着くでしょうから、その時に話してみましょうか」
「えっ、おかーさんこっち来てるの?」
「ひょっとしたらお迎えの時間なのかもね」
「そっかー……そろそろ帰んなきゃダメかなあ」

引っ掻くばかりでろくな抵抗もない、そんな何時もの下らぬ毎日。
それが変わったのは、この夢月と遊んでいる霧雨魔理沙という少女がどこぞの妖怪風情から贈られて来た時から。
いじめてみた結果プレゼントを貰うのは珍しいなと話してみれば、彼女の口から出るのは弱さの証明ばかり。
あまりに場にそぐわない、その下らなさを幽香が酔狂にも受け取り拾って大事にしてあげてみると、結果出来上がったのは友という形。
無論、人間なんかと結んだ生やさしい関係なんて彼女にはどうでも良くもある。
だが、ありきたりこそ時に意味深いことを己の出自から識っている幽香は、だからこそこの新しい友達というものを気に入っていた。

それこそ、束縛してしばらくの間離したくないくらいには。

帰るなら片付けしないと、と幽香が戯れに与えた玩具とも言えない大きめの用具達を纏め出した魔理沙に、幽香は冷たくこう言った。

「ふふ。逃げるのは許さないわよ?」
「んー? 逃げる? 私はお母さんのところに帰るだけだよ?」
「それも、ダメ」
「えー! 幽香、勝手だよー」

あまりの身勝手を聞き、動揺に少女の小さな手から大きな木製の匙が、がしゃんと落ちた。だが人間の中でも特に力を付けている様子でもない子は、直ぐに我に返って愚かにも最強に反駁する。
隣で事の次第をあらあらと見つめる夢月を余所に、魔理沙は幽香に向かってこう続けた。

「お友達なら最後はばいばいして別れないと! 幽香、お利口さんじゃないよー」
「そうね。私は愚か。全てを手に出来、全てを滅ぼせる力を持ちながら、今求めるのは稚児の情、母の愛程度。けれど、さよならだけが人生だとまで私は思うことは出来ない」
「んー? どういうこと?」
「要は、はじめてのお友達とばいばいするのが、嫌ということね」
「うーん……そっかあ」

意味深すぎて飲み込めない子供のために棘すら剥かれて差し出された言葉に、魔理沙は少なからず感じ入る。
大店の子である魔理沙は人里ではこれまでガキ大将的な、そんな子供達の群れを統率するような立場にあった。
最初は寄ってくる年下達に慌ててばかりだったけれども、おかーさんから聞いた覚えを用いて一人一人を意識し始めたら焦ることだってなくなる。
親の働きに差し置かれた彼らの多くは友達。そして、求め合う個でもあった。個人にお話すれば、どうして悪さや騒ぎを起こすのかだって理解できる。
それこそサクヤに立場を奪われるまでずっと、魔理沙は一番に話が分かる子供だった。

「同じかー」

そんな経験則を頼ってみると、この強そうで綺麗なお姉さんにも、幼い部分が見て取れてしまう。
はじめてというのはそれこそ子等より辿々しくなって仕方なく、また幼稚にとっては手と手を繋ぎあうことだって簡単で、むしろそれを離すことこそ難儀するもの。
特別製の心なんてなければ、幽香だって一人の少女。バランスの取りにくい重い頭をうんうんと頷かせてから、魔理沙はこう言った。

「なら、いいや。お母さんと相談してみるよ」
「あら……どうして気が変わったのかしら?」
「だって、本当は私も幽香ともっと一緒に居たいもの!」
「そう」

合わせてくれていた視線に、今度はこっちから沿わせる。
そんなお子様の背伸びを感じた幽香は、気恥ずかしくなることもなく、ただ納得を覚えた。
そう、友達というものは実に都合の良い他人であると。なるほど人がこのような存在を多々作って安堵するのは自然なことか。
そこまで考えてから、しかし幽香は。

「ありがとう、魔理沙」

幼子にはもったいないくらいの心の底からの美しい笑みを見せたのだった。

 

「ああ、私ではどうしようもない、かあ……」

木製モダンな扉の前。ノブを捻りそれを空けるまでもなく、気配にだって敏感な紅美鈴はその先の絶対に気付いた。

それは、断崖の気配。神域をも踏み越えた先にある、新たな妖怪。
風見幽香という存在は最強でなくても華ではあるが、しかし実際万物きっての孤高の花であっては最早どうしようもない。

高嶺の花。それは決して届かぬ価値のこと。
それをまざまざと感じた実力者は、だが側に我が子ですらない守ると決めただけの余所の子が居ると知っていれば迷うこともない。
ただ、障子の耳へとこれだけは口にして、進むのだった。

