第十二話 魔法使いの少女

原作版・皆に攻略される百合さんのお話

「はぁ……」

砂時計は逆さにすれば再び動き出すけれど、零れた水は戻らない。そんなこんなを、時間と共にぽろぽろ落ちてく命を参考に改めて理解しながら、あたしは秋晴れの下に曇った心を抱えて歩く。
指先一つ動かすのもおっくうな身体を、未だ死体でないのだからと気合いで無理矢理動かして、その結果よりとぼとぼとした歩みになる。お空を塞いだ雲を背負う心地で、あたしはしたばかり見ていた。
そんな様子のあたしを悲しげと彼女が採ったのは、当然のことだったのかもしれない。
それは絵肌にに染み出す下塗りの白。何もないはずの場所にどろりと当たり前のように現れた楠花ちゃんはこう言った。

「色々とお疲れの様子だねえ、百合」
「楠花ちゃん……」

普段から纏っているとげとげしい雰囲気をぽきりぽきりと折りながら、楠花ちゃんは微笑む。特徴的な唇の紅色といい、まるで優しげなバラの装いのようだとあたしは彼女を見上げる。
そして、そんな頭を持ち上げる動作ですらのろりとしていることに、楠花ちゃんはあたしの中身の大変さを透かして見たのだろう。少し痛ましい表情をしてから首を振り、彼女は言った。

「……ひょっとして誰かに、限界を言ったのかい?」
「やっぱり、楠花ちゃんはあたしがもう駄目そうだってこと、知っていたんだね」
「そりゃそうさ。死臭くらい嗅げなくて、妖怪は出来ないもんだよ」
「そういえば楠花ちゃんって鬼、なんだよね」
「そうだよ。まあ、厳密に言えば全く違うんだがね」
「そっか……」

楠花ちゃんは、思わずまもなくの死期を言い放ってからふようさんにまゆみちゃんどころか学校からも逃げ去ってしまったあたしを優しく認める。
これまで誰だってあたしの限界を知ったら常では居られなかったのに、人の死にほど近い彼女はあくまで不変だった。
違う、けれど同じ。人に忌をもたらす|陰に《おに》。はじめ、楠花ちゃんはあたしに自分を世界を食べるもののその先端だと自称していた。それが本当だったなら。
いやこんな美しい楠花ちゃんがスカベンジャーとはとても思えないけれど。それでも。

「ねえ、あたしが死んだら、楠花ちゃんはあたしを食べてくれる?」

そう、あたしは、せめて。あたしの肢体が最後に誰かの役に立って欲しいと身勝手にも思うのだった。
あたしなんて、美味しくないかもしれないけれど。でも。
手のひらを強く、握る。あたしだって、シーツに包まれるより意味のある生の終わり方をしたかったのだ。

「――――ああ、いいよ。本当に百合がそれを望むのならね」

そして、楠の鬼たる彼女はそっとてっぺんのお団子をはらりと解いて、そしてその尖った先端を披露する。あまりの先鋭ぶりにその角が掻いた空は界を欠く。
青の奥に宙の黒が刻々と。空間に罅を入れる程の突端を持った彼女はやっぱり人ではない。
でも、融けるように笑んだ彼女は、やっぱりどこまでも人でなしには思えないほどに情に溢れていて。そんなどこまでも優しい彼女にあたしはきゅんとするのだった。

「わわ、えまーじぇんしー!」
「わ、女の子!」
「はぁ……そうか。こうするとあんたが来ちまうんだねえ」

そうしてあたしと楠花ちゃんが向かい合っていると、その合間に瞬きの合間に唐突に現れた姿がひとつ。シャッフルされたカードは唐突にも二枚の間に現れる。
あたしよりは大っきな、でも稚気に溢れた小ぶりな少女は自身が常ではない出現を果たしたことに何の疑問を持つこともなく、そしてどこかあきれた様子の楠花ちゃんの周りになにやらぺたぺたし始める。
手から謎の光を出して、それを広げている様子の彼女は明らかに常識の範囲を超えた力持ちのようだった。あたしはぽかんと二つのお下げぴょこぴょこさせながらきらきら頑張る少女を見つめる。

