第四話 私の方が

美鈴おかーさん 美鈴おかーさん

博麗神社を祟る怨霊。いや纏わり付き過ぎた挙げ句に御霊信仰に巻き込まれたのか今や博麗神社の主神のようにすらなってしまっている、魅魔。彼女にとって紅美鈴という妖怪は奇々怪々な存在である。

魅魔はこれまで永き間、人の隣で呪っていた精神である。横から眺めていると、妖怪とは人の恐れそのものであり、決して人間と交わることの出来ない存在であると感じ取れた。
悪霊は嫌いだから、人を呪う。しかし妖怪は好きだろうと人を食べる。その存在こそが禍。例外が多少あろうとも根本的に人と妖怪は、関わり合えばそれだけ不幸を生むものと考えていた。
そもそも、単に、違う者同士なのだ。理解や親愛が生じ辛いのは当然のことだろう。

「にしては、随分と馴染んだもんだねえ……」

遠い抜けるような蒼穹に自身を欺瞞し、神の端くれらしく高みから人を見つめて、魅魔はそう零した。
眼下には、二人の子供と紅美鈴。肩で息をする魔理沙に、濡れた布巾で汗を拭ってあげる妖怪少女。その隣で、霊夢は隠れて口を尖らせる。
彼女らのその、親子ごっこに真剣な様子が魅魔には不思議だった。だから、つい彼女は会話に耳を傾けてしまう。

「神社まで止まらずに、よく走りきったね、魔理沙ちゃん。偉い偉い」
「ぜえ、ぜえ……私、おかーさんに置いていかれたく、なかったから、必死で……」
「ふうん。ここまで来ると、甘えも大したものね」

日向に目立つ金の髪を母親代わりに撫で梳かれながら、魔理沙は顔を下にして息を整える。
魔理沙のその姿は、魅魔が最近見慣れ始めたもの。基礎体力作りと、美鈴と一緒に様々な場所を走り回っている彼女はよく目立つ。
妖怪の持つ力に憧れ、己を鍛え始めた少女。これもまた、珍しいことである。それは、人知及ばない筈の妖怪が近すぎたためか、彼女に切れ端程度の才能があるためか。
そんな、置いていかれたくないと、必死に手を伸ばし続ける魔理沙がどうにも気に食わずに、霊夢は捻くれた言葉を零した。

「うるさいわね、霊夢……」
「気にしない気にしない。魔理沙ちゃんは頑張っているんだから」
「うん。そうよね!」
「……そういえば、先日人里で遭った時に口走っていた変わった男の子みたいな言葉、使っていないわね。止めたの?」

まがい物にしてはお似合いな親子の姿を横目で見ながら、霊夢はふと疑問を呈する。
今着ている運動着にですら愛らしいワンポイントを忘れない少女趣味に、似合いもしない男言葉。だぜ、と語尾に付けながらニコニコしていた魔理沙は、黙っていたが面白かったのに。
普通に戻ってしまったことを、少し残念に思って、霊夢は顔を上げた魔理沙を見つめる。

「それは……おかーさんが、駄目だって……」
「鈴奈庵っていうところで見つけた外の世界の漫画に影響されて、だぜ、とか変に男言葉を身に着けちゃったのよね……他の子供たちが真似しちゃって、止めさせるのが大変だったわ」
「別に、言葉遣い一つくらい、良いんじゃない?」
「私もそう思うのだけれどね。ただ先輩は、一つの乱れを認めると後にどんどん続いていちゃうよ、とか言うのよ」

美鈴は体の前で手を組み合わせながら、言う。ひそひそ話の傘の下で、魔理沙ちゃんが不良になってもいいの、という脅し文句に屈してしまった自分の情けなさを思いながら。
しかし、人里の事情にあまり詳しくない霊夢は、先輩とやらの姿を想像できずに、首を傾げる。

「先輩? あんた以外に、人里に子守なんて居たかしら」
「おかーさん。それって小傘ちゃんのこと?」
「そうね。霊夢にざっと説明すると、驚かせ下手な、かわいい女の子。かな? 子守というには、子供と距離が近すぎるのが困りものだけれど。でも、経験から色々と知っているのよねえ」
「へえ」

霊夢に育児経験豊富な女の子、というのは理解の範囲の外にあったが、まあそんな変わり者も目の前の妖怪みたいに稀には存在するのかと、頷いた。
隣にべったりとしているのが居るために、甘えどころが中々見当たらないことに、内心忸怩たる思いを抱きながら。

