第三話 信じる

ハナコ 口が裂けてもいえないことば

「止めなさい」

美袋と七恵。まるで友達が友達に手を差し伸ばしたかのように見えて、その実女の子が化け物崩れに拐かされている二人の姿。
見ていられない、そういう思いをマスク越しに表して、ハナコは七恵が美袋に手をかけるのを止めた。

「ふふふ、ハナコちゃん、どうしたの?」

途端、七恵の視線は邪魔者であるハナコの元へと向く。
その温度のないグロりとした視線を認めて、やはりこいつはどうしようもないと、口裂け女の少女は思うのだった。

「どうしたもこうしたも……」

しかし、ハナコは返答に迷う。それは、良いことをした自分を恥じて。
いくら嫌いな苦手相手とは言え、悪行を行うことを止めることを、そう何度もしたくはない。
赤信号を渡ろうとする子供を止める当たり前の行為を怪人が行うことなんて、違う。自分はヒーローでも何でもないのだからと自嘲して、改めて小さなハナコは下から上に言った。

「そういうのは、私の目の届かないところでやってよ」
「そっか……うん。分かった」

微笑み頷く七恵の返答はまるで心よりの優しさから来たかのような、声色を持つ。
しかし、そんなものはただのカメレオンの能力と同じく環境に合わせた変色に過ぎない。
爬虫類よりよっぽど愛のない隣人の瞳を知らず、二人の会話を聞いた蚊帳の外の美袋は首を傾げてから問った。

「えっと? お二人さんはお知り合いで?」
「うん。ハナコちゃんとは一年ほど前から仲良くさせてもらってるの」
「ええ、仲悪くさせてもらってるわ」

七恵の笑顔の断言とハナコのマスク越しの否定は噛み合わない。違うもの同士の認識は噛み合わず、故に美袋は惑わされるのだった。太めのおさげをゆらり、彼女は尋ねる。

「うん? お話が合いませんなぁ。どーゆうことで?」
「ふふ。簡単なことだよ。私は好きで、ハナコちゃんは嫌い。だから擦れ合いが私は気持ちよくて、ハナコちゃんは気持ち悪いの」
「はぁ……つーことは何、七恵ったらこんな小さな子に嫌われちゃってるの?」
「うん」
「胸を張って言うことじゃないでしょうに。子供さんに何したのよあんたはさ」
「えっと……嫌がらせ?」
「わぁ、なんて大人げない!」

笑み、さらりととんでもないことを言うお友達に美袋は、なんてこったい、と頭を抱える。
中学時代の七恵は、嫌がらせ、なんてことを口にも出来ない真っ直ぐだった。それがこうもたちの悪い冗句を言えるようになってしまったなんて。時間って残酷だと美袋は思う。

「……はぁ」

悪質がどこまでも本音を口にしているばかりなのに、信用しきっている美袋は言葉の深意を理解できない。故に、当然のように彼女はハナコの瞳の瞋恚を見逃すのだった。

どうしようもない七不思議の少女に口裂け女の少女が怒りを燃やし、救いようのある道化が空気を読み違え続けるそんな最中。
ハナコと同じくこの世に戻って来たもう一人の少女、手を離してしまった華子がようやくかけっこに追いついて、声を上げた。

「はぁ、はぁ……速いよ、ハナコ……あ、七恵さん。と、誰?」
「わぉ。またちっこい子がやってきましたよ……私めは吉田美袋という名の七恵のお友達ですよ。マドモワゼル」
「えっ、友達? ……七恵さんって友達なんていたの!」
「わぁ……本気で驚いてますねこれは……七恵が普段どういう感じに捉えられているか、透けて見えるわ。……七恵。ホント、あんたって私の知らない間に何してたのよ」
「うーん。この子には有る事無い事吹き込んでただけだけれど」
「どう考えても、それが悪い!」

今明らかになった、友達の少女に対する嫌がらせに、ホラ吹き。美袋的にはツーアウトである。
しかし追い込まれた筈の七恵はどこ吹く風ただ微笑んで、こう言うのだった。

「ふふ。でも子供には悪い見本の方が刺激的じゃない?」
「むむっ。確かにそれはその通りかもしんないけどさ……ワルい人って格好良く見えたりするし……」

そしてまた、美袋は七恵の言に悩まされる。そう、彼女にとって結構イケてる男子ってマジメくんとは離れていたりするのだ。前の彼氏は予想より悪すぎたために別れてしまったのだが、それはそれ。故に、好かれるためにあえて悪くするということに理解は出来る。
とはいえ。過去に引きずられ続ける少女は、当時の七恵のひたむきさを知っているからこそ、こんなことを言ってしまうのだった。

「けど、七恵が悪ぶるなんて、似合わないよ?」

そう、善か悪かと言えば極悪なそんな七恵を誤解して、気遣う。
当たり前の人の優しさ。だがしかし、少女のおおよその性を知っている二人にとっては冗談のようにしか思えない言葉だった。

