第三十三話 貴女と私は違うから

マイナス百合 マイナスから目指すトップアイドル

人影数多ありながらもすれ違うばかりの、一面。
地べたを通う誰もが互いに意識していないかと思えば避け合うことばかりは皆上手であるから不思議だ。
せかせかした足の動きに、思わずつられそうになる心地を、彼女はスモークガラスの奥からじっと堪える。自分が同じでないことに焦るのは良くないことに違いないからと少女は思って。

「どうしてこうも皆、違うんですかねぇ……」

東京、という土地はどうも田舎育ちの百合には慣れがたいものである。
都会という、過ぎるばかりの者が多くある地。そんなすれ違いに倣うようにした住人もよく都会の人は冷たいなどと呼ばれることもあった。
決して、百合は人々に温もりがないなんて思えない。ただ、それでも向き合う方向が異なればこれだけ数多の中で一人凍えてしまうことだってきっとあるのだった。
そんな妄想とも言える予想に、無駄に優しげな心を持つ百合は一人痛む。

「違わないよ」
「ですぅ?」

しかし、都会っ子もいいところであり孤独に育てられたようなところすらある中井裕太は、車のリアドアに頭を預けてメランコリックな様子の百合のために首を振る。
彼にとっては百合以外の人間は蟻の群れに似た。
ひょっとしたら、幼少から始まった不信のための人生なんて語るべきではないと決めてしまった彼はもう、彼女以外の人をろくに想えないのかもしれない。
だが、そんな寂しげな顔だけ良い男であっても大人であるからには愛も理想も知っているのだ。
百合のために笑んで、バックシート隣の彼は大きめな目を細めてから足を組み替えて続ける。

「命のために活きている彼らには、そして僕もだけれど……揃って百合ちゃんみたいに命を賭けられるものがない」
「そー……ですかぁ? 皆頑張って、それぞれ違った色に輝いていてぇ……」
「うん。でも等しく輝きでしかないからこそ、物足りない」

裕太は百合に、そう断言をする。
地獄の少女から見れば、現世なんてキラキラ瞬く天上の世界でしかないのかもしれない。
だが、そもそも光の下に生きているその他大勢にとっては、星の明かりすら時に感ずるに値しないものだった。
忙しなさに最近伸ばし気味の前髪を気にしてから、マネージャーはアイドルにこう事実を告げる。

「きっと、僕らには身勝手な命の炎すら忘れさせるような本物の太陽が、必要なんだ」
「ユータ、さっきから意味不明ですぅ。ポエムるんだったらお家でどーぞですよぉ」
「あはは……そうだね、分かり難かったかな? まあ、簡単に言えば……」

百合から身内向けの辛辣を向けられて、裕太は苦笑する。
内弁慶気味なツンデレ少女は、しかし実のところこの人何か変なものでも食べたのかなという心配から首を傾げているのが難儀である。
百合だってポエムることはそれなり以上にあるというのに。
まあ、曖昧で格好付けた物言いをした年頃の男は、詩的という指摘に頬を若干紅くしながらそれでもあえてそのまま続ける。

「あのカシマレイコ――炎の剣/空亡――をかき消す炎なんて、百合ちゃん――地獄――しかありえないっていうことだよ」

言い、裕太は、直近の騒動を想起する。
思い浮かべるのは百合と共にニュースで知った、空の下とした天使のライブ会場の崩壊事件。
人死にが出なかったことが幸いとされたそれに、カシマレイコが一枚噛んでいた上に、全ての驚きと評価を結果的に持って行ってしまったのだから恐ろしい。

踏み台にされたのは、片桐朝茶子。あの、天国の存在であるとすらされた、万人平伏させるに足る美でもカシマレイコは破れなかったのだ。
むしろ数日前のそんな事件となる程の頂上同士の接触を忘れたように、今日は予定通り余裕を持ってレイコの部屋という番組に百合を呼びつける始末。

「ふふ……緊張することはないさ」

新星達を次々潰している。そんな、カシマレイコに元々あった悪評を彼は思い出す。しかしそれでも我がアイドルのマイナス的な素養を信じる裕太はあくまで余裕の笑みで。

「ですぅ……」

だが、百合はそんな彼の様子の裏に酷い焦燥を見つけていて、返事を濁しながらもずっと彼を思いやっているのだった。
そう、彼だけでなく誰もが本心では町田百合はカシマレイコと並べるには格が落ちるものと感じているために。

「百合は負けねぇ、ですよぉ?」

勿論、百合本人はそんな皆の《《勘違い》》に首を捻るばかりだったのだが。

 