「恨むわよ、紫さん」

そして八雲の紅は、七色のドラゴンは、鱗はなくとも冷たい手の平でその戸を開ける。

「いらっしゃい」
「おかーさん!」

開かれた赤チェック柄の死地にて待っていたのは、目に入れても痛くない幼稚な赤の他人の元気と、幻想にして最強の花。
並んで共に笑顔に綻んでいるのは同じでも、その意味は大いに違う。
露わにしているのは、喜色と威嚇。
何も知らない魔理沙は、しかし友達の機嫌なんて気にも留めずに美鈴へと飛び付くのだった。

「迎えに来てくれてありがとう!」
「……どういたしまして。魔理沙が元気で良かったわ」
「探させちゃったらごめんね……気付いたら私、ここにいたんだ!」
「そう……それなら、仕様がないわよね」

柔らかな金毛に撫でる手も優しく、思い出に微笑みながら美鈴は呟く。
悪戯も悪意すらもあの人との思い出で、ならばこの厄介な事態も娘として受け容れたい。
そう、仕方がないのだ。たとえ最強という絶対の数値に潰されてしまうだろう未来だろうが、それでも八雲紫の子らしく泰然と。
そんな健気な龍を前にして、幽香は指を空にて動かして。

「ありきたり。でもそれこそが愛の秘訣なのかしらね?」

妖怪と人間の親子ごっこに、歪な丸をつけるのだった。

改めて顔を向けて、美鈴は油断なく幽香の問いに口を開く。
視界に入れただけで限界を感じるなんて武威を信じるものとして愚かだと、内心で自嘲をしながら。

威が翻らなくとも虎の強さを一見で理解出来ない筈もなく。天蓋に咲くのが花であるからこそ、この世は美しいのだという道理も理解するのだった。

「ふふ……どこにでもあるものは、でもどれとして同じではないの。だから私は感じ入ってそれに同調するわ」
「なるほど。私には花々の円の歪ほどに惹かれるものはないけれども、騒々しいばかりの擦れ合いを下らないばかりと十把一絡げには思わない。また健気に咲いたクローバーの花を踏み散らして、その隣の四つの葉をばかりありがたがる気持ちだって理解は出来る」
「そう……なら。ここでの失礼も許して貰えたりは……」

いつの間にやら、端にて羽根を白く広げていた悪魔は去っている。
それはきっと、一歩間違えればこの場が何もかもにとっての死地になりうるからに相違なく、しかし対話によってそれが避けられればとの美鈴の思いは。

「とはいえ、貴女と違って私は決して優しくはない」
「っ!」
「きゃ」

笑顔で、踏みにじられるのだった。

言の通りに、本質として風見幽香は優しくはない。花であり、妖怪であり、最強であるという相反する要素をブーケで束ねて美にする乙女は、移り気。
何よりも知らずに理解っていて、誰よりも柔らかくも尖っていた。
世界に広げる千本針こそ薔薇の棘。秘部こそ色鮮やかな花びらの根幹である。

つまり、私に/私が触れることこそ害と知れ。花など遠く眺めていれば良いものだというのに、友としたい/護りたいと思うのならば。

「許してもらえるくらいに私の心に触りたいなら、覚悟が必要よ?」
「このっ」
「わ」

咄嗟に気を操った美鈴と影響下にあるもの、それ以外の全ては全身を持って臥すのが当然。
むしろ一意のために粒すら潰れて何もかもの跡形もなくなった一室に龍と人と花が一輪。

窮極の気当てから能力によって生き延びた美鈴は全身に汗を掻きながら、だがこう呟く。

「っ、はぁ……そうね」
「幽香!」

覚悟は完了していない。だが、幼子という宝を抱いた龍の視線は真っ直ぐなまま外れなかった。
そして、魔理沙が必死に伸ばしてきた楓の葉のような手のひらだって、それと同じ。

何もかもがどうしようもない、そんな格差の奥に柔らかな心を求めて、二人は信じ切っている。まるでそこに救いでもあるかのように、愛こそ助けだと信じ切っていた。

ああ、友達なら止まってくれる、花が打たないなんて誰が決めたのだろう。だが、その二人は幽香のこの癇癪の平和的解決こそを望んでいるようで。

「うふふ」

愉快さに、笑む。
その時、風見幽香の心に沿って、夢幻世界は上下にばかりと歪んで裂けた。
バラバラと硝子のように屍と化す現。
幻想の体現者はそれを気にも留めずに、ただそっと背中に妖精のものでも妖怪のものでも天使のものでも神のものでも、ましてや鳥など既存の生物のものとも重ならない翼を広げた。

そうしてようやくここで、このおかーさんをいじめるための建前を広げようとして。

「ただ目の前に落っこちてきただけなら見咎めないけれども、貴女は私の番をしてくれていた一羽を落としてまでここに来た。ノックが乱暴なのは自然でそれが、我が友への愛のためだとしても……いや、そんな全てが関係ないのかもしれないわね」

そんなこと下らないと少女は、止めたのだった。

そう、こんなの余計なちょっかいでしかなく、それを強いて整えて言葉にするならば。

「ただ気になるから――――私は貴女の愛の試練となりましょう」

或いは友達の家庭訪問とでも言うのだろうな、と微笑むのだった。


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