第三十話

霧雨魔梨沙の幻想郷表紙絵 霧雨魔梨沙の幻想郷

蓬莱人である藤原妹紅は、老いる事も死ぬ事もない程度の能力を持つ存在である。
彼女も人の枠にあるため肉体を持っているが、それが滅びようともその生に関係はなく、蓬莱の薬を飲んで本体と成った魂によって幾らでも肉体を再構築させられるため、結果的に不死となっていた。当然、不変の魂の支配下にある肉は衰えることもない。

不老不死、それは数多の人間が望んだ理想。紆余曲折ありながらも不老不死と成って千三百年は経っている妹紅であるが、しかし彼女は不死であるが故の苦痛ばかりをよくよく味わっていた。
人は終わりがあることを知っているから活きていられる。しかし、妹紅には終わりなどない。膨大な時間の中楽しさなど刹那で、慣れによってそれも失われ、また幾ら辛くても悲しくても死ねないのだ。後悔も別れも少女のその身に降り積もる。
また、変わらず終わらず、そんな存在が受けいられるコミュニティなどなかった。今は幻想郷に幾分かの可能性を見出しているが、切っ掛けのないために中々踏み出すことが出来ず。
理解者は居ても、宿敵は居ても、生きる意味を見出すことが出来ないそんな只中、今夜妹紅は出会った。力を求め続けないと生きていられない、転生者霧雨魔梨沙という少女と。

 

 

「戦う前に訊いてもいいかしら。あたしは霧雨魔梨沙。貴女は何ていう名前?」
「やっぱり、退魔師のお嬢ちゃんで合っていたか。私は藤原妹紅っていうよ」
「ありがとう。それにしても妹紅、貴女は凄いわねー。レミリア、それだけでなく咲夜まで無力化するなんて。両方共一筋縄ではいかない相手よ」
「ごっこ遊びとはいえ、妖怪退治の内。年季が違うわよ。別に妖怪みたいな人間退治だって、苦手じゃない。まあ、中々の相手だったから、何度か死んでしまったけれどね」

そう言って、妹紅はズタズタになった己の服をそれでも身体の大事な場所は隠せるよう引っ張って調整しながら、軽々と己の死を明かす。
妹紅は、レミリアと咲夜と行った弾幕ごっこにおいて、力尽きそうになる度に何回も傷ついた肉体を消滅させてからまた再構成させ復活するという「リザレクション」を繰り返していた。
その都度、不死とはいえ妹紅の肉体は死んだと同じになるために彼女の言は正しいが、しかし瀕した死を乗り越え続けるその心のなんと不屈なことか。
創り出す不死鳥の如き弾幕のように、妹紅は能力だけでなく精神面でも折れず死ぬ事がないようであった。

「うふふ。殺しても死なない人物を相手するには、不慮の事故死なんてあり得ないから本気をだせていいわねー」
「ふぅん。……慧音に聞いた、里の英雄とやらは、中々愉快な性格をしているみたいね」

英雄なんて照れるわーなんていうズレた返答をする魔梨沙は、死という言葉に何の感慨も抱いていない。幻想郷の住民は自分でしばしば感じ取れる死から身を守ってそれなりに親しんでいるが、魔梨沙は、そんなものに何度近寄った経験があることか。
オマケに、魔梨沙は妹紅と違って一度真にそれを味わい消えるはずだった魂が幼子に混入してしまった類の存在。
だから、魔梨沙にとって回避できてそれで本当に終わるか分からない死なんて真にどうでもいいこと。なってしまったらつまらないと、思うだけ。首元に幻視する渾身の力を持っても破ることの出来ない枷の方がよっぽど恐ろしかった。

