第十三話 これでもぉ

マイナス百合 マイナスから目指すトップアイドル

「はぁ……どうしてオレったら、こんなに面倒なことばかりやらされるかねぇ……」

中井裕太は昨今流行りのアイドルマネージャーになって日が浅い男性である。
もともと手足の長さが自慢の彼は男性アイドル志望であったが、事務所に所属し年若くして重く下積みをさせられることに耐えられず、一度夢を諦めていた。
しかし、アイドル界の端っこでしばらく波濤に耐えた経験はそこそこ貴重とされ、今の芸能プロダクションにコネクションで入社。

すると器用貧乏という珍妙な才能を上司に見出され、最初は事務員でしかなかった裕太の立場は次第に向上。
いや、むしろ無理と断るべき経験を強引にさせられることで、何でも屋として扱われるようになった。美術スタッフ代わりに臨時トレーナー代わりに、その活躍は八面六臂。
そして、アイドル部門にて認知されまあ彼ならそろそろいいかとなってマネージャーという業務を任されて、ふてくされる今がある。

「戻りたくねぇ……」

ロケ弁慣れした彼にしては珍しくも昼食を外で摂ってから、残りの休み時間を頭の奥で考えつつも足は勝手気ままに外へ外へと伸びる。
それは、裕太が休憩時間を困った上司達となるべく一緒したくないからだ。
何しろ、放っておけば必ず自分は誰彼の専属マネージャーに成れとせっつかれてしまう。
勿論、今を輝くアイドル達のためになれるなんて、それはアイドル崩れ程度には過分に名誉なことであり、キャリアを考えても望ましいのかもしれない。
だが、現在大勢のマネージャー達の間で調整に励んでいる裕太はこうも思うのである。

「あんなん、キツすぎて死ぬわ」

そう、単純に人一人背負うなんて裕太という小細工ばかりが得意なだけの男のキャパシティーを超えるものだった。
彼自身はアイドル達に変に評価されて好かれがちではあるのだが、とはいえ期待が重すぎる。
裕太はさらりとアイドル史のいち部を雑に諳んじた。

「あのバケモノアイドルのマネが凄まじかったからとはいえ、アイドルと企業とかの調整窓口、全部マネにやらせることになったってのはやり過ぎだろ……アイドルとマネの二人三脚が慣例とか、狂っとるわこの世界」

そう、この長身の男は甘い顔立ちに反して、このように現状に対して塩辛い思いを持っている。
アイドルに話を通すなら何でもマネージャーにね、なこの世界の常識。それをこの職に就くまで当たり前と思っていた自分を彼は今憎む。
いや、この仕組分かりやすくて便利だよなとは、彼も下っ端時代は思っていた。しかし、その分かりやすくて便利な存在になるのは中々に大変なもの。
裕太が二の足を踏んでしまうのも、仕方のないことと言えた。

「どうしようかねー……」

とはいえ、何時までも足踏みしながら現状維持なんていうものもつまらない。
赤信号に停まりながら、車の流れを気にしつつ、彼は空を見上げた。
昼過ぎの今、薄い雲の白は青に映えてベールのようで中々に綺麗である。だがしかし、その中心で燦々と輝くアレに敵う美など本当にあるのだろうか。
負けて終わって、それを引きずり続けている彼は陽光の下に思わず呟くのだった。

「そもそも……もう勝てない勝負、する気になんねぇんだよな」

身の程知らずが空を目指すのは、何もおかしいことではない。しかし、大人である彼が無思慮に誰かを空に飛ばそうとするのは、問題だ。
そして、必ず折れるだろう翼を鍛える気持ちも彼にはなく、故に裕太のやる気には何時だってブレーキがかかる。

【夢は、叶うよ♪】

だって、この世には天上にどうしようもないものが存在していて、全てはそれと比較して輝きを知る程度。
アイドル、偶像。その中でも神と同じく扱われている、日本に生まれた現役アイドル。それに一度ならず心奪われたことがある身であったとしても。