「結界はりはり終わり! むぅっ……なかお姉ちゃん、人前で正体晒しちゃだめでしょー!」
「なんだい、ゆき。今大事なところだったんだけどね」
「むっ! まだだれも気付いてないからいいけど、なかお姉ちゃんがその角出しちゃうとわたしの魔法でも、特別ななかお姉ちゃんを隠し続けるの難しくなるんだからね! その角一度出したら結界魔法だって斬っちゃうとか尖りすぎ!」
「すまないねえ。なるほど魔法が解けたのを感じたから、こうして慌ててゆきが出しゃばってくれちゃったわけか」
「警告そのいちだよ! レッドカードになったら退場だからね!」
「あんたが私を退場させられるんなら、大人しくされてやるがね。おちびなゆきじゃあ無理なもんさ」
「むきー! なかお姉ちゃんのよこやぶりー!」
「けらけら。楠の鬼が真っ当な筈なんてないだろうにねえ」

ツインテールを艷やかに輝かせながら、ファンタジックを着こなす彼女。
明らかな子供が右に左にぴょんぴょんしながら、角を髪の括りで再び隠し始める鬼と対等に。喜怒に溢れたそんな近しい様子を見て取り、あたしは零す。

「えっと、楠花ちゃんその子、知り合いなの? ゆきちゃんって、言うのかな、こんにちは」
「あ、こんにちは……えっと、お姉さん?」
「けら。この子、少しばかり百合が同い年ぐらいに見えてたみたいだねえ」
「うう、あたしより、ゆきちゃんの方がちょっと大きいし……確かに、制服じゃなかったら高校生って気付かれなかったかも」
「お姉さん、高校生なのっ!」

中学生かと思ってた、と愕然とするゆきちゃんに、あたしは苦笑い。そしてちんちくりんな小学生にも及ばない矮躯をちょっと恥ずかしくも思った。
まあ、けれどもこれがあたしの精一杯。こんな程度でも頑張れば愛を示すことだって可能なのだから、充分なのだろう。そう思って、あたしは笑みを正した。

「あたしは日田百合。楠花ちゃんとはお友達なんだ」
「ゆりお姉さんかー、わたしは埼東ゆきだよ……って、そんな! なかお姉ちゃんにお友達なんて居たんだ!」
「けら。ゆきが私をどう見ているのかよく分かるセリフだねえ。後でまた鬼ごっこでもしてあげようかい?」
「それはやめてー」

あたしは仲よくていいなあと、瞬間移動しても影踏みで付いてこられちゃ勝てないよー、とよく分からない超能力者達のお話を聞いた。
きっと、ゆきちゃんと楠花ちゃんは深い仲なのだろう、遠慮無いそのかけあいはどこまでも微笑ましく、ついついあたしもえくぼを深めてしまうのだった。

「で、どうしてなかお姉ちゃんは一般人に角なんて見せてたの? 危ないよ?」
「けらけら。ゆきは百合が一般的に見えるのかい?」
「ううん。普通よりももっとよわよわに見える……」
「あはは……当たってるのが悲しいなぁ……」

弱くももう少しで死に負けそうな、あたし。薄化粧で誤魔化してはいるのだけれど、やっぱり分かる人には死相が分かってしまうのかもしれない。
小さな一歩をあたしに寄せてからゆきちゃんはじろりとあたしを見て、言う。

「でも本当に淡いというか薄いね。美人薄命って聞いたことあるけど、どうしてゆりお姉さんはこんなによわよわになっちゃってるのに病院にいないの?」
「それは……うん。意味が無いから、かな」
「そんなにどうしようもないの?」
「まあ、ね」

頷くあたしに、流石に察したのか理解の色を浮かべるゆきちゃん。そして、彼女は身に纏うロリータのフリルを棚引かせて、それこそ互いのまつげの一本一本を見通せる距離まであたしに近寄ってから言った。

「そっかー。ならわたしが治してあげようか? えへへ。実はわたし、魔法使いなの!」
「えっと……うん、なんとなく凄い力持ってるんだな、と思ってたけど魔法って素敵だね。うん、もし出来るなら治して貰えるとありがたいけど……きゃ」
「ようし、はじめようかな。わ、ゆりお姉さんきゃしゃきゃしゃだー」

言うが早いか途端にあたしに抱きつくゆきちゃん。彼女は全身から七色を変遷させて瞬く、ほわほわとした熱を持った光を発してあたしに触れさせた。そしてその温かみはあたしの中に落ち込んで、やがて弾けるように消える。