ざわざわと竹の葉がこすれ合う音の響く中、両者は低く浮かんだまま中々動かない。魔梨沙は焦げた地面を覗いてみたりして、いかにも隙だらけの様体であるが、そんなこと見せかけであるということは、百戦錬磨の妹紅にはよく理解できていた。
注目すべきは、その誰とも違うような深く紅の瞳。月光によって映り込む筈の自分の姿がそこに見つからないことに、妹紅は気付いている。
妹紅は似たような目をした手合に出会ったことがありその者は瞳術を使っていたが、きっと魔梨沙も同じように、世界を内にまで映し込ませることで周囲の瞳に映るはずの全てを見つめているのだろうと解していた。
慧音から聞き及ぶ限りの活躍とその眼を見れば、弾幕ごっこは随分と得意でありそうである。さてどれから手札を切って勝利を収め、相手に自身を喧伝させるのを防ごうか妹紅が考えている合間に、魔梨沙はふと顔を上げて、彼女を【見つめ】た。

「その不変の力の形、魂のようにもに見えるわー。貴女はずっとそこに居るのね。でも、それじゃあ、殺しても死なないだけでなく、死にたくても死ねないのではないの?」
「そこまで分かるっていうのは凄いわね。まあ、私は不老不死だけれど、言うなれば老いる事も死ぬ事も【できない】能力を持っているとも取れる。こんなの、苦痛ばかりの力だよ。人と交わることなんて夢のまた夢」
「へぇ……でもあたしは永遠の力だって欲しいわー。恋する気持ちを抑えるのが難しい。でも、そんな不格好な形での永遠なんて、無理に抱きしめることはないかー」

胸に手を当てながらそう言った魔梨沙は、ドキドキが治まるのを感じてから再び口を開き、手を広げてから、言葉を繋げる。

「死ぬことが出来なくなってしまうなんて、不自由が一つ増えるだけ。二度目の生の中、そんな力も孤独もあたしは欲さない。だって、あたしはただ、あたしを自由にしてくれる力が欲しいんだもの」

妹紅に向けて、断言した魔梨沙は、笑みを浮かべた。眼は細められて口元は弧を描き、三日月の形となって。そんな歪みを見ていた妹紅の心にはざわめきが起きる。
優しい笑みだ、ああ、コイツは私を哀れんでいる、と。その表情から憐憫の情に気付いたのだ。
酷く、それが妹紅の癇に障った。

「そうだね……あんたは正しいよ、霧雨魔梨沙。人は人間で居るのが一番だ。そう、私は虚ろな生に繋げられた存在。生まれ生まれ生まれ生れて生の始めに暗く、死に死に死に死んで死の終りに冥し……でもねぇ、本当の死を知らない私だって知っていることがあるわ」

熱風が、ごうと辺りを包む。その源は背面に炎を現出させた妹紅だった。術によって膨大な熱量を自在に操る彼女は、根城としている妖怪も多数存在するここ迷いの竹林で並ぶ者のない強者である。
憐れまれるべき、か弱い少女ではもうないのだ。積み重ねてきた苦難の年月が成長させてくれた内面を否定するような優しさを、妹紅は否定する。

「それは、一朝一夕で力が増すことはないということさ。十年足らずなんて自由を得るには短すぎる。不自由に千三百年も溜めに溜めた力との差、感じ取ってみるといい!」

そう言って、ただの【少女】との違いを味わわせるべく、妹紅はレミリアと咲夜を下すのに使用した残りのスペルカード三枚から、特別な二枚を見せつけた。
同じ蓬莱人である対輝夜用に頭を捻って考え創ったそのスペルカードの難易度は非常に高い代物と分かっていたが、それでも下すには丁度いいと、妹紅はためらいなくその内の一枚を切る。

