抜け駆け

ノイズちゃん走る それでも私は走る

第59回菊花賞。
11月8日の本日に京都競馬場にて行われるグレード・ワンのレース。
クラシック三冠のうち、最後の冠の一つ。最も強いウマ娘が勝つとすら言われる程にここまで菊花賞では培った実力を試される。
3000メートルの厳しい道程を真っ先に踏破したもののみが、手にする栄光。

惜しくも今回皐月賞と東京優駿にてそれぞれ戴冠したウマ娘は出走していないが、それでも今年は【黄金世代】と叫ばれるまで際立ったウマ娘が現れているものだから、レース自体の期待は減らない。
むしろ、綺羅星のような彼女たちの誰から新しい冠を得るものが出るのか心より楽しみにしているものが大多数。
晴天に恵まれた本日も、京都競馬場は人でごった返し、その熱気はまるでターフにて己の様子を感じるに努めるウマ娘達にも伝わってくるようだった。

流石に少女たちの表情は概ね硬い。期待に応えたい、今度こそ、負けたくない。そんな尊い想いすらも雑念となって足を鈍らせる感を覚えさせるものだった。

ただその中でも隣り合う4、5番のゲートに入ることを定められた、ちょっとマイペース気味なウマ娘達は一味違う。
芦毛と栗毛の二人は、まるでじゃれ合うようにすれ違ってから、互いに青くきれいな秋の空を見上げながら思ったことを呟く。

「いやあ。観客さんたちの熱視線はちょっと痛いけれど、この寒空にて皆様燃えるところがあるようでなによりだねえ」
「ん。そんなスカイもあの人達の熱源。期待されている以上に、走らないとね」
「まあねー。セイちゃんだって見せつけてやりたいって思ってはいますよ? それは――も一緒でしょ?」

ちらりと、セイウンスカイは――――という少女を見定めるかのように再度目を向ける。
未だ空の青に浮気している彼女は、しかし鍵盤の衣装をした服と赤いマフラーの勝負服を着込んだ姿の下に、並々ならぬ修練の跡を感じさせていた。
具体的にはまたこの子、お尻とかトモとかでっかくなったんじゃないかな、というのがセイウンスカイの感想。
それが秋ウマ娘らしきぽっちゃり化ではなく全部筋肉な感じの張りで、海外に居るエルが見たらどれだけ進化したお尻サイズに驚愕するのかなと余計なことを考えたりした。

だがしかし、実のところ文字通り上の空な様子の――――はもっと余計極まりないことをすら考えている。
どこを見上げても、青に心を浮かべたところで亡き彼の魂には届かないと、はっきりと少女は分かった。
もう姿形すら朧な、ウマソウルで繋がっていた筈のあの子は、今この空にない。なら、走る意味はどれだけあるのか。

でも、例え意味がなくても届かなかったとしても走りたいから、私は。

「そうだね……私は……」
「――ちゃん?」

少女の懊悩は存外顔に出ない。
だが、それでも決意ばかりははっきりと――――から輝かんばかりに発揮されちゃっているものだから、セイウンスカイは心奪われてしまって仕方がない。

間違いなく、この本日お隣さんのウマ娘は抜け駆けする気だ。
そう察してしまう彼女を前に、どこか寂しそうな表情(そんな顔しないでよ)をしてから――――という一人の女の子は。

「うん。私は《《ここにいない子》》にだって認めてもらえるような走りをしたい」

報われなかった彼に報えなくとも、せめて忘れずに想いを。
涙でない輝きをぱちぱちと瞳の奥に煌めかせながら、そんな夢みたいなことを語るのである。

「その意気その意気! よーし、セイちゃんだって頑張っちゃうぞー!」

だが、本日二番人気に推されているセイウンスカイは先週のサイレンススズカへの献身姿の影響か三番人気と相成った――――をこれっぽっちも侮ることなく発奮した。
そもそも、夢も心に一度くべれば、極めて強い炎となるのは周知のこと。

「うん……今回こそ、負けないよ」

だから、対する彼女の呟きはか細くも確かに響く。
別に、抜群じゃなくていい。せめてこの子に今度こそ我が背を魅せつけられたら。

「そっか」

そして少し経って苦手なゲート手前。セイウンスカイはここに至ってふと気づく。

ああ、私は今日負けたくないのではない。ひょっとしたら勝ちたいがために頑張る訳でもなかった。

ただセイウンスカイという少女は。

「今日こそ、逃げるあの子の瞳に映りたいんだ」

それだけのことだけに、本日誰よりも必死に駆け抜けるのだろう。

 

セイウンスカイというウマ娘は――――という少女のことが好きだ。
恋かどうかはよく分からないが何なら愛しているとすら断言しても構わないと思ってすらいるくらい。

いや、デート(――――はただ一緒に遊びに行ってるだけのつもり)の度に驚かされるのには、困ったものだが。
ルーズなセイウンスカイを駅前で待つ彼女の周囲に(餌もあげず手持ち無沙汰にしていただけなのに)数十匹の鳩サークルが出来ていたなんて、序の口。

