第二話 ノブレス・オブリージュ

IS霊夢さん 空を飛ぶ程度の――

世界は奇跡を失伝した。

神は死に、魑魅魍魎は根絶され、光は単なる明かりで闇はただの暗がりとなる。
昔々のお話は寓話となり、恋ですら分泌物の次第とされた。今や殆どの人はあり得ないを信じない。
神がかるのは科学ばかりで、なら人の望みは即物的にならざるを得なかった。だから、ただひたすらに誰かの幸せを誰かが願うことですら殊の外困難で。

ならばこの世界に楽園は、どこに。

そういえば、女の中に男一人ってどんな気持ちなのかしらね、と霊夢はふと思う。ユートピアに思うのか、はたまた針のむしろに座るような心地なのか。
少し考えてから、まあ当の本人はそんなに気にしてなさそうだったし、どうでもいいかと思い直す。

そんなことよりも、箸で持ち上げたとろりとした黄金色をまとわせたうどんを急ぎ啜ることの方が重要だった。ずるりずるりと、コクあるその喉越しを味わい、次に霊夢はお茶に手を伸ばす。
熱と渋みを存分に口内で楽しみ嚥下してから、ぷは、と少女は一息つく。
しかし霊夢はそのまま満足感に浸らない。そう間を置かずに、大盛りでねと頼んだところサービスが利きすぎて特盛りすら超越してしまった月見うどんに再び挑みかからんとする。
そしてそのまま、ずるずるずるずる。
口内の噛みごたえある麺の連続に霊夢がそろそろ薬味などで味を変えたくなってきた時、対面にて彼女を見つめていた少女は呆れ混じりに言った。

「はぁ。よくお召し上がりになる方ですわね。それにススル、というのは日本の文化であるようですが、どうにも……苦手ですわ」
「ん。そう? まあ、《《外》》の人はそう感じるかもしれないわね。あんた……オルコットってさっきイギリスがどうのこうのって言ってたわよね。やっぱり啜るのって向こうだとマナー違反だったりする?」
「ええ。食事中に音を立てるのは……節度を疑われるものですから」
「へー。文化の違いって奴ね」

なるほどね、と言い、そのまま会話相手の不快なんて気にも留めず、マイペースにずるずると食事を食事を再開する霊夢。
あっけに取られるのは、霊夢には見慣れた金髪碧眼の、しかし外の人であり知人では決してない初対面のセシリア・オルコット。
霊夢の食いっぷりに食欲を削がれはじめているセシリアはISにおけるイギリス代表候補生。自他認めるエリートである。そのあんまりな扱いの悪さに彼女が気を悪くしてもおかしくはない。
しかし、霊夢のその無縫な様子に、怒気どころか最初にあったどこか挑むようだった気持ちもどこかに消えていた。使い方を習得したばかりの箸を置き、彼女は霊夢が食べ終えるのをそっと待つ。

「それにしても……」

一味をかけてペースアップを計る霊夢を見つめながら、セシリアはぽつりと呟いた。嫌な注目をされていますわね、という言葉の続きを内にて消化しながら。
それは、見目のいい霊夢の食べっぷりに対する驚きにも依っているが、セシリア本人もやってしまったと少し反省している彼女の発言に主たる原因があった。
入学初日、本日の三限目。1組ではクラス代表を決める話し合いがあった。最中、その存在の物珍しさから神輿にされかけた一夏と、自分が代表に相応しいものと信じ込んでいるセシリアとの間でひと悶着が起きる。
そのため、代表選考は一週間後に決まったISを使った模擬戦での勝負によって決めることになった。当人たちはそれで納得。だからそれでお終い、というわけにはいかなかった。

「はぁ」

問題だらけの唯一の男子生徒が担任――身内――からの注意によって食堂への到着が遅れている中、視線をなんだか目立つ新入生に定めた皆のうちの何人かが自分の噂をしているのが、セシリアの耳に入る。
きっと、その内容は良いものではないだろうな、と彼女は思う。

そう、セシリアはクラス代表を決める際に大嫌いな男をこき下ろすためとはいえ、悶着の中嫌な言葉を口にしすぎていたのだ。それはまるで、自分が棘の塊であるという自己紹介をしたかのよう。
それでクラスメートの女子たちの印象が良くなるはずもない。ひとまずは、よくは分からないけれど付き合い難い、というレッテルを貼られたようだった。
距離を空けられ、そのために食堂でのセシリアの周囲は空席となった。反省まではせずとも彼女が一人ぼっちという悪い滑り出しに虚しさを覚えていたところ。

「ぷはー。美味しかったわ」

そこに席が空いてるところがあったわラッキー、と滑り込んできたのが霊夢だった。目を合わしてから少し。軽く互いに自己紹介をしてからの、今がある。
セシリアは、うどんに汁を吸わせる隙も与えぬ快速で美味を堪能し尽くして満足げな霊夢に、再び話しかける。