「いくわよ、「蓬莱人形」!」

それは、蓬莱の人の形、藤原妹紅の思い入れ深い、高難易度な弾幕。出現させた二つの魔法陣は、魔梨沙と妹紅を取り囲むように時計回りに動きながら、それぞれ赤と青の丸弾をその道程に敷き詰めていく。
魔梨沙は、囲み終えたら一息にくるのかしらと思ったが、それは違う。魔法陣が一周の四分の一程度を並べたと思ったら、赤青のそれらは鎌首をもたげ魔梨沙に向かって襲い来る。
奇しくもそれは、先ほど対峙した霊夢の夢想天生に似通っていた。八匹の蛇と比べれば、赤青の大蛇なんて、避けるに難くはない。しかし、二方向から来たる光る二色は中々に美しいものだと、魔梨沙は力に身を掠めながら思う。
そして何度目かの蛇が襲った時、そろそろ反撃しようかと魔梨沙が杖を向けた際に妹紅は全方位に時期はずれの向日葵の花びらを散らす。

「わ、一気に避けにくくなったわねー。周囲も赤に青に飛んできた弾幕の残りに囲まれているし、これは早く落とすしかないかしら」

ここで、対する魔梨沙の笑みは消えた。それを見て、黄色い花弁弾を発しながら妹紅は満足する。
等間隔に、時期狙いの赤青よりも尚早く、黄色は花火のように何度も周囲に広がり辺りに美を広げていく。それを、長大な二匹の蛇に囲まれながら、避ける魔梨沙は大変である。
周囲全てを見つめながら、赤や青に狭められた身近に道を見つけて、そこを埋めんとする黄色を避けて通って行く。そんな最中に、的確に妹紅へ向けて紫色をした流れ星を投じ続けられるのは、流石と言えるだろう。
殊の外威力の高い、その星に一挙に体力を削られた妹紅が自身の限界を早々に感じ取ったことで、次の一手はためらいなく発される。

「くっ、避ける方もそうだけれど、弾幕の威力も大したものね。でも、私にはまだ少しだけ余裕があるわ。さあ、不死鳥の尾、味わいなさい!」
「わ、綺麗」

そして、多数の弾幕の眩しさの中で、更に目を引くまるで尾羽根のようにも見える赤鱗弾の行列が迷いなく魔梨沙に襲いかかった。燃える尾を模したその弾幕は熱く、傍を掠めるだけでも集中を乱すに足る。
未だ避けるパターンが掴めない中での、新しい弾幕の登場に、流石の魔梨沙といえども危機感を覚えずにいられず。
これでも気合避けの可能な範疇とは思えたが、万が一にも一枚目で落とされるという情けないことには成りたくなかったがために、魔梨沙はスペルカードを切った。

「でも、美しさならあたしの星も負けてないわー。魔符「スターダストレヴァリエ」!」

そう言った魔梨沙の周りに、三原色の星が弾ける。大きく、周囲の弾幕を吸い込んで消していくその力は、妹紅の展開した弾幕の檻を破って一帯に広がっていく。
狙いもなく、全体に展開されたスターダストレヴァリエは、惜しくも妹紅に当たることは無かったが、その次に魔梨沙が続けて発した紫の流星は蓬莱の人の形に命中した。

「ぐっ、当たっても死なない、けれども墜ちる程度のダメージに抑えているわね、器用なことを……でも、死の近さに関係なく、私は再生できる……「リザレクション」!」

復活の呪文を唱えた妹紅は、あっという間に炎に包まれる。その身は一時炎の中で消失したかのように見えた。しかし、彼女は防刃性能がないためにズタズタになっているが、耐火性に優れた服の中にて、再生する。
先に星の爆発によって負った傷なんて、最早見て取ることなんてできない。明らかに完調な様子の妹紅を見て、一人で紅魔チームを破れた要因を察し、魔梨沙は呆れたように零した。

「貴女って今日だけで、こんてぃにゅ~を何回してるのかしらね。普通なら回復に時間が掛かるから何度も出来ないんだけれど、ずるいわー。まあ、あたしは何時もの~こんてぃにゅ~でやっているから関係はないんだけれど」
「急にそんな間延びした声を出してどうしたのかしら……まあ、いいわ。次が私の本命「インペリシャブルシューティング」!」
「あ、また燃えて……当たらない? 魂だけで弾幕を創るのね、器用だわー」