ああ、やっぱり駄目だった。

「あれ? おかしいなー」
「はぁ……無理だよ」
「えー? なかお姉ちゃん決めつけないでよ。もっとやってみないとわかんないじゃん!」
「無理なものは無理なのさ。律の側同士じゃ相性が悪い。そもそもお前さんは壊す方が得手だろうに。というかゆき、そんな汚い手で百合に触るんじゃないよ。それは私のもんだ」
「わあ」

整い顔をむっとさせて、楠花ちゃんはゆきちゃんからあたしを取り上げる。
ひょいとつまみ上げられたあたしは両手足をぷらーん。親に運ばれる子猫の気持ちになって、つい両手を少しばたつかせた。
そんな無力なあたしと力持ちな楠花ちゃんを見たゆきちゃんは含み笑いを漏らす。

「ふーん、へーぇ。ほーおー」
「なんだい。何が言いたいんだい?」
「いや、なかお姉ちゃんは本気なんだなって思っただけ!」
「そりゃそうさ。百合のためならあたしは何だってしてやるよ」
「おおっ、それはそれは……ゆりお姉さん!」
「な、なに?」

勢いよく向けられた水に慌てるあたしに、ゆきちゃんはにこにこ。
走る飛行機雲をバックにして、少女は機嫌よくステップを踏んだ。
やがて酷く嬉しそうにして、幼気な彼女は少し残酷な言葉を口にする。

「残り時間は少ないだろうけど、その間なかお姉ちゃんをよろしくね!」
「えっと……それはもちろん」
「わあい、あつあつだー!」

お友達と仲良くするのはあたしの当たり前。最後まで楠花ちゃんと一緒にいるのはとっても望ましいことで、別に関係の熱がどれくらい高くても問題はないのだけれど。
ただ、ゆきちゃんはちょっと勘違いしていそうな気がしないでもない。その証拠に、楠花ちゃんはむっとしている。
でも、それでもいいかとも、思った。あたしは今ちょっと投げやりだ。
囃し立てる子供のルビーの瞳に覗かれて、あたしは微笑む。

「ふふっ、世界を守る理由がまた一つ増えたよー」

そうしたら、ゆきちゃんはそんなことを言って、満面の笑みを見せてくれた。へにゃりと、優しさに歪んだその表情は、あたしなんかよりよっぽど愛らしい。

それを見て、あたしはこの魔法少女が純粋なまま幸せになって欲しいな、と思うのだった。

 

「ふんふ~ん♪」

ひらりひらりと所作に合わせてレースは踊る。それを楽しみにしながら、稚児は戦地を演技場にしてステップを踏んだ。
耳朶に遠く聞こえる時代遅れのコッキング音を余所にして、多くの銃口を向けられている少女は鼻歌でメロディ奏でて上機嫌。死地にて幼体は呑気を披露し続した。場違いにも、パステルカラーを身に纏いながら少女は笑み続ける。
勿論それは、無知がための命の投棄が故のことではない。己の頭蓋を軽く吹き飛ばして余りあるライフルの威力から、彼女は旧い銃火器よりも尚古い技術にて守られているからだった。
そんなことを重々知っている敵手は容赦などしない。トリガーは、ほとんど同時に引かれた。

「おお、うるさいなあ」

そして、無慈悲にも幼子へ向けられた十字砲火は、《《魔法》》に阻まれ金属の花と散華し消える。陣と力のせめぎ合いの花火を少し面白げに見ながらも、しかし防ぎきれなかった騒音に少女は嫌な顔をした。
彼女は|埼東《さいとう》ゆき。名前で分かるように日本生まれであり、テロリストが栄華を誇る海の外のこの地にはあまりに似合わないあどけなさを纏う少女であった。
ゆきは慌てて近寄る暗色達を見て微笑み、そして彼女は星の光を集めたかのような輝きで出来た巨大なハンマーを両手で振りはじめる。
ぐるりぐるり、まるで少女はバトントワラー。そうして光を充分周囲にばらまいてから、ゆきは言った。

「えーい、とーらすぱんけーき!」

その声と共に現出したのは、円環のふわふわ。それはまるでドーナツの似姿のよう。ただそれは巨大だった。あまりに巨大だった。
中で足掻くことすら許されない大質量は、ゆきの周囲ばかりにぽっかりと穴を空けてはいるが、それ以外の周囲の戦地全てを埋め尽くしている。
あれほど散会していた敵は埋もれてどこにも姿はなく。そう、砂糖と小麦ばかりに埋もらしてその場の命の殆どはゆきの手により息の根を止められた。
その結果をぱちぱちと大きな紅いおめめで認め、少女は笑う。

