第一話 おかーさん?

美鈴おかーさん 美鈴おかーさん

布団の代わりに柔らかに繁茂した草。天井代わりに天の川に星々を散らす天上。木の根に横たえた顔の隣で跳ねた、バッタに笑う。
これは家なき子の、野宿。けれども、野を家とするのは、別に苦痛ではないと、紅美鈴は思う。

「何しろ、昔はこんなのばかりだったからねえ……」

思い出し、肩を流れる紅の髪を弄りながら、妖怪少女は呟く。しかし、思い出に残った分の生でもあまりに長い。彼女はしばらく想起に時間を掛けた。
そしてその殆ど最初、人型を取るようになる遙か以前。親に住処を追い出され自らに相応しき天地を探して周ったその頃と今を比べて、美鈴は微笑んだ。
這いずり回り、居場所を探して生き永らえる。それは、以前よりずっと強くなった今でも同じことだった。

「あはは。私ったら、昔も今も変わらないなあ。自分の居場所を見つけられない、子供のまま」

美鈴は何時何処で、或いは人など見えない過去に異界で生まれたのか、そんなこんなですらも定かではない程古来から在る妖怪。
だが、ここまで至る経緯の大体は覚えていた。望ましい自分の居場所を求めて、永い間中華の大地をうろうろと。そうしてつい先ごろ、知己の大妖の伝手を辿って更に東方にまでやって来たのだ。
そう、幻想郷にまで。

「さあて、ここは私があるべき土地なのかねえ」

仰ぐ空に果ては感じられずに、目端に覗く自然も闇も深い。また、妖精たちも幸せそうで、この世界はたいそう美しいと、美鈴も思う。だがまだそれだけ。
つまらなくなればこの異界を発って、また外の世界でしばらく人の海に浸かるのも良い。拳法道場の看板娘を再開してみるのも、悪くはないだろう。
そう考えつつも、期待はあった。これまでずっとそれを裏切られ続けてきた美鈴だって今度こそ、と考えなくもないのだ。

「ま、もう少し馴染むまでゆっくりしようかな」

管理者に挨拶をしてから足を踏み入れ、方方から来る監視の目から離れてようやく落ち着けたのが、今現在。
霧に溢れる湖畔。そこから星が見える程度の外れにて、美鈴は着の身着のまま雑魚寝する己の頓着のなさに、また愉快を覚えた。
大妖怪の自覚はあるし、財は性から嫌いではない。けれども、それに縛られることが出来ないのが、美鈴という女性だった。

ぴゅうと、一陣の風が吹く。一匹の妖精を載せて自由に過ぎたそれに、美鈴は自分を重ねた。

やがて、思うこともなくなっていけば、一人呟くことも消えて、美鈴の周囲には語るものが失くなる。その場に煩さは、消えた。
しかし、自然は留まらない。風のそよぎに、虫の蠢き、妖精の笑い声。野宿に慣れているとはいえ、つい先日まで都会暮らしだった美鈴を寝静まらせるに、それは少し魅力的な音色で有りすぎた。
だから、しばし美鈴が目を閉じながら大地の歌に聞き入っていた、そんな時。

「――きゃあ!」

静寂と絹を裂くような悲鳴が辺りに響いた。それは、少女のもので、それもどうにもか弱き人のもののようである。
大概の妖怪であるならば、それに食欲をそそられるものだろう。餌の訪れに喜ぶばかりが常であるに違いない。
だが、美鈴は違った。

「ちょっと心配だ……さて、私が行くまで無事で居てくれるかな?」

眉根を寄せてから、ひょいと身軽に美鈴は起き上がる。一度屈みながら彼女が思うのは、少女の無事。
自ら愛らしくアレンジした中華帽を一度払ってから頭に載せて、妖怪紅美鈴は、見ず知らずの人間の少女を助けに走り出した。

地を踏み急ぎ、そして、彼女は風になる。

 

霧雨魔理沙は、人里――幻想郷に唯一といっていい、人の存在が許された集落――にある大手道具屋、霧雨店の跡取り娘である。
お前をどこの馬の骨とも判らん奴の嫁にやるつもりはないと、大切に大切にひとり親に育てられた。愛すべき父の下にて、魔理沙はすくすくと成長していく。