再び全身が燃えたかと思うと再生は起こらずに、当てる対象物が焼失した中で弾幕ごっこは始まる。
力を見つめている魔梨沙には妹紅の姿がはっきりと見えているが、実際はそこに魂があるだけ。通り抜けた、紫色の軌跡がそれを教えてくれる。

さて、先んじて相手を落とすことの出来ないこの弾幕は耐久スペルのようだと魔梨沙も気付く。その次の瞬間、目の前で薄青色が迫ってきていた。
全方位に発された米粒弾は通る隙間もなく埋まっているが、それは途中で停まる。流石に不可能弾幕ではないのね、と思いながらそこから少し離れると、円の形をしていたそれは歪みに歪み、先端を魔梨沙の方に向けてまるで花のように広がった。
切っ先を寸でにて避け、魔梨沙は広がることで出来た隙間を見つけてこの弾幕の意図を察し、一挙に箒を駆って弾幕の最中へと突入する。その行動には勇気が要ったが、決して間違った選択ではなかった。
米粒弾で出来た花は魔梨沙が中に入ったその後、円に形を戻してから直ぐに外へと散弾のように飛んで行き、あっという間に消えていった。

「危なかったー。何というか膨張と散りっぷりに、生の鼓動と死を感じる弾幕ね」

そう、インペリシャブルシューティングは、弾幕の内へ入り込まねば一挙に難易度が跳ね上がる、そんな代物である。次には青と赤、それが二重丸のように広げられた。当然それらも、形を変じてその際に隙間を作っていく。
勿論軽々と隙間を見逃す魔梨沙ではないが、その次の三重に重なった弾幕、そして更に次々と丸が生じて時間差で変じていくその形態の変異の際に出来る隙間探しの忙しさといったら、それはもう大変なものであった。
隙間を移動し、色とりどりの花を渡る。生じるのも変容も美しければ、散華もまた綺麗なものであり、一貫してそれらは生と死の連続を示しているように、魔梨沙には思えてならない。
そして五色の五重丸が二度展開され、花になった時の色が先と異なる風に工夫されていることを確認してから、魔梨沙は妹紅の姿を見つめた。
魂の形ではあるが、その表情は固く、決して弾幕を楽しんでいるようには見えない。だが、それもむべなるかな。これほどの技巧の凝らされた弾幕を放つのにかかる負担は尋常なものではないだろう。

――そろそろ、仕留めないとねっ!

魔梨沙が一分を数えた時に、妹紅はラストスパートをかけてきた。生まれるは、大量の蔓のように緑色をした米粒弾。円形をバラバラにしたようなそれらがくっついて一つの丸になろうとするその瞬間に、蔓は刺に変わった。
刺傷を作られてはたまらないと、避ける魔梨沙は、次第に円の中心に、妹紅の眼前へと誘われる。そして、その直ぐ後に起きるのは、渦巻状に発された青い鱗弾。
それは怒涛のように素早い魔梨沙の後退に迫る速度で来たったために、運よく隙間を見つけられなければ、撃墜は免れ得なかったことだろう。
しかし、隙間を見つけてその先に進むというのは、今までの性質からいって、内に入り妹紅が創る次の弾幕に近寄るということ。そして、その次の弾幕は最後のものであり【トリ】に相応しいものだった。
思わず、魔梨沙は笑みを漏らしてその弾幕を歓迎してしまう。それほどまでに、目の前で轟々と燃え盛る炎は美しく、圧倒的なものであったのだから。