二人でハイキングなんてしてみれば、何故か猪が喧嘩を売って来てどうしてかそれを買ってしまった――――が山中で獣道追いかけっこを繰り広げだす。
それをセイウンスカイが這々の体で追いかけてみれば、何故か今度は落ちた角を咥えるお節介な鹿からそれをアクセサリーにあげると押し付けられるのを困っている彼女の間に入った。
目的の原っぱで今度こそゆっくり、と思っていればそのうち――――を慕って集まってきた蝶々にて前が見えねえな事態に陥ったりする。
そうしたセイウンスカイにとっては中々散々だった一日を――――は今日は猪鹿蝶と集まって縁起が良かったねとのんびり総括する始末。

いや、聖人は動物に愛されるとも聞くが限度というものがあり、船で一緒に海に出てみれば雑魚どころかザトウクジラをも集合させてしまうようなその謎体質には釣り好きのアウトドア派を自称するセイウンスカイとてこの子都会でこれまで生きていて良かったなあと思う次第である。
明らかに、田舎育ちだったら競技ウマ娘どころか百獣の王的な意味不明な存在になっていたに違いないから。

まあ、とはいえそんなおかしなところだって面白いと思えてしまうのが、惚れた欲目か。
そこでああなんだ私って恋もしているなあと考え至ってしまうのが彼女の賢しいところであり、ちょっと余計なところでもあった。

そもそもセイウンスカイは追いかけるより追いかけさせる方が性に合っている、そんな乙女。
好きは自覚するよりさせる方が駆け引きとして有利だし、そもそもこんな筈ではなかったのに。

気になって仕方ない彼女に寄りかかった心の先に燃えるような思いを発見した彼女は、だからこそ大嫌いなゲートでのひとときを楽に過ごせて。

「っ!」
「くっ」

どんぴしゃり。こうしてスタートを連れない彼女と並べる。
隣同士で、目が合う。群を抜いた彼女に、先頭なんて一人ぼっちを許さないとセイウンスカイは最速の一歩を踏み出せたのだ。

「くうっ!」
「ふぅ……」

勿論、それに付き合ったつもりもなければ、でも――――と駆けることに特別な意味を感じるウマ娘たちも好スタートで走り出しはした。
キングヘイローは相当な気合を入れているようだし、反してスペシャルウィークは不気味なくらいに落ち着いている。
それは、今回が冠を得られる最後の機会だからというだけでは決して無いのだろう。
心持って向かってくる彼女に思いを走りでもって返すためということも大きいに違いない。

「私がっ」
「ううんっ負けないっ!」

だが、いっそぶつかり合いに近いくらいの激しい先頭争いを繰り広げる彼女らには最早、他人が入る余地がなかった。
セイウンスカイの飛ぶような一歩に――――は地面を強く踏んで同じく届かせる。
彼女らの脳裏には、これまで菊花賞で逃げウマ娘が勝ったことはここ三十年以上ないという、知識すらぽんと抜けていた。

「っ」
「くうっ!」

それぞれの一歩があまりにどんどんと他を離していくのに、観客にもざわめきが起きる。
こんなのどちらが端を取るかという意地の張り合いですらない。暴走、掛かり過ぎだと場内殆ど全てがそう考えた。
まあ、感情にて疾走ることを優先する――――だけならこれはおかしくないのかもしれない。しかしこれはあまりにクレバーを取り柄としているセウンスカイらしくなかった。

「ああっ」
「ううっ……」

次第に、セイウンスカイの表情がどんどんと優れなくなる。それはどうしてこの子はそんなに私を見ようとしないのだという激情から。
彼女にとってこれは逃さない、ではなく行かないでという乞いに近い。最早意地どころではない想いの泥が――――らを緩めさせなかった。

次第にがりがりと整わない呼気に削れゆくスタミナ。このままでは競り合いのみでペースを崩すと思われたが。

「もうっ、仕方ない!」
「……え?」

ならいっそ。ぱっと隣を見てきた――――は彼女しか見ていないセイウンスカイとばちりと目を合わし。
大きな空色の驚愕を前に栗色の瞳をぱちぱち。そっと、――――はセイウンスカイの激しく動く手の片方を取って。

「スカイ、一緒に走ろ!」
「ああ……う、うんっ!」

手を繋いで共に駆け出した。

 

故意悪意がなければ多少の削り合いすら許される、ウマ娘の競走。
ならば、むしろ手を取り合って善意で持ってペースを合わせるのは禁止されることではないのだろう。

グレーゾーンなのは、違いない。だが、それでもあの睦まじいところを邪魔するのは普通に憚れ。

「……あの子達、なにしてるのよっ!」

しかし、王は当然のように激怒した。
それは私がずっとしたかったことなのに、という本音をも忘れてキングヘイローはお手々繋いで仲良ししちゃている彼女ら目掛けて急激にペースを上げる。
そんなこと止めなさいと、注意するためにも。