その良き育ちの最中、少女には疑問に思うことがあった。どうして、自分の髪の毛の色がお父さんや他の人と違うのか、と。
それに、朗らかに父親は答えた。それは俺の愛したお前の母と同じ色だからだ、と。お前の金は母の色なのだ、と言った。
途端、父の言葉にて、魔法のように異常が大切なものへと変わる。嬉しくなって、更に魔理沙は問いかけた。お母さんはどういう人だったのか、と。
父の返答はまた、淀みない。笑顔で、とても佳い人だったと魔理沙に伝える。体は弱かったが、芯が強くて、とても外から来た人とは思えなかった、と。
当然のように、外とは何かと魔理沙は問う。それに対して、返ってくるのは随分と遅かった。父親の口元は固く閉まり、そして彼女が待ちくたびれた頃になってから開く。
父は言った。知らなくていい、と。今度は答えですらなかったそれに、魔理沙は激する。
喧々とした口論。そして、泣きながら彼女は家から抜け出し、やがて。

「ここは、外?」

魔理沙は知らず、人里の外の地を踏んでいた。涙で暮れて、紛れて、どこのスキマに入り込んで、こうなったのか。
いいや、ゆりかごのような居場所に人っ子一人、子供も通れぬ厳戒態勢を作り続けることは難しいもの。きっとそれは、ヒューマンエラーに因するものだったのだ。
兎にも角にも、魔理沙は独り、人里から出た。辺りはとうに暗がりに沈んでおり、幼子に怖気を誘うには十分。普通ならば、恐怖に足元を向いてしまうのだろう。

「わあ!」

しかし、魔理沙は空を見た。満点の星空を。そして、お利口さんにも暮れれば寝入っていた彼女は初めて見た夜空のあまりの美しさに笑顔になって光を辿って歩き出す。
少女は生来天真爛漫な上に世間知らずで有りすぎた。無垢な子供は美しさの隣の、醜さを知らない。
石ころの痛みも、野犬の牙の鋭さも知らず、後ろの怪談すら聞いたこともなかったのだ。故に、その駆け足の先に待つ運命が判らない。

「わ、何か流れた! 綺麗!」

流れ星は、尾を引いて天を飾った。その軌跡に追いつかんと、魔理沙は必死に駆け続ける。こうして助走を続けていれば、何時かはあそこに届くのではないか、そう思って。
だがしかし、幻想郷の中とはいえ現実はあまりに幻想から離れていた。魔理沙の素養は普通。空を自由に飛ぶには成長があまりに足りていない。
やがて、木々に入って、星を見失ってからしばらく。

「はぁ。駄目かあ……」

力足りず、故にそのまま見知らぬ場所にて彼女は止まる。息を直し、汗を拭きながら、少女は溜息を吐く。
途端、首元を撫でた涼にしては冷たすぎる風に、一度身震い。そしてやっと周囲を気にし始めた魔理沙は辺りを見回し、一言。

「ここ、何処?」

それは、今まで何に足を取られることが無かったのが不思議なくらいの木々深く。汗だく少女の周りは暗闇ばかり。その中で、細く差し込む光を受けて輝く自ら金髪がやけに目立って感じられた。

「やだ……」

心細さは、次第に増していく。夜鳥の鳴き声に怯え、一歩進んだ先に踏んだ草木の音すら怖い。
しかし、そのまま分け入り、進んで。そして少女は開けた場所に出る。一歩疲れきった足を踏み入れ、そうして魔理沙は異臭を嗅いだ。
そう、血の悪臭を。

「何……ひっ!」
「チ?」

そして、見たのは猫の死骸を食むネズミ。そんな、あり得る筈の光景が魔理沙でもただ事ではないと判るのは、そのスケールの差異。
果たして、猫はあそこまで小さかっただろうか。いや、かもしたらこれは。

「ヂッ!」
「きゃあ!」

ネズミの異常な大きさを察した時に、気づけば魔理沙は巨大な体躯の下にあった。
耳元で鼻音が大きい。腹が潰れそう。臭いがキツイ。
そんなこんなを一度に覚えた途端、肩に強烈な痛みが走った。そして、鮮血が自らとネズミの妖怪の顔を汚した。

「ぎっ!」

それは、原始的な捕食行為。恐れを抱かせる間もなく血肉を頂こうとする、妖怪ネズミは青く若い。故に、その拙速は魔理沙の憤怒を誘った。

「ぐうっ、このっ」

巻き起こる感情のままに、魔理沙は暴れた。痛み走らせたままに、肩に無事な右手を動かし、そして偶に指一つが妖怪の瞳に入る。

「ヂィ!」

それは、掠めた程度。しかし意外な窮鼠の一撃に、妖怪は痛みに警戒を覚えた。そして、魔理沙を突き飛ばして距離を取り出す。
これがもし、こんな程度の低い妖怪でなければ、こんな間隙は起きなかっただろう。そもそも、反撃を許すことすらなかったかもしれない。
だから、妖怪ネズミが気を取り直す前、魔理沙が作った時間に、彼女が間に合ったのはきっと奇跡的ですらある幸運だったのだろう。