「きゃはは! 凄いわっ。まるで不死鳥の羽根ね」

そう、それは四方に向けられた鳳凰の翼の如き様相の燃え盛る大量の鱗弾。それらは広がり威容を見せつけたかと思うと、妹紅の元へと逆戻りしてから、渦を巻いて全方位へと散っていく。
あまりに大量の火弾は、避ける魔梨沙の袖先どころかまつ毛の先まで容赦なく焦がす。辺りはまるで太陽の中のようで眩しく、通常であれば目を開けることなど出来ようもない。
しかし、乾いた眼を凝らした魔梨沙は、火炎の中で道を見つけて突入し、そして肺腑を焦がされぬよう息を止めながら、その隙間を捉えきり、抜けることに成功した。

「けほ。あたしの勝ちだわー」
――ふぅ。そうだね。後一枚スペルカードはあるけれど、疲れてもう煙も出ない。私の負けだよ」

向かい来る炎を越えたといのは即ち、再度妹紅の前に出るということ。業火の中、再び肉を持った妹紅と、魔梨沙は向い合って、対照的な表情を向け合う。
疲れ倦んだ苦笑いと、喜色に溢れた満面の笑み。ただ、歪んだ口元と紅の瞳ばかりが一緒であった。しかし、それだけでなく、二人には似通ったところがあると、魔梨沙ばかりは知っている。

「これだけの弾幕を見せてくれたのだから願いを叶えてあげたいけれど、あたしが勝者だからあたしの好き勝手にするわ。ここには貴女みたいな存在が居ること、言いふらしてあげる」
「……ま、好きにしなさい。そうなったら、私は住処を変えるだけだから。廃墟になったばかりだ、ちょうどいいわね」
「もう、早とちりしないで欲しいわー」

妹紅の眼が失望で染まり、それが背けられたことを嫌い、魔梨沙は早々に誤解を解こうと動く。
そっぽを向いたその先に、魔梨沙は驚くべき速度で到達し、紅の視線を妹紅一点に向けた。真剣なその視線と思い込んだ考えを訂正する言葉を受けて、妹紅は魔梨沙を見つめ返す。

「どういうこと? 死なず生きず、こんな不自然な存在が許されるわけがない。誰が知ろうが、反応は変わらないでしょうに」
「死の果てにあるのがまた再びの生であるのなら、覚えていないだけで全ての人は貴女と同じかそれ以上に生と死を繰り返しているはず。生と死の繰り返しなんて普通のこと。更には、ここは人と幻想の距離が一番近い土地。受け容れられる余地は沢山あるわ」
「輪廻転生、か。死なない私にはあるかどうか一生分からないものね。でも、どうして霧雨魔梨沙、貴女はその輪に永劫入ることの出来ない私が受け容れられると思えるの?」

疑問を投じられた魔梨沙はふと、何処かここでない遠くを見て、そして首元に手を向けて、それが喉に届く前に離した。そうして、少し経ってから、魔梨沙はぽつりぽつりと言葉を繋げていく。

「……転生は確かにあるわ。その証拠にあたしはその内の一回の記憶を持って生きている。そのために私は実の親にも受け容れられることはなかった」
「さっきの、二度目の生とやら……喩え話じゃなくて本当だというの?」
「そう。でもね、あたしが妹分にそれを明かしたら、それがどうしたの、お茶はまだ、って言われてね。その時に、他と違うことを知られることで再び否定されるのを恐れていたあたしが馬鹿みたいって気付いたのよ」

あの時から、少しだけあたしは自由になることが出来るようになったわ、と魔梨沙は言う。薄く笑んだ、その表情は、過去の自分を哀れんでいるようにも見える。
ここで妹紅は、先に感じた憐憫の情、その正体を理解した。

「ひょっとして……さっきの哀れみは、私を弱く見たわけじゃなく……」
「そう。自分で無理だと自縛している貴女が昔のあたしに重なって、可哀想に見えちゃったの。だから、お節介、焼きたくなっちゃった」

風が一陣、竹林にざわめきが走る。知らず、妹紅は自分の胸を押さえていた。優しい笑みが、三日月が、どうしてだか魔的な魅力を放って幾度も停まった経験のある彼女の心の臓を高鳴らせる。

