第十二話 めでたし、めでたし

美鈴おかーさん 美鈴おかーさん

時を止めてしまえば止めた人だって動けない。
そう、時間を止めてしまえば従属する空間だって凍る。そんな中を泳げる人間なんて果たして存在するのだろうか。
勿論、ただの人がそんなことを可能にするのはきっと難しい。また、粒ごと固定された全てを退かすに足る力は、きっと時ごと再び動かしてしまう可能性すらあるだろう。
故に泳げず、泳いではいけない。
もっとも、そもそも時を止められる人間なんて絵空事であるのであるから、これは考えることすら愚かしい話であったのかもしれなかった。
あり得ないは、あり得ない。

「停まった……」

しかし、そんなあり得ないことなど幻想の彼方には普通に存在してしまうもの。記憶はなくとも確信から、周囲を少女は停止する。
そして、サクヤという退魔の血を引いた少女には、本人の適性と違って世界を統べる格が備わっていた。
故に、サクヤは時を支配した結果として、停止させられるのだ。また、配下に邪魔などされる程度の低い王ではないために彼女は停まった時でも一人、自由。
周囲のありとあらゆるものが静止した中で、サクヤばかりは胸高鳴らせて血が求めた相手を望むことが出来た。

「これが、妖怪?」

しかし、そんなサクヤが先に見つけたものは、妖しい怪物というにはどうにも整った容貌をした長身の少女であったようだ。
櫛いらずの紅い長髪を筆頭として一体全体なだらかであり、表情に至ってはどこまでも優しげ。羨ましくなってしまうくらいにそれは眩く美しい。
停まった時の中でも、これは一際価値ある彫像のようにサクヤには思えた。

「でも、無意味」

しかし、呪われた血に満たされた心はそんな表層の奥に潜んだ大いなるものを見つけてしまう。
姿は欺瞞。その内には、計り知れない人と違うあやかしが存在していて。

「気持ち悪い」

故にこそ、サクヤはそう斬り捨てたくなる。
人と異なる人に混じる何か。そんなものは、はっきりと人界にとって不要だ。害が有ろうがなかろうが多かれ少なかれ、それは人等の間に異常を招くものだった。
しかしまた血に酔っているサクヤにとってはもはやそんな考えだって心よりどうでも良い。要ろうが要らなかろうがどちらにせよ、妖怪には死を与えたいと彼女の全身はふつふつと湧いていた。

これが誰かの大切だろうと、希なる神秘であろうと、一切合切無に帰すために動くのが、この身体。
停止した時の中流れるようにナイフを握った少女の右手は動いた。

「え?」

そして、切っ先は妖怪――紅美鈴――の首元にて再び停まる。切り裂く筈の力は全て柔らかに皮膚に留められ、中身を暴露すること叶わないのだった。
魔は銀に弱い。そんなどこかの当たり前なんて東方暮らしの美鈴は知らなかった。
むしろ彼女は、金や銀などをこっそりコレクションしていた頃だってあった、光り物好き。その上鬼すら下に置くレベルの格違いの大妖怪ですらある。
果たして、そんなものを斬ることの出来る刃物なんて、幻想郷中を探したとて見つけることは難しいだろう。
そして、サクヤが握っていたのは現にあったただの銀製ペーパーナイフ。そんななまくらでは美鈴の命までは決して届きはしないのだった。
柔らかに、少女の駄々は夜闇でも健康的な肌色に弾かれ、そして。

「あら?」
「……っ」

気付けば停まった時は流れていて、場には喉に刃物を当てられた美鈴とサクヤが残る。
行灯の色に染まった周囲の人気はまばら。影に塗れた中で少女の無意味な凶行を見て取ったものなど殆ど居ない。
そして、驚きに直ぐにサクヤが懐にまで刃を引っ込めてしまったからにはそれを認知したものは一人ばかり。
通り魔に襲われた魔である美鈴は、しかし唐突であったのと無傷と下手人の幼さから苦笑をし、こう呟くのだった。

「あはは……貴女ってやんちゃな子ね。私が相手だから良かったけれど、でもこういうのは他の人にしちゃダメよ?」
「っうっ!」
「わ」

美鈴の笑顔は、朗らかで安心できるものである。しかし、サクヤの心はそこに裏を考えてしまい散り散りに乱れた。何せ笑みは牙を見せる途中に似ているものだから。
相手はニコニコ健在である。そして斬れないなら、どうするか。全体重を持って突く他にない。報復される前に、と刃に身体を預けたサクヤの突貫は。

「ほうら、こういうのって危ないのよ?」
「あっ……」

当然至極、停止した中でもなしに平素から無の構えを取っている美鈴に通じるものでは無い。
指二つ。それに刃挟まれ前にも後ろにもびくともしないことに、サクヤは呆気にとられた。
こんなの、無理だ。力に差があり、銀も意味がないなんて。これは時を停めて、逃げるほかにない。

賢い頭が結論付けるのはあまりに早かった。ナイフを手放し、再び離れようとしたその時。

「はい、捕まえた」
「きゃっ」

サクヤは美鈴にぎゅっと抱きしめられる。
相手の先を取るのは武の基本。そして、妖怪変化との戦いにだって慣れ親しんだ紅美鈴にとって、術者との距離をゼロにすることが幻や何やらに対する一番の対抗手段だとも知っていた。
そして、何より相手は子供。見ず知らずの妖怪に刃向けるような危ない子だ。

