第九話

霧雨魔梨沙の幻想郷表紙絵 霧雨魔梨沙の幻想郷

冬が始まり、雪が降り出して幻想郷を白く染め始めた頃。霧の湖にて氷精チルノはその日、淡水に棲む人魚、わかさぎ姫と遊んでいた。
遊びと言ってもやっているのは弾幕ごっこ。もちろん、戦うことも相手を傷つけることも苦手なわかさぎ姫に合わせて、スペルカードルール方式のものであった。

「あー、水の中に入るなんてずるい! 全然当たらないわ!」
「うふふ。私は半分魚だもの。水に浸かって当然。それならチルノ、貴方が空を飛ぶというのもずるいわ。中々当たらないじゃない」
「そっかー。えへへ。なら一緒ね!」

水中と空での弾幕ごっこは上から下に妖弾が行き交うことで、成り立つ。わかさぎ姫が水中で踊ると、その側すれすれにチルノの氷弾が掠めていく。
そして、ウロコ状の弾幕をわかさぎ姫が放つと、チルノは慣れた空を飛びゆくことで余裕を持って回避する。

「うーん。氷が増えて、避ける所が少なくなってきちゃったわ」
「へへーん。私の作戦よ。作戦」
「どうせ、偶然でしょうに。でもこれじゃ負けちゃいそう」

氷弾を打ち込むことで所々水面に氷が張ってきたこと、それに弾幕ごっこに慣れているということもあり、概ねチルノが勝負で有利であった。
しかし、弾幕ごっことはいえ妖怪と妖精の戦いで妖精の方に天秤が傾くことは珍しい。それは、わかさぎ姫が大した力を持たない大人しい妖怪であるということもあるが、チルノにもその要因があった。
チルノは他の妖精たちの中に比べてみると、頭抜けて強い。それこそ妖精を超えて妖怪の範疇にまで入りかねない力を持っている。
冷気を操る程度の能力も強力であり、ここ霧の湖ではそんなチルノは妖精たちの尊敬を集め、リーダー的な役割を負っていた。紅霧異変の際に霊夢の前に立ちはだかったこともチルノの記憶にはもうないが新しいものである。
しかし、冬になって知り合いの妖精たちの内でも大人しくなるものが増え、そしてその他の妖精たちとは束になられても勝ってしまうほどの力量差があるために、しばらく弾幕ごっこで遊べなくて。
そんな時に、暇そうにしていたわかさぎ姫と会い、戦いを挑んで欲求不満を解消していたのだった。

「一か八か……いくわよ、水符「テイルフィンスラップ」」
「あはは。そんな薄い弾幕当たらないよー」
「うーん。やっぱり難しいものね」

時間が経って慣れていけば、もう少し濃い弾幕を作れるのだろうが、今のわかさぎ姫ではそれも難しい。
二重に展開される速度の違う青いウロコ状の弾幕も、バラバラに散っていってしまえば避けるのも容易く。霊夢や咲夜に突っかかってはボロボロにされているチルノも、これには引っかからない。
せっかくチルノに貰った白紙のスペルカードで作った弾幕であるが、チルノには通じず軽く避けられてしまった。

「ダメダメねっ。わかさぎ姫は私のスペルカードを見て勉強しなさい! 凍符「パーフェクトフリーズ」!」
「わっ、こっちにたくさん来て……あら停まった?」
「それだけじゃないわ。行くわよー」
「わあ! 停まっていた弾幕が動いて……あ、また弾幕が……いやー」

そして、チルノは自分の弾幕を途中凍らせて一時停止させ進路を塞ぎ、少し経ってから動かして相手を慌てさせ、その隙に弾幕をまた向かわせて仕留めるというチルノらしからぬよく考えられたスペルカードを展開する。
初見であり、そもそもこういった駆け引きに不得手なわかさぎ姫は、哀れチルノの術中にはまり、その身に妖弾を浴びせられることとなった。色とりどり五色の弾幕が散々に当たれば、いかに妖怪の身であっても音を上げざるを得ない。

「負けちゃったわー」
「やったー。私、妖怪相手にも勝ったわ! 最強ね!」

勝ったチルノは湖に浮かぶ氷塊に乗りガッツポーズをして、負けたわかさぎ姫は、水面にその身を倒しぷかぷかと浮かばせる。
対照的なその光景は、雲天の冷え冷えした目立つものはない湖の中でよく目立ち、その言葉一語一句は遠くまで響いた。

