第六話 零点満点

ハナコ 口が裂けてもいえないことば

学生が学ぶのは正しいことである。そして、少年少女が愛されることは当然至極、望ましい。

ならば、足立華子という少女は優等である。彼女は小学校を学ぶだけの場所として通い続け、今はなき兄の分も過保護にも両親に愛された。
しかし、正解ばかりを続けるのが幸せであるかどうかといえば、否であるだろう。

無味乾燥な百点満点もあれば、意味深長な零点もある。そして、華子の八十点は、つい答案を破り捨てたくなってしまうくらいに少女にとって無価値であった。
大凡の幸福なんていらない。ただ一点の価値を、あの人を。

お兄ちゃん。私を愛して、こんな際涯まで至ってしまった男の子。ああ、あの人は私を助けて何処へと消えた。死んだと皆は口にせずとも物語る。そして、大好きなハナコは私が殺してしまったのだと口にした。

勿論、そんな全てを華子は信じたくもないけれども。彼女は、古錆びた全てを赤く睨み付ける。

「知ってるよ。お兄ちゃんがいないの」

分かる。華子は兄を現実に見つけられなくて、この世の裏側、いらないものが捨てられる異世界、通称ゴミ捨て場に行き着いた。そして、探してもう何ヶ月。

昏い、全体である。それはしかし、華子の心象にほど近いもの。終わった救いようのないものばかりの、一体全体に希望なんてどこにもなかった。

命に近い、しかしただ蠢くばかりの人でなし共。ああ、そんなのどこへ向かったところで変わらないのだな、と少女は下から全てを睨みつけた。当然のように、そんなことをしていて愛は見つけられるはずもない。

彼女の赤く染まった大粒の瞳は、ここでの兄の不在をとっくに理解している。華子はそもそも、お兄ちゃんはこの世から捨てられるほど価値のない存在ではない、こんな場に似合わない人格者だと信じてもいた。

居ない、なら諦めるのか。

「でも、ダメだよね」

ジャリジャリと擦れてばかりの心が、悲鳴を上げながら否定した。

確かに兄はこの世にもここにも見て取れない。そうならば、残るはあの世だろうか。そこに、私が至れば会えるのかもしれなかった。
たとえば、先ほど睨み殺した脚がたっぷり付いた尖った木片、通り過ぎた穢で視覚情報が真っ黒のコンタクトレンズなんかを身体に受け容れてしまえば死ねるだろう。
けれども、そんなことは到底出来ることではないのだ。何せ、あの日あの人に救われた命だから、何時もあの子に掬われている魂だから。

だからもったいないと、まだ捨てきれないのである。それは同時に希望ですら。執着を持って華子は笑う。

「あは。私は決して諦めないよ。真実なんてなくても、証拠なんてなくても、何もかもが嘘であっても、そんな私自身が狂気であったとしても」

人でありながら、人の世を否定し、ゴミ捨て場に堕ちる。そんな人間ろくでもない。つまり、足立華子は間違っていて、口から出す言葉全ては否定されるに足りている。勿論、その想いも。

だが。ごわごわした自分の髪の毛に触れながら少女は。

「――――愛は、確かにこの世にあった」

最期に、頭を撫でてくれた兄の温もり、忘れられないそれを抱き続けるのだった。

「はぁ」

そんな無垢の元へと、少女が一人。何より大切な妹を見つけて欲しいという既に小さなお腹で消化しきったとあるお兄ちゃんからの約束のために、口裂け女の少女は不安定な華子を救うためにやってくる。
もうどうしようもなくても、手が付けられなくても、それでも幸せになって欲しいと願ってしまったから、仕方なく。彼女は過去しか見ない華子の影からぞわりと、湧いて出た。
そして驚かすこともなく、ただ、花子さんは、可哀想な華子の隣で呟く。

「やりにくいなあ、もう」
「あ、ハナコ」
「華子ちゃん、こんにちは」

振り向く少女は、くすんでいようとも花だった。愛を信じる少女の様は、ホラー蠢くグロテスクな世界の中では、紅一点のように目立つ。世界に否定された愛して欲しいたちが集まる中で、何より肉親を請うそれは正しいものだから。

それこそ、愛が欲しくてひっかじいてしまうハナコなんかには、見つめることすら辛いのである。純愛。なるほど、これが親愛であるのだろう。独りぼっちの自分に理解できるものでは無い。
ないけれども、そんな風に自分にはないのが辛いという気持ちはどうしようもなく、故にこんにちはと言った口裂け女でもある少女の口の端は、深く深く沈んだ。

しかし、辺りは未だにまるで暗く、対面の調子すら望めない中で華子はただ彼女の言葉に首を傾げる。

「こんにちは? 今は夜でしょ?」
「ああ、そうだったね。時間を忘れちゃってた」
「あはは。ハナコ、ボケ老人みたいー」
「む、このちんちくりんな姿を見て、老いを想像するなんて、失礼な」
「噂になってから何十年も消えない煙が、なんか言ってるー!」
「むぅっ」

そして、合わない二人は会わさって、調子を崩して奇怪な子供の音色を立てていく。
それは、ユーモアにも似た哀れ。互いが分からない子供二人が不通に親愛を奏でるのだから、悲しくもなる。
しかしそんな悲哀な喜劇ですら、周囲の怪談崩れの死に体達は拍手も出来ずに羨むばかり。

あれは愛ではない。でも、それに似ていて眩しくて。

「きゃあ、ハナコ耳を引っ張らないで! このー!」
「あ、こら負けずに頬を引っ張らないの。私の口がますます裂けちゃうでしょ?」
「わ、グロテスク! 血が飛んできたよー」
「ホラーに触れて、流血沙汰にならないわけないでしょ……ほら、拭ってあげる」
「わ、ありがとー」
「……どういたしまして」

ああ。だから。

 

「ふふ」

そんなの一息で吹き消してやりたいな、とこの場に居ない高橋七恵は常々思っているのである。

「後、もう少しだね」

少女はステップを踏まない。
だって、眼下に足場などなく、全ては空で、彼女は空想にほど近い。ならばきりなく浮いて、それでお終い。黒の中空に、嘘つき少女はただ独り。

美しいその顔は、一面ではない。多色を容れて、なお眩しく。それでいながら、血が通っていない無情。何とも厳しい、陶器の欠片。

けらりけらりとはもう口には出さず、何より人でなしとして口の端歪ませながら、誰よりも正しく間違っている最悪の満点である七恵は。

「楽しい」

勝手に組み上がったばっちい哀れを崩すだけの、積み木遊びを楽しむのだった。ごちゃごちゃしているばかりのものなんて、壊して遊ぶしかないじゃない、と。

 

「ね?」

そう、物語のトートロジーたる【私】を見上げて七つ不思議の少女は騙るのだった。


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