そんなもの、大切に大切にして危ないところを優しく取ってあげないと、と思うのが美鈴の母性。

だから、ぎゅっと優しく抱擁して、彼女は彼女に問った。

「もう、どうしてこんなことしたの? 誰かに刃物を向けちゃダメだって、習わなかった?」
「だって、貴女は妖怪だから……」
「たとえ妖怪でも、ダメなのよ?」
「え……そんなこと」
「ああ、これは知らなかったみたいね。そして悪いことしたら、自分に返って来ちゃうわよ?」
「でも、私の血が、どうしても……貴女を殺せって……」
「なるほど、退魔の血筋の子だったか……こりゃ、危ないなあ」

危ない、それは何か。当然それはサクヤの命が、である。
或いは外の世界では重宝され得る異能じみた魔に対する血の呪いも、しかしこの魑魅魍魎溢れた幻想の地においては邪魔である。
妖怪が悪しく恐ろしいというこの世界のあるべき形に対する者。それがどうやら特殊な力はあるようだが、こうも弱々しい。
胸元で暴れようとする、しかし明らかに人の子でしかないサクヤはどう頑張ったところでこのままではそこそこの妖怪に返り討ちにあってお終いになるだろう。

「そんなのは嫌、ね……」

しかし、抱いてみて、その小ささに温さに感じ入った美鈴はそんな所感を抱く。
この子は魔を断つナイフだ。けれども、結局のところそうなりがたる人の子でしかなかった。銀の柔髪の上で一つ、深呼吸。
紅美鈴はある種の覚悟をして、問う。

「ねえ、貴女」
「な、何?」
「貴女は、このままでいいと思う?」

そう、それは少女が変わりたいかどうかの確認。幾ら周りがどうしたところで、当人にその気がなければ変化は難しい。
勿論、これで否と言っても美鈴は少女の進むかもしれない修羅の道の邪魔をしただろう。そのためいくら嫌われようが、良しとして。

「このまま……私は、このまま、魔を、幻想を……」

けれども。現し世に残してきた全てを否定され、幻想に至った空っぽ少女にも、心はあった。
それは、途切れて失くしてしまった友愛だったとしても、それはそれは大切だったから痛いくらいにその思いは未だに胸を焼く。
ああ、私は魔に対する恨みに呪われている。殺せ殺せとそれに最適化した身体は未だに目の前の大妖を刺さんと身じろぎしていた。
けれども、内にはそんな衝動すら些細なくらいに、強く燃える思いもあったのだ。
それは、ただ一つ。忘れても、捨てきれなかった思いは願いとなって口からこぼれだした。

「嫌だっ、それでも、私はあの子の愛する幻想を否定したくない!」

これこそ、サクヤとされた少女の本音。勝手な血の衝動によってこれまでずっと引き裂かれていた、彼女の心よりの想いだった。
確かに、血を呪わす程に恨まれる存在が、魔なのかもしれない。でも、そんなことより、彼女のロマンの方が大切で。そんなこと、友達の当たり前。

だから、相手を殺すための手は花のように開いた。

「おねがい、私を……助けて」

そして、殺意に震える身体を意思で押さえて、サクヤは震えながら美鈴に縋る。
これは妖怪。そしてよく分からない初対面。この相手はどうしようもない時に目の前にいただけ、けれども。

それが運命でないと誰が決めたか。そして彼女がどうしようもない時の救いにならないなんて、そんなことはあり得なかった。

だから、美鈴は少女の手のひらを両手で力強く握り込んで、言う。

「ええ。きっと、私は貴女を助けるわ」

それは、ただの決意ではない必死の覚悟。どうあろうと、どうなってしまおうと、紅美鈴はきっとサクヤを見放すことはないだろう。
何故かと言うならば、それは。

「私も、あの人の愛する幻想を見捨てるわけがないのだから」

ぴたりと、二人は背中合わせに同じ思いであったのだから。

 

昔々、あるところにとても仲の良い兄妹が居ました。早い内に親を失くしていた二人は、しかしとても仲睦まじく幸せに暮らしていたそうです。
兄は彫金に道を見出し、妹は誇りを持って女中という仕事に励んでいました。
ですが、まだ二人は見習い。故に貧しくも清く正しく、それこそある種美しく見えるくらいに絆を輝かせて互いの幸せのために頑張っていたようです。
しかし、そんな互いの綺麗な想いを相手のために形にするには、先立つ物が要りもしました。ある年二人は、誕生日プレゼントを買うために、大いに悩むことになります。
兄は思いました。これまでネックレスなど自ら手がけたキラキラ輝く小物ばかりを贈ってきたけれども、そろそろ妹も年頃。いっそ自分の師に頼んで彼女の子らにもずっと残るような素敵なものをあげたいな、と。
妹も考えます。兄にはこれまで手作りの品しかあげられなかった。想いを込めてきたとはいえ、そろそろ形に残るものをプレゼントしたいな、と。

そして、兄は師に頼み込みます。それはそれは素敵なカトラリーを、と。
また、妹は探します。何か兄の役に立つような図案や言葉が認められた本を、と。

やがてある日。兄は完成した銀食器を携え家に帰りました。これは喜ぶだろうなと満面の笑みだった彼は。

「ごめんなさい、兄さん」

魔法陣を描いてみたところ、偶々自ら召喚してしまった悪魔に魅入られ、兄妹の尊い絆の全てを忘れて口づけを交わす妹の姿を見て、すっかり壊れてしまいました。

「■■■■■■■!」

だから。兄は、妹だったものと悪魔に出来立ての刃を向けるのでした。

そして、そして、ずっと、やがて、きっと。

そんな全ての想いは凝って固まり呪いとなって、とある兄の子孫の少女の血に流れていたのですが。

「――――ごちそうさま」

それも数奇な運命を辿った上にて、数百年後に生き延びていた妹と悪魔の子によって、平らげられてしまったようです。

めでたし、めでたし。


前の話← 目次 →次の話

コメント