「ぷっ」
「アハッ」

笑う、怪人と堕ちた子。
彼女たちは、七恵がどこまでも人でなしになってしまっているということを知っている。
とはいえ、まさかお友達の七恵がこの世のすべてをどうでもいいと思っているなんて想像もできない普通の美袋は子どもたちの嘲笑を不快に思って疑問を呈すのだった。

「むむっ。ここは笑うところでしたかな? そんなに私、おかしなこと言った?」

美袋は七恵の隣で首を傾げる。友を慮る、そんなことはあまりに当たり前のことで、笑われるようなことじゃないと彼女は思い込んでいる。
しかし、美袋が友だと思い込んでいるものは、ただの終わりきった人でなしだからややこしい。それをようやく哀れと思ったハナコは、口走る。

「ううん。貴女はおかしくない。信じることは美徳だと私だって思うわ。けど……」

そう、信じて貰わなければ、口裂け女も花子さんも、この世に存在できない。
そして、それだけでなく信じあうことは愛に繋がる、それはそれは尊いものだとハナコも知識ばかりで知っていた。
だから、それを持っている美袋は素敵だと怪人だって思うのだ。
とはいえ、とハナコは七恵を観る。悪鬼羅刹を物語り、この世を地獄に落とさんとする化け物を前に、人の善心はあまりに儚くしか映らなかった。
口裂け女は口の端結ばれ小さく開いた唇で続ける。

「人は変わるのよ?」

そう、たとえこの世の全てを幸せにしたいと望んでいたとしても、普通を心より望んでいたとしても、そんな純真だって最悪に付け込まれれば、極悪に変わり得る。
赤に染まり、怯えを失くしてすべてをどうでもいいと思ってしまった七恵。
不通と不幸をこよなく愛すようになってしまった乙女を隣にして、しかし過去の少女の綺麗さに目を眩ませている美袋は言い張った。

「いやぁ。三つ子の魂百までとも言うじゃないですか。美袋ちゃんは大好きな七恵のいい人っぷりを信じますよ!」

そう、吉田美袋は高橋七恵という人間のことを分かっていた。あの日、いい人にならなければと、頑張っていた少女を知っていたのだ。
それが過去形で、今七恵という人間が終わってしまっていたとしても、美袋は信じたいと心より思っていた。

なぜなら、美袋にとってこの世は努めなければ綺麗に見えないものであるけれども、七恵という少女のあの日の必死はどう見たところで、美しいものに違いなかったから。

「それは……たとえそれで死んでも?」
「そりゃあもう!」

ハナコの脅しのような言葉にすら、美袋は頷く。
彼女は死なんて分からない、想像もつかない少女である。とはいえ、少女にとって愛を捨てるなんて死ぬまでしたくないことだった。
きらきらと輝く瞳。信じることが出来る人の美しさを、ハナコと華子は直視する。

それを眩しいと目を伏せてから、華子はハナコへと向く。そして、意図は通じる。

「ハナコ」
「うん。……これ、貴女に貸したげる」

怪人は近寄り、しかし害さず、ただそれを笑顔の美袋の手元へ預けた。硬い感触のそれをまじまじと見つめて、美袋はつぶやく。

「これはきりんさんの……ハサミ?」

そう、それはプラスチックの鞘がキリンのデザインをした、子供用の小さなハサミ。こんなものを預けられても、と困る美袋にハナコは華子とおそろいの紅い至極真剣な瞳をして、言うのだった。

「そうね……もし悪縁が貴女に襲いかかってくるようなことがあったら……これでちょん切ってあげなさい。それじゃ」
「じゃあね」

そのまま刃物を押し付け、去る子供二人。ボブカットと、過ぎるほどのロングヘアが遠ざかっていくのを認めながら、美袋はおもむろにハサミの鞘を取って刃に光を当ててみる。

「はぁ……」

しかし、それは特に鋭く光返すような鋭さもなく、ただ普通にくもっていた。まあ子供が持っているものだしな、と思いながらその特別な切れ味を知らずに美袋は刃を収める。

すると、当然のように我関せずだった七恵が寄ってきて、笑顔で言うのだった。

「プレゼント、良かったね」
「おっ、そうだね。よく分かんない流れだったけど、頂いたものだもんね。喜ばないと。わーい!」

またぴょんぴょん跳ね出す美袋。から元気はお手の物。嘘でも楽しむのが、コツである。
友が良かったと言ってくれたのだからと、彼女は笑顔満面。今を楽しむのだった。

「ふふ」

そして、隣で七恵もまた、嘘で笑う。

信じられて、しかし《《もう》》、どうでもいい。そんな七不思議の少女はただ一つ、思う。

 

さあこの友情も台無しにしよう、と。


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