レイコの部屋、というのは生放送でカシマレイコがゲストと一対一で行うフリートーク番組である。
台本無し、話題の提供もゲスト任せという無法振りであるが、それも全てを取り仕切るのがカシマレイコという役者どころか監督までこなせる傑物であるからか。
多くの視聴者が週に一回の放送を心待ちするこの番組は、アイドル達の登竜門としても有名だった。
曰く、レイコの部屋に呼ばれないアイドルは大成しない、この番組での振る舞い次第でその者のアイドルとしての先行きが左右される、等。

畑違いの役者や芸術家なども多く呼ばれる番組ではあるのだが、やはり今の世の流行りでもあるアイドルが登場する回は視聴率が違う。
故に、多くの者がレイコの部屋へのアイドルの出演を望むのだが。

「潰される、ですぅ?」
「うんー。百合ちゃんなら大丈夫って思いたいけど……」
「……レイコの部屋に三回も呼ばれた稲センパイがどうしてそう思うんですぅ?」
「あたしはあのヒトにとっては敵じゃなかったけど……でも百合ちゃんはさー」
「そうですねぇ。私はアレの|天敵《ライバル》ですぅ」
「でしょー」

何に対してであろうと、事前調査は当然。普通に真面目ちゃんなところのある百合は、年下先輩の高遠稲に先日オファーのあったレイコの部屋について聞いていた。
先に、名誉ではあるよ、との前置きがありながらもしかし稲は百合がカシマレイコと対面するのを望まない。
それは、あのカシマレイコが敵対者に容赦するような存在でないことを彼女が肌で知っているからだった。

これまでは、出演番組を絞っているらしいカシマレイコと百合との遭遇はなかった。
だがしかし、初対面がよりにもよってあの妖怪女のホームとなってしまっている。
これは、以前ドームで百合が四天王を倒したのより更に難度が上がるだろう。それにトーク番組であれば、単純にただ度肝を抜けばそれでいいというわけでもない。

「あたし、片桐さんみたいに成って欲しくないよ」
「朝茶子、ですかぁ……」

劣化のないものなど不自然どころか万物に対する道理の敷かれたこの世にあり得てはいけない。
しかし、それでもそこにあってしまうというバケモノがカシマレイコ。

それには、その声と顔の形の複製ですら世界中から愛を奪ってしまえる程の美そのものである片桐朝茶子ですら、敵わなかった。
そう、過日に天使の起こした混乱を見たカシマレイコは、崩壊した客席から唄い踊って世界を犯しかねない程の勢いがあった争いの階全てを鎮めて朝茶子を恐れさせている。

『あたし、あの人すっごい怖かったー……』

百合も、ひとでなしの少女が妖怪を恐れて震える様子を電話越しから聞いていた。
知らず、緊張に百合の喉が鳴る。

「百合ちゃんのせんせーにケチ付けたのもレイコさんだし……あたし百合ちゃんが酷い目に遭うの怖いなあ」
「ですかぁ……」

田所釉子。アイドル名YOU。
百合がアイドルの何たるかを教わった先生である今は亡き彼女は、カシマレイコに肉薄した唯一のただの人間。
化け物じみた個性たちの中で、唯一最後まで折れず曲がらず鍛え上げ続けた、努力の人である。
そして、そんな至高のアイドルだからこそ期待したカシマレイコ直々に、彼女は心を折られたのであった。

――――一人ぼっちは寂しい、からね。

百合にとっては、先生はそんなある種の真理を教えてくれた人でもあり、胸元の温かさの原因でもある。
また、彼女が孤独に成った最大の原因であるカシマレイコを恨む気持ちが百合にはあった。

「まあ、でもぉ……」

だがしかし今の段に至って彼女はそんなことを気にすることはない。
目指すトップアイドル像を明確に持つ百合は、崇められたり馬鹿にされたりしながらも、それでも。

「百合がどーとか、どうでも良いんですよぉ。ただ百合は、私は……皆にキラキラしたものを届けてぇって、それだけですからぁ」
「……そっか」

その実彼女はただ輝くこの世の全てに、輝きで持って恩返ししたいとそう願っていて、そればかりだったのだから。
ただ、流行りだからと子役の後にアイドルをはじめただけの稲には、そんな百合の様は少し眩しくも、遠く感じられて。

「頑張ってね」

とはいえ、それがある種の尊さから来ていることを知る稲は、百合の行く末が更に光り輝かんことを手を組み合わせて願うばかりだった。

 

さて、カシマレイコという存在は明らかにこの世ならざるものである。
発生源はとある世界の日本にあった、その存在を知っただけで呪われ、問いかけに答えられなければ体の一部を奪われてしまうという恐ろしき怪異の噂。
最早あり得てはいけない呪わしきそんな存在は、当然ながら嘘である。
虚構であり、あるはずないと切って棄てられた、悪意と呪いの塊の怪異だった。