「やれ。今代の博麗の巫女は随分とつまらないと思っていたが、ごっこ遊びの中ではまずまず可愛げを見せるもんだねえ」

そんな、霊夢の思いを透けるように見通して、魅魔はにやりと笑む。人間よりも人間らしいとすら言われたことのある彼女は、喜怒哀楽に心の襞が動く様は好むところ。
嫉妬心も、悪心として捨て去ってしまうには趣深いもの。人の世は、積もり積もった思いの重なりによって出来ている。それを知っている魅魔には、心動かされぬ故に無表情だった頃より、恥じるからこそ表情に出さんとしている今の霊夢の方が面白い。
知らず神格化されていようとも、元々魅魔は悪霊で魔法使いなのだ。その観点で見ると仏のような静かな心より、俗にも荒れる心の方が、好ましかった。

「あの金髪の子供には、光るものがあったかと思ったが……勘違いだったかな?」

そして、美鈴と笑顔でお話をしている魔理沙に魅魔は目をやり、眉をひそめる。闇にこそ輝く才能潜めた、金の少女。それが日向で燻っている。
勿体無い。そう思ってしまう程度には、魔理沙と魅魔には、多少の縁があった。もう殆ど途切れたものではあるのだが。

それは、魅魔がふらりと偶の夜間飛行を楽しんでいたある時。彼女は眼下の森に妖獣の気配と、珍しい人の姿を認めて、空から眺めた。
木々の隙間から望む金髪は、どこか輝く星のよう。魅魔は僅かな魔力をその身に感じ、普通に長じられる程度のそれを稀有な才能と取った。
しかし、向かう先が悪い。歩みの結果は妖怪変化との邂逅に繋がる。生まれたての木っ端のようなものとはいえ、花開く前も前、種程度の力しかない子供が妖怪と出逢ってしまえば運命は決まったようなもの。
それは、死。助けるか、否か。それには簡単に、答えが出た。何時でも妖怪を殺せるように、魅魔はちょっとした広場に杖を向ける。

そして、予想通りに蹂躙は始まった。哀れな少女は、悲鳴を上げる。そして、魅魔は僅か、それに綻ぶ。
この程度の苦痛は後の必死を生みだす糧にしかならない。私の下で足掻かせるには、もっと無力を味あわせた方がいいだろう。どうせ私なら人間など簡単に直せるのだ、骨の手前程度までは喰まれてしまってもいい。
そう、助けないのだ。ただ、捨て置きはしないだけ。壊れたものを再利用はしてあげよう。そんな考え。
人間らしいとされたとはいえ、あくまで亡霊である魅魔。彼女に、生死に痛苦はあまり頓着するものではない。そんな彼女の幼子に向けるべきではない容赦のなさ、それが魔理沙の明暗を分けたのである。

「私がもっと良心を持ち合わせていれば、何か違ったのかねえ……」

結局、魔理沙は風のように現れた、太陽のような妖怪の手によって、魔導の世界へ繋がる可能性から掬われた。
魅魔のスパルタ教育の代わりに、美鈴の一心の愛を受けて、魔理沙はよく笑うばかりの子供になったばかり。
それが、魅魔には望ましくなくとも、仕方ないとは思う。太陽の隣では、生半可な星では輝き呑まれる。これはそういうことなのかもしれなかった。

「それにしても、あの妖怪は相変わらずだ。……そんなに、日向は楽しいかい?」

子供と交わり、笑顔燦々と。夜に棲むべき妖怪が日向を楽しんでいるところは、やはりおかしく思う。
人のつもりか、いやしかし。どう見たところで大妖怪と呼ばれて差し支えない程度の深みが覗ける。
人間ですら、大人が子供に合わせるのは大変というのに、それほど規模が違うものが身を屈めることを厭わないというのは、変だ。
今も、何を言ったか人の子を喜ばしている。笑みではなく、恐怖に歪ませなければいけない。畏れに憎悪の欠片を望むのが、妖怪の正統の筈なのに。
そう、紅美鈴は、間違っている。

「なら、私の方が正しい筈だ」

おかしい。そこに居るべきは元人であった私ではないか。うらめしや。
ごちゃごちゃ考えた結果、そう思ってしまう辺り、自分は悪霊なのだろうと魅魔は自嘲する。そして、こんな部分が人らしいと形容される所以なのだろうと自覚した。

そう。つまるところ、魅魔は霊夢が魔理沙にしていたように、紅美鈴に嫉妬していたのだ。

 

「こんばんは」
「こんばんは。貴女は? っつ!」

それは、月光に溢れ、星が輝き揺れて、落ちんばかりの星月夜。人里から帰る道々、気配を覚えた美鈴が夜空に影を見つけたその時、更に光が溢れた。
少女大の影、魅魔の杖から溢れるは、数多の白光による弾幕。惑っていても真剣な思いによるそれは、ごっこ遊びの域を抜け出した威力で輝く。
これは不意打ち。実に、悪どいもの。それを理解して、魅魔は杖に尚力を込める。
三日月を背負った魅魔の魔力による攻撃は、高速に地を穿った。炸裂した光は、夜をライトアップする。そんな礫飛び交う中に、赤き風が舞う。間一髪、美鈴は見事な体捌きによって弾の全てを回避していた。
美鈴は、目つきを鋭くして、叫ぶ。