「――恐れないで。きっと、あたしを受け容れてくれた幻想郷は、貴女を受け入れてくれるわ」
「私は……」

今更軽々と、孤独の覚悟を捨てる言葉を吐くことなんて出来やしない。しかし、頭は垂れそうになる。頷くように、妹紅の首は動こうとした。

 

「――――あら、駄目じゃない。それは私の大事な玩具。勝手に私の手から離れたところに持って行こうとしないで」

 

それを邪魔するかのように、高くから透き通るような声が、響く。その音を聞いた妹紅は勢い良く頭を上げ、赫々と瞳に焔を灯した。
空高くに在るのは、いと美しき人の形。和洋折衷な様子で袖にスカートの裾の余った上等なツーピースを着こなし、黒々とした長髪を広げ海月のように浮いている、そんな少女のことを、妹紅はよく知っていた。
そう、恨み深く積もり捻れて解けなくなるほどによくよく。

「輝夜っ!」

もう体力は残っていないが、それでもかき集めた力を溢れ出させて、妹紅は気炎を上げる。
しかし、そんな努力はあまりに矮小なものと、輝夜と呼ばれた少女は口元を隠しながら微笑んで、魔力とも妖力とも神力とも異なり全てに似通った力を急速に広げていった。
接近に気付くことの出来ない程度の存在だった少女が発するそのあまりの力の量に、蚊帳の外だった魔梨沙は思わず目を見張って驚く。
これは最近出会った大物達と比べても、単純な力量は上だろう。ひょっとしたら、師匠魅魔と比較しても遜色ないどころか、余裕を見せる底知れなさを思うにその天井すら超えている可能性があった。
だが、そんな驚きをさし置いて、つい口から出て来てしまう疑問は違うもの。それは、妹紅が口にした名前に端を発する。

「かぐや? ひょっとして、今は昔、竹取の翁というふ者ありけり、のあの?」
「ああ、そうだよ。間違いようもない。あいつはその輝夜さっ!」

妹紅は目つき鋭く睨み、魔梨沙は目を丸くして驚く。そう、魔梨沙が名前から当てたように、蓬莱山輝夜は、お伽話、赫映(かぐや)姫の主人公その人である。
輝夜の持つその美貌は、満ちきれない月の下で何よりも輝いているようにすら見えた。視線全てを迎えるよう手を広げた際に披露した破顔ですら、その珠玉に罅すら入れられない。

「ふふっ、永琳の想定も崩れることがあるのね。幻想郷の支配者たる妖怪達は倒され、残っているのは穢れた人間だけ。これでは私達の計画を止められる者なんて……」
「――――あら、月の異変はかぐや姫のせいだったの?」
「……へぇ。地上の民にしては、貴女、大したものね」

しかし、その美しさの多分を魅せている烏の濡羽色の髪は、強き力の奔流によって、跳ね上げられた。そう、怒り溢れさせた魔梨沙の魔力が、一瞬だけ輝夜の力を上回ったのだ。
真剣味を増した魔梨沙の視線は頭上の元月の民へと向かう。見下していた輝夜の茫洋とした焦点も、直ぐに合って、二人の視線は真っ直ぐに繋がった。

「妹紅、恨みがあるみたいだけれど、今回はあたしが代わりにやっつけてあげるわ」
「……やれやれ。私は何も分かっていなかったみたいだ。魔梨沙、あんたなら出来るだろう。輝夜にギャフンと言わせてやってくれ」

そして、隣で見上げ合う二人の意思も繋がって、そうして託された願いを叶えるべく魔梨沙は動く。ゆっくりと、夜空に向かって魔梨沙は杖を向ける。
しかし輝夜は宙に揺蕩ったまま動かずに。ただ、余裕を持って彼女は不敵に笑う。

未だ、天辺に月は輝いている。


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