「あの女、早くアイドル辞めねぇかな……」

それは成り上がりたいものにとっての、でっかいたんこぶであるには違いない。
美の限界値、理解のボーダー。そんなものがずっと夢は叶うよとほざき続けているのだから、世にアイドル志望なんて掃いて捨てるほど出てくる。
そして、その全てが太陽には敵わずに溶け落ち挫折しているのだから、恐ろしい。
またそんな現実を知っても、挑み続ける者共の無謀もまた怖く、そしてその中のひとりであった自分が裕太は大嫌いで。

「どっかに、あれを超えた……それこそ天国とか地獄的な子でも居ないかねぇ……」

だからこそ、現実逃避のようにそんな夢想だってしてしまう。男の足は、青い信号に前に進んだ。
だがそもそも、自分で口にしておいてよく分からない。天国はあれを美的に超えれば良いのだと無理だろうとも分かるが、地獄とはどういうことか。
不細工で傷つく程あの美の化身は脆くもなく、ならば。

「あれがこの世の良しなら、むしろとんでもないこの世の悪性ってか? いや、悪性アイドルとか意味分かんねぇな……」

癖で頭をゴシゴシ指先で擦りながら、裕太は自分が疲れているなと思う。良いとか悪いとか、そもそもアイドルに使うものだろうか。
だがそもそも、二十年近く崩れないあの美のおかしさに、敵うものなんて想像の中では存在しないのだ。
だから、どうしたって可能性はどこまでも夢想的。でも、普通に考えれば。

「この世にはあの、《《カシマレイコ》》に敵うアイドルなんて、居やしねぇよ」

そういうことで決まっていて、この世は終わって停滞してしまっている。
だから、それを崩したくとも、人界の努力では無理。アイドルの全ては、カシマレイコのための肥料とは、誰が放った言葉だったか。
裕太は仕事としてだって、最後は負けるだろう相手を負けるまで燃えさせるなんて徒労をしたいとは思えないのである。

「はぁ……そろそろ、戻るか」

故に、燃え盛り続けるアイドル人気とは異なり、裕太のテンションは今日も低調。
踵を返した、その足にも力はない。肩は落ち込み、視線は自ずと下がって地べたを見つめている。これが昔アイドルを目指して燃えて、燃え尽きたのだから笑えるなと彼は思うのだ。
でも、そんな中にて意気を継ぐためにも顔を上げることだってあったから。

「……ありがと、ですぅ」
「はぁ?」

その、天に届かない、でも何より重要な笑顔に気づけたのだった。

眼帯が多分に隠していたそれは、軽薄ではない、黒に乗っかった精一杯の白。でも、背景を含めてそれがあまりに際立って見えたから。

「アイドル、ですぅ?」
「そうだ。キミならきっと、輝ける」

そう、これが空にて輝けるのは違いないのだ。そして、彼は輝かせてあげたいと思ってしまった。
面倒とか勝てないとか、そんなことどうでも良く、ただこの子は間違いないと裕太は思う。
彼が必死に言葉を操りマネージャーとしての肩書をスカウトに用いてまでした勧誘の結果は。

「えと、考えておく、ですぅ……」

しかしそんな曖昧なものだった。

 

エムワイトレーニングセンターは、実のところ決してアイドルスクールという訳では無い。
ダンスや歌唱をも教えられるトレーニングセンターであり、それ以上でもそれ以下でもないと代表たる与田公平は語る。
だが、看板トレーナーの元アイドルである与田瑠璃花を筆頭に芸能関係の人物が多く、このアイドル全盛期に有力なアイドルを多数輩出することを暗に求められていた。
もっとも、コネクションで巣立たせ、実力の足りないアイドルをむざむざカシマレイコの餌食になどさせたくはない瑠璃花は、それぞれがオーディション等で自ら羽ばたいていくことを推奨している。
実際、このトレーニングセンターでも出色の存在であった吉野友実も、自薦のオーディションに落ちた経験は片手では足りない。
そもそも、需要と供給のバランスが崩れきっている現状、芸能事務所が選択するというのが当たり前になっているから、スカウトなんていうことはまず起きることではなかった。

「オーキッドプロダクション、ねぇ……」
「ですぅ」

だがしかし、眼の前のゴスロリツインテールは自分がこの大手プロダクションからお声がかかったのだと話す。
これには、百合にも最近実力が付きはじめてきたと内心喜んでいた瑠璃花も、今度は驚きである。
一旦考えておくと言ったらしいが、可愛い教え子が、報われるかもしれないということは勿論喜ばしい。だが、やっと整ってきた程度の現状でこの子は足りるのだろうか。
それこそ、あのトップオブトップに比肩するトップアイドルにこの子は到れるのか、瑠璃花はずっと不安だ。

ああ、この子は何しろ大切なライバルが遺した、唯一の愛の形。そして、たったひとりの弟子だ。
そんなものを、大切に思えないなんてあり得るだろうか。最低でも、瑠璃花という女性は情が深いこともあり百合を過分に大切に思えていたのだった。

「いや、まあいいトコだよ。どうして百合が目に留まったかが分からないが……うん。選択肢としては、アリだ」
「ですかぁ……」
「なんだい……さっきから、言葉少なだね。何時もの減らず口はどうしたんだい?」
「ふん、おししょーの額のシワほど百合はうるさくないんですぅ」
「そりゃ、一言余計で怒らせるあんたが悪いよ……ったく」
「わわっ、ほっぺ引っ張るのは止めるですぅー」
「よく伸びるねぇ……」

百合のもちもちほっぺを弄びながら、瑠璃花は少女の緊張を思う。
瞳隠しているから何もかもを騙せているとこの子供は勘違いしているようだが、それは間違いだ。
態度に出るとはこのこと。不安はハの字の眉でよく分かるし、身体の力の入り具合が何時もと違いすぎる。
百合の緊張は明らかで、それにはいろんな要因があるだろうが、瑠璃花はこうだと思い込みたくて、だからそれを口にしてみる。

名残惜しげに頬から手を離して、瑠璃花は言った。

「何、慣れたトレーニングセンターから離れるのがそんなに不安かい?」
「それはぁ……ですぅ」
「大丈夫さ。どんだけあんたが離れようとも、私の心は離れない。きっと、いや、絶対?」
「どっちなんですぅ……全く」

そして、赤くなった頬を撫でている愛弟子は、実際自分を居場所として大切に思っているようであるから、瑠璃花も嬉しくなってしまう。
なるべくこの子の不安を取ってあげようという考えもあり、ふざけて笑んでそして。

「大丈夫さ」
「わぁ……」

優しく、彼女は少女の頭を撫でる。何時もみたいに汗に濡れていない頭はふわふわ跳ねて、天使に触れているような気持ちにすらさせた。
だがしかし、実のところ百合は人の子でしかないと瑠璃花は知っている。少女は強くて弱い、そんな子だ。
故に、彼女は面談室にて二人きりの今、伝えておきたい小っ恥ずかしい本音だって言えてしまうのだ。

「真面目に約束するよ。あんたは夢を叶えられるし、私はあんたのための居場所を保ち続ける。だから、行っといで」
「えっと……」
「そりゃ、不安な気持ちは分かる。でもさ、私はずっとあんたが好きさ」

それはそれは、優しい音色。マッチョおばさんと陰口叩かれる瑠璃花とて、心に柔らかいところは持っている。
それでもって、大好きな弟子を撫で擦るのは楽しみでしかなく、故に一歩彼女は踏み込んで。

 

「――――これでもぉ?」

「あ」

そして、地獄の前にまで瑠璃花は立ってしまったのだった。

ズレた眼帯から覗く黒。そして朱に赤に紅に赫赫。全てが間違いなく間違っていて、情が入る余地なんてなく罪悪であり、それらを飲み込んだ罰こそが地獄の故。
それを愛していた形が覗かせる。じろりと、この世にあってはならないものをひけらかし、端末はにこりと歪んで。

「ひぃっ! あ、きゃああああああ!」

それが、愛していたものだということを忘れ、瑠璃花はその場から逃げ去る。
だが或いは、それが百合という名の地獄の蓋と理解していて攻撃だけはしなかったことこそ、亡くなった愛の証明だったのかもしれない。
彼女は怖くてそればかりで、振り向くことすら無かった。

「……よし」

狂乱は駆け抜け、開ききった扉を前に冷静に眼帯を戻した百合は。一つ息を吸って。

 

「やっぱり、アイドルは諦めましょう」

そんな、言葉を漏らすのだった。


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