「何をっ」
「ごめんね、八つ当たりだ」

返答は、おざなり。強い感情を元に、魅魔は翡翠色の瞳を輝かせる。そして、彼女は地べたに向けて、星星を放った。
五芒とは五つの棘を持った図形にも見えるもの。そう、刺々しい全ては貫き害さんとくるくる周りながら炸裂していく。
ぶつかり砕ける際に放散される光は盛大な目くらまし。ランダム性に任せたその間断は視界を明滅させて、回避に集中させない。それが続き、あっという間に、世界は白と黒に覆われる。

「まだ、足りないか」

そして、魅魔はそこに、四つの巨星、太陽系儀のような惑星の模型を巻き込ませた。オーレリーズのシステム。赤青緑黄の宝玉が地を舐めるように巡っていく。
やがてそんな四色すらも白い光芒に呑み込まれ、美鈴の姿は光にかき消えた。

「……これなら」

さて、こんな中で何時まで逃げられる。確かにお前は大妖怪だろう。だがしかし、私は神と間違えられるくらいの大怨霊。決して見劣りするものでは無いはずだ。
そうだ。何が足りないというのだろう。思い、魅魔は心の底から悲鳴のような大声を上げた。

「ああ……私だって、母――お前のよう――になりたかった!」

うらめしや。しかし、何がうらめしい。それは自分の弱さである。
親になりきれない、亡くした少女のかたち。それがずっと迷い続けているのが、魅魔だった。
子もなく、ただ悪くあったがために誰かに伝承したものもない。このまま成仏してしまえば、自分はこの世に何も残せなかったということになる。それが、人間らしい亡霊には嫌なものだった。
神と崇められたくない。まだ私は人だと幽かになっても縋り付き。そして魅魔はそんな自分の弱さを嫌う。もっと生きたかったのに、死んでしまった自分の弱さを。
旧き作として亡くなり、どうしてこの美しい世界と混じれないのか。魅魔は、そうしてこの世を呪うのだ。

「うらめしい、いや羨ましい」

悪霊とは、輪廻に対する駄々。本質的に大人になれない魅魔は、美鈴という太陽に憧憬を抱くのである。

「……あはは。なあんだ、そんなことか」

光から現れ、そんな魅魔の懊悩を、美鈴はからりと、笑った。そして、傷だらけの彼女は輝き出す。大地の熱を借りて。
何が星だ太陽だ。ただ綺麗を求めるのであれば、むやみに仰ぐな。地に足をつけろ。一等近くに、もっと大いなるものが存在するだろうに。
そうして踏みしめた大地から、この大妖は気を集める。そう、それは地球という星の生気、地脈の力を借りた、美鈴という妖怪だからこそ出来る荒業。
円を描いた美鈴の掌の中で、蒼き星の色を借りて球状に光る星の脈動。それを名付けるならば。

「星脈弾」

夜が嘘であるかのように、一帯に輝きは広がった。

 

「……おねえさん、誰?」
「おねえさん? ふふ、私はおばけよ?」
「わ、足がない! 助けて、おかーさん!」
「あはは。魅魔ったら、楽しそうね」

いくら落ち込んだとしても、陽はまた昇る。青く輝く天に、当たり前のように照らされ現れる亡霊が博麗神社に一柱。
突然の昼間のお化けに慄く魔理沙だったが、既に深く知り合っている美鈴は彼女、魅魔を笑顔で歓迎した。
魔理沙の大声に何かとやって来た霊夢は、その様を見て、嘆息した。

「はぁ。何かと思えば、魅魔じゃない。先代の頃には大分暴れたそうだけれど、また神社にちょっかいをかけるつもり?」
「そんなつもりはないさ。ただ……」
「ん……何?」

亀に飛行を助けられて来ていた頃から半ば腐れ縁である魅魔に、霊夢は気安く話しかける。
しかし、返答の前に作られた魅魔の笑みに、霊夢は違いを見つけた。それが何かが分からないまま、いたずらっぽく変えられたそれに、次の言葉に、彼女は驚かされる。

「魔理沙に霊夢。あんたたちに、ちょっかいをかけるつもりではあるよ?」
「はぁ?」
「ええっ!」

宣言に驚く二人。そうして、はた迷惑にも、亡霊は人間に纏わりつくのである。

「あはは」

それを、笑顔で受け容れる太陽。彼女を横目に、月は思い出す。

――羨ましいのなら、寄ってくればいい。私の隣に貴女の席はあるのだから。

魅魔は、胸を押さえて、その奥にしまったそんな言葉に、感じ入る。


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