そう、走りなんてものは両手を振って勢い付けて進めるものだ。
片手塞がれた中で相手と同じペースで走り続けるなんて、最早競走ではないし言うなればほぼ曲芸だ。

そんなふざけたことをしている相手に負ける気なんて王に更々なければ、このまま逃げを打たれ続けると困るというのも実情。
故に、温存しようとしていた体力残量すら気にせず足の回転を早めたのだが。

「……嘘でしょ? 差が、縮まらないっ?」

しかし、幾らどうしたって、あんなバカな真似してる子達の背中が、遠い。
全くそれがおかしいのは、違いなかった。暴走にしたってそれをここまで続けられる筈がない。
あんなに速いのを続ければ、コースレコードなんて勿論《《今の3000メートルの世界レコード》》だって超えるだろう。

「もうっ!」

そんなのに、付き合ってはいられない。でも。
彼女は彼女らの友であり、それが二人して飛び去っていくのを認められる訳がないのだ。

私も混ぜなさいという、激情がまたとんでもない速度を生み出し、淀の坂を持ってしてもそれを萎えさせず。

「逃さないわよっ」

そう、キングヘイローは三番目を維持し、決して二人の影を踏むことを諦めなかったのだった。

 

「もうちょっと前……ううん」

意地っ張りがその原因とはいえ逃げウマ娘二人の仲の良いところを見せつけられて、スペシャルウィークだって決して内心穏やかなものではない。
正直に、仲良しさんで――――と駆け抜けたいというのはむしろ彼女の本心であり、望むところではあったのだが。

「……ここあたりなら、差せるかな?」

しかし、スペシャルウィークの天才は、焦るなと叫んでいる。
勿論動物のように思いのままに駆けたいけれども、彼女の理性という手綱は確りと勝負どころを教えてくれていた。

「ふぅ」

スペシャルウィークは、間違いなく世代でも際立ったレベルの末脚を持っている。
そして、それは並べなくともエルコンドルパサーに比肩した事実から完全に自信ともなっていた。
彼女のその稀代の持ち物であれば、どんな競走であっても差しきれる。そんなのはもう、トレーナーに言われずともなんとなく分かっていて。
坂を下り、息を潜めながら最後までこの距離を保つ。そうすれば、どう考えても彼女の勝ちは揺るがないのだけれども。

「あれ?」

しかし、おかしい。理解の外だ。
だって距離をずっと維持できれば勝てるのに、どうしても。

「離されてる?」

使う脚にきりがない。それでも緩まず先頭の二人は遠く。少しは落ちてきて欲しいのに速度殆ど変わらず。

「っ!」

これでは差すために力を残すなんてことすらおぼつかない。
スペシャルウィークが感じるこれはまるで、空を舞う比翼の鳥を延々と追いかける心地のようだった。

 

「はぁ、はぁ」
「ぜ、ぐ、はぁ」

しかし、手を繋いで既に二千メートル駆け抜けた二人は当然ぐちゃぐちゃだった。
汗はだくだく。滑る手のひらを改めて握り直したことも数しれず。

「はぁっ」
「ううっ!」

だが顔を下げるわけにはいかず、脚を緩めるわけにもいけない。
それは、繋がった相手にも当然障るからだ。
勿論、最初からしたくてこうした訳では無い。でも、一度こうなってしまえば。

「ああっ」
「くっ!」

どうしてかもう、離したくないものだ。
故に二人は再び訪れた淀の急坂を真横に並んで駆けきらんとする。
脚は棒のよう。熱するばかりの杭を気合でもって持ち上げ続けそれを走りに成す。

「っ」
「……っ」

スタミナは――――の方がある。力も、どうやらずっと勝っているようだ。
そんなのでもセイウンスカイはずっと知っていて、でもそれでも《《速さを続ける技術》》では負けていないと信じていた。

「―……」
「い」

汗に濡れる視界。滑る指。それを今度こそは掴み直さずに。
思わず最後に縋るように歌おうとした彼女を他所にして。

「まだっ!」
「っ」

こうして最後にセイウンスカイは抜け駆けした。
続く脚は、歌うなんて余計なことすらすることなく歯を食いしばって彼女を視界に入れ続ける。

そして、セイウンスカイはそのまま。
優しい――――が伴に走ることに気遣ってしまうことすら利用してスタミナを削り、自分はマイペースに走ったことを一生後悔するのだろうとは思いながらも。

「はぁ、ああっ!」

その背で結果――――に自らの勝利を魅せつけた。

――――以外誰も並ばず届かず及ばず、そして少女が見つめた先には。

「……レコード?」

この距離の競走ではちょっと見たこと無い数字と共に、そんな文字が。
決して綺羅星ではない泥臭さをかく得ない自分には縁遠いだろうと思っていたそれが、自らの結果だと知ったセイウンスカイは目を大きく開け。

「おめでとう」
「っ! ご……ありがとう、――――!」

間違えず、こんな域にまで自分を引っ張ってくれた同じく汗だくの少女に対してそう返せたのだった。


前の話← 目次 →次の話

コメント