「最強ねー。まあ、妖精の中ではそうなんでしょうけど」

最強。そんな魅力的な響きが耳に入ってきたから、行く先を変えて急行してみたら、そこには大した力を持った、だがしかし小さな妖精の姿。紅魔館帰りで魅力的な妖怪を見てきた魔梨沙にとってそれはがっかりなものだった。
そんな突然飛んで来た紫色の魔法使いに、顔を向けるのは親子みたいに体格の違う水色髪の二人。一人は着物の裾を口元に当てて微笑んだが、残されたチルノは頭にハテナマークを浮かばせる。

「む、あんた……誰だっけ?」
「霧雨魔梨沙よ。貴女はチルノでしょ? ここを通ればよく出会うし、小さいころ遊んだ覚えがあるけれど、やっぱり妖精、忘れちゃったかー」
「あらあら、魔梨沙、久しぶり。知らない間に大きくなったわね」
「姫様じゃないの、久しぶりー。あれ、何かちょっとボロボロ……ひょっとして、チルノ、姫様をいじめてたのかしら?」

チルノは喧嘩を売ってもあまり乗ってきてくれた例のない魔梨沙の名前を忘れているが、この三人は本来既知の間柄である。
魅魔との修行の僅かな合間に水遊びができるからと寄って、チルノと鬼ごっこをしたり、わかさぎ姫の歌を聞いて一緒に歌ってみたり、そんなことをして遊んだ記憶が魔梨沙にはある。
子供の頃に遊んでくれた妖怪たち、という括りで魔梨沙は二人を見ているためにどうしても戦いを挑んだり受けたりする気にはなれないが、それでも二人が仲違いしているというのなら別だ。
勘違いをした魔梨沙は、お転婆なチルノがおっとりと優しいわかさぎ姫に何か悪戯をしかけてしまったのではないかと疑い、威圧的に魔力を放出した。

「わ、怒んないでよ。わかさぎ姫とは弾幕ごっこで遊んでたのよ」
「それで負けちゃったのー。ぐすん」
「姫様は、確かに争い事苦手だったものね。それなら仕方がないかー」

しかし、そんなことはなく、二人は平和的に弾幕ごっこをしていただけなので、魔梨沙の意気はぷしゅんと萎んだ。
魔梨沙個人的には優しいお姉さんのように思っているわかさぎ姫に勝って欲しかったが、ついてしまった勝ち負けについて外野がとやかく言うことは出来ない。
姫様も妖精相手なんだからもっとてきとうに相手すればいいのに、と思いながら魔梨沙が箒に乗りながら更に近寄ると、チルノがその姿に何かを見付けて声を上げた。

「あー。よく見たら魔梨沙も結構ボロボロじゃない。誰かにやられて逃げ帰ってきたのね!」
「あら、本当。魔梨沙も私たちみたいに弾幕ごっこでもやって来たの?」

そう、魔梨沙はその衣服を土で汚していたり、袖を破かせていたりした。それを見た二人が、自分たちのように弾幕ごっこで遊んでいたのではないかと思うのに無理はない。
実際に、魔梨沙は紅魔館の門前で戦いに興じている。だがしかし、それはチルノとわかさぎ姫が考えているような平和なものではなかった。
もっと原始的で一方的なものである。

「違うのよー。私はあの紅魔館の門番と……彼女妖怪で紅美鈴っていうんだけど、知っているかしら?」
「あー、美鈴ね。知ってる。私は時々美鈴に弾幕ごっこの相手してあげているわ!」
「私はあの紅い洋館は知っているけど、門番さんに会ったことはないわね。チルノ、お仕事をしている人にあまり迷惑を掛けちゃだめよ」
「えー」
「うふふ。まあ、美鈴も大概暇しているから大丈夫だと思うけど、まあそんな彼女と私は最近格闘で戦うことにハマってて」
「え? 魔梨沙が格闘? 相手は妖怪でしょ、大丈夫なの? その美鈴さんっていうのが私みたいじゃなければ大概強いんじゃないの?」
「強いも何も、格闘じゃ私の知る中で一番強いんじゃないかしらー。だから、まあ手加減してもらっても勝てなくて勝てなくて」

ぽかんと口を開けて魔梨沙の言葉を咀嚼するわかさぎ姫。彼女の中の魔梨沙は未だに自分の隣で歌を聞いたり唱和したりするのが好きな元気な子供のままだった。
それが妖怪相手に格闘をするなんて無茶をしているなんて、驚きである。
確かに、先ほど垣間見せた膨大な魔力を持って肉体を強化すれば相当な戦闘に耐えられるのかもしれないが、それにしても目の前の魔女風の少女が殴り合いをするようには思えなかった。