「それにしても、奇遇ですわね」
「え? 奇遇ってひょっとして私、あんたにも前に会ったことあんの?」
「いいえ。わたくしと博麗さんは初対面ですが……」
「なら良かった。流石に二回も忘れるなんて、自分が呆けちゃったのかと思ったわ」
「はぁ……?」

首を傾げるセシリアにこっちの話よ、と霊夢は続ける。
のんびり屋な霊夢とはいえ、元クラスメートを忘れていた事実は気になっていたようだ。もっともそんなこと知らないセシリアは何を言っているのだろうと思う。

しかしセシリアが気を取り直して見てみると、どうにも目の前の少女は華であると感じる。それも、美しいと自認している己とまた違ったもののような。
セシリアが添えられ対象を際立たせる華であるならば、霊夢は単独で極まった大輪ではないか。派手なリボン飾りをすら陳腐にしてしまう少女の綺麗は比較にならない絶対的。
嫉妬すら起きないそれはまるで……と、そこまで考えてからセシリアは初対面相手にする想像ではないだろうと首を振って思考を散らす。

そして、僅か普段の虚飾を取り戻してから、セシリアは言った。

「その、奇遇というのはですね。わたくし、博麗さんが入試で教官を倒したことを知っておりまして。実はわたくしも……」
「あー、そのことね。はぁ……嫌なことを思い出させてくれるわね」
「? ……何かあったのですか?」

どこか低くなった声色に、セシリアは疑問符を浮かべる。
今回、セシリアは霊夢に自分も同じく教官を倒したエリートであることを伝え、ライバル宣言でもしようかと思っていた。
しかし、霊夢の反応はどこか悪い。初対面ではあるが、根は優しいセシリアが嫌なことという言葉に心配してしまうのも仕方なかった。

「まあ、あんたにあたることじゃないわよね。はぁ。墜とした相手が担任だったのが運の尽きだったわ……そのせいで私、クラス代表にされちゃったのよ」
「クラス代表に? それは名誉あることではありませんか」

自分が騒動を起こすくらいにそれを求めたものを蔑ろにする霊夢に、セシリアは眉根を寄せる。
しかし垂れ目がちな少女が目端を不快に釣り上がらせたことを知ろうともせずに、霊夢は続けるのだった。

「名誉で楽できるなら良いんだけどね。むしろ面倒じゃない。クラス長ってことで色々と任されることになって」
「……貴女はノブレス・オブリージュという言葉をご存知で?」
「高貴たるものに課される義務、とかいう意味だっけ? 嫌な言葉よね」

誰か義務を欲しがる数寄者に2組の代表を放り投げられたら良いんだけど、と溢す霊夢は見た目こそ貴人に劣らないものであるが、その実随分と俗だった。
そんな姿は、人一倍貴くあること、そして課せられた義務を熟すことに苦心している少女の怒りを買った。
自分でも驚くほど平坦な声で、セシリアは言う。

「……貴女は……いえ、東方の果てのどん詰まりのお猿さんに何か期待をしてしまったわたくしが間違っていましたわね」
「は? 何、あんた喧嘩売ってんの?」
「あら。貴女に買えますの? お高いですわよ」
「面白いじゃない」

周囲のどよめきを他所に、霊夢とセシリアは立ち上がり互いを睨み合う。
水と油。意見が合わないことが両者にはよく分かった。青に、赤が対となり、瞬かない。
存外喧嘩っ早い霊夢は、流石に直接的に手を上げることさえないが、どう負かしてやろうか頭巡らせる。
そんな霊夢に対して、セシリアの反応は淡白だった。疾く視線を外し、そのままトレーを持った後に背を向ける。

「何、逃げるの?」
「まさか。もし貴女が臆さないのでしたら……白黒は、クラス対抗戦で付けましょう」
「ふん。そういやあんた、代表候補生とか言ってたわね。良いわよ。あんたの得意ごとでその鼻っ柱叩き折ってあげようじゃない」

獰猛な声を背中に聞いて、セシリアは口の端を吊り上げる。
もう、彼女には周囲の目どころか、憎き男との模擬戦のことすら頭から消えていた。
ただ、その思いを正直に、少女は呟くように伝える。

「楽しみにしてますわ」

そう。セシリアはその存在を知ってからずっと、それまでISに触れることがなかったというのに一度触れれば教官を《《圧倒》》する程の実力を内包していた天才でしかない少女と戦うことを楽しみにしていた。

しかしまずそのためには。

「―――間違いなく、あの男を仕留めないといけませんわね」

思わず、身じろぐ。楽しみに悶える少女に、この日より慢心は消えさったのだった。

 

そして、その夜。

「あ、貴女は……!」
「あー。ちょっとぶりね」

遅れた荷物を手にして割り当てられた部屋に入ろうとした少女が、同部屋の生徒を迎えようとして驚きに硬直した少女の前で、決まり悪そうな表情を浮かべる。

そう、セシリアは自分のルームメイトとして、|博麗霊夢《好敵手》と再び顔を合わせることとなるのだった。


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