「はい、これでお終い! 皆けーきに食べられるって素敵な経験出来て良かったね!」

そうこの甘い匂いばかりの死地の創造は、ゆきなりの慈悲だった。それは圧倒的な存在がする遊び。つまらないものを美味しそうに飾り立てることなんて、なんて優しいのだろうとゆきは無垢にもそう思う。
少女は弱い敵の心などは分からない。踏みにじるだけのアリの気持ちなんてどうでもいいのだった。
そして彼女は後はこの糖分過多な大地を腐るに任せて放って空を行こうと彼女が重力から上手に魔法で縁を切ろうとしたところ。

「……あいかわらず、えげつないねぇ」
「なかお姉ちゃんほどじゃないよー。なかお姉ちゃんったら自身の一部をちょっと出すだけで一体更地にしちゃうんだから」
「けら。気付いたら潰しているのと、そこにあるからと踏みつけるのじゃ、大分違うさ」
「一緒だよー」

隙間を縫うのはあやかしの当然。知らない間にゆきの目の前、ぬくぬくパンケーキの上に立っていたのは楠花だった。
その内にこんな人殺しケーキどころではない質量を秘めながらも、彼女は気泡に富んだおかしの表面へこませることすらなくゆきの視線を通いその上をゆるりと歩んだ。
そうしてふわりと浮かんだゆきの前まで行き、楠花はそのまま語りかけた。

「ねえなかお姉ちゃん。わたしって何か悪いことをしてるの?」
「そりゃ悪いさ。同族殺しなんて最悪だ。世界から《《おっこっちまう》》ことを恐れて侵略行動を起こしたテロリスト相手とはいえ、あんたがしてることはとんでもないことだよ」
「そっかー」

メインストーリーは終わっている。ならば、この世は不要。自分たちが何時消えて無くなってもおかしくないそのことを、重要度の少ない世界の端っこの人たちは隣人の消滅によって思い知っていた。
だから、消えゆく世界からふるい落とされることを嫌って自己証明するかのごとく非道を行った彼ら。
それを律する側であるゆきは問答無用で斃した。世界平和のためと思い。それは、明らかにいいことではないだろう。諌めるべき、悪だ。

「けら」

だが、鬼は笑う。けらけらと。奇々怪々にも。

「だがそれがどうした。誰だろうと足の裏は悪だらけ。生きることは最悪さ」
「うーん……そっかなあ?」

立ち上がることは、踏みにじること。遠くを望むことは真下を見ないこと。そんな全てを総じて下らないと楠花は言うのだった。
もちろん、そんな経験則による世界の判断なんて幼子には分からない。首を傾げるゆきに、楠花は冷たく続ける。

「分からなくていいさ。ただね。そんなこの世をすら踏みつぶして笑うだろう私だって大切にしたいものくらいある」
「っ、わ」

そして楠花が瞳を開けたそこには、洞が見えた。ゆきは思わず少しだけ引っ張られて、魔法の維持を損ねる。
全てを食みかねない最悪の存在と繋がる彼女ははっきりと悪。だがそれでも彼女は人を愛していた。ただそれだけの、ことである。
そして、たった一輪の萎れかけの花を守るために、鬼は魔法少女に本気を飛ばす。

「百合に手出ししたら、ゆき。――あんただって潰すよ?」
「はーい」

答えはイエス以外にあり得ない。どう足掻いたところで、人は鬼に勝てない。バグの集まりである魔法使いだろうとそれは同じ。だから今だけは恭順の意思を示してこくり。
そして空からのそんな言葉の嘘っぱちをすら楠花は覗いて、笑うのだった。

「けらけら。従う気はないか。まったく、どいつもこいつも、最後は私の染みになるんだけどね」

けらけらけら。そう哄笑を続けて、嘘のように幻想はかき消えた。

「ふふ。楽しみだなあ」

そして、残った魔法少女は一人ふふふと含み笑い。
ゆきはどうしてだか尖ったものが昔から大好きだった。そして、彼女はその極み。
愛おしい楠花に本気で|殺し《愛し》て貰えるなんて、その身の染みになることが出来るなんてどれだけ幸せなことなのだろうと、思う。

「それのためには、あの死にかけを壊そうとするだけで、いいんだね」

罪悪滔天。赤い空に赫々と、口元は弧を描く。
そう、魔法使いの少女は何時の日か世界を呑み込む鬼と対峙することを夢見るのであった。


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