あたしにとって、いい子ちゃんというさぞ立派そうな人間さんの皮を被って生きようとするのは、当たり前だった。
何しろあたしったら、若者のなんとか離れじゃないけどちょいと人間離れとかしちゃっているものですから。
だってさ。思い返しても幼児が怯えたわんころに噛まれても痛えで済まして次の日また尻尾を追いかけてるとか普通ないでしょ。
まあ、それはあたしが土佐犬の咬合力だろうが中々穴開けられない凄いね人体しちゃってるせいなのだけど。
ただ、そんな異常な身体に結構な能力が伴っちまってたのはダメだったねえ。皆の苦労がふざけてるようにしか見えなくて首を傾げてばかりだった。
だから、そんなあたしにゆーあいとか言う首輪をつけて人間から外れないようにしてくれたひとりちゃんには大感謝ですよ。
あたしは彼女から学び、そして何時かひとりちゃんみたいないい子になりたいと思うようになった。そうしてみると中々楽しくてハマってる。
さて。そんなあたしが例えば今のようにマニュアルをもとに接客などをしてみると。
「バイトって、おもすれー!」
ハイになって端っこの方でバンザイ。労働って最高の利他行動で感謝までされちゃうなんて素晴らしい、程よい運動だよなという結論になる。
いやそもそも場所的にうっさいのは良くないし、一度マニュアルさえ憶えちゃえば後はルーチンワークに近いけれど、それより何よりずっと笑顔しちゃってても不思議に思われないのがすっごくいい。
大嫌いなあたしの放っといたら強張る顔よ、今も円かに可愛く歪んでくれちゃってるかな。それで誰かが快くでもなってくれちゃったら本当に万々歳だ。
「伊地知先輩! 次の仕事めっちゃ下せえ!」
あたしがそういやそろそろどこぞの誰かの音楽が始まるのか手隙になったなあとくるんとしてから尊敬すべき先輩方へと首をぐりん。
そうして三下感マシマシにあたしが黄と青の補色関係抜群なお二人にお願いすると、くらりと山田リョウ先輩はしてからこう呟くのだった。
「やっぱり私はいいこを理解できない」
「おや?」
「ああっ、井伊ちゃんのあまりの爽やか勤労少女っぷりにリョウが心の壁を作っちゃったー! あと、井伊ちゃんは十分頑張ってくれたからゆっくりしてくれていいから!」
「なんと」
山田先輩からの突然の拒絶に面食らったあたしに、わたわたしながらも伊地知先輩は的確な補足をくれた。なるほど、この我らがベーシストさんは実にベーシストさんらしき性質を備えているようだ(偏見)。
そして、大して頑張りもしていないのに頑張ったと評価されてしまいあたしはびっくり。折角不慣れを楽しんでいたのに、ちょっと残念だとすら思ってしまう。
だからかつい、あたしはふざけて嘘っこなことを口にしてしまうのだった。
「うむむ……折角だから「STARRY」名物の新人イビリを味わってみたいところだったのですけどねえ。今日はその予定なし、と」
「いつの間にあたしのウチに嫌な名物が創作されてる!? 井伊ちゃん「STARRY」はもっとアットホームで笑顔の絶えない職場だよっ」
「……それはそれで、何だかブラックな感じ」
「リョウまで! もー皆してあー言えばこー言う。あたしはどーすりゃいいのさあっ!」
可愛らしく三角アホ毛まで怒らせて、ぷんぷんする大天使ニジカエル。
まあ実際ここらがお家な伊地知さん的にはリアルアットホームであるだろうけれども、笑顔の絶えないというのはちょっと無理があるのかもしれない。
あたしが出来るのは偽物でしかないし、正直者のリョウ先輩は実につまらなそうにお仕事をするのが大得意だ。
というか、それ以外の大人スタッフも忙しそうで、ずっと笑顔満面可能なプロフェッショナルは伊地知先輩ただ一人のような気もする。
あたしは、貴女の語る職場は想像上の存在ではありませんか、と更に追い打ちをかけようか迷っていたところ、そこに救いの鬼の手が。
あたしは今日どうしてか伊地知先輩から「STARRY」にて交友を深めようよとソロで呼ばれた。