「負けてるのに嬉しそうなんて、変なのー」
「むー。負けたって言ってもこれでも少しずつマトモに試合になっているのよ。最初は弾幕ごっこ主体でやってもあっさり負けちゃったくらいなんだもの。少しずつでも上達していくのは楽しいものだわー」
「ふーん。でもやっぱり負けたらつまらないわ。勝って兜の緒を締めよ、よ!」
「あら、チルノ、多分ことわざの使い方が違っているわ。それでは何言っているのか分からないわよ」
「ん? これって負けて喜んでいれば勝った時の喜びを忘れちゃうって意味じゃないの?」
「違うけど、間違ってないわね……」

そう、チルノの言葉もチョイスはともかく中身は間違ってはいない。だが、魔梨沙も別に負けたくて負けている訳ではなかった。
紅美鈴は、気を使う能力に長けているのも勿論、武術全般に非常に長けている。中華風の服装から伺える大陸のものであろう緩急の乗った拳が響くと思えば、日本風の柔によって投げられる等々。
顔や急所を狙うのはやめてくれているとはいえ、幾ら修行で苦痛に慣れているとしても厳しく思えるほどの殴打蹴り投げは、力を見つめる程度の能力を持った魔梨沙ですら読みきれないもの。
しかし能力を持った魔梨沙であるからこそ、そのモノマネ程度は出来て、最近やっと戦いのようになってきたと喜び始めたのである。

だがしかし、チルノのおかげで、知らず内に負け続けた反動のフラストレーションをためているのに気付き、魔梨沙は言う。

「そうねー。次は弾幕ごっこで戦って、勝ちの喜びを思い出すことにしましょう!」

哀れ、連勝街道を邁進中の美鈴に、黒星が付くことがここに決まった。
ちなみに、シエスタしているよりもいいと、魔梨沙と模擬戦をすることに、美鈴本人は肯定的である。
また、侵入者でもない相手と武を競い合うのは門番としては間違っているかもしれないが、双方の紅の髪が交差するその瞬間が刺激的で、窓から覗く雇い主である紅魔館の住人たちからの評判は良いものであるから特に問題にはならない。

「それにしても、魔梨沙は弾幕ごっこが得意なの?」
「きっと、姫様を満足させられるくらいには上手だと自負しているわ……わぷっ。あら、これは」

話している間に、雲天は更に暗くなってきて、空からはふらりふらりと舞い散るものが。それが鼻に乗っかり魔梨沙は冷たさに慌てる。
手に乗せてみたその六角形の結晶はきれいなもの。そう、雪が降ってきたのだった。

「わーい! 雪だー」

これから来る寒さを予想し魔梨沙も、わかさぎ姫ですらも眉をひそめて天を仰ぐ中で、大喜びで動きまわり雪の結晶を手に載せているあたり、流石は氷の妖精。
魔梨沙は身にしみ始めた寒気をチルノが近くにいるせいと思っていたが、実際は一体全体冷えてきているようだった。

「道理で寒いと思った。最近雪が多いし、もうすっかり冬ね」
「うーん。尾っぽが寒い。魚類には厳しい季節だわ」
「姫様は半分人間風でしょ……」

呆れたように、魔梨沙はこぼす。そもそもわかさぎ姫は妖怪だ。人間よりは大分環境の変化に強いはずである。
それは実際に凍えるほどの水温の淡水に浸かりながら普通に喋っていることからも伺えた。だがしかし、そうであっても寒いのは嫌なのだろう、降る速度を増してきた雪を見て、わかさぎ姫はため息を吐く。

「はぁ。でもまあ、これも毎年のことよね。楽しく遊んでるチルノはともかく、いくら魔法を覚えているとはいえ人間の魔梨沙は寒いでしょう。早く帰ったほうがいいわ」
「うん、分かった。久しぶりに話せて嬉しかったよ、姫様。それじゃあチルノも、姫様もじゃあねー」

そして、手を振りながら空に浮き、旧知の二人と分かれて魔梨沙は家路につく。道中顔にへばりつく雪が邪魔で、やはり冬は活動する人間にとって厳しい季節だと思えた。
帽子のつばを指先で下ろして雪から視界を確保し、空中での交通事故に気を付けながら、魔梨沙は冷えきっているだろうが外よりましであるだろう我が家へと向かう。

「あーあ。早く冬が終わればいいのに」

そんな魔梨沙の言葉は虚しく響く。
そう、この時はまさか、冬が春を脅かさん程に長くなるとは、誰も思っていなかった。


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