「よ、っと。お食事中、失礼するわね」

疾風。それは、風と供にやって来た。緑色の改造中華服を棚引かせ、女性の形が魔理沙を庇うように立ち出る。
妖怪を前にして、それは笑う。そして、彼女、紅美鈴は宣言するのだった。

「そして、失礼ついでに勝手させて貰うわよ? さて――楽しいお食事はもうお終い。疾く避れ、ケダモノ」
「ジュッ!」
「あ……」

言葉が終わったか否かの瞬間に、圧される周囲。気圧される、その極み。ただ少女の険一つで、場は圧倒に支配された。
そして、ほぼ間断なく、妖怪ネズミは背を向け、逃げ出す。力の差を測るに、野生は敏だ。
だがこれも、彼が妖怪として程度が高ければ、起きなかったことだろう。もう少し妖怪としての自信を育んでいたら、美鈴に無謀にも立ち向かっていた未来があったのかもしれない。
そんな、頭蓋柘榴のもしもを回避できただけ、妖怪ネズミは幸運だったと言っても良い。

「あ……」

だが、肩に傷を作った魔理沙は逃げられない。助けてくれた、ようである。しかし、それでも未だ目の前の女性がよく分からない。
その接近に魔理沙は目尻に涙を浮かべた。美鈴は、そんな幼さに笑いかける。

「あはは。大丈夫。痛いのを治してあげるだけだから」
「え?」
「ちょっと、動かないでいてね?」

そして、美鈴は魔理沙の傷んだ肩口に手をかざす。その抉れた様に同情してから、彼女は僅かな合間を光で補填した。
それは、気。特に人によく効くものを送り込んで、美鈴は魔理沙の傷を和らげていった。
どんどんと痛みが消えていく肩。肉が盛り上がり、巻き戻っていくかのように形を元にしていく傷口を見て、魔理沙は呟く。

「治ってる……凄い力……ひょっとして、仙人さん?」
「ううん。そんなのじゃない。私は妖怪よ」
「妖怪……さっきのと、同じ……」

今更、言から先のネズミが人を害するもの、妖怪と気づいて全身怖じ気付かせ、そしてそれと同じと口にする女性に魔理沙は怖気づく。
肩に感じる優しさ、それがまやかしであることを恐れて。だがしかし、目の前の妖怪は太陽のように笑んだ。

「あははー。怖がる必要はないかな。私ったら、別に人食いではないから」

それは本当。そう、人を喰むなどという直接的な行為を起こさなくとも、十分。美鈴は在るだけで怖気を誘う、そんな存在の陰たる妖怪であった。
故に、滅ぼされることすらなければ、その存在は永遠。霞を食むことすら必要ないのだった。美鈴にとって、人は食べ物ではない、限りある自然の一部、生き物だ。
だから美鈴は今回、他種族であろうと子を守ろうとする生き物の本能に任せて、魔理沙を救ったのである。
そして、安心させるために笑いかけた。

「人を食べない、妖怪?」
「そう。結構いるんだけれどねー。ここじゃあんまり居ないのかな? 私、外から来たばかりだからそこら辺の事、分からないのよね」

美鈴は、魔理沙を優しく撫でる。その手の温もりはくすぐったくも嬉しい。
外の存在。この妖怪はそうなのだ。魔理沙に、天啓が走る。
死んだと聞いた。でも、この優しさは。赤と金。髪の色こそ違えど、同じ異端。この人はもしかして。
少女は考えそのまま口にした。

「妖怪になったの、おかーさん?」
「へ?」

魔理沙はそんな、勘違いをする。
ぽかんとする美鈴。空いた間。そこに、新しい風が吹く。血生臭さは除かれ、後にはコミカルな空気ばかりが残る。

「あははは!」

首かしげる魔理沙の前で、美鈴は大きく吹き出した。

 

こうして、美鈴のおかーさん道は始まった。それは幻想郷の少女たちの運命をどう変えていくのだろう。

「こればかりは、貴女が代わりになれるようなものじゃないのよ」

「私を、私達を、守って……」

「あははははは!」

「――妖怪に、死を」

「何? 本の染みになりたいの? 魔界の本は硬いわよ」

「おかーさん!」

進むべくは、過酷な道程。何しろ、吸血鬼異変が起きず、機会を失ったこの世界に、スペルカードルールなんていうものは存在しない。

「私が纏めて、面倒見てあげるから!」

故に、美しくも泥臭く。紅美鈴は戦っていくのだろう。


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