【あは♪】

だが、それがゴミ捨て場から知らない間に堕ちて、真っ逆さま。
その後一体全体ひっくり返った様子で異なる世界にぴたりと当てはまってしまえばどうだろう。
存在を知るだけで祝いになる、唄えば心を奪われてしまう、そんな神のような偶像となってしまうに違いなかった。

【夢は、叶うよ♪】

当然、そんな代物は見つかるべきではなかったが、奇しくもアイドル黎明期においてマネージャー、遠野幹彦に認められて広められてしまう。
カシマレイコという呪いの反転存在は瞬く間に世界中を席巻する。
よって、祝いに包まれたこの世はある意味で救われ、めでたしめでたし。

【私はアイドルの引き立て役に、なりたいのに】

もっとも、全ての大本である《《仮死魔霊子》》ばかりは救われていないのだが。

本来、お化けなんて平凡平和を大切に感じるための引き立て役。
それがこんなに大事にされて、愛されて。それが嬉しくないこともないのがカシマレイコの心に突き刺さる。
そう、カシマレイコは真に、本来の自分と真逆の人を存在するだけで幸せにする、光り輝くアイドルという偶像を信じていたがために。

そして、今日もテレビ等を媒体としてこの世に祝福が行われる。
視聴率は、当然ながら九割に迫る。アンチですら目を離せない、その正体が怪異であるとはこの世の誰も知らなかった。

「ふぅ……さて、視聴者の皆様、レイコの部屋へようこそ」

その見目は人を怖気立たせるに足るほどの、人外の美。
整いを窮め尽くして、それでいて印象にはあの朝茶子とも異なる幽玄をも保持していた。
また、一言には尽くせぬ慈愛が籠もっており、特に音波弄る小細工なくとも聞く人を惚れさせるには十分。
これが歌って踊って、愛を語ってくれるのだ。それが、どんなあり得ない程の幸運であることかは、この世の多くの人達が分かっていた。

「今日のゲストはアイドル界の話題を席巻する彗星の如くあらわれた彼女……彼女はきっと一度その歌声を聞けばもう忘れることはない程の《《アイドル》》です。さて、それでは、どうぞ」

しかし今回、ゆっくりとカシマレイコがその紅の唇を動かし語るその様子には、どうも熱が籠もっているものと慣れた多くは感じる。
端末前の皆は、勿論今回のゲストが誰かは知っていた。それが、レイコにしても無視は出来ないだろう歌唱力を持っていることも多くは察しており、いいライバル関係が見れるのではとの期待もされている。

だが、これはどうもそうではないのか。
まるで、ファンがアイドルに対してするような、媚を覚えた視聴者達に、しかし生放送番組は止まらず流れて。

「失礼するですぅ」

黒と眼帯を、自らのゴシックロリィタファッションと纏めた愛らしい矮躯が裾から訪れる。
ツンデレ、ギャグキャラ、しかし歌は本物。そんな評価の新人にカメラは注目し、そしてカシマレイコの隣の席に座すにあたって二人が揃った。

「いらっしゃい、町田百合さん」
「そうですね、いらっしゃってやったですよぉ。カシマレイコさん」

カシマレイコの微笑み。それに誰もかもが絆される中、しかし百合だけは気にせずにむしろ口だけで嗤い返した。
普通のアイドルならば本番で逃げ出すことすらある程の大物であり美そのものであるレイコに対しても好戦的なその様子に、よくも悪くも視聴者達の評価が上がる中、しかし妖怪は全てを気にも留めない。
ただ、薄く様子を見ながら、むしろ親しみから彼女はこう告げた。

「ふふ……さん付けなんてつまらない。百合さんなら特別に私のことはレイコ、でいいですよ」
「ですかぁ。それじゃあレイコ。一つ質問ですぅ」
「何でしょう?」

言われて遠慮なく、本当の年齢幾つかもわからないバケモノに対して、百合は呼び捨て。そして、拙速にも彼女は彼女へ問う。
そんな唐突に、しかし予定調和を覚えながらレイコは首を傾げる。

そして百合は今も地獄の一部だからこそ、こう言った。

「どーして……あんたは世界を壊さないですぅ?」

変わろうが本質は呪いそのものなのに、救いに成りたがるなんてどうしてか。
百合はそればかりが疑問であり。

「それは……どうしてでしょうね?」

逆に、全てを理解しながらもカシマレイコは己に問うようにした。

「なるほどぉ。つまりあんたには、出来ねぇんですかぁ……」

それを見た百合は全てを察して呟いて。一度彼女の方を向いてみれば。

「そうね。《《アイドル》》の、貴女と《《私》》は違うから」

人として神とされているカシマレイコの燃え盛る瞳と、真っ直ぐに向かい合ったのだった。


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