先輩方に説明されながら、へえこんな風に中はなってるのかとバックヤードでキョロキョロしてたら、お前そんな気になるなら働いてみるかと声かけてくれたのが、この箱の主。
そう、伊地知星歌店長がやって来て、荒ぶる黄色三角形をぽすんとその手で押さえ、こう呟いたのだった。
「はぁ……虹夏。それならもっと静かにしろよ」
「お姉ちゃんっ……そうだね。ライブ前にうるさくしてごめんなさい」
「分かればいいんだけどなあ……おい、井伊」
「うっす! 何でしょうか、店長?」
店長さんは最愛の妹さんを優しく窘めたあと、諸悪の根源たるあたしにちょっととんがり気味の目を向ける。
でもそれはただツリ目なだけで、むしろその中に驚くほど険が足りていないのにあたしは驚く。
あたしは普通にツンデレからは嫌われるのが何時もなのになあ、と店長に察されたら説教されそうなことをぼんやり。
「……あー、そのノリは嫌な過去を思い出すから止めてくれ」
すると過去の思い出に頭を抑えながら手のひらを向けてくる店長。
この人がしてたやんちゃって、あたしの水族館出禁になった水槽突入とはまた違う種類なのだろうなとも考えながら、対応をちょっと変えてまたあたしは首を傾げた。
「ほい。分かりましたー。で、実際何ですかい?」
「今日のバンドはまあまあなのばかりだが……良かったら勉強してきな」
「かしこまり! うへへ……全曲耳コピって譜面に直してまるっと参考にしてやりますぜ……」
「いや、そこまでする必要はないが……」
あたしは音楽なんてのを勉強とするならばそれくらいしなきゃだよなあと、本気な発言をしたがそれは店長には冗談だと流される。
そして山田とは別ベクトルで扱いにくいな、と彼女は本心をちっちゃく零しながら。
「あ」
あたしの頭を最愛の妹さんにしたように、ぽん。
やがてただ何だか冷ためな体温を少しくれてから手のひらを話した店長さんは、こんなことを伝えてくれるのでした。
「まあ、取り敢えず虹夏が言った程じゃないくともさ。……ここ「STARRY」でそんなに緊張しなくていいからな」
「……はーい」
はい。またまたバレバレだったのですね。
ぺたぺたと頬。道化のメイクはにっこり壊れていない。でも、その奥を魔王は見定めていたようでまさしくあたしはピエロだった。
「ふふ」
おかっしいなあ。
さて。以降の「STARRY」滞在期間に特筆すべきところなんてなかった。
凡庸と言うにはすっごく頑張っている子たちのライブは、別段参考にすべきレベルではなくても聞いていてちょっと嬉しくなったし、彼らのお客さんとの全霊を持っての音色での交流は素敵だと素直に思える。
彼らの両手どころか三桁に迫る間違いの数だって判別できてしまうこの耳からしたって、それがとっても音【楽】だったってのはよく分かるのだ。
「はぁ」
だからあたし的には総じてとても今日の交流会は楽しかったのだけれども。
でも、先からなんでか山田先輩は上の空。あたしは今回の会合があたし一人を呼んだものだった理由をなんとなく察しちゃってる。
きっと、このヒトはあたしのことが気に食わない。けど、でもだからってあたしはとってもこの自由な生き物が好きだから、懐いちゃう。
だから端っこのテーブルにてぐだっとしてる彼女のもとへとことこ歩いて、こうして声をかけるんだ。
「山田パイセン」
「なに、いいこ」
人は他人を理解したがる。別ではなく対として。
それは、空ではなく相手に向けたお顔に付いたまんまるお目々に視界というものがあるからどうしようもないこと。
でもあたしはたとえ理解できないモノの群れ相手であってもまるっと愛したいと思っちゃうタイプのいいこちゃんなので、こう悩める先輩に伝えてしまう。
「――――あたしは真に認めるべきは生き様でなくて命そのものの方だと思いますぜ?」
「いいこらしい。でも、私はそう思えないかな」
「なるほど。山田先輩は天国を目指す宇宙飛行士さん系でしたか」
「違うよ。けれど……足跡だって命の証だとは思ってる」
「ほほう。だから貴女はそんなに危ない生き方をしてるのですねえ……痛くないです?」
「全然。いいこが気にし過ぎなだけ」
「やっぱそうですかねー」
「ん? うんん? 何話しているの、二人!?」
あたしたちなりの、他人から聞いたら言葉足らずの意思疎通。伊地知先輩はアホ毛ぴろぴろ混乱している様子だけれど、直感型同士の会話なんてこんなもの。
要約すると、人に期待しすぎるのは辛いんじゃないかという私からの問いに、そんなことはないよと返ってきたばかり。
ちょっと格好つけた言い方すると山田先輩上手く理解してくれるなあとあたしが納得していると、全然納得のいっていないような伊地知先輩は。
「……リョウ」
「なに、虹夏……うお」
目の前の山田先輩を呼び、そしてそのちっちゃめ頭を可愛らしい両手で押さえて左右にくらくら。
すると、響き渡るはカランカラン。やっぱり人体って不思議だなあと再確認するあたしに、伊地知先輩はその甲高い響きに納得をいかせたようで頷いたのだった。
「うん何時ものリョウだ……なのに井伊ちゃんと話してる時のリョウって、なんでかちょっとIQ上がってる気がするんだよね……」
「確かめ方がヒデェですな」
「うう……それはいいこの言う通り」
カラカラ脳みそを上手いこと首を動かし固定させようとしている山田先輩を横目に、何だかなあと思うあたし。
いや、曲がりなりにも下北沢高校なんていいとこ入学できてることもあり、記憶力はすっからかんでもぶっちゃけ地頭はいいのですよこのお方。
しかし何よりも仲良しさんしてる伊地知先輩こそがそれをご理解してらっしゃらないというのが残念至極。
「そんなことより、井伊ちゃん!」
「なんです?」
好きになるってのはより近視的になることでもあるのかなあと改めて学ぶあたしに、当の伊地知先輩はずいと近寄ってくる。
その勢いに今度はあたしを振ってみようとしてるのかも(多分そうしたら口から炭酸源泉が湧き出る)と身構えてしまうけれど、しかし彼女はあたしの手を取って。
「あたし安心したよ! 井伊ちゃんもあんないい笑顔するんだねー!」
「えっと?」
そんな他人の幸せを喜ぶセリフを口にするものであったから、これはやはり大天使と思いながらも首を傾げるあたしめ。
いい笑顔も何も、そもそも先からあたしは真剣にライブに学んでいたつもりで、そんな緩んだ思いなど一つも浮かべてない。
ならあたしのはなまる笑顔とはバイトの時に頑張って作ったものかなあ、と考えるのだけれども。
「なるほどね……」
山田先輩は目を瞑って思案し、そして続けて伊地知先輩が答えを解説してくれた。
「気づいてなかったの? ライブ見てるときの井伊ちゃん、すっごく楽しそうだったよ」
「ありゃ」
それは、あたしの今日いちの驚き。
表情筋を自在に動かせる人間としてそのうち変顔ギネスとか取りたいなと思ってたくらいのあたしが、知らず面を緩めていたなんて。
そんなことあり得るのか、でもあったなら、それは。
「なるほど。あたしって他人の音楽が好きだったんだ」
そう結論する他にない。
あたしはひとりちゃんのためにずっと彼女の音楽に付き合っていたのだと思ったけれど、それは違っていて。
「うん! 最初はそれでいいから……何時かは井伊ちゃんも、井伊ちゃんの音楽だって好きになってね!」
改めて人体の不思議というか自分という存在の不可解に悩めるあたしに、推されたのはそんな課題。
なるほど、伊地知先輩は他人の模倣ばかりのあたしをあたしが嫌いなのを理解し、でもそれをずっと気にしてくれていて、それとなくあたしを観察までしてくれていたらしく。
「えへへ」
優しい言葉をかけてくれたその上で、笑顔がこんなにもやわらかくて。
「あ……ありがとう、ございます」
これって冗談じゃなく天使みたいな優しさだなと思ったあたしは、思わず素に返